第104話 47
怪我人の治療が一段落したところで私は現場の人たちに断って持ち場を抜け出した。
私は着替えることなくそのまま走る。
他にも大切な人、友人が居るだろうに私だけがこうしている事は気が引けたが、それだけが目的ではないので許してもらおう。
そんな事を考えつつも私は一番目の目的であるグラジオスの元まで急いだ。
「グラジオスっ!!」
人に聞いて回り探し求めた結果、グラジオスは城の中庭で発見する。
グラジオスの無事な姿を見て、私は心から安堵してしまう。
他の人があれほど無事では無かったというのに。
罪悪感が私の心をチクリと突き刺した。
「雲母」
私はグラジオスの元まで走りよると、グラジオスの顔を掴んで引き寄せ、触れ合いそうなほどの近くから瞳を覗き込む。
グラジオスの瞳は疲れ切っていたものの、力強く私の目を見つめ返してくれる。
良かった、とはさすがに声を出して言えなかったが、代わりにグラジオスと軽く額を触れ合わせた後すぐに体を放した。
途中、吐息が漏れたのは見逃してもらおう。
「ごめん、邪魔したね」
「いや、問題ない。それよりも雲母は血まみれみたいだが……」
そう言われて私は自分の服に目を落とす。確かに黒い看護服は明らかに生地とは違う黒いシミがいくつもあり、前掛けは血と泥でぐちゃぐちゃになっていた。
「兵士さん達を治療……の手伝いしてたから。それで……」
何をやっているのか聞こうとして、すぐ理解する。
中庭には、既にこと切れた兵士が並べて寝かされており、文官らしき人が石筆で木板に名前を書き記していたからだ。
グラジオスは待っていたのだ、名簿が完成するのを。
グラジオスも私と同じ考えであったのだろう。それが私達の義務だから。
私達はこの人たちの上に生きていて、こうして共に居られるのだ。
「一緒に待ってて、いい?」
「聞く必要があるか?」
そう言ってグラジオスは兵士たちに視線を向ける。
私は鼻を鳴らすように短く、ん、と返事をしてグラジオスに倣った。
それからは、ただ静かに作業が終わるのを待つ。
やがて、一人の文官が一枚の紙を持ってグラジオスの所にやって来た。
「死者は……」
文官は口頭で報告しようとして私が居る事に気付き、その先を口にすることをためらう。
「大丈夫だから、お願い」
私に促され、文官はしぶしぶといった感じで報告を続ける。
気を使ってくれるのはありがたいが、私はそこまで弱くはないつもりだ。
大丈夫、受け止められる。
「死者は四十七人になります。各々の名前はここに」
「助かった。別れを言いたい者が居れば急ぐように伝えてくれ」
「はっ」
文官は名簿をグラジオスに手渡した後、一礼して引き下がっていく。
この後馬車を使って兵士たちをふもとの共同墓地にまで運ぶことになっているのだが、お別れの時間はそう長くはない様だった。
「グラジオス。一人ひとり顔を見てあげたいの」
私の願いにグラジオスは無言で頷くと、私の手を取って歩き出した。
そして一番左端で眠る兵士の前に立つと、その名前を読み上げてくれる。
――ごめんなさい。
私はその言葉が口からこぼれ出そうになるのを歯を食いしばって堪える。
その言葉だけは言ってはならない。彼らは身命を賭して私達と国のため、家族のために戦ってくれたのだ。
そんな誇りある彼らにふさわしい言葉は別にある。
「ありがとうございます」
私はグラジオスから手を放すと、胸の前で両手を組んで祈りを捧げた。
もし天国があるのなら、この人がそこに行けますようにと心から祈る。
私は神様なんて信じちゃいなかったけれど、死に触れ合った時にそういう存在に縋ってしまいたくなる気持ちはこれでよく理解できた。
「次いこ」
私は自然に閉じていた目を開けると、グラジオスを促した。
グラジオスもグラジオスで右手を自身の心臓の上に置き、黙とうして冥福を祈っていた様だ。
そうやって私達は四十七人全ての兵士たちの安寧と平穏を祈って回った。
「お二方にここまでして貰って弟も喜びます」
最後の一人に祈りを捧げ終えたところで一人の兵士が声をかけて来た。
私はこみ上げてくるものを必死にこらえながら、その兵士の瞳をまっすぐに見つめる。
彼の瞳は赤い。
何故かなど、理由を聞くまでもないだろう。
私は彼の瞳を見て居られなくて、思わず頭を下げた。
こんな事、為政者側の立場である私がやらない方がいいのは分かっている。自己満足だと罵られるかもしれない。
それでも私は言わなければならなかった。
「あり……がとう……ございます」
一言一言、出来る限りの想いを込めて絞り出していく。そんな事だけしかできない私は本当に無力だ。
出来る事ならこんな事になる前に解決できれば良かったのにと、悔やまないではいられなかった。
「……はい」
彼はゆっくりと私の礼を受け入れてくれた。
「弟は雲母様の歌がとても好きでした。こんな事お願いできる立場にないのは分かっていますが、雲母様の歌でアイツを送ってやってくれないでしょうか」
「それは……はい。それで弟さんの魂が安らぐというのなら喜んで」
私は頭を上げると、無理やり笑顔を作る。
彼からその表情はどのように見えているのか分からないが、きっと逝く人を送るのは、笑顔の方が安心して逝けるだろう。
私は眠っている全ての兵士達が見渡せる位置に移動して跪く。
心の中にある全ての感謝と祈りを込めて、私は歌い始めた。
――エウテルペ――
捧げるのは感謝で、その相手は魂。
私は四十と七つの魂に歌を通して語り掛ける。
どうか安らかにお眠り下さいと。
私達はあなた達のおかげで今という時を刻む事が出来るから。
どうか愚かな私を許してください。
囁く様に、呟く様に私は歌を捧げ続けた。
歌が風に紛れて消え、大地に吸い込まれていく。
私はもう一度目を閉じて兵士たちに心の中で別れを告げると、ゆっくり立ち上がった。
「私にはこの程度しかできませんが、弟さんはよろこ……」
私は振り返りながら問いかけようとして、声を殺してむせび泣く兵士の姿を見てしまった。
兵士はしきりに目元を拭い、私の問いかけに応えようとするも、ただの一言も発することが出来ずにいる。
きっと、言葉の代わりに別のものが零れ落ちてしまうから。
兵士は必死に頷いて、私の言葉を肯定してくれる。
弟が喜んでいると。
私もそうであって欲しいと心から願っていた。
「今日は弟と一緒に居てやれ。私が話を通しておく」
見かねたグラジオスが兵士の肩を叩く。
それからグラジオスは顔を上げ、その後ろや遺体に寄り添っている別の兵士たちにも視線を向ける。
「君たちもだ。ふもとまで送る人員は決まっていたが、君たちの方が相応しいだろう。君たちの手で埋葬してやってくれ」
グラジオスは「はい」と返って来た言葉に頷くと、自らの言葉を実践するために近くに居る兵士から名前と所属を聞き、メモを取り始めた。
私も二、三人ならば覚えて居られるだろうと判断し、グラジオスの手伝いをするために他の兵士の下へと駆けて行く。
そうやって、戦争初日は終わりを告げた。
読んでくださってありがとうございます
中世における城攻めは、守備側の死者は存外に少なかったそうです
守備側に一番死者が出るのは兵糧攻めにされた時だそうで、その時は地獄だったそうですね
これは日本の場合ですが、鳥取城と三木城はあまりにむごすぎて後世にまで語り継がれる事に…