第106話 出来る事をやって
弓矢や刀剣を使う戦争は、銃火器を使う戦争と比べてそうそう簡単に終わりはしない。
それに帝国の八万という軍勢に対し、こちらは一万ちょっとと数で圧倒的に劣るため、基本はアナグマを決め込むほかない事もあり、更に戦争は長期化していった。
とはいえそれが悪いわけではない。
冬が来るまであと三か月。それだけ守り抜けば帝国軍は撤退する他ないはずだった。
だから私は治療、洗濯、掃除に炊事、歌による慰安と出来る事を必死に行い、歯を食いしばって生きていた。
出来る限り、精一杯の笑みを浮かべながら。
「ほら~、雲母ちゃんが掃除に来てあげたぞ~! 女の子に見られてヤバいもの隠す隠す!」
兵たちが眠るのに使っているタコ部屋のドアをゴンゴンと殴りながら怒鳴りつける。
私の声を聞いて焦っているのだろう。部屋の中からはゴソゴソと何かを隠すような物音や、怒鳴り声まで聞こえて来た。
「ベッドの下もモップ掛けするからね! 袋かなんかに入れて手で持っときなさい!」
私がそう言うと、部屋の中からは「おいその袋よこせ」や「俺は諦めた……」だとか「いやむしろ雲母さんに見てもらいたい」などいろんな声が聞こえてくる。
というか最後の変態、ぶん殴るよ?
「ハイ後十! ……九、八……」
カウントダウンするにつれて騒ぎは大きくなっていき――最後の三カウントは気持ちゆっくりにしてあげたけど――。
「ゼロッ!」
宣言通りにドアを勢いよく開くと……、なぜか兵士全員が各々の荷物を抱えて壁際で直立不動していた。
大方壁と兵士の間に見られて困る物を持っているのだろうけど。
……エマの絵姿とかエロ本(文字だけ)とかカードとか。
「……なんでハイネもここに居んの」
私は壁際に並ぶ兵士に紛れる様にして隠れている舎弟を発見してしまった。
思わずジト目で突っ込むと、ハイネはバツが悪そうに頭を掻きながら誤魔化し笑いをする。
この部屋で寝泊まりしているのではない以上、賭け事にでも興じていたのだろう。
「……じゃあ掃除していくからね」
私は手に持っていたバケツを床に下ろすとモップを両手で構える。
床にぽつぽつと荷物が置いてあるが、退かせば問題はないだろう。
掃除の準備は万端だ。
『うっす、お願いしますっす!!』
ハイネの語尾が感染でもしたのか、兵士達全員が独特な語尾で返事をしながら敬礼してきたのだった。
私は水を含ませたモップを使い、部屋の角から掃除を始める。
床にこびりついている汚れはモップを上に乗せ、踏んづけてからごしごしと擦って落としていく。
「ベッドの下も拭くからベッド移動させて。ほらハイネ動いて動いて!」
「う、うっす!」
ハイネやほかの兵士達が協力してベッドを動かし、私がモップで綺麗にしていく。
彼らが手伝ってくれた事もあって、掃除自体は十数分程度で終わった。
掃除が終われば洗濯だったり部屋が汚くなる原因を取り除く作業にかかる。
「洗濯物、出してない人は出して。ほらその手に持ってるの違うの?」
「こ、これはもう洗濯してもらったやつです」
「じゃあ綺麗に畳まなきゃ。やったげるから貸しなさい」
そうでなくとも部屋が狭いのだから、綺麗に整理整頓しなければすぐに汚れてしまう。
着てもいないのに汚れてしまい、洗濯に出されてはたまらないのだ。
ちょっと口うるさいかもしれないが、心を鬼にして兵士たちの荷物を整理していった。
「これ誰の? 中ぐちゃぐちゃじゃない」
私は床に落ちていた袋――中は服や下着が適当に突っ込まれている――を持ち上げて兵士たちに掲げてみせる。
「簡単な畳み方教えたげるから。誰?」
少し強い口調でそう言いながら、兵士たちを睨みつけたのだが、誰一人名乗りをあげる者は居なかった。
それどころか、気まずそうに視線を逸らすものも居る。
それで気付いた。
「……そっか」
持ち主が既にこの世から居なくなってしまった事を。
「じゃあ、お空に届けてあげないとね」
胸の内から湧き上がってくる感情が顔に出てしまわない様、必死に無表情を装う。
私は袋の中身を手近なベッドの上に広げ、貴重品や身元が分かる物がないか探す。
ちょっと確認したところでは見当たらなかった。
恐らくそういう物はきちんと家族に届けるために文官たちが回収していったのだろう。
これはその時の回収から漏れてしまった物だったのではないだろうか。
私は服一枚一枚を丁寧に畳み、再度袋に詰め直していく。
財産にならない私物は形見分けとして仲間内で分けあったりするのが通例だが、全部が全部そうなるわけではない。
ゴミにしかならない物は、焼却処分することになっていた。
こうやって畳み直す意味は全くないが……気分というものだ。
できれば彼らに対して真摯に向き合っていたいだけ。
「よし、完了っと」
言う必要などないのに、そうやって言葉が漏れてしまったのは私の感情を誤魔化すためだろう。
でも無理はしていない……そう思いたかった。
「他には無い?」
「……姉御、その……」
ハイネが申し訳なさそうにしているが、その必要は微塵も感じない。
これはハイネが責任に感じる様な事ではこれっぽっちも無いのだから。
「はい、他に畳んで欲しい人! というかもっと綺麗に暮らしなさいよね、もう」
私はそう文句を言いながら、みんなの荷物を強制的に整理整頓していった。
大まかにだが仕事を終えた、確認のために私は周囲を見回す。
洗濯ものは受け取ったし、掃除もした。兵士全員に配られている布団代わりの布はまだ換えなくてもいい。などと頭の中のリストを潰していき……。
――カンカンカンカンと、敵襲を告げる鐘が打ち鳴らされた。
兵士たちは瞬間的に顔を引き締めると、次々に部屋を出て走って行く。
彼らはこれから戦って――死ぬかもしれないのだ。
私のために。
「姉御、行ってくるっすけど……あんま思いつめないでくださいっす」
「大丈夫だよ。ハイネも気を付けて」
本当は絶対死なないでと言いたかった。
でもそれはとても難しい事で、誰もが望んでいる事だ。
一番強い願いのはずなのに、それが一番軽い願いになってしまっているなんて、どんな皮肉なのだろう。
「姉御は悪くないっすから。勝手に奪おうとしてくるルドルフの野郎とカシミールが完全に悪いっす」
行動は確かにその通りだろう。
私を求めて兵を貸したルドルフさまと、国を乗っ取ろうとするカシミールが悪い。
でも原因を作ったのは私だ。私がルドルフ様の感情を煽ったのだ。あれが無ければこんな事になっていなかったかもしれない。
私の罪は、ゼロじゃない。
今言っても仕方のない事だけど。
「ありがとう」
私の礼を背中にうけたハイネは、手を上げて持ち場へと走って行った。
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