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第6話 『予想を上回るなんてよくあること(大体悪い方にだけど)』


「私はありがたいけど、良いの二人とも?」

「領主様の命令だし、問題ない」

「まあ、王都の館の状況報告と駐在騎士の訓練も言われてるから、そのついでって事になってるし、気にしなくていい」

 王都からの手紙を受け取った二日後、ファリスは領主様からもらった馬に乗って王都に帰る事にした。


 ファリス自身は考古学研究所から給料をもらっていたが、領主様からは時たまお小遣いをもらう程度で、実質無給で働く形になっていた。

 さすがに実績と釣り合わない小遣い程度では気が咎めたのか、これまでの宿代の支払いと今回の王都帰還の装備一式、そして馬一頭を気前よく準備してくれた。


 正直助かったので有り難く頂戴したのだが、さらに護衛としてすっかり馴染みになったシャブナムとアニマを付けてくれたのだ。

 確かに気心知れているので、女の一人旅の危険性を考えればこちらもありがたい話だった。そして二人は気遣い無用などころか、初めての王都行きを結構楽しみにしているようだ。


 おかげで道中快適で、大した危険もなく五日の旅程で王都に帰ってくる事が出来た。とはいえ王都に帰ってくれば、護衛の二人と馬とはコミューネス別邸で別れる事になる。

 結構な期間同じ時間を過ごしていた二人と別れるのに、ファリスはちょっと寂しさを感じた。


 また遊びに来れば会えるだろうかと思いつつ、数か月ぶりに帰宅した我が家では、長女がようやく悪辣貴族の無理難題を切り抜けて帰ってきたと騒ぎになる。

 家族の過剰反応は相変わらずだと嬉しくなりながら、上げ膳据え膳での歓待に遠慮なく甘える事が出来た。


 次の日久々に職場に顔を出すと、所員は半分も出てきていない状況だった。

 バックス所長は何も言わないが、十中八九ファリスのように地方出張で現地に釘付けになっているという事だろう。

 型通りの報告と報告書の提出を終えると、何も気付かないふりをしてファリスは自分の席に向かおうとした。

「ああ、タリーズ君、これから時間はとれるかな?」

「いえ、これからたまった研究資料の整理をしないといけないので、相当忙しくなります」

「なるほど、じゃあ今はまだ時間があるんだね、これから宰相殿の所に行くから、一緒についてきてくれたまえ」

 前置きの時間あるかの確認に一体何の意味があるのだろうとファリスは思ったが、少し虚空を仰いで現実逃避を一瞬行い、断れる訳もない上司の要請にわかりましたと答えた。


 そして、我らが宰相殿である。

 ファリスの予想をはるかに超え、宰相殿の目の下のクマはどす黒くなり、見間違いでも何でもなくここ数カ月で痩せていた。

 気のせいでなければ、顔に死相すら浮かんでいる。

「やあ、コミュ―ネス領の顛末と大活躍はバックスから聞いているよ」

「光栄です。ですがあれは偶然の積み重なりにすぎません」

「謙遜を。まあ、私もタリーズ君の活躍には一目置いているとだけは伝えておこう」

「重ね重ね、どうも」

「ははは、どうにも固いね、緊張しているの?」


 そりゃあそうでしょうという言葉を寸での所でファリスは飲み込む。

 今ファリスが話している相手はこの国の実質的なトップであり、その身にこの国の権力と、国王陛下がしでかしたとばっちりを一身に受けている我らが宰相殿である。

 畏れ多くもあり、尊敬する為政者の前では当然緊張するし、どんな無理難題がやって来るのか最大限の警戒が必要な所だった。

「ブエン・ヴェシノ方面への街道の整備はもうどうしようもないとして、コミュ―ネスから西方の進み具合はいただけないな」

「申し訳ありません。いつ決壊するか判らない川の対策がどうしても優先度が高いので」

「ああ、それは仕方がないと思っているよ。この先の街道寸断の危機を感じての快速船建造なのだろう?」

「あれはそのう……そんな期待頂けるようなものではありませんので……」


 愛想笑いを浮かべたファリスは、そこまで調べられているのかと内心冷や汗をかく。

 快速船の建造計画は、ファリスの趣味と領主様の打算から、ブエン・ヴェシノの賠償を原資にやり始めたものだ。

 どちらかと言うと密かに進める計画というより、道楽に近い。造船所で職人と意見を戦わせるのは楽しかったが、結果が出れば適当に報告するつもりだった程度の認識で動いていた。

 そのため、宰相殿レベルまで話が上がっているのが意外だった。楽観を排除すれば、地方の謀反に加担していると勘繰られていても不思議ではない。


 その後も快速船についての詮索が暫く繰り広げられるが、まだ組み上げる前に王都に引き返してきたので、ファリスも話すことがそんなになくて困ってしまう。

 そして話題をひねり出そうと思考を巡らせ油断していた時に、宰相殿が話題を切り替える。

「ところでタリーズ君は他の街道の進捗は聞いているかな?」

「はいええと、王都とヒガキの間の街道以外は方々で工事が停滞しているという話以外は、特には知りません」


 たまに同僚が寄越してきた愚痴と恨み節の手紙から、少し位事情は察していた。

 ただの考古学研究所の研究員が、勝手も解らずノウハウも何もない中で工事の段取りや工事の方法の検討、人によっては資金調達の手伝いまでやらされているようだった。

 その程度は知っていても、具体的な進捗などは手紙には書いてなかったし、ファリスも敢えて聞きたくはなかった。どうせ自分と同じ状況が、全国あちこちで起きているからだ。


「実は君が体験したような話が、残念ながら国内のあちこちで頻発していてね。いまは片っ端からそこに人を派遣して、何とか対応をしている状況なのだよ」

「はあ……まあ、自分だけとは思っていませんでしたが、何とも大変な状況のようですね」

 ファリスは何とか他人事のフリがしたかったが、その後宰相殿から聞かされる話は、ファリスが偶々コミュ―ネス領の問題を解決した事が一つの成功事例になって、他の文官や武官が犠牲になった事を示唆してくれていた。

『これ、宰相殿を(そそのか)したの、うちの所長だな絶対……』

 宰相殿とは旧知の中で、結婚もせず独身の身軽さを謳歌している。そのくせ周囲の批判は聞いた事の無い、人呼んで『国家公認の放蕩息子』。

 そんな名物みたいな人が上司だと知っていたら、ファリスは登用試験を受ける事もなかっただろう。しかし一介の平民に、やんごとなき方々の人物など知りようもない。

 今こうしてどうにもならない状況に巻き込まれ、ファリスは晴れてお貴族様の覚えもめでたく、同志同僚たちの怨嗟の声が聞こえてきそうな立場になってしまった。迷惑千万である。


「――――そんなわけで、進捗報告で著しい遅延をしている所に、問題解決の専門部隊を組織して送り込もうと考えている所でね。ただ、人材も限られているから、先遣させる調査官の報告を元に、専門部隊を編成して送り込む形にしたいと思っている」

「……なるほど?」

 もうこの段階でファリスは自分がターゲットになっている事を悟っているが、見たくない現実の前に(とぼ)ける事を選ぶ。

「調査官は複数置くことを想定している。そこでまずはタリーズ君に、そのモデルケースとなってもらいたいと考えているのだよ」


 『どうだ?いい考えだろう?』足を組んでソファーに体を沈め、こちらを睥睨(へいげい)する宰相殿の顔の爽やかな事に、ファリスは苛立ちが沸くのを必死で抑え込む。

 もはや逃げられないと悟った時、このとばっちりを一人で背負ってたまるかという思いと、やるならそれなりに見返りが欲しいと考えた。

「わかりました。非力な身ではありますが、他ならぬ宰相殿の心労を取り去るために、不肖ながらお役立てください」

「おお、受けてくれ……」

「ただし、何点かお願いがあります」

「あ……ああ、何かな?申してみよ」

 肩の荷が降りたと嬉しそうな顔で話し始めた宰相殿を、失礼承知で言葉を切る。ファリスは覚悟を決めると同時に、今後の自分の身の振り方を最大限有利にすべく思考を巡らせた。


「はい。まずは成功報酬で構いませんので、問題解決の際にはお給料以外の見返りを頂きたいと思います」

「うんまあ、それは当然だな」

「ありがとうございます。それと問題の解決についてですが、解決は早ければ早いほど良いという認識で、間違いないでしょうか?」

「ああ、そうだな」

「であれば、私の事例をよく知る人物が、宰相殿以外にもう一人いらっしゃいます。その方にも同時に動いていただき、懸案の早期解決を図っては如何かと思います」

 そう言ってファリスは左に立って他人事で経緯を傍観していた上司を見る。

 宰相殿はファリスの目線の移動に釣られて、向かいに立つバックス所長の顔に視線が誘導される。

「…………え?」

「バックス所長であれば、度々問題解決の指示も頂いていましたし、永年の経験から、私より柔軟な対応を遥かに適切に行えると確信します。何より現場で近視眼的な対応しかできない私より、俯瞰した視点から対応もできるバックス所長の方が、早期の問題解決に適切な人事と考えます」

 ここぞとばかりに立て板に水の持論を展開し、ファリスは宰相殿を圧倒して上司を絶句させる。


 これまでバックス所長が普段ニヤニヤしながら指示する無茶ぶりに、所員は右往左往させられているのだ。

 たまには意趣返しで立場相応にご活躍頂こうというのが、ファリスの魂胆だった。

「なるほどな……バックスは実に有能な部下を持ったものだな。確かに有為な人材を見出す慧眼、現場での問題解決に大いに役立つに違いない。良かろう、タリーズ君の申す通り、バックスにも協力してもらおうか」

 途中から宰相殿もファリスの意図は察していた。なので最後のこの言葉をバックス所長に掛けている時の顔は、実に意地悪ないたずら小僧のような表情になっていた。

「つ……慎んで、ご期待に沿えるよう、粉骨砕身努力してまいります」

「うん、頼りにしているぞ、バックス」


 それから間髪入れず自分の待遇や経費の要求をしっかり通し、ファリスは意気揚々と考古学研究所に戻った。

 ちなみに宰相殿の執務室を出てから、ファリスはバックス所長の顔を見ていない。

 当然お怒りの事だろうと察していたので、このままご尊顔を拝まずに出張に行ってしまおうと心に決めた。


 *


 その後最初の任務の資料を研究所で確認し、脱兎のごとく帰宅する。ずっと研究所に居たら、確実にバックス所長の仕返しを食らっていただろう。

 出張準備の道具や食料を市場で買って実家に帰り、またぞろ出張に出る話を夕食の席でして家族からはさすがに文句が出る。

 とはいえ宮仕えの平民に何が言えるでもなく、出来た事は普段より酒の量がコップ一杯増えた程度だった。


 酒の席で聞いた噂話では、考古学研究所に限らず使える文官武官は総動員で街道整備に人材を投入しているらしい。

 土木や技術に多少知見のある考古学研究所員ならまだましな方で、王城の掃除担当者の采配をしていた女官が石材の手配をしていたり、農村の税吏が道路の基盤を職人と一緒につき固めたりと、人事配置のミスマッチはあちこちで起きている。

 多分に我らが宰相殿が朦朧(もうろう)とした意識で采配しているせいだとは思うが、重罪人が奴隷労働に落ちたかの如き状況に、ファリスも他人事ながら同情を禁じ得ない。


 翌日必要な手紙や報告を手早く済ませ、コミュ―ネス領の館に顔を出した。

「ようファリス、実家はどうだった?」

「うん、久々に羽根伸ばせた。アニマさん、王都に来るとき乗ってきたあの馬って、私が使ってもいいんだよね?」

 あの馬とはファリスがコミュ―ネス領から乗ってきた馬で、領主様からは『あげる』と言われてはいる。が、やはり一応使う際には断った方が良いと思って確認に来たのだ。

 あと、自宅に厩舎なんてものはないので、厚意に甘えて馬は館でお世話してもらっていた。


「いいも何も、領主様があげるって言ったんだから好きに使えばいい」

「じゃあ明日からまた出張だから、朝受け取りに来ます」

「またかよ……忙しないなあ」

「王都の文官武官総動員だってさ。こき使う上司に腹立ったから上司も巻き込んで走り回ってもらう事にしました」

「ハハハ、そいつはいい。ファリスが言っていたバックス所長さんの事だろ?実際有能そうな人だし、うってつけだろ」

「それ、上司が聞いたらさわやかな笑顔でブチ切れてそう」

 そうやってファリスとアニマが明日からの予定と上司の愚痴で盛り上がる所に、書類を届けに行った帰りのシャブナムが合流する。


 ファリスの出張を知ると、シャブナムも同情するようにファリスを見た。

「んじゃまあ、明日からまた護衛だな」

「え?いいよ、シャブナムも自分の予定とか用事あるでしょ?」

「領主様からどこか遠出する時は護衛でついて行けって言われてるんだ」

「なんでまた……」

「ほら、密使設定、まだ信じてるらしい」

「あー……そういえばそうだった」

「それにな」

「ん?」

「ファリス、お前自分がモテる女だって自覚、ないだろ?」

「えー……いやいや、確かにオッちゃんやオバちゃんと子供には人気だよ?それは知ってる。同年代は…………友達いるし」

 そう言う事じゃないんだけどなあというシャブナムの独り言は、ファリスの位置ではよく聞き取れない。


「あと、道中野盗が出るって事は知ってるだろ?女一人の旅行だって隠しもせずにうろついていたら、間違いなく攫われて身売りする羽目になるぞ」

 反論しようとしたファリスの目が泳ぐ。シャブナムは過去に同じような説教をされた事があると踏んだ。

「そんなわけで、美人なくせに無自覚で無防備な密使殿には護衛は必須。理解できたか?」

「へ?びじん?」

 さらっと美人と言われてきょとんとしたファリスだったが、返事を求めるシャブナムの剣幕にびびって二人の同行を了承した。

 頭の中で美人と言われた言葉が反射して混乱したファリスは、アニマとシャブナムが「良かったな一緒に旅行できるぞ?」「うっせ」とやり取りしているのが目に入らなかったようだった。


 *


 王都から東に一日半、パドレの街は人口二千人ばかりの中堅どころの規模で、野菜や小麦、放牧などが盛んなごく平均的な街と言える。

 そんな平凡な街を有名にしているのは、王国内でも屈指の古さを誇る教会の聖堂がある事だ。

 町が出来た最初期からあるとされていて、築年は三百年を超える。

 素朴で年季の入った教会は、上半分が木造となっており、近隣諸国でも数例しかない希少価値のある建物だそうだ。

 当然街の誇りであり、聖職者たちご自慢の教会で、彼らの赴任先としてもトップクラスの人気を誇るのがパドレの街だ。


 古いゆえに街路の狭いパドレの街は、街道の拡幅計画で立ち退きが発生している。そしてよりにもよって、この教会もその計画区域に入ってしまった。

 当然のごとく猛反発が起こり、他の家屋が徐々に無くなっていく中、教会は厳戒態勢で役人の立ち入りすら拒む、徹底抗戦の構えを見せていた。


「役人が何度来ても同じだ、神の家を蹂躙する者どもには天罰が下ろうぞ!」

「いえですから、状況整理のため教会の皆さんの立場から経緯をお聞きしたく……」

「何一つ話す事などない!お引き取り願おう」

 と、言った具合に取り付く島もない状態で、ファリスがパドレの街に入ってからというもの、三日目にしてまだこんな状態だった。


「こじれてるねえ。プロントさんも大変だあ……」

「申し訳ない。オレが力がないばっかりに」

「いやまあ、考古学研究員が立ち退き交渉とか、専門外ですから無理なの当たり前でしょう?」

「早く帰りたい……ごめんな、後輩に愚痴とか、情けないや」

 そう言ってショボンとするのは、ファリスの四つ上の先輩のプロント氏。

 お人好しで飾らない人柄が、研究所の中でも癒しキャラとして結構人気がある。そんな人だから、こういう難しい交渉には全く向いていない。


「プロントさんは建築系の専門家じゃないですか、きっとそう言うの活かせることもありますって」

「ありがとなあ。でもまあ、結構好条件の移転先にもうんと言わないし、市民にも嫌がらせしてくる奴いるしで、もう帰りたい」

「まあまあ、ぼちぼち頑張りましょうよ」

 ご同輩の励ましは業務範囲外だよなあと思いつつ、プロント氏が潰れると全部自分が引き受けないといけないので、何とか思いとどまらせるべく智力を尽くす。


 その後も教会に通い続け、ファリスは祭礼に信者として参列したいという絡め手からまずは中に入らせてもらう。

 できればシャブナムとアニマにもついて来て欲しかったが、そもそもファリスやプロント氏を入れたくない教会側は、教会内で護衛が必要とは何事だと言い張って二人が入るのを拒否してきた。

 仕方なくファリスはプロント氏と共に敷地内に入ったが、最近ずっと一緒だっただけに、後ろに二人の気配がないとどうにも落ち着かないでいた。

 とはいえそんな心許ない気分も、聖堂に一歩踏み込んだ時に霧散してしまう。


「これは……」

 手入れの行き届いた聖堂内は、不思議な音の反響と磨き抜かれた木材の光沢が満ちた、中々に見ごたえのある内装だった。

「噂には聞いていましたが……プロントさん、感想は」

「そりゃあ僕の好きな話だからさあ、嬉しいに決まってる。最初来た時はすぐ司祭館で交渉になったから、聖堂は全然見てないんだよう」

 その後熱心な質問を繰り返すプロント氏に教会関係者は当初辟易としていたが、段々と熱意に当てられてきて、説明にも熱が帯び始める。

 考古学研究所の建築好きと、教会の聖堂の熱烈な守護者が会話している訳で、白熱し始めると祭礼そっちのけで盛り上がる。

 完全に祭礼の邪魔になっているのも気が付いてなかったので、ファリスと教会のお偉いさんが二人を外につまみ出し、ファリスは教会に敬意を示して祭礼に参加した。


「タリーズ君、やはりこの教会の希少価値は何としても守られるべきものと思う」

「はぁ、ソウデスカ……」

 なんとなく嫌な予感はしていたが、祭礼後プロントさんを回収に行くと、すっかり街道建設反対派になっていた。

 監視でついていたここの司祭さんとファリスの護衛の二人は、プロント氏の豹変に驚いていた。しかしファリスはまあそうなるだろうと思っていたので、無理やり話を打ち切ってプロントさんこの場から連れ出す。


 三日後、熱の冷めたプロントさんから謝罪を受けたが、そこでファリスはちょっと気になった事をプロントさんに聞いてみた。

「木材が腐っている所があった?」

「はい。しかも下の方の結構重要な所ではないかと思うのですが、さすがにそういうの、専門外でないから分からなくて……」

 ファリスの報告内容にプロント氏は居ても立ってもいられなくなったらしく、ファリスを急かして教会に向かった。


 その後ファリスはプロント氏と改めて教会に向かい、激論を交わしていた修道士を呼び出すと、二人が気になった所に同行してもらう。

「…………確かに」

「これは、早急に対応しなければいけない可能性があります。できれば建物を一旦解体して構造なども調査し、ダメになった部材を作り直し……」

 そして即座に二人の世界に入るので、ファリスはここにいても仕方がないと思って外に出る。敷地の半分は畑となっていて、修道士や司祭さんが農作業に精を出していた。

「司祭様、この畑の作物は、教会で食べられているので?」

「はい。少し足りない事もありますが、教会の者たちの食卓に上る野菜たちですよ」

「いいですね、職場で農作業できる場所があるのって、憧れてしまいます」

「ははは、そんな良いものではないかと。それにしても調査員殿は人の懐に入るのがお上手ですな」

 少し嫌味交じりの言葉を、意味は解っていても気づかないふりしてファリスは言い返す。

「陛下の街道整備命令以来、何だかんだ鍛えられていますので」

「ははは、怪我の功名というやつですか」

「まあ、私もこの国の国民なのだなと、つくづく思い知らされました」

「それはまた、ご愁傷さまで」

「やだなあ、司祭様もコレジャナイ王国民じゃないですかぁ」

「ハハハハハ、これは一本取られましたな」

「ふふ、お互い苦労しますよねえ……」


 ファリスが話を引き延ばしに掛かっていたが、司祭様を捕まえているのにはそれなりに理由がある。

 さっきプロントさんたちに見に行ってもらった場所は、おそらく建物にとって致命的な問題が発生していると踏んでいた。

 早急に対応となると、責任者を捕まえての話となる。なので、ここでプロントさんたちが来るのを待って、一気呵成に話を進めようと画策していた。


 そして愚にもつかない世間話を繰り返し続け、さすがの司祭様も時間の無駄に平常心を搔き乱され始める。

 そのとき思惑通り、プロントさんと一緒にいた修道士が、切迫した表情でこちらにやって来た。

「司祭様に報告が」

「なんだ?」

「聖堂の木造部分のうち、根元の木材の見えない所が相当腐っております」

「…………なに?」

「恐らく間違いないかと。しかも先ほどこのプロント氏に知恵を頂いて調べたのですが、教会の聖堂、徐々に傾いているようです」

「いやしかし、聖堂はちゃんとまっすぐ建っているではないか?」

 いきなりご自慢の聖堂が危機的状況と知らされ、司祭様は納得がいかない様子だった。


 こう言った事は実際に確認するに限るとファリスが促し、修道士とプロント氏が確認したという部分を見せて説明する。

 さすが専門官とファリスが舌を巻くくらい、プロント氏の説明には熱があり、人を納得させる説得力を持っていた。

 頑迷固陋(がんめいころう)の代名詞みたいだった司祭様の表情が、聖堂の現状を納得させられるにつれ物悲しい顔になっていく。


「一体どうしろと?そもそも何とかなるのか?」

「倒壊は時間の問題で、残念ながら応急的な修理でどうにもならない状況……だそうです」

「おぉ……神よどうすれば……」

「いやあの、そのですね、修理の方法、ない訳では無いんですよ?」

 ファリスの言葉に希望を見出したのか、司祭様は相好を崩してファリスの上腕を掴む。

「ぜひ……ぜひとも、その方法とやらを教えてくれないだろうか?」

「ええ、構いませんよ。ただしこちらの要求も聞いて頂ければという前提です」

「頼む、何とかなるのならば、その、……頼む!」


 それからの話は早かった。

 プロント氏の提案で今の聖堂はいったん解体し、道路の障害のならない位置に移設する話であっという間にまとまる。

「ついでに部材一本まで全部記録しますよ」

「あはは、建築バカとバックス所長に言わせるだけの事ありますよね、プロントさんは」

 のちにこの時の調査記録がその後の建物保存に大いに役立ち、プロント方式と名を遺す歴史的な建造物の維持保全の方法の確立に繋がる工事となるが、そこはファリスの役どころではない――――


 一週間後、段取りと王都への報告を終え、ファリスは次の街に向かって出発した。

 見送るプロント氏とすっかり和解した教会関係者の祝福を受けながら、姿が見えなくなるまで振り返っては手を振る。

 やがて見送りの姿が見えなくなると、感心したようにシャブナムはファリスに尋ねる。

「しかしなんでファリスは木が腐ってる事に気付いたんだ?」

「ええと、聖堂に入って、興味持って建物の壁とか見ていたんだけど、ちょっと、匂いがして……」

「匂い?」

「うん、昔、森で見かけた真ん中が腐って洞になった木の匂いがしたの」

「ああそれでどこか腐っちまった所があると思ったと」

「まあね。何にせよ、壊れる前に見つかって良かった良かった」

 たまにこういう動物的な勘を働かせて状況を打開してしまうファリスに、シャブナムも内心舌を巻く。


 この気さくで人懐こい黒髪美人は、見た目以外の(たぐい)まれな才能と直感で、周囲の人々を魅了してしまう。

 シャブナムも出会ってそんな日数を共にしている訳では無いけれど、否応なしに視線がファリスに吸い寄せられてしまうのを否定できない。

 アニマとこの先の予定を話しながら並んで馬を進めるファリスを眺めながら、いつか自分が彼女の笑顔を独占できる日は来るだろうかとふと考える。

 アニマにも色々相談してはいたが、『まあそう焦るな』と訳知り顔で言いながら、ひとの恋心を翻弄して楽しまれているのを感じる。

「まあ、今は一緒に居られるだけで感謝するか……」

 聞こえないようにそう呟くと、二人に追いつくべく手綱を握った。


 この先どうなるのかは判らないにせよ、とりあえず一緒の旅路を進む幸運を、シャブナムは素直に楽しむ事にした。


つづく

次回は5/15(木)の20:00ごろの予定です。


よろしくお願いいたします!

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