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第9話 『休日には誰もが息抜きを求める(休めるとは言っていない)』

デート回だYO!



「…………それで、何で野盗なんて不慣れなこと始めたの?アンタ方」

 シャブナムとアニマに一瞬で制圧され、野盗の集団は一カ所に集められる。

 野盗集団はとんでもなく弱く、対峙するシャブナムとアニマにしても、何だか申し訳ない気分になる位歯応えが無かった。

 どうやらこの街道騒ぎで失業して、行きつけの酒場で集っていた飲み仲間が勢いで一儲けしようと、野盗の真似事をしたらしい。

「しょうがねえだろ、仕事がなくなって仕方なく野盗やったんだよ!もう奴隷にでもなんでもすればいいだろ」

「いや、この国奴隷いないから。このままいけば刑務所行って強制労働かな?すまんがアンタ方野盗とか全然向いてないと思うよ」

「…………」

 噛み付いてきたリーダー役の男どころか、全員がアニマの言葉に目を逸らして黙り込む。


 とはいえ追い詰められて犯罪に走ったにしては、彼らからは悲壮感も絶望感もない。

 きっとどうにかなると心のどこかで思っているコレジャナイ王国民の正しい姿ではあった。捕まればそれなりに服役や強制労働があったりするのだが、自分はそうはならないという意味不明な自信を持っている、困った国民性なのだ。


 そしてこの国の人々は、困難やトラブルに出会って乗り切った後、必ずこう言うのである。

「いやあ、ひどい目に遭った」


 結局野盗集団は帰る場所無いとかで、ファリスの提案で船乗りを集めないといけなくなったプエルトス・コミューネス領に送り届ける事になった。

 船乗りの生活がどうあれ、屋根のある所で寝れて取り敢えずなんか食べれればそれで良いらしい。

 王都までは一行と共に移動し、その先はアニマが引率でっコミューネス領まで連れていく事になった。

 道中ファリスも彼らの身の上や根無し草っぷりを耳にしていたが、こんな根性なさそうな人々が船乗りなんかできるのだろうかとかなり本気で心配になる。


「いいのアニマ?一人で大丈夫?」

「正直途中でいなくなっても別に構わないし。それにまあ、久々に嫁さんと息子の顔が見たいんでね」

「あー、それは仕方ない。家族に会いたいのなら、仕方がない」

 むしろこれまで長時間付き合ってもらってお礼をファリスは言ったが、家族の顔見て元野盗の連中を港に預けた後は、また護衛に戻って来るという。

「領主様はそれでいいの?」

「むしろなんで帰って来たのかとか言われかねない……」

「はあ、そう……なんだ」

「そうそう。まあ深く考えないで、そういうもんだと思ってくれていればいいよ」

 ファリスの都合はいいけれど、何か裏でもあるのかとちょっと疑う。

 だが自分の才能や実績に無頓着な性格が災いし、自分がターゲットになっていて、あわよくば王都からコミュ―ネス領に囲い込もうとしているなどと、思い至りもしなかった。


「シャブナムはどうするの?」

「俺は王都に残るよ。まあまたファリスがどこか出張する事になれば、付き合う感じかな」

「いやあ、できれば王都に落ち着きたいんだけどなあ…………」

「ハハハハハ、まあ、無理じゃね?」

「デスヨネー」

 肩を落とすファリスの頭を撫でて、子ども扱いするなとムキになるのをあしらいながら、内心シャブナムは自分の動悸が気取られていないか気が気じゃなかった。

 ファリスもシャブナムが王都に滞在すると聞いて、なんだかホッとした。

「まあどちらにせよ、少し休暇貰うよ。我らが宰相殿に報告すれば、少しは休ませてもらえるでしょう……」

「そりゃまあ、宰相殿も働き続けろなんてことは言わないだろうな」

 楽観的にそう話す二人は、何となく自分たちの思惑がそう易々と通らないと察していたが、見たくない現実に全力で蓋をして、報告と打合せの申し込みを行う。


 幸いすぐに許可が降りて宰相殿の執務室のドアをノックした。が、ドアが開く前から纏わりつく黒い靄のようなものが見える……それが幻覚だと自分に言い聞かせながら、ファリスは入室した。


「ま、まあ、良かったじゃないか、三日も休みもらえて」

「『私も不眠不休で働いているんだがね』とか、『最近眠りが浅くてすぐ目が覚める』とか、『孫の顔、忘れてしまってね……』とか、聞いてるこっちが取り(すが)って休んでくださいと言いたくなるようなお話聞かされた後でもらった許可だけどね」

 酒場で二人、良いピッチでワインを開けながら夕食を取りつつ、苦虫を噛み潰したような顔でファリスは愚痴を吐く。


 ファリスが三つの街を巡ってきた状況と所見を報告すると、我らが宰相殿はたいそう喜び、調査員がそこまでしなくて良かったのにと言いつつ、だいぶ手間が省けた事を素直に感謝してきた。

 宰相殿のためというのは嘘偽りないファリスの思いだったが、その喜びように理不尽な調査の仕事や、自身の巻き込まれ体質も慰められようというものだ。

 ちなみに上司のバックス所長はユイン・グオ諸侯連合国境近くの地に調査に向かい、まだ帰ってきていない。


「王都の観光案内?」

「あ、ああ。何だかんだ、あまり王都をゆっくり見て回る事が無くてな。アニマもすぐコミュ―ネスに帰っちまうし、それで、ファリスにお願いできればと思ってな」

「んー、別にいいけど、私で良いの?」

 その一言に謙遜でもしているのかとシャブナムは不思議な顔になる。

「そりゃ俺より王都に詳しいだろ?頼まれてくれると嬉しいんだが」

「いやいや、私は女だし、男の人が行きたがる所とか、よくわかんないからさ」

「ああ、そう言うのは気にしないでくれ。なにせ、何もかも分からんから。ファリスの行きたい所でいいさ。飯代は全部出す」

 太っ腹なシャブナムの申し出にファリスは即座に快諾し、その日もシャブナムに夕食を奢ってもらって上機嫌で帰宅した。


  *


 タリーズ一家は王都のごく一般的な平民街で雑貨商を営んでいる。

 主に平民向けの日用雑貨品を取り扱い、伝手の限られるモルト・クリオソ公国の便利グッズもたまに仕入れる位には、信頼と実績もある店だ。

 店を仕切るのはファリスの両親で、仕入れや買い付けには祖父やファリスの二つ下の長男が近隣諸国を飛び回っている。

 祖母は近所で内職している主婦に仕事を依頼して、完成品を陳列する店先の棚の一部を任されている。ファリスの六つ下の次男は同業に奉公に出ていて、八つ下の次女は祖母について仕事を覚えている最中だ。

 ファリスだけが家業と関係なく考古学研究所に職を得たのは、昔から飛び抜けて頭が良かったからだ。

 一介の雑貨商で置いておくにせよ政略結婚の駒にするにせよ、その才能が生かせないのはあまりに惜しいと一家が一致し、官吏や文官にするべく送り出した結果だった。


 両親や祖父母にとっては自慢の子供であり、弟妹からは絶大な信頼と愛情を寄せられる存在であり、友人たちといる時も大体中心人物扱いされてきた人柄でもある。

 ファリスもそんな期待や愛情を一身に受け、幸い謙遜になる事も傲慢になる事もなく、ごくごく自然体でマイペースに成長してきていた。


 当然近隣や雑貨店の関係者にもファリスの存在は有名で、彼女とお付き合いや結婚を申し込む輩は老若男()問わず数多くいた。

 しかし一家の誰もが『ファリスが自分で選んだ相手が一番いい』という意思を全く変えなかったため、結局誰も家族経由でファリスに交際も結婚も申し込めず、彼女は二十二歳の春を実に初心な心持ちのまま迎えていた。

 ちなみにファリスに直接交際や結婚を申し込もうとする輩は、周囲のライバルたちに悉く妨害を受け、今のところ誰一人本懐を果たせていない。


 今更ながら一家の誰もが過保護過ぎたかと若干焦ったりもしたが、ファリスがいるかいないかで家の雰囲気が露骨に変わる存在感を持っているため、ファリスの恋人や結婚相手をどうするかの課題は先送りし続けていた。


 そんな一家の宝物のような扱いをされていた長女が、長い出張から帰ってようやく手に入れた休みの二日目、妙にめかし込んで(それでも普段と比べて実にささやかなおしゃれであったが)、朝からソワソワしていた。

 察しのいい母と祖母は、普段のファリスとの会話から誰が今からやって来るか予測していたが、シャブナムがファリスを尋ねて店先から声をかけて来た時、真っ赤になって飛び出してくるファリスと、驚愕する父と祖父、

「あなたがお義兄さんになるんですか?」

と、あまりに気の早い問いかけをする次女とで大騒ぎとなった。


「じゃあ、ちょっと出かけて、くるから!」

 と、シャブナムの紹介もどこに何しに行くのか全く説明もせずに、ファリスは気恥ずかしさとパニックでシャブナムの手を取って一目散に駆け出す。

 この行動に朝の四時まで挨拶やお出かけ許可の会話内容をシミュレーションしていたシャブナムの予定はすべてお釈迦となる。

 しかし普段見る事のないファリスの取り乱した姿を見れてラッキーだったとか考えてしまい、まああとで何とかなるかと思い直して、その日を楽しむ事にした。


 ちなみにファリスが今日のシャブナムとの王都観光が実質デートではないかと思い至ったのは、朝起きて顔を洗った直後だった。

 存外自分の気持ちがそれで高揚してソワソワしてくるのに驚き、シャブナムへの自分の気持ちを自覚するに至る。

 そんな今まで友人や同僚の語る色恋沙汰を他人事と思って聞いていたファリスは、自分がその当事者になったと認識した時…………


 どうしていいか判らず頭が真っ白になっていた。


  *


 ファリス・タリーズは二十二歳のいい大人である。

 平民でありながらその才気は知る人ぞ知る渙発さを持ち、その人柄は関わる人を魅了し、親しみやすい美貌は数多くの男()を虜にしてきた。

 だが、他者から見て幸せで満たされているようでも、自分からのアピールや、自分の気持ちに気付くといった事柄にまでその才が及ぶかと言えば、残念ながら答えは『否』となる。


 現に自宅から三つの街区を走り過ぎた所で冷静になって立ち止まった時、ファリスは握っていたシャブナムの手を慌てて離し、自らの大胆な行動に赤面して押し黙ってしまう。

「いや、びっくりしたよ」

「ご、ごめんね、うちの家族、あまり遠慮とかなくて……」

「いや、ファリスがいきなり走りだしたのが、なんだけど」

「あー、うん…………」

「いや、大丈夫かファリス?体調悪かったりとかなら……」

「いや、それは大丈夫。だから!ほら、うちの事は気にしないで、もう行こう!」


 その後シャブナムは慎重にファリスに声をかけて、少しずつ冷静になってもらう。

 こういった辺りのシャブナムの手腕は、一緒に修羅場を潜ってきた者同士の阿吽の呼吸と言えるものがあった。

「あー……なんかごめんね。やっと落ち着けたかも」

「まあ、たまの休みで気分が舞い上がる事って結構あるしな。切り替えて楽しもうや」

「ん。そだね」

 シャブナムが敢えてファリスの避けている方向に触れずに盛り上げようとしてくれているのを、ファリスも敏感に感じ取っていた。

 その優しさに感謝しつつ、ファリスもシャブナムがどういう意図で今日の王都案内をお願いしてきたのかを考え始めてしまう。


 ただの仕事仲間の気安さから声を掛けてきたとも取れるし、アニマがいなくなったタイミングで敢えて声をかけてくれたようにも思える。

 小言や我儘、愚痴や独り言に笑顔で答えるのは仕事上の配慮な気もするし、少なからず好意があるからこそにも思える。

 結論から言うと、考えれば考えるほど分からなくなってしまった。


 そういう思考のドツボに嵌ってしまった時、コレジャナイ王国の民には必ずと言っていいほど辿り着く境地がある。

 ファリスは人の話に聞いていたその境地が自分にも訪れたと直感した。

 大好きな家族もこの流れに身を委ね、そしてどうにかなってきたと口をそろえて答えてくれた。だから、ファリスは今日そんな気分で過ごしてみようと心に誓う。


『まあとりあえず、目の前の事を楽しもうか――――』


 開き直ったファリスはシャブナムの顔をじっと眺めて微笑むと、自分の欲望に素直に従う。

「なんかお腹空いてきた」


  *


 ファリスが子供の頃から出入りしているという王都西の市場にやって来ると、シャブナムにこの市場の素晴らしさを説明しつつ、シャブナムを翻弄しながら市場のあちこちを飛び回り、気の向くままに屋台の食べ物を買いまわる。

 二人は互いの買った物をシェアしてあれこれ感想を言い合ったり、同じスプーンを使って食べる羽目になったときはドギマギしたりして過ごした。


「高い所と広い所、シャブナムはどっちが好き?」

 どうやらその後も『自分の楽しい事』に意識を全振りしたらしいファリスは、いつもの姿とはかけ離れたハイテンションで浮かれていた。

「いきなりだな」

「やっぱお客さんの要望は聞いてのツアーガイドですから」

「ツアーガイドは自分の好みで市場の屋台を決めないと思うけどなあ?……んーまあ、今日の気分は高い所かな?」

「了解しました、ご案内いたしまーす」

 この時点でシャブナムは、ファリスの感性が常人と隔絶しているのを失念していた。


 そんなファリスが案内した先は、彼女の住む地区の自警団が管理する物見の塔だ。当然観光や物見遊山の素人が気軽に行ける場所ではない。

 スカートを翻して狭い階段や梯子をするする登るファリスの後ろを、目のやり場に困りながらシャブナムも追いかける。そしてようやく追いついたとホッとした時、頬に当たる風で周囲に目線が上がって絶句する。

「ちょ……っと、いくらなんでも高い所すぎないか?」

「あ、シャブナム高い所は苦手だったっけ?」

「いや、人並みに大丈夫とは思うけど、こんな足場の不安定な所、なんでファリスは平気なんだ?」

「なんでって……昔から遊び場にしている所だし、慣れれば大丈夫だと思ったから……」

「今日ここに初めて来ていきなり慣れるとか、ないからな?」

「そういうもの?」

「世の大多数はそうなんだよ、ファリス」

 ファリスはきょとんとした顔でシャブナムの抗弁を聞いていたが、本気で怖がっているとは思っていないみたいだった。


 お勧めするだけあって確かに眺めは良かったが、吹きっ晒しの場所で頼りない木の柱にしがみついて眺めても何一つ楽しめない。

 王城のバルコニーから街中を眺める風情で、穏やかに街を見て佇むファリスは確かに魅力的だった。だからといって横でそれを平静な心で眺められるほど、シャブナムの肝は座っていない。

 まさに這う這うの体で地上に降り立った時、シャブナムはゆるぎない足場を提供してくれる大地というものに心の底から感謝する事になった。


 その後もファリスお気に入りの場所や、前々から興味があった場所などを巡り歩く。

 ファリスの好きな場所という川岸の船着き場は、活発な人の往来と、にぎやかに会話をしながら通り過ぎる商人たちで活気に溢れていた。

 馴染みの店というちょっと路地に入ったパーラーでは、ファリスの古い知り合いから冷やかしを受けてうろたえるファリスを堪能できたが、シャブナムにだけ物凄い睨まれたり凄まれたりもした。

 古い馴染みと談笑するファリスをニコニコ見ていると、「調子に乗るな?」とか、「何様のつもりだ?」だとか、「お姉様を汚さないで……」といった囁きを残して去ってゆく老若男()がひっきりなしにやって来る----。


 どうやらシャブナムは満遍なく彼ら彼女らからは敵認定されたようで、人気者などと言う生温いものではない、ファリスの心酔者たちに戦慄すら覚える。

 そんな敵意の渦中にあっても、存外シャブナムの肝は座っていた。

 時折ぶっ飛んだ事や意味不明な謎理論を展開するファリスにツッコミを入れつつ、終始笑いかけてくれるファリスの天真爛漫さを堪能すらした。


 やがて夜の(とばり)が降り始め、飲み屋街でファリスの気まぐれで入った店で盃を重ねる。

 思い切り楽しんだ今日の行程を二人で振り返って笑いながら、ファリスは楽しい時間の終りに時折寂しさを滲ませて目線を逸らした。

「なんで楽しい時間て早く終わっちゃうんだろうね」

「俺の母ちゃんによると、楽しい気分てのはせっかちな奴なんだとさ」

「あははは、確かに。ゆっくり楽しめばいいのに、早く早くって、すごい急かすもんね」

「だから次の楽しい事をすぐに作りたがるらしいぞ」

 シャブナムの語る内容をファリスが噛みしめ、口元に喜びを浮かべてシャブナムをまっすぐ見据える。


「いいねえそれ、次またどこ行こうかって、考えたくなっちゃう」

 屈託ないファリスの言葉に、シャブナムは酔いの勢いを載せて踏み込んだ。

「ほうほう、そんじゃあ行きたい所、もう決めておく?」

「あははは、いいよー。じゃあ今度は、シャブナムのお気に入りの場所教えてよ」

「ん?それだとコミュ―ネスに来てくれないと行けないぞ?」

「あ、そっか」

 ファリスの視線は宙を舞うが、くるくる回る目線が捉えた先には、ファリスの気まぐれを楽しそうに眺めるシャブナムがいる。

「来るの?」

「んふふ、来て欲しい?」

「そりゃあそうだろ」

「ん、じゃあ、行ってもいいよ?」

 酔いに任せて誘いに乗るファリスは内心ドキドキしていて、また次の約束があるという事がこんなに嬉しいものかと噛みしめる。

 誘いをかけたシャブナムも、内心前向きな約束を出来た事を喜びつつ、本当にコミューネス領までファリスが来てくれるのか?と、不安も顔をのぞかせる。


 その後も酒場の喧騒は二人の気分を更に高揚させ、約束通りシャブナムのおごりで会計を済ませて通りに出ると、危なっかしいからと言って差し出された手をファリスは当たり前のように取って歩き出す。

 言葉を掛ける時も無言で歩く時も、二人の間の空気はこれまでと違う戸惑いや面映ゆさを内奥していた。

 握る手の力にもふと交わす目線にも過剰に反応しつつ、前向きと後ろ向きの感情がモザイクになって、二人の間に見えない繋がりと断絶を作る。


 やがて二人の歩く先に『庶民の店 タリーズ雑貨店』という看板が近付く。

「今日は、ありがとう」

「ん……」

 名残惜しそうにファリスはシャブナムの握る手に指を絡めて握り返す。

 愛おしそうに指を絡めるシャブナムも、ここが勝負どころと覚悟を決める。


「ファリス、聞いて欲しい、事があるんだ」

 シャブナムの意志の籠もった声に、握った手に一瞬ピクリと力を込めて、ファリスはおずおずと目線を上げる。

「結構長い事、ファリスと過ごしてきたと思うけど、このままだと、俺はコミュ―ネスに帰る。でもきっとファリスは王都にいるままだ」

「うん……」

 そこはファリスも不安に思っていた所だった。二人は偶々(たまたま)今回の騒動で一緒に動く機会があったけれど、そもそも交わる機会すらなかったとしても、別に不思議はない間柄だ。

「でも、俺は、それは…………嫌なんだ」

「……」

 でも出会ってしまい、存外長い間同じ場所で時間を過ごしてきた。

 それなりに苦労を分かち合い、互いに支えあい一緒に笑ってきた。

 ファリスにしてもシャブナムにしても、それまで知らなかった世界を経験し、切り開いてきた仲間になったという思いはある。


「だから、俺の奥さんになって、コミュ―ネスで、一緒に生きて欲しい……」

 伝えられた言葉に一瞬真っ白になった後、ファリスはその言葉を反芻する。

『ああ、らしい(・・・)なあ……飾らないでまっすぐで、ちょっと不器用で無骨すぎるけど、気持ちはじゅうぶん伝わって来るよ……』

 目の前で何度も生唾を呑み込んでカチコチになっているのが、ファリスの良く知るシャブナム・サンマルクと言う、プエルトス・コミュ―ネス領軍騎士団の騎士さんだと納得できて、何だか嬉しくなってくる。


 でも、だからこそ、と、ファリスは改めて考える。

 シャブナムは純粋で素朴で、きっと真摯な人だから、ファリスも誠実に心の通った言葉で答えなければならないと、そう思った。

 その場の勢い任せの中途半端な言葉で答えたくはない。答えはきちんと覚悟を決めたうえで、誠実に言葉にしたいとファリスは思った。


 気付かれないように深く息を吸って、ファリスはシャブナムを見る。

「シャブナム、気持ち嬉しいんだけど、返事は今の仕事の問題片付いてからで、いい?」

「は?」

 先ほどまでの甘やかな囁きや、気心知れた中でしか許されない会話とは違う、理知的な意識を感じさせる回答に、シャブナムが思わず面食らう。

「ごめんね。答えは決まってるんだ。でも、シャブナムの気持ちにね、きちんと答えたいって思った……」

「うん」

「だからね、私ただの勢いでシャブナムの話、受けたくないんだ」

「……」

「私は……ちゃんとシャブナムの目をまっすぐ見て返事したいんだ。だから、その…………わがままでごめん、今のこの国の騒動終わるまで、待っててくれると、すごく、嬉しいかなって…………」


 必死に言葉を紡いで語りかけるファリスの心を無視して、自分の気持ちを優先する事なんて、シャブナムは考えもしなかった。

 ちゃんと考えてくれたありがとうという言葉をシャブナムは必死に吐き出し、その言葉にほっとして、熱の籠もった目線をくれるファリスに返答の正解を見る。


 ファリス雑貨店の通用門で、家の中に消える時にファリスが小さく振る手に笑顔で答え、無機質な木戸の向こうにファリスが消える。

 その後にどっと押し寄せる寂寥感に耐えながら、シャブナムは今日のデートの出来事を振り返る。


 一人で考えると不安になるけれど、シャブナムのプロポーズへの答え、あれは前向きな確約の返事だとは理解できた。

 でも、欲しかった答えでないのも確かだ。

 押し寄せる不安が上書きするみたいに押し寄せ、否定してすぐさま何度も湧いてくる。

 けれど不安や絶望を増幅してもそちらに流され切らないのは、きっと最後のファリスの表情と真摯な瞳のおかげだった。


 自分の思いが届くかもしれない。そう思えるだけで、どれほど助けになるか……


 だからきっと、この先も今日のファリスの言葉を信じて突き進む。

 シャブナムは改めてそう決意して。館までの道を急いだ――――


つづく!

次回更新は5/26(月)の予定です!

よろしくお願いします!

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