ハズレ属性『悪役令嬢』は、婚約破棄されて、ついでに毒親からにも解放されたので、これからは自由に生きます
──関わると厄介になる。なにせその方は悪役令嬢なのだから。
そんな回りくどい悪口が、いつから私の背中に張り付いたのだろう。
誰だって、悪役になる瞬間くらいはあると思う。
そう……私のように、都合の良い人間は特にその役割に収まりやすいのかもしれない。
私、ジェシカ・ローヴェンは、伯爵家の一人娘。
内気な私は、人前で声も満足に出せず、笑うのも下手で、常に相手の機嫌を窺う毎日。
きっと、私は貴族には向いていない。そう思ってしまうのは、心が弱いからなのかもしれない。
父と母も、いつしか私に目を向けなくなった。
使用人達は、【厄介者】【クズな底辺】と私を見下し、馬鹿にする。
令嬢にも関わらず、私に使用人の仕事を強制してくる。
私は、悪意のこもった目で睨まれると反論も出来ずに萎縮してしまう。
屋敷にいる時はいつも、使用人指定の服を着て、掃除やその他の雑用をしている。
綺麗なドレスもキラキラ光る宝石も……私は身につけるのは、パーティー会場か来訪者ぐらい。
だから、朝から晩までクタクタになるぐらい働かせられるので、洗剤で荒れてる手を労る事も髪を手入れする時間がどうしても取れない私は……周りの貴族達に【気持ち悪い】【だらしない令嬢】と悪口を叩かれている。
そんな身なりだからこそ、見た目から内心を決めつけられてやってもいないことをやったことにされ、悪評が流れている。
でも。
そんな私にも、笑いかけてくれる親友がいる。
シンディー・グラディス子爵令嬢。天使のように笑顔が眩しくて、誰にでも愛嬌が良い。
私はそんな彼女が大好き。
婚約者のエリオル・デイビス公爵子息と恋仲だって知ってても。
エリオルと婚約したのは、二年前になる。
当時、父の事業が大きく傾き、ローヴェン伯爵家は借金に追われていた。
使用人も日に日に減っていき、屋敷の維持すら危うくなったと感じた父は、デイビス公爵家に直接頭を下げた。
「ジェシカをエリオル様に。どうか、婚約だけでも……。そして、西側の森林領の管理権と封鎖権を全て公爵様にお譲りします」
西側の森林領は、巨大な魔境で、強力な魔物が住み着いており、騎士団では抑えきれないその森を、代々ローヴェン家は『封じ込める』役割を務めていた。
しかし、突然魔物の凶暴化が激しくなり、管理にかかる費用は莫大だった。
誇り高いデイビス公爵家にとって、これは魅力的な提案だった。
軍事力に優れた公爵家なら、魔物だらけの森を抑え込み、国境を守る要塞に変えられる。
それが出来れば、国王からの評価も上がり、大きな手柄になる。
こうして、形だけの婚約は成立した。
表向きは、『両家の絆を深めるため』と語られたが、実際は魔境の管理権とジェシカを交換するための取り引きだった。
エリオル様は、とても優しくて温かい人で、私に対しても嫌な顔をせずに笑顔を向けてくれた。
制約だけど、もしかしたら少しでも好意を持ってくれているのかもしれないと思った。
どんなに辛くても頑張ってこれた。
でも、彼の視線がシンディーに向いているのに気付いてしまった。
半年前にシンディーの誕生日パーティの時にエリオル様とシンディーが来客用の部屋に入るのが見えて、話しかけようとして追いかけた時に……、二人の本音を聞いてしまった。
「……もう無理だ。あんな気持ち悪い女と婚約してるふりなんて」
「でもまだ森林領が必要なんでしょ? もう少しよ。もう少しだけ、頑張って」
そんな心無い言葉を私が信じていた二人の口から聞かされるだなんて……。
──聞きたくなかった。
この婚約が、私を『都合のいい駒』にしただけということに。
そして私の大好きだった親友が、最初から私の婚約者の心を奪っていたということに……。
シンディーが私と仲良くしていたのは、自分自身の好感度を上げるためでもあった。
嫌われ者の私に健気に接している彼女は、周りから好意的に見られる。
私を利用しているということは、初めから知っていた。
それでも良いと正直思っている。理由はどうであれ、優しさが偽物だったとしても、私と仲良くしてくれるだけでありがたいことだったから。
でも、うまくいかないもので……私の気持ちとは裏腹に、日は過ぎていき、今日──私は、エリオル様主催のお茶会で、婚約破棄を言い渡された。
エリオル様は私を忌まわしい目で睨みつける。ビクッと肩が震え、縮こまる。
何か言わないとって思うのに、何も言葉に出てこない。
政略の話は?
婚約破棄の理由は?
頭ではすぐに浮かぶのに、思うように口が動かない。
みんなの視線も痛く、悪い意味での注目されているという事実がとても怖い。
「ジェシカ・ローヴェン!! 聞いているのか。婚約破棄だと言っている」
「あっ……」
私は内心、焦っていた。婚約破棄されてしまったら、父に酷いことされる。ムチ打ちだけですむとは思えない。
それに……。
──あなたも、そんな目で見るんですね。
良くは思ってないのは知っていたけど、それでも優しく接してくれた。私は、それが嬉しかった。
嘘でもいい。他に好きな人がいてもいい。愛さなくてもいい。ただ、私を人間として見てほしい。
そう思っていた。だから、シンディーとの恋仲関係にあっても見て見ぬふりしてきた。
でも、今日で終わりを迎える。
私はぎゅっと唇を噛み締め、ゆっくりとカーテシーをした。
何も言わない。でもその行動は、婚約破棄を承諾したのと捉えるには自然なことだった。
周りの貴族たちはクスクスと可笑しそうに笑う。チラッとシンディーを見ると、不適な笑みを浮かんでいた。
この時に、やっと私は二人に裏切られたという重みを突きつけられた。
心のどこかで信じたかった。だから、見て見ぬふりが出来ていたというのをやっと理解した。
私はその場に居られなくなり、逃げるように走り出した。
庭から屋敷内に入り、エントランスを出かかった次の瞬間──……。
ドンッ。
誰かにぶつかった。
謝らないとっ! と、思ったが声が思うように出てこない。
ど、どうしよう。
「あ……あの……」
ぶつかった相手を見るのが怖くて、下を向いて涙声になりながら謝罪しようとしたら、相手側が心配して声をかけてくれた。
「すみません。お嬢さん、私の不注意で、お怪我はありませんか?」
「は、はいっ! あの……ごめんなさいっ!」
その人の声があまりにも優しくて、でも顔を見ることが出来なくて深々と頭を下げて謝るのが精一杯だった。
また、急いで駆け出して行った。
──さっきの人の声、男性だったわ。私とぶつかっても紳士的に接してくれた。
嬉しい気持ちを振り払い、自分に言い聞かせた。
──あの人もきっと、形だけ。私を心配はしてないわ。
私みたいな暗い子に、味方なんて出来るはずなかったんだ。
両親は私が居なくなっても良いと思ってる。
父と母の顔が憎悪に満ちているのを思い浮かべて、心が苦しくなった。
どんな暴言が吐かれるのか、どんな体罰を受けるのか……考えただけでも恐ろしい。
お茶会の行きは、エリオル様の馬車だったから、帰りは馬車では帰れない。
だから、町の馬車で近くまで送って貰うことにした。お金は無かったから手元にある宝石のイヤリングと引き換えに。
人と話すのが緊張してしまった私は単語単語で言ってしまったものの、言いたいことを理解してくれて、なんとかローヴェン家近くまで送ってもらうことができた。
歩きでも良かったけど、それだと丸一日はかかってしまう。そうなれば余計に父や母の怒りを買ってしまう。
屋敷にいる使用人に気付かれないように身を潜めながら寝室に向かった。
幸い、父と母は外出していて留守だった。
私はタンスに隠して入れてあった日記帳と小型ナイフを取りだした。
ソファに座って、日記に今日あった出来事を書いた後、ナイフを手に持つ。
裾をめくると、腕にはナイフで切ったような古い傷跡から新しい傷跡まで出来ていた。
「……もう、いいよね」
私は、何の迷いもなくナイスを手首に当てた。グッと力を込め、ゆっくりと動く。
古傷や新しい傷にも刃が当たり、さらに深めに切ったことで激痛が走る。
ぽつり。
雫が腕に落ちる。傷が痛いから泣いてるんじゃない。
「う……うぅ……」
ずっと否定されてきた人生だった。最後には私は何も残ってない。もう……耐えられない。
切った場所からゆっくりと、でも確実に血が流れ落ちる。
その血は止まることなく、溢れ出し──私の意識はそこで途切れた。
◇◇◇
「……んっ。つ!? いったぁぁぉ!? なにこれ、え、私どうしたの? 確か病室で……え? 生き、てる?」
全身が痛い。だるいし……。
マジで最悪。っていうか、私……癌で死んだはず。なのに、なんで生きてるの?
着ている服を見ると、パジャマ姿じゃない。綺麗なドレスだわ。それに、この部屋……高そうな家具が置いてあって、私の部屋でも病室でもないわ。
ふと、腕を見ると……無数な切り傷が痛々しいほどあった。手首にはついさっき出来たであろう深い傷がある。
これって……リストカット?
は? 意味わかんない。何これ!?
身に覚えがない部屋や傷……もしや、誘拐!? こんな病人を?
いやいや。冷静になれ、私よ。そもそも、息が苦しくない……。動ける? さっきまで全然体の自由が聞かなくて、声だって出せなかったのに。ただ、全身の痛みは変わらない。
姿見鏡が目に入り、自身を映していた。
そこに映っていたのは、私じゃなかった。
でも、私は知っている。手入れされていないバサバサな髪。不器用なメイク。手もかさかさ。目だって腫れてるし……そんなお洒落っ気がないというのにドレスだけは華やかだった。
顔がドレスに負けているってこういう人のことを言うんだろうなって思うぐらい、酷いものだった。
私が、暇つぶしに読んでいたWeb小説に登場している悪役令嬢だわ。
確か名前は──ジェシカ・ローヴェン。
無口で無愛想で、何を考えてるか分からない。しかも見た目を気にしていないのか、ガサツ。
甘やかされて育ったせいで社交的とはお世辞にもいえなかった人……よね。
そんなどうしようもない人物に転生してしまったの?
でも変だ。ジェシカでの過去を覚えていない。
転生したら、前世の記憶を思い出すだけで元から生まれてからこれまでの記憶ってあるものじゃない?
それなのに……記憶に無いって。
それって転生じゃなくて、ジェシカに憑依したってことになるのかな。
「──っ」
鈍い痛みに顔をゆがめる。
手首の傷を見て、疑問に思う。
甘やかされて育ったなら、こんな事をするものなの……?
考えても分からない。私が読んだ小説でも、悪役令嬢の思考や会話文がほとんど無かった。だから、客観的にしか捉えることが出来なかったけど。
なにか……あるの?
何気なくテーブルに目を向けると、血で汚れた小型ナイフの横に少し血がついた日記帳が置いてあった。
私はソファに座り、読んでみる。
そこには、親からのネグレクトや使用人からのいじめ、周りの貴族が決めつけて偏見のレッテルを貼られていたこと。さらに婚約者や親友にまで裏切られていたことが書かれていた。
そして……最後のページには、自分のやってみたい事が書かれていた。
その時だ。バンっと、勢いよく扉が開いた。
私は咄嗟に立ち上がり、日記帳を後ろに隠した。
「ジェシカ!! お前という奴は」
部屋に入ってきた六十代ぐらいの男性は、眉間に皺を寄せて、怒りで声を震わせていた。
「!? 勝手に部屋に入ってきて、いきなり怒鳴るって」
怒りに任せて、拳を奮って、私の頬を殴った。
「うぐっ」
殴られた反動でテーブルに倒れ込み、殴られた頬を抑えた。
その拍子に後ろに隠した日記帳が床に落ちてしまった。
「本当に、救いようがない。口ごたえとは……。お前のような気持ち悪い生き物が娘だなど、吐き気がするわ。西側の森林領を差し出してまで結んだ契約だというのに──お前のせいで無駄になった! 公爵家はもう管理権を手放す気はないだろう。あの莫大な魔境を……ただでくれてやったようなものだ。顔も見たくない! 今すぐ消え失せろ!! お前のようなクズがローヴェン家の血を引いているなど、恥だ! 二度とローヴェン家の名は語るな!!」
「なっ!?」
痛みでじんじんする頬を擦りながら、床に落ちた本を拾いながら、怒り任せに怒鳴り散らすこの男に文句を言おうとしたら、男の背後から二人の使用人が部屋に入ってきた。
両腕を乱暴に掴まれ、連行される。
「痛っ! 力強……」
左右にいる使用人がクスクス笑いながらも私の耳元で暴言を吐く。
「お前みたいな女、誰も愛さないのやっと気付いた?」
「ようやく捨てられて、スッキリした」
嫌味っぽく悪口を言う二人に文句を言おうとして睨みつけたが、全然怯むことはなく、更に楽しげに笑うだけだ。
玄関まで行くと、乱暴に背中を押された。
「うわっと!?」
私はバランスを崩して、盛大に転ぶ。
すぐに後ろを振り向いたが、扉は既に閉ざされてしまっていた。
私はため息をついて、立ち上がる。
「──っ」
転んだ時に膝を擦りむいたらしく、膝から血が出ていた。
ヒリヒリと痛いけど、それ以上に全身が痛いのもあって、気にならない。
日記にも書いてあったけど、ドレスで隠されてる部分はムチの痕がくっきりと残ってるんだろうな。
その痛みがまだ収まってないから、こんなにも全身痛いのかも。
それでも、私は早くここから離れたくてパンパンっと服についた汚れを落としてから、ゆっくりと歩いた。
辺りは暗くなっていた。部屋が明るかったからわからなかった。
さっき……怒鳴り散らしたのがジェシカの父みたいね。
今回はムチ打ちじゃないだけマシなんだろうけど。
……それにしても、なんて酷い親なのよ。全部がジェシカのせいですって。
そもそもがジェシカの身なりが整ってないのは使用人がこき使っていたせいじゃない。自分の時間が持てなかっただろうし……何よりも、令嬢なのにローヴェン夫妻が何も言わないのを良いことにジェシカを顎で使い、罵っていた。そのことをローヴェン夫妻は知っているのに見て見ぬふりをしていた。
日記と今されたことを考えれば、ジェシカが心を閉ざしたのも頷ける。
……全てを否定され続けてれば、『自分なんて、何の価値もない存在』なんだと、思い込んでしまうのは当然よ。
でもね、環境や人間関係で人って良くも悪くも変えられるの。
周りが理解ある人達に恵まれないせいでジェシカはどんどんとネガティブ思考になって、自分を変える努力を知らない子になってしまった。
でも、本当は、そんな自分を変えたかったんだよね。明るくありたかったんだよね。
だって、日記の最後のページには【やりたいこと。そうありたい自分】が目標として書かれてたもの。
私が……その思いを引き継いであげる。未来って、諦めなければ変えられる事をジェシカに教えたいから。
それにしても、
「いきなり追い出しての、荷物やお金さえも持たせてくれないって……。しかも夜によ。それに、女の子をグーで殴る? 血の繋がった親子なのに」
はぁーっと、また盛大にため息をついた。
こんな環境にいて、よくジェシカは耐えてきたものだ。よくグレなかった。
私だったら、グレてたわ。
ジェシカは、きっとハズレくじを引いてしまっただけ。人生は生きてさえいれば何度だってやり直せるというのを証明してあげる。
とはいえ、街に行くにも道が分からない。
確か、この世界って剣と魔法のファンタジーで、普通に魔物がいるのよね。
森に入ったら確実に魔物の餌になるだろうし……野党にも襲われそうだし。
どうするか。
うー……ん。
道をひたすら歩きながらも考えていた。
ガツ。
「え……」
石につまづいて、私は、前のめりになって倒れた。
「痛……ッ」
勢いよく上半身を起こした私は、足を抑えた。
パンプスを脱いで足を見ると、靴擦れを起こしていた。
そういえば、日記でも書いてあったわ。ドレス系はあまり着ないのだと。だったら、このパンプスだってお呼ばれ用のだろうから履き慣れてないんだわ。
…………。
まっ、いいか。
裸足で歩いちゃえ。
立ち上がり、服についた汚れを払うと、歩き出した。
パンプスを手に持ちながら。
それにしてもドレスって邪魔ね。なんでスカートが長いのよ。気を許したら絶対にスカートを踏んで転ぶ未来が見える。
馬の蹄の音が背後から聞こえてきた。
最初は遠くから聞こえてきたので気のせいかと思っていたら段々と近付いてきている。
私は足を止め、振り向くと、馬車が走っていた。
馬車が私の前で止まると、ヒョコっと顔を出したのは、整った顔立ち。グレーの切れ長な目、艶のある銀の髪は腰まである。服装もファンタジーに登場しそうな紫と青のスーツだった。金の刺繍があしらわられている。
──うわっ。綺麗な人……。
「これはこれは、昼間のお嬢さん。随分と派手に転びましたね」
低い声……男性?
こんな人、小説に出てきたかな……。
昼間ってことは……私がジェシカに憑依する前に会ってるのね。
彼は、馬車から降りると、私の傷だらけの姿を上から下までじっと見た。
不思議と視線には嫌な感じはしない。、うまくは言えないけど……彼の視線は『ただの親切』とは何かが違っていた。
「提案なのですが、街まで乗っていかれますか? その格好で歩き続けるよりは良いと思いますよ」
そう言って、手を差し伸べてくる。この男が何者なのかは……少しずつ思い出してきた。
描写だけで、イラストが公開されてなかったから、気付くのが遅くなった。
柔らかい物腰。綺麗な顔立ち……紫と青のスーツ。
ギルドマスター、リュカ・ブルーム。
物語では、脇役なのよね。主に貴族が依頼したい内容と契約の為に屋敷に訪れた際に主人公とは世間話をするだけの存在。
リュカを私はよく知らないから、裏切られるかもしれないという不安がある。でも……。
私が弱気になったら、ジェシカに優しい世界もあるというのを教えられないじゃない。
ジェシカはもう貴族じゃない。だから……自由なのよ。
私はリュカの手を取り、馬車に乗り込んだ。
向かい合わせに座る。リュカは腕を組んで私を見ている。
ガタンッ。
馬車が揺れてゆっくりと走り出した。
「きみが貴族の間でも噂されているジェシカ・ローヴェン、ですよね? 随分と印象が違いますね。無口で無愛想でだらしない令嬢だと聞いていたのですが、やはり噂は当てにならない」
「……信じてたんですか? その噂を」
「半分ぐらいは。でも興味はありました。確かに外見を見ればだらしないと思われても仕方ないと思いましたが……見る度に悲しそうに訴えるような瞳をしていたのが気になってたんですよ。『だらしないの裏側』には何かあるんじゃないかって」
「え……?」
「ああ、すみません。名乗るのを忘れてました。私はリュカ・ブルームと申します。隣町のギルドのマスターを勤めています」
リュカは自身の胸にそっと手を当て、軽めの自己紹介をする。
「私は……ジェシカ・ロー……」
自分も自己紹介をしようと思い、フルネームを言いかけて止めた。
ローヴェン伯爵家の人間ではない。ただのジェシカになったんだ。
「知ってるとは思いますが、ジェシカです。今はただのジェシカになったんです。よろしくお願いします。あの、普通に話してもらっても大丈夫です。私も……話しやすいように話すので」
私の自己紹介に目を細め、リュカはボソッと呟いた。
「……なるほど。ローヴェン伯爵の噂は本当だったのか」
彼は目を細め、とても低い声だった。
──リュカの素の口調って、なんだか……男らしいな。
てっきり、素でも柔らかいと勝手に思ってた。
敬語で柔らかいのは好きだけど、こっちの口調のリュカもちょっと良いかも。
その呟きは私の耳にも入り、気まずそうに首を傾げた。
「……父の、噂って」
「自分の娘を売った親。娘を奴隷同然のように扱っているとも聞いた」
「そんな噂、どこから……」
「ギルドマスターをやっていると、色んな噂を聞くもんでね。その噂を流したのはローヴェン家の使用人だよ。居酒屋でかなり酔っていた時に大声で話してるのを店員を含め、数人が聞いている。聞いた当初は面白半分だったが……まさか追い出されるとは思わなかった」
リュカはフッと笑った。
「……予想以上に、面白いことになった」
「リュカさんって……良い性格してるよね」
この男は──っ!!
と、苛立ちを隠さずに、呆れながらも嫌味を言う。
「さんはいらない。リュカでいい」
「……」
ため息をつき、窓の外の景色を見る。
私はジェシカの過去は日記帳でしか知らない。けど、それは想像を超える程辛かったんだろうなって思う。
物語だと、ジェシカは家を追い出されて、その後の行方は誰も知らないと書いてあった。
ジェシカは家を追い出される前に、自殺してたのよ。だから、誰もその後を知らないのよ。
私が憑依した時は、物語のエンディング間近。
ジェシカは悪役令嬢で婚約破棄をされる。そして、その物語のヒロインは親友のシンディー。ヒーローがエリオル。
この物語ってWeb小説でランキングにさえも載っていなくて、かなり人気度は低い作品。なんとなく目に入ったから、読んでいた作品の一つなのよね。
だからあまりイラストも公開されてなかった。イラストレーターさんにお願いして描いて貰ってたみたいで、ジェシカのイラストを見たのよね。リュカのイラストは残念ながら無かったけど、こんなにも美形過ぎるとは思わなかった。
「これから、どうすんの?」
リュカは真剣な表情で私を見る。
「分からない。でも……私は自由になったから、気のゆくままに旅をするのも良いかもしれない」
何せ、今後の計画を立てる前に家を追い出されてしまった。
「そうか。それは良かった」
馬車が止まった。馬車から降りたリュカは振り向いて、馬車に座ってる私に微笑んだ。
「丁度、ギルドの受付嬢を探していた。どうだろう。キミさえ良かったら……なんだが」
「へ……」
急な提案に変な声を出してしまった。
「食事は一日三食全部出るし、寝るところも準備する。休みも好きにとって構わない。 好条件だと思わないか?」
リュカは自然に手を伸ばしてきたので、私も何気なくその手を掴んだら、強引に引っ張られた。
横抱きされてしまった。
「ひゃあ!!? え!? な、何!? 何で!!!?」
「返事は手当てしてから。ああ、暴れたりするなよ? 大丈夫だから、悪いようにはしないさ」
「いや、それ……信用出来ないセリフ」
私が呆れて言うと、リュカは面白そうに笑った。
つかつかと軽い足取りで歩いて行き、ある建物内に入った。
木製の作りの建物。中に入ればすぐ目の前には階段があった。
薄暗い空間は、リュカが足を踏み入れると、すぐに明るくなった。
正確な時間帯は分からないけど、寝静まっている時間帯なのは確かなようだ。
ギルドなのに、かなり静かで誰一人いない。
テーブルと椅子が並んでいる。
奥にはカウンターと、依頼ボート。
「狭いギルドでごめんね」
リュカは謝罪しながら私を近くの椅子に下ろす。
「傷を治すよ。傷口見せて」
リュカは膝をつき、私の足に触れると、淡い光が現れたかと思うと、足の傷が徐々に治っていく。
痛みや傷が綺麗に無くなった。リュカの細くて長い指が足から離れると私は、足首、指先を動かしてみる。痛みがない。
「痛みない!! 嘘。魔法みたい!」
私は傷口が治ったことに感動しているとリュカは呆れていた。
「魔法みたいじゃなくて、魔法なんだけどね」
そうだった。この世界は魔法が使えるんだった。
「きみは変な子だ。他に傷はある?」
「あっ……」
それなら、手首に傷があるって言いかけて止めた。リスカしてた後なんて、見せたくはないだろうし。ジェシカの心がまだ残ってるのか分からないけど、気持ちを考えたら……。
「なんでもない」
「そっか。それにしても、ジェシカの手は結構荒れてるんだね」
「軽蔑した?」
「いや」
リュカは私の手に触れる。優しく指先を一本一本見ている。
なるべく手首は見せないように裾でうまく隠しているけど、そんな不自然な行動なのに、リュカはそこには何も触れない。
──それが、彼の優しさなんだろうな。
「私が調合した薬があるんだけど、使う?」
「え? いい、の?」
「勿論。それと……」
リュカは私の顔を見ながら立ち上がり、そっと私の髪に触れた。
パサパサしていて、乾燥している髪は横に広がっていてまとまりがない。
そんな髪をリュカはまじまじと見て、何か納得したように頷いた。
「……乾燥しているみたいだから、保湿程度だけど、これはどうかな?」
髪全体がひんやりと冷たい。すると、私の……いや、ジェシカの髪が艶を帯び、見事なストレートヘアになった。
「おっ。良かった。綺麗になって」
「な、何したの?」
私は自分の髪に触れると、見事なまでにサラッサラ。縮毛矯正したみたい。
これも魔法?
「ん? 光と水の属性を混ぜて髪に浴びせたんだ。私の魔法は美容にも良いって評判なんだ」
魔法ってすごい。
「……なんで、私を助けたのか、聞いてもいい?」
私は、一番気になっていることを聞いてみた。
リュカは私の隣の椅子に腰を下ろして、足を組んだ。
「きみの、化けの皮を剥がしてみたくなったから」
「化け……どういうこと」
「無口で無愛想。それにだらしない令嬢。私は、見えてるものが全てじゃないと思っている。だから、きみの本質が知りたい」
私を見据える彼の瞳はとても真っ直ぐで優しかった。
「でも、単純に放っておけなかったのもある。きみのような子が、この先どう変わっていくのか……少し見てみたくなった」
そう言って、私の頭を優しく撫でる。
あれ……?
照れ臭くなって下を向くと、ぽつりと、頬を伝った雫が膝の上に落ちた。
嬉しいはずなのに、なんだろう。この感情……。
これって、私の感情なのか、ジェシカ本人の感情なのか分からない。
分からないけど、すごく心が温かくなった。
ああ、そうか。
きっとジェシカはずっと、肯定してほしかったんだ。
うん。私、決めたよ。
「私、受付嬢……やっても良いかも」
リュカは目を細め、嬉しそうに笑った。
「歓迎するよ」
私は小さく頷いた。
家を追い出され、全てを失ったはずの体で──。
ようやく一歩を踏み出した。
ジェシカが叶えられなかった夢を、ここから少しずつ叶えてあげるからね。




