変わらぬ日常3
ユノエはため息を吐きながら、ゆっくりと階段を下りていく。
その途中で慌ただしく生徒たちが屋上に上っていく。『エーデルト様とエデレア様が屋上にいるって!!』『ほんとうにッ!?』『ちょっと、見に行こうよ』といくつもの声が聞こえてくる。
エーデルト=スターレイン。現リルア=エルディアの護衛騎士にして、元王国騎士団隊長である。
スマートな筋肉質の長身に物憂げな微笑みを浮かべる美青年。そんな細見に似合わず、彼の業績は目を見張るものがある。
幼少の頃に中級魔法をほとんど網羅し、ガルムの群れを単独で撃破。
その後も数々の偉業を成し遂げ、最年少で王国騎士団に入隊し、二年で隊長にまで昇進。
魔法を体に纏って戦うスタイルから、【魔装の騎士】の異名を持つ。
エデレア=スターレイン。同じくリルア=エルディアの護衛騎士にして、元王国騎士団員である。
名前を見ればわかるが、エーデルト=スターレインの妹である。
彼女は特にこれといった偉業を成し遂げた訳ではないが、常にエーデルトに付き添ってきたらしい。
そのためか実力は誰もが認めるもので、王国騎士団の一番槍と言われている。主に使う武器はハルバートだが、特に固定された武器はないらしい。バーサーカーのような戦い方から付いた異名が【狂刃の戦士】。
そんな二人がどうして国家騎士を辞めて、リルアの護衛騎士になっているのか。
それは彼女、リルアの生まれ持ったステータスが関係している。
この大陸には今でも、ある伝説が語り継がれている。四百年程前にあったとされる七英雄のお話である。
彼の英雄たちが七体の怪物【創造獣】と呼ばれる魔界の神と戦い、世界を平和にしたというものだ
そして、どんなお話でも英雄が持つ職業がある。この伝説に登場する七英雄にも、それは適用される。
ここまでお膳立てされれば誰もが察するであろう。英雄が持つとされる職業に【聖女】というものがある。
それをリルア=エルディアは持って生まれたのだ。
ただのおとぎ話であれば、ここまでの高待遇はないだろう。だが、この伝説は一部誇張表現など歪められた箇所があるらしいが、現実にあった実話である。
それを証明する武具などが大陸中にあるのだ。そして、その一つをルディア王国は所有している。
実物は飾られていないが、それを模造して作れられたものが王宮で飾られている。
尚且つ、他国でも七英雄の職業が開花した人物が現れ始めたのだ。これは何かあるのではと大陸の国々が英雄を保護する条約が制定された。それは過剰なまでに過保護な法であった。
もちろん、それは家族にも適用されていた。リルアの両親も騎士団に所属していたが、今では末端とはいえ王国騎士団の一員にまで昇格されていた。
それならば、義兄とは言え兄にあたるユノエにも何らかの措置があるはずだと思うだろう。
だが、ユノエは幼少の頃にエルディア家から追放され、全くの無関係な人物となっているのだ。
そのため世間的に言えば、リルア=エルディアには兄はいないとなっている。
「はぁ…、親父もこういう所が詰めが甘いんだよな。でも、俺のために行動してくれたわけだし」
そう言って、ため息を吐きながら食べ終えた弁当を鞄にしまう。
追放と言っても、ユノエが何か過ちを犯したのではなかった。彼の身を案じて両親が決定したことなのだ。
彼は当時から取り柄も無く、魔法適性が低いことは両親も知っていた。そんな兄に対して、妹は七英雄と同じ天職を持ち優秀な魔法使いになると言われている。
ユノエに向けられる世間の目は厳しくなるのは目に見える程に明らかだった。
ユノエの父とリルアの母は再婚しており、亡くなった母の性を名乗れば別人として生涯を過ごすことが出来た。そして、何とも都合がいいことにリルアのステータスが公開されたのは、ユノエが六歳の時。
ユノエは子供のお披露目の場となる学院に通う前だった。
父親は意を決して実家から追放し、昔から懇意にしていた勇者の家に預けた。そして、エルディア家とは無関係の人間として実母の性を名乗らせたのだ。
その結果は上々であった。ユノエの実母はただの平民で特に名が通った人ではなかった。
それがさらに作戦の成功を後押した。だが、後に起こる父親が予測していなかった悪い方向にも大きく影響を与えることになってしまった。
ソルティレ魔術学院は種族や身分を関係なく能力によって全てを判断する。
と言って、学費が発生しないという訳ではなかった。学び舎に通うにはそれなりのお金がかかるのだ。
そんなところに魔法適性が低く、大した能力も無い子が入学したのだ。誰もが注目し、彼のことを調べるのは自明の理とも言えるだろう。
最初こそ、何処ぞの貴族の子供かなどと噂されたが、全く無名の家柄と判明するとより一層に謎が深まった。そして、すぐに両親がいないことと勇者の家に居候していることが判明した。
何の力もない子供が勇者の関係者というだけで優遇され、入学しているのだ噂が一瞬にして広まった。
そんな子供が良い様に見られるはずもなく、腫れ物のように扱われることになる。
そして、最悪なことに幼少の学院で大体の面子が固定され、そのまま高等部まで一緒に上がるのだ。
廊下で擦れ違うほとんどの人間が顔見知りである。それこそ転校生などといった存在でなければ、他人の家のことはほぼ全員が把握しているのだ。
ここまで最悪な事態に陥ってから、ようやく父親は過ちに気づいた。
そして、この瞬間からユノエの学院生活は灰色の日々になることは決定したのだ。
「まぁ、今はあの時の扱いの方が優しいと思えるほどにきついけどな」
次の時間の担当教師が教室に入ってきて準備を開始する。
それを確認するとユノエも机の中に入っている教科書を取り出す。ベチョッと手に何かが付く。
机の上にあげるとスライムの粘液らしきもので教科書がヌラヌラと輝いていた。ため息を吐きながら、周りを確認するが誰もこちらを見ている奴はいなかった。
「(恐らく、さっき出て行った連中の誰かなんだろうな)」
鞄に入っていたタオルで拭い、破れないように慎重に本を広げる。
―――そう、ここまで酷くはなかった。
より一層ため息を吐きながら、黒板を一瞥すると窓の外を見た。ノートも同じようにベチョベチョになってることをため息を吐きながら、虐められる標的になった日を思い出す。
◇◇◇◇
いつもの退屈な授業が終わると昼休憩のチャイムが鳴る。
すぐに周りはガヤガヤと騒がしくなり、ユノエは持ってきたパンを取り出し食べ始めた。見慣れた光景に食べなれたパン。特に親しい奴もおらず、毎日一人で昼食を摂る。
そして、学校が終わればお節介な勇者に勉強や稽古を付けてもらって、明日の準備をする。
そんな変わらない毎日になるはずだった。それは一人の少女の登場によって、覆される。
騒がしかった教室が急に静かになり、さっきまで食堂に行こうとしていた連中が動きを止めたのだ。
そして、全員の視線が集中する先に同じく顔を向ける。
それだけで何かあったのかとユノエでも気づいた。そこには、―――天使がいた。
否、本当に天使がいたわけではない。学園の生徒たちが"天使"と呼ぶ少女がいた。
天色の髪の毛を弄りながら、恥ずかしそうに教室を覗き込んで目的の人物を探しているようだった。
そんな姿に『まさか天使ちゃんを見れるとは…』『食堂に行かなくてよかったぜ!』『本当に可愛い~。でも、いつもの護衛の人いないよね?』『そうだよね。ていうか、あの感じは誰か探しに来たんでしょ』と皆が口々に話し出す。
そして、一部の男子が堪えきれずに話しかけに動き出す。先にいかせるかと牽制が始まるとクラスの女子が先回りして話しかけた。その活発そうな女子はクラスの委員長だった。
ユノエは『えっと、名前はなんだったかな?』と考えていると話が終わったようで、委員長が微妙な顔をしてキョロキョロと教室を見渡す。そして、ユノエと目が合うと手を上げる。
「エルスティ、あんたに用があるって~!こっちに早く来なさいよ」
その瞬間に嫉妬や殺気、疑問といった眼差しがユノエを射貫いた。
急に降りかかった圧力にパンを吐き出しそうになるが、どうにか飲み物で流し込む。
「(どうして、こっちに来たんだ…。何か特別なことがあった訳でもないし、重要なことは親父が使用人を通して伝えに来てただろ。緊急で話をしたいってことなのか?)」
これ以上に気まずい雰囲気となる前にと視線が集中する中を進んで行く。
〝それじゃ、あとはよろしく~〟と委員長は軽く声をかけると友人たちのところへと戻っていく。
ユノエは軽く返事を返すとモジモジとする義妹へと視線を移す。
「(いつ以来だろう。親父が再婚してから何度か話したことはあった。けど、数年も経たずに追放されて、それ以来は話してなかったしな。えっと、…だいたい八年ぶりってところか?)」
「お兄ッ、こほんッッ。エルスティさん、一緒に昼食を食べませんか!」
「………はっ???」
「「「「「エェェェェェェェェェェェェェェェェェエエ!?!?」」」」」
この瞬間にユノエの灰色の日常はより酷いものへと変化する。
それこそ毎日のように嫌がらせを行われる程度には、彼を取り巻く環境は悪化の一途を辿っていくのだった。