1.始まりの動乱
テルル王国内において建国に多大なる貢献をした公爵家たちがいた。
"オガネソン公爵家"
"タングステン公爵家"
"ビスマス公爵家"
である。
この三家は建国から200年が過ぎた今なお、テルル王国内で"三公家"と呼ばれて他の貴族及び一般市民からの敬意を集めている。
クリプト暦314年 4月
長かった冬も終わり、ようやく春が訪れようとしていた。
三公家の一つ、オガネソン公爵家第7代当主、テルミット=オガネソンは臨時会議で、家臣から上がってくる報告を聞いていた。
「三日前に、ニコライ地方にて突如起きた大規模な魔物の大量発生ですが、討伐部隊のチオ隊長からの報告によりますと、本日の昼頃には大多数の討伐を終えたとのことです。」
「そうか…。やっと終結したのか……。」
そう息を着くテルミットの顔には濃い疲労の後が刻まれていた。
三日前に受けた報告を受け、すぐに討伐部隊を編成。そこからテルミットは不眠で事態への対応に当たっていた。二日前の昼には、討伐部隊がニコライ地方に到着したとの報告も受けている。
5年前に先代から当主を引き継いだテルミットはまだ20代後半。当主となって最大の試練と呼べるものだ。
「当家の騎士団長チオの力をもってしても、事態を押さえるのに丸二日かかったとは…。」
テルミットは目線で報告の続きを促す。
「討伐された魔物の数は2,000を越えるとのこと。」
「「な!」」
会議に参加していた家臣達から驚愕の声が上がる。
通常、魔物は400を越えて発生すると"大量発生"と呼ばれる。ところが今回はその5倍なのだ。
報告はまだ続く。
「発生した魔物の大半はDランク以上、なかにはBランク下位の魔物もいたとのことです。」
「なんと、それほどの規模だとは…。」
「あの地方は近年、人口が減少していた。とても持ちこたえられまい…。」
訓練を受けていない一般成人が武器を持って、3~4人係でやっとDランクを討伐できるくらいだ。そんなものが2,000を越えて発生したのでは、子供を含めた人口が400を越えないニコライ地方ではとても持ちこたえられない。
「……」
「テルミット様?」
「いや、何でもない。
モスコビ、すぐに王都へ使いをやれ。すぐに報告すべき事案だ。
シーボー、死傷者の確認を急げ。
ドブナ、救援物資の輸送を急げ。」
「「「は!」」」
三日後、後に"ニコライの大発生"と呼ばれた、その被害の全容が判明した。
当時の被害地域の居住人口は373人。
死亡確認済み、117人。
行方不明、152人(魔物による捕食のため確認不可も含む。)
生存確認済み わずか4人。
建国以来の大災害であった。
ニコライ地方はオガネソン公爵領の最西部に位置し、公爵領内最大都市のカッパーから早馬で丸一日、乗合馬車でも三日あれば着く距離にある地域である。
またテルル王国有数の穀倉地帯でもあり麦畑の風景は訪れる人を魅了させていた。
しかし今は、延々と人の死体が連なる地獄絵図と化していた。
「ここまでの惨状だとは」
オガネソン公爵家騎士団団長、チオはその地獄絵図の中に立って、言葉を失っていた。
「チオ隊長」
そう声を掛けられて後ろを見れば、副隊長のフレロビが積み重なる死体を踏まないように注意しながらこちらへ歩いて来ている。
武術をもってオガネソン家に仕えているチオと異なり、フレロビは知恵を持って使える男。大柄なチオと異なり、若くほっそりした体とその知恵を感じさせる瞳が印象的だ。
「フレロビか。なんだ」
チオは文官のフレロビを馬鹿にしている…などということはない。文官だから、武官だからと人を肩書だけで判断するような男はオガネソン家で、要職に就くことはない。
「カッパーより連絡が届きました。報告を受け、ジスプロスで待機させていた活動物資の輸送を開始したとのことです。」
ジスプロスとはニコライ地方とカッパーの間にある職人都市であり、ニコライ地方と馬車で一日の距離にある。
「となると、到着は早くても明日 か」
「はい。しかし、それまでに作業は開始しておくべきかと。騒動の開始よりすでに四日。新春とはいえ、暖かくなってきています。これ以上放置を続けると…」
「ああ、わかっている。皆まで言うな。」
生き物の死体はいずれ腐敗する。それが周囲の魔力を吸収するとアンテッド系の魔物へと進化してしまうのだ。つまり、それまでに死体を焼却する必要がある。
「ところで…」
そういい、チオはフレロビから目をそらし、後ろを振り返る。
そこには死体の間を歩き回る兵士、上半身だけになってしまった家族に必死に呼びかけている兵士がいる。
「彼らは…ニコライ出身の者たちですか?」
「ああ」
チオは首肯した。
オガネソン家は公爵家領全体から広く兵を募集している。少ないながらもニコライ出身の者はいる。
「彼らのためにいくらか時間をとってやろうと思うのだが、どうだ?」
「そうですね…」
チオからの突然の話にもフレロビは予期していたかのように思案する。
「少しならば、後の行動にも支障はないでしょうし危険も高まらないでしょう。」
「わかった。いつも世話をかける。」
「いえ、お気になさらず。いつものことですので。」
事実、フレロビにとって、いつものことだ。チオとよく行動をとるフレロビは、チオの情に厚いさまをよく見ている。
「ですが、火属性魔法が使える者はこちらに待機させておきましょう。」
「ああ、そうしておいてくれ。」
「はい、では失礼します。」
フレロビが去っていく足音を聞きながら、チオは再び死体が連なる地に目を向ける。
(とんでもない数の死体。これほどの数は戦場でも見たことがない。奮闘に個々の人たちは全滅してしまったのか……)