第2話:禁忌の書と、守護の真理
三歳になったルインは、村の子供たちが泥遊びに興じる中、父・カシエルの書斎にいた。
彼が求めているのは玩具ではない。このか弱き「最弱」の体で、いかにして愛する両親を守り抜くかという**術**である。
「……やはり、人間に備わる魔力容量では、かつての術式は一行たりとも発動できないか」
小さな指先で魔道書の頁をめくる。
人族の魔力はあまりに脆い。だが、それでいい。それがいい。
ルインは自分の無力さに安堵しながら、書棚の最奥に、一冊の奇妙な本を見つけた。
重厚な銀の鎖で縛られ、禍々しい紋章が刻まれた革張りの本。
それは、絶大な魔力を持つ者でなければ解呪すら叶わないとされる、禁忌の魔道書だった。
「これは……?」
ルインが何気なくその表紙に触れた、その時だった。
カチリ、と。
絶大な魔力を感知しなければ開かないはずの封印が、ルインの中に眠る「魔王の魂」に呼応し、呆気なく霧散した。
『――ふははは! 数百年ぶりか! 我を目覚めさせたのは、いかなる大魔導士……ッ!?』
鎖が解け、本がひとりでに口を開く。
しかし、そこにいたのは髭を蓄えた賢者ではなく、おしゃぶりを咥えていてもおかしくない年齢の赤子だった。
『……ん? 小僧、貴様……。その魔力、まさか……。いや、それ以上にこの「器」の脆さはどういうことだ?』
「……喋る本か。静かにしてくれ。父様たちにバレたら、書斎への出入りを禁じられてしまう」
『なっ、我を捕まえて「静かにしろ」だと!? 我は深淵の知恵を授ける「真理の扉」だぞ!』
ルインは溜息をつき、本を机に広げた。
そこには、人族が数千年の歴史の中で「禁忌」として封じ込めてきた、魔法の裏側が記されていた。
読み進めるうちに、ルインの瞳に冷徹な知光が宿る。
かつての魔王としての膨大な知識と、禁忌の書が示す「理」が、彼の中で恐ろしい化学反応を起こした。
『小僧……いや、主よ。理解したか? 「癒し」とは対象の固定であり、「防御」とは外界の拒絶。ならば、そのベクトルをほんの少し捻じ曲げればどうなるかを……』
「……あぁ、理解した」
ルインは己の手のひらを見つめる。
防御魔法:対象を「守る」ための壁。ならば、その壁を「敵の体内」に、ミリ単位の厚さで展開すればどうなるか? 血管は塞がり、心臓は物理的に停止する。
癒し魔法:傷を「治す」ための力。ならば、健康な細胞に「治癒」を過剰に流し込めばどうなるか? 制御不能な細胞増殖を招き、内側から肉体を爆発させる。
それは、攻撃魔法のような「破壊」ではない。
「守護」という概念を極限まで押し付けることによる、平穏な抹殺。
「父様と母様が教えてくれた優しい魔法は……使い方ひとつで、どんな毒よりも凶悪な『死』になるんだね」
ルインは静かに本を閉じた。
その顔は、慈愛に満ちた聖職者のようでもあり、すべてを支配する冷酷な王のようでもあった。
『く、くかか……! 最弱の種族に、最強の殺意が宿ったか。これは愉快なことになりそうだ!』
魔道書の笑い声を無視し、ルインは書斎を後にした。
廊下では、母・エルーカが「ルイン、おやつの時間よー!」と呼んでいる。
「いま行くよ、母様!」
ルインは満面の笑みで駆け出した。
この温かな日常を汚す者が現れたなら、その時は――「癒し」をもって、永遠に眠らせてあげよう。
そう心に誓いながら。




