第40話 同じ目をした少年
「この商館がそうなの?」
「ああ、そうらしい」
目の前にある大きな建物は、オーギュスト伯爵の御用商人が所属する商会であった。
このあたりの出店を取り仕切るのも彼らの役目である。
私達がライブを行うための土地も、ここに料金を支払って借りている事になるらしい。
らしいというのは、私達がお金を支払ったのは現場に居る商人で、この商館に来て直接支払ったわけではないからである。
「ピーター、こっち来て」
「う、え……? で、でも……」
「いいからくるっ!」
「ひぃっ」
気後れしてまごついているピーターを、私は叱り飛ばす。
ピーターは何故か青い顔をして、躓きながらも私の後方二歩あたりの位置に来たのだが、それではまったく意味がないのだ。
主役は真ん中に居なければ。
「ピーター、前」
クイッと親指で私の前の空間、すなわち商館のドア真正面を指さす。
「え、で、でも……」
「いいから来なさいっ! ピーターの事でしょ!?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
ピーターが慌てて前に出た後、ガタガタ震えながら必死に逃げ場を探しているかのように視線を左右にさまよわせる。
まったく、往生際の悪い。というか好きな事を存分にやりたいと思わないのだろうか。思うよね?
「あ~なった姉御には逆らわない方がいいっすよ~」
「ですです」
ハイネやエマがちょっと同情するような視線をピーターに向けている。
グラジオスも同感だという感じで大きく頷いていた。
……まったく失礼な。そんなに強制した事って……多分……そんなに……ない、かな? ないよね?
ちょっとグラジオスなんで目を逸らすの? エマも!
「なんかずいぶんみんな私に言いたい事ありそうね……」
「いやでも、そういう姉御の頼もしさがいい所でもあるっていうか……」
「こ、怖い所でもあるんですぅ~」
……そうだったの……。ちょっとショック。
……なんて落ち込んでなんていられない。反省はあとあと。今はピーターの事っ。
「行くわよっ、ピーター」
私はピーターの襟首を掴み、引きずるようにして商館の中へと入っていった。
ロビーで荷物番をしているエマとハイネを除いた私、グラジオス、ピーターの三人は応接間の様な場所に通された。
応接室は王城などに負けず劣らず綺麗で立派な調度品が揃っており、私はどんな悪い事したらこんなに稼げるんだろ、なんてちょっと意地悪な事を考えてしまう。
応接室には黒髪をオールバックにし、立派な髭を蓄えた中年の男性が笑顔を称えて待っていた。
「いらっしゃいませ、我がアッカマン商会へようこそおいで下さいました。グラジオス殿下。それから楽士様。……それとも市井で呼ばれている様に、異国の歌姫とお呼びした方がよろしいですかな?」
え、私そんな風に呼ばれてたの!? やだ、ちょっと嬉しいかも。
「雲母の我が儘にわざわざ時間を割いていただき感謝する。ハリー・アッカマン殿。主が直々に出迎えて下さるとは思ってもみなかった」
グラジオスは久々に余所行きの仮面を付けて感謝の言葉を口にすると、アッカマンと握手を交わす。
私も慌ててそれに倣い、お辞儀をしてから握手のために右手を差し出した。
すると、
「光栄です、歌姫様」
アッカマンは優しく私の手を取り、その甲に口づけをする。
「ひゃうぅっ!?」
ビックリした私は、思わず変な声を上げながら手を素早く引いてしまった。
分かってる、これはただの挨拶。普通の挨拶。今までこんな人が居なくって、こんな事されたの生まれて初めてだったからびっくりしたけど、なんの特別な事じゃないの。
落ち着け~落ち着け~、私。
なんて呪文のように心の中で唱えてみても、私の体温はどんどん上がっていき、鼓動も隣にいるグラジオスに聞こえるんじゃないってぐらいにうるさくなってしまった。
多分、顔どころか全身茹蛸のようになっているだろう。
「気分を害されてしまいましたか?」
「い、いえっ、違うんですっ。ただちょっとこんな事されるの初めてで……び、びっくりしちゃって……」
「……そうですか」
グラジオスはこんな事しないっていうか、なんか私をレディとして扱わないし、ハイネはがさつで舎弟だし、オーギュスト伯爵は武人だ。ルドルフさまはしそうだったけど、最初の時はそういう状況じゃなかったし、再会した時は机が邪魔でそういう事が出来る距離じゃなかったのだ。
結果、私はこの世界に居ながらキスという文化にあまり触れあってこなかったと言える。それが幸運か不運かは別として、耐性がゼロだったことだけは確かだ。
「ホントに気にしないでくださいっ。ほ、ほらピーターも挨拶しなさい。今日は貴方の為に来たんだから」
「ちょっ、ちょっ……待って」
私は高鳴る胸を押さえつけ、嫌がるピーターの腕を掴んでアッカマンの前に引きずり出した。
アッカマンは眉根を潜めてピーターを、小汚い少年を、見下ろしている。
「……本日は歌姫様のご用向きではないのですね」
アッカマンは先ほどまで浮かべていた笑顔を消し、明らかに落胆した様子で肩を落としている。
彼は商人だ。明らかに金の臭いがしない少年になど、関わり合いになりたくもないだろう。
でも、関わってもらわなきゃ困るのだ。
「そうですけど、半分はこの商館にも関わることですっ」
私達は席に着き、事情の説明を始める。
ピーターが違法に販売していたというところでは、アッカマンの眉毛が跳ね上がりこそしたものの、それ以上の事はしないでいてくれたのはありがたかった。
「という訳で、ピーターのアクセサリーを売るお店みたいなの、紹介していただけませんか? そうやって、違法な出店をしている人たちが共同でお店を出したりする様な枠組みとかあれば、この市場はもっと良くなると思うんです」
「……なるほど。違法な商売をしている者達を、ただ捕まえるのでなくこちらに取り込むと。そうおっしゃりたいのですね、歌姫様は」
「はい」
実はこんなの後付けでそれらしいことを並べ立てただけの言い訳だ。でもそれが通ればいい事だし、きっとこの国の助けになるはずだ。
「ふむ……」
アッカマンは顎に手を当てると、沈黙して考え込む。恐らく彼の頭の中では高速でソロバンをはじいているに違いない。
「あまりにも粗悪な物や違法な物を売られて市場全体の価値が下がる方が怖いですが……」
「はい、ですからそのラインを商会側に判断していただき、それに満たない者には……例えば指導者になる様な人を紹介していただくとか……」
「それはこちら側の益になりませんな。紹介するにしてもタダでは」
「将来的に優秀な職人になれば、大きな利益になると思いませんか?」
いくら私が説得を試みても、納得させることは困難そうだった。なら――。
「ピーター、作った物を出して」
「え? えぇっ?」
「早くっ」
ソファの隅っこでひたすら縮こまっていたピーターを引き寄せ、彼の作品を机の上に並べさせる。
聞くよりも見た方が私の言っている事を百倍くらい理解してもらえるはず。
事実、私の思った通り、アッカマンは真剣な表情でアクセサリーを手に取ると、顔に近づけてじっくりと子細に一つ一つ検分していった。
やがて納得したかのように頷くと、
「分かりました。確かに言うだけの腕はあるようですね」
ピーターを認める様な言葉をかけてくれた。
「やっ……」
「ですが」
喜びかけた私とピーターを遮るように、アッカマンは声を大きくする。
「この程度の腕前であれば、他にもゴロゴロ居るでしょう。もっと腕のいい細工士も」
せっかく膨らみかけた期待感が、しゅんっとしぼんでしまう。
ピーターも再びソファの隅っこにもそもそと戻って行ってしまった。
「今のピーターくんの作品を売るのでは、まず利益は出ないでしょう。彩色もされていませんし」
そっかあ……厳しい世界なんだなぁ……って、今の?
「じゃ、じゃあ師匠になってくれる様な細工師さんを紹介とかしてもらえたりはしませんか!?」
「……確かに、その歳でこれだけの物を作れるのでしたら将来は有望そうですね」
「でしょ? だったら……」
「私は商人です。慈善家ではない。確実に儲かるかどうか分からないものに投資するわけにはいかないのです。ただでさえ細工師ギルドにはいろいろと危険が付きまといますからね」
含みのあるアッカマンの物言いに私が疑問符を浮かべていると、横合いからグラジオスが補足をくれる。
「細工は宝石や金が使われる。弟子の持ち逃げ、金に混ぜ物をする不届きな細工師。上げたらキリがないが、特に信用が問われるんだ。そこに紹介するとなると相応の下調べや実績が必要になる」
「なるほど」
確かに私とピーターはつい先ほど会ったばかりで、名前と趣味以外何も知らない。
でも私には分かるのだ。ピーターが見せたあの目、あの顔は、間違いなく自分の好きな事に邁進している人間特有のもので、万全でない仕事をすれば、それこそ首を括っても構わないという気概を持っている者の目だ。
だから私はピーターを信じているし、こんなに応援したいと思っているのだ。
「……アッカマン。この者の身元は俺が保証しよう。これから調査も行うし、それでだめなら俺の貸しにしておいてくれて構わない」
グラジオスがそう言った瞬間、アッカマンの目が一瞬だけ鋭くなった。それで、気付いた。
アッカマンは何らかの利益を得ようとして、出来る事をわざとグズってみせたのだ。
私……違う。この国の王子であるグラジオスに恩を売れば、子ども一人の紹介状ではお釣りがくるだろう。
だから私は……。
「グラジオス、これは私が言い出したことなんだから、私が何とかする。だからグラジオスは口を出さないで」
「しかし……」
渋るグラジオスを制すると私はアッカマンの方へと向き直り、正面から彼の目を見据えて、
「アッカマンさん。私のお願いを聞いてくれたら、私が貴方を儲けさせてあげます」
きっぱりと言い切った。
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