日常
「おい兄ちゃん、ここ通るんなら金払ってけよ」
「もしくは俺たちのストレス発散に付き合ってくれるかなー?」
ゲラゲラと笑う声が夜の街に響き渡る。周りにはそれなりに人がいるが誰もが無視をして通る。
関わるとろくなことがない。
結局のところ誰だって自分が怪我をするのは怖いのだ。だから五人の筋肉質の男が一人の筋肉の付いていなさそうな少年を囲んでいるくらいでは関わることはない。
「さっさと財布出せやおらぁ!」
「それともサンドバックになってくれんのか?」
少年は動かない。その顔は長い髪に隠れて見えないため何を考えているのかわからない。
だから男たちはこう判断した。
びびって動けなくなっている、と。
「そろそろ金出してもらわねぇと拳が飛ぶぞ、お?」
「……うるさい」
「あ?」
ふわっと、少年の髪が生きてるかのように動き出す。
「な、なんだよ、おい」
「あんまりうるさいと……」
髪の隙間から覗き見る、紅い眼が男たちを捉えた。
「……今夜のおかずになるよ?」
いつからこうなったのかは、もはや誰も知らない。だが魔法の存在は、少しづつ世界に浸透していった。
始めは特務機関に、次に自衛隊、警官、そして一般人も使えるようになり、魔法は常識になっていた。
科学は全て魔法に代わり、安全かつ効率の良いエネルギー生産が生み出され、科学は旧時代の遺物へとなった。
しかし、世界の常識が変わったところで世界の仕組みは変わらない、大人は変わらず仕事をし、子供も変わらず遊んだ。
そして、今日も人々は日常を過ごす。
「こうちゃん」
「……、」
「こうちゃんってば!」
「その呼び方学校ではやめてって言ったよね?」
人がほとんどいない図書館の二階、そこの隅のイスに座る少年と少女がいた。
少年には全く筋肉がなく簡単に折れてしまいそうな印象を受ける、顔は長い黒髪で隠れていて見えない。
少女は腰まで伸びた黒い髪を一本に纏めていて頭が動くたびに尻尾のようにフリフリと動く。顔は整った顔立ちをしていて、少しだけ胸が出っ張っている。
少年はワイシャツにスラックス、少女はブラウスにスカートを着ていた。
「誰もいないからいいでしょ?」
「その油断が面倒ごとを引き起こすんだ、だから名字で呼んでくれ日野川さん」
「むー……そんなに気にしなくてもいいのになー」
「気にするのは僕じゃないよ」
「私は気にしないよ!」
「……僕が嫌なんだよ」
少年がイスから立ち上がり移動すると、その後ろを少女は付いて行く。
「付いて来ないでよ」
「道が一緒なだけです〜。気にしすぎだって」
少年と少女は一緒に一階へと降りる。一階には二階とは違ってたくさんの人がいて少年と少女に注目が集まる。
「……それ見たことか」
「ちょっとこう―――木村君!」
呼び止める少女を無視し、少年は図書館から出て行った。
「……もうっ!」
少女は一人で不機嫌そうに呟く。
「そんなにランクって気になるものなのかな……」
魔法が世界で常識になった結果、学校でも魔法を扱うようになっていった。
小学校では温めたり冷やしたりする魔法を、中学校では浮遊や空間操作等の移動魔法を、そして高校では科目が分けられる。
魔法工学、魔法論理学、召喚術等様々な科目に分けられ、日々勉強を重ねる。
更には格付けとしてランクが分けられる、A、B、C、D、E、そして素養無しのFと天才とされるS。
ランクが良ければ良いほど学校の評価も高く、より良い学校や会社に行くことができる。
少女はSランク、世界中でも五十人しかいないと言われるSランク生徒である。
「おいFランクの奴がいるぞ」
「なんだってあんな汚点が学校にいるんだか」
「才能ないんだから辞めちゃえばいいのにね〜」
「……」
変わらない日常。少年、木村光太にとって不当な扱いはいつものことだった。机には精神に働きかける魔法陣が描かれていて、気分を酷く悪くさせる。
「おーい、授業始めるぞ。……ったく木村、また机に落書きしてるのか」
教師は全て魔法のことを理解している人だ、つまり机に描かれている落書きが魔法陣だということに気づいている。
しかし言わない。一般の生徒ならともかく、落ちこぼれであるFランクに不当な扱いをしたところで誰も責める人はいないのだから。
「じゃあ今日は教科書の70ページの続きを―――」
こうして、今日も少年の日常が始まる。
放課後、木村はまっすぐ家に帰ろうとしていた。委員会は魔法を使わなければいけない仕事が多く、温める魔法すら使えない木村には絶対に入ることができない。
部活も同様で魔法を使わないといけないし、諸事情で運動部には入れない。
だからまっすぐ帰るしかない。一緒に帰る友達も存在しないのだ。
「こうちゃん!」
一人を除いて。
「こうちゃん!」
「……」
木村はいくら呼ばれても反応をせず、そのまま校門から出て行く。
「待ってよこうちゃん!」
「……」
「こうちゃんってば!」
「……ほんとやめてくれないかな、これ以上問題を増やすのは、ねぇ日野川さん?」
学校からだいぶ離れて、ようやく木村は少女、日野川に話しかける。
「もう!普通にひーちゃんって呼んでよ!」
「その呼び方したことないんだけど?」
「えへへ、刷り込み刷り込み」
はぁ、と木村は大きくため息をつく。
「日向、お願いだから学校では他人の振りをしててよ」
「なにおー。Sランク優等生様の幼馴染であることを誇ることはあっても隠すことはないでしょ!」
「わーいやったー自慢だなー」
「心がこもってない!」
「ランクなんて面倒ごとを引き起こすだけだよ」
そう言う木村の表情は髪で隠れて見えない。ただ、日野川は雰囲気でだいたい何を考えているかはわかっていた。
「あ、そーだ! こうちゃん二学期から始まる何の専門科目とったの?」
「遺産科学と魔法論理学」
「あ、魔法論理学私もとったよ! でも遺産科学って何?」
「昔に存在した『科学道具』の構造とかの勉強。ちなみにこの授業とったのは僕ともう一人だけらしい」
「……人気ないんだね」
「何か教授が来てくれるらしいんだよね、少し楽しみ」
そんな会話をしながら、二人は仲良く道を歩いていく。
「お兄ちゃん早くご飯作ってよ」
「はいはいもう出来てますよ」
「こうちゃん早く〜」
「何もしてない子にご飯はありません」
机に座ってご飯を待つ日野川と見た目小学生の少女とエプロン着けて台所に立つ木村がいて、部屋はカレーの匂いで満たされている。
「ひーお姉ちゃん」
「なーにー美香ちゃん」
「もうすぐ夏休みだよね?」
「来週の月曜が終業式だよ、あと五日」
「じゃあお姉ちゃんと毎日遊べるね!」
「遊べるね美香ちゃん!」
「うん!」
と笑って話している二人。
「一応言っておくけど先に宿題終わらせるからね、はいカレー」
そこへ木村がカレーと一緒に現実を持ってくる。
「しゅ、宿題がない人が言わないでよ!」
「そーだそーだお兄ちゃんずるいぞ」
「日向達の宿題僕には一切できないじゃん。それに宿題なら出されてるよ」
「どんな?」
「遺産科学の宿題一冊二百ページが五冊、魔法論理学の宿題一冊百五十ページが四冊、あと普通科目の復習問題の宿題五百ページ」
「ひゃっ!?」
「数字がおかしいよそれ!?」
二人は口をぱくぱくしているが、対して木村は何てことはないという感じに言う。
「僕が魔法が使えない分をこんなもので補って貰えてるんだから本当にうちの担任には感謝してるよ」
「そ、それは感謝していいのかな?」
「ま、ここまでやっても落第ギリギリらしいけどね。いただきます」
「素直に感謝できないね……。いただきます」
「そこまでする必要あるの? いただきます」
「あ、思い出した」
「どうしたの美香?」
リビングでソファーに座ってテレビを見ていた木村兄妹。日野川はソファで寝ている。
「お兄ちゃん、夏休みに入ってすぐに合宿があるんだけど」
「バレー部の? ならちゃんと準備しときなよ。前みたいに下着忘れて日向に届けてもらうようなことにはしないように」
木村がそう言うと美香は若干顔を赤くしながら答える。
「わかってるよ! じゃなくてお兄ちゃん合宿に付いて来てくれない?」
「……僕? 日向じゃなくて?」
木村はFランク。この世界の部活は魔法を使うのが当たり前なので、魔法が使えない木村が行ったところで何もできないのだ(日野川も部活はできない、理由は力の差が大きすぎるため。スナイパーライフルとハンドガンで狙撃勝負するようなものと言われる)
「ひーお姉ちゃんもいいけど、お兄ちゃんには雑用なんかをしてもらおうと」
「雑用ねぇ。それ僕でもできるの? 魔法が関わるとポンコツになるけど」
「うん。荷物運びとか書記とか魔法を使うのはもう一人いるから平気」
「まー僕は構わないよ」
「ほんと!?」
「……宿題はやらせるからね?」
「そ、それとお兄ちゃん? ひーお姉ちゃんと学校ではやっぱり……」
「他人の振りしてもらおうとしてる。してくれないけど」
「誇ることはあっても隠すことはないんじゃないかなー」
「日向と同じこと言ってる・・・美香だって僕の学校での扱い知ってるでしょ?」
「……うん」
「FとSは次元が違うんだ。これ以上面倒ごとはいらない」
「……うん」
「……お風呂入ってくるよ」
そう言って木村はリビングから出て行く。
「……」
その時、日野川の眼は開いていた。