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猫たちのちょっとレトロなファンタジー
「ひーちゃん、何を見てるの?」
ママの優しい声に、翡翠はふりむいた。
「お天気いいねえ。あったかいねえ」
ママはそう言いながら翡翠の頭を撫でる。翡翠は、そのママの手に頭をこす
りつけながらごろごろと喉を鳴らした。
翡翠は今年十三歳になるアメリカンショートヘアーの雄猫だ。都心のマンシ
ョンの三階に、ママと二人で暮らしている。大きな通りをはさんだ向かい側に
は、丸急デパートの白亜のビルがそびえていた。
三年前まではパパもいたし、その少し前までは翡翠を拾ってこの家に連れて
きてくれた二人の子どもたち、カズヤとリカの兄妹もいて、みんなでにぎやか
に暮らしていた。けれど、進学や結婚で次々に子どもたちがいなくなって、パ
パもとても難しい病気になって、今ではとうとうママと翡翠の二人だけになっ
てしまった。
ママは誰かがいなくなるたびに、薄いベールを一枚ずつまとうように表情が
淡く寂しげになっていったけれど、それでも翡翠に向けてくれる笑顔だけはい
つも変わらなかった。
翡翠はこの家に来てからは一度も、一人で外に出たことがない。
通りにはたくさんの車がひっきりなしに走っているし、人通りも多いから「と
ても危ないのよ」とママは言う。でも翡翠は、天気のいい日はいつもベランダの
陽だまりにちょこんと坐って、ひなたぼっこをしながら外を眺めるのが大好きだ
った。
パパと同じような背広姿の男の人たちがたくさん通る。きれいにお洒落をした
女の人たちや、ベビーカーを押した若いお母さんも見える。お年寄りや、制服姿の高校生、外国人、街はいつもパレードのようだ。
「ひーちゃん、何か面白いものが見えた?」
ママが洗濯物を干しながら声をかけてくれる。翡翠は目を細めて「ニャー」と
答えた。
お腹いっぱいごはんを食べて、たっぷりお昼寝をして、日が暮れる頃になると
翡翠はまたベランダに出たくなる。猫は夜行性なのだ。だから暖かい季節は、マ
マにもう一度窓を開けてもらって、眠くなるまで通りの夜景を眺めて過ごした。