第131話 一人だけの進軍
砦には毎日何度も攻勢をかけてきていた。ということは必然的に近い位置に陣取っていると踏んだのだが……。
「あった」
一キロも歩いたところで、様々な旗が掲げられているテントや丸太で作られた急造の小屋が建ち並ぶ橋頭保を発見した。
その周りは木で作った柵で囲われていて、一応奇襲に備えているようだが、こちらにそんな戦力は無いとタカをくくっているのだろう。見張りの兵士はあまりやる気が無さそうであった。
それよりなにより、柵の内側では敵兵たちが慌ただしく動き回っている。恐らくはもうすぐ出陣するのだろう。
あの砦を征服するために。
私は決意を固めると、敵陣へ歩を進めていく。
そんな私の姿を見咎めた敵兵が私を指さして何か言っているようだがまったく緊張感の欠片も見当たらない。
短剣を手にしているが、女でその上見た目はただの子どもであるし、たった一人しかいないのだ。警戒する理由はないだろう。
結局、敵兵の目前に至るまで、誰何の一言すらかけられることもなかった。
「通しなさい」
私がそう言っても、入り口の番をしている二人の敵兵士はにやにやと笑うだけでまともに相手にしない。
「おお、怖い怖い。思わず漏らしちまいそうだよ」
「お嬢ちゃん、ここは危ないから後五年したらおいで」
なんて笑いながら私をあしらおうとする。
てーか、おい。私はもうすぐ二十歳になるのにお嬢ちゃんだって? しかも五年後?
五年後も一切育ってないわ、コンチクショウ!
悪かったわね、発育不全合法ロリで。こんなんでもさっきグラジオスを骨抜きにしてきたんだからねっ。
……っと、今はそんな事で怒ってる暇はなかったや。
こんな安い挑発に乗っちゃだめだって、私。……完全に善意だった気もするけど。
「私はこの国の王妃、雲母・アルザルドです。この軍の責任者であるルドルフ・ギュンター・クロイツェフさまに用があって参りました。退きなさい」
堂々とそう名乗ったのだが、敵兵たちは一瞬目を丸くして固まった後……腹を抱えて笑い始めた。
笑い声に交じりながら、どうも私が欠片も王妃に見えないだの、グラジオスの趣味が悪いだの色々と言ってくれている様である。
悪意を全く持ち合わせていないのが更に質が悪い。
本当に、本当に私のこの身長と容姿は最後まで足を引っ張ってくれているみたいだった。
もういい、この位置からルドルフさまに喧嘩を売ってやる。私にしか出来ないやり方で。
私は怒りと共に息を吸い込み――全力で歌い出した。
――英雄 運命の詩――
この曲は力強いサビから始まる。
まるで戦いの為に、鬨を告げるかの如く。
今から戦いに行くと。
英雄が立ち上がり味方を鼓舞する咆哮のごとく。
今からお前たちに抗ってやると。
私は英雄ではない。だから歌う。
歌って英雄たちの力と勇気をこの身に借り受け、私は進むのだ。
さあ、始めよう。
たった一人の軍隊が、お前たちを蹂躙するためにやって来た。
私は征し、私が歌う。
ここに敵がいるぞと……。
この歌で、私が誰なのか気付いた兵士達が武器を手にわらわら寄ってくる。
私を捕らえられれば一攫千金だからだろうか。それとも私に恐怖を抱いたのだろうか。
一人で敵陣にやって来るという、狂った私に。
歌い終われば、先ほどまで私の事を笑っていた敵兵ですら目の色が変わっている。嘘だとは欠片も思っていないだろう。
私は彼らを睨みつけると、
「退きなさい、邪魔です」
もう一度命じてから一歩踏み出した。
二人は私に槍を向け、止まれと警告を送ってくる。
だがそんなもので私が止まるはずはなかった。
一歩、また一歩と歩を進めるたびに槍の穂先が近づいてくる。
このままいけば、槍は間違いなく私を貫くだろう。
――それがどうした。やれるものならやってみろ。
「く、来るなっ。止まれっ」
「あ、アンタを殺すなと命令なんだ。このままだと……」
私の胸元には槍が突き付けられているというのに、震え、恐怖しているのは私ではなく彼らの方だ。
「ならこんなものどけなさいっ!」
私は一喝してから足を上げ――。
その行動を本気だと見て取った敵兵二人は、慌てて槍を引き戻した。
一切構わず私は進み始める。
二人の間を通り抜け、その奥に居る敵兵たちを……。
「あなた達も邪魔です。退きなさい」
私がそう一瞥しただけで、敵兵たちは戸惑いながらも左右に分かれて道を譲る。
私は敵兵の海の中を悠然と歩いていく。
その歩みは彼ら如きでは止めることなどできはしなかった。
「待て、小娘」
目の前にいけ好かない高慢な雰囲気を身に纏った髪の長い優男が立ちふさがる。
残念ながら一応この男と私は義理の姉弟となってしまった。
本当に胸糞悪くて吐きそうだが仕方がない。
「邪魔」
私は構わずそのまま進み、短剣を手にしている左手で無造作に払い退け様として……手を掴まれてしまう。
「離しなさい、カシミール」
「黙れ小娘。誰に向かって口を利いている」
「自分一人じゃ何もできないクズに向かって言ってんの」
間髪入れずに言い返した事で、カシミールは一瞬唖然とした後、顔を思い切り歪める。どうやらその自覚はあったのだろう。
「生意気をっ! 貴様の様な汚らしい下賤の者が王族気取りで闊歩している事が許されてなるものかっ!!」
逆鱗に触れてしまったかの如く激しい憎悪を私にぶつけ来る。
ただ、それ以上は何もしない、出来ない。
所詮そこがカシミールの限界だった。
「カシミール。あなたはグラジオスから命の保証をされたのに来なかった。私は同じ条件でここに居る」
それこそが私とカシミールの決定的な差だ。
私は自分一人でも立てるし行動できる。
でもカシミールにはそれが出来ない。
グラジオスを蔑むことで自分を保つことが出来て、今は血に縋って生きている。自分一人という理由で立ったことなど一度もない。
依り代が無ければ何も出来ないのだ。
もっともカシミールはその事を一生認める事が出来ないだろうが。
「アンタみたいに弱い人間、今まで見たことないわよ。もし高貴な血とやらがあるのなら、アンタはその面汚しでしかないでしょうね」
「貴様っ!」
カシミールは私の襟首を掴んで腕を振り上げ……そこで止まった。
当たり前だ。もしルドルフさまの不興を買えば、そこで詰んでしまうかもしれない。操り人形はいくらでも首を挿げ替えられるのだ。カシミールでなくてもいい。
「手を離して。私はルドルフさまと話しに来たの」
ほんの数秒睨み合う。折れたのはもちろん――。
「ふんっ」
カシミールは私を突き飛ばして体を離す。それで終わりだった。
私は服を正すと再び歩き出した。
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