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ブルー・エンジェルス

作者: Y

モノコン2023「空想アニメ賞」予選選考通過作品

成層圏からパラシュートも着けず、落下しながら戦う空中の格闘技、「フリー・フォール・ファイト」をめぐって四人の少女が邂逅する。


 延長戦に入った。


「始め!」主審の声がかかる。


 時子は対戦相手の左内股を蹴り上げると、飛び込んでワン・ツー、飛びついての膝蹴りでみぞおちを狙った。相手は下がる。


 時子はステップせず、いきなり飛び後ろ回し蹴りを放った。


 10センチの身長差と相手との距離をものともせず、時子の踵は宙に弧を描き、ガードの上から相手の顎を襲った。だが、効かない。


 そのまま着地した。普通の選手なら転倒し、主審の「待て」が入って仕切り直しになるはずだ。


 時子のバランス感覚が裏目に出た。


 着地した瞬間、体重を乗せたミドルキックが時子のボディに突き刺さった。


 さらに左右の正拳突きとローキックの連打を喰らった。


 時子は吹き飛ぶようにして倒れた。




 決勝戦で敗退。タオルを被った時子は号泣した。うずくまり、

「あ゛ー!」「うわーー!」と泣き叫ぶ。


 時子の激しい気性に慣れっこのコーチは、余計なことを言わず、赤く腫れ上がった太腿にアイシングをしてやった。


 感情を爆発させると、その後はケロッと立ち直るのを知っているのだ。


 頃合いを見て、コーチが「トキちゃん、肉食って帰るか?」と尋ねた。

「奢ってくれるエライさんが来てる」


 時子は無言で、とぼとぼ脚を引きずってトイレに行き、用を済ませ顔を洗い、また戻ってきた。


 まだ目は赤いが、頬に涙の跡はない。時子はポニーテールを束ねなおした。


「好きなだけ食べていい?上カルビも?」


「特上骨付きを頼め。時間制限の食い放題じゃないぞ。ゆっくり食える」とコーチは請け合った。




 “エライさん”の名刺には、“日本オリンピック委員会 新種目検討チーム・選手強化委員 佐村 実仁”と書いてある。


 その隣に、眼鏡をかけたロングヘアーの少女が座った。“夏海”と名乗った。シーザーサラダをつつきながら、焼き肉の煙に顔をしかめている。


 佐村は、空手家としての時子の俊敏性や柔軟性、体幹、筋肉のバネ、バランス感覚を最上級の褒め言葉で讃え、「ハートの強さと戦術的なカンも素晴らしい」とつけ加えた。


「ただ…」


「すみません」と時子はさえぎった。箸を置き、手の甲で口もとの焼肉のタレを拭った。


「体重ですよね」


「ああ、すまない。不躾なことを言おうとした」と佐村は謝った。


「いくら食べても、筋トレしても、太らない。太れないんです」


 女子軽量級は50キロ未満。時子は身長152センチで、体重42キロに満たない。


 例えば、今日の決勝戦の相手は身長161センチ、体重は規定ギリギリ。つまり、絞り込み前のベスト体重は50キロを超える。


 計量後、あっという間にベスト体重に戻して試合に出てきたはずだ。


 その差は10キロ。格闘技では致命的だ。


 超軽量級がある柔道への転向を勧められることもあるが、時子の人並み外れた跳躍力を存分には生かせない。


「正直に言うと、君が“2032”に向けた強化選手に選ばれるのは極めて難しい」


 時子は表情を変えなかった。コーチが言う“鋼のメンタル”を発動し、“次は勝てる”と考え始めていたのだ。


 佐村は、そんなさまを面白そうに眺めていたが、

「君にチャレンジしてほしい種目がある」と切りだした。


「空手の練習にもなる。君が得意とする空中戦が、異次元に進化するはずだ。“フリーフォール・ファイト”を知ってるね?」


 時子とコーチはポカンとした。




“フリーフォール・ファイト”


 略して“F³”(エフ・サード)と呼ぶこともある。


 地上3万メートルの成層圏から、スカイダイブしつつ闘う空中の格闘技だ。


「夏海と両手を合わせてもらっていいかな?そうそう、ハイタッチの要領で」


 佐村は、簡単にルールの説明をすると言う。


 時子は夏海と手を合わせた。


「手を握って」佐村が指示すると、夏海の指が、いわゆる“恋人つなぎ”の形になるよう指の股にスルリと滑り込んできた。


「なに?」


 時子は反射的に振りほどこうとした。だが、びくともしない。そのことにカッとなり、押し返そうとした。


「あら、空手って握力使わないの?力いれてる?」


 夏海はここぞとばかりに腕力を誇示した。“太らない”という時子が肉を頬張り、佐村に褒められていることが、気に入らなかったようだ。


 フィンガーロックの状態で力と力がぶつかり合い、イスを蹴倒して二人は立ち上がった。


「おいおい、そうじゃない」と佐村が呆れる。


「夏海もバチバチするなよ、頼む」


 佐村は謝った。「ごめんね。夏美は習志野のレンジャー出身なんだ。まだ17歳だが、空挺部隊の“金剛石”の一人さ」


 佐村は説明を続けた。


「実際は4人で手を繋いで、そうやって輪を作る。ディフェンス側は円陣をキープして、その延べ時間の長さを競う」


 時子も、スカイダイビングの円陣下降は映像で見たことがある。だが所詮、空中散歩ではないかと思う。


「すみません、退屈そう」と正直に感想を言った。


「いやいや、のんびりお手々繋いでるヒマはない。4対4のチーム戦なんだ。オフェンス側は、この円陣を崩そうとする」佐村は言うと、二人の腕を掴んで引き離そうとした。


 今度は、時子が思わず夏海の手をグッと握った。


 攻撃は下から。というのがルールだという。


 ディフェンス側は基本的にニュートラルポジション。地面に向かって、うつ伏せで身体を広げている。敵は大気の圧力とともに、常に下から襲ってくることになる。


「逆に背中からの攻撃は反則だ。上から加速つけて蹴りを入れると背骨が簡単に折れるし、スーツの背中にはジェットブースターが付いてて危ないからな」と佐村は言った。


「まあ、実際の映像を見てみるか?」とタブレットを取り出した。「アメリカチームの模擬戦。最新のヤツだ。夏海もまだ見てないぞ」


 時子と夏海は手を離し、ディスプレイに顔を寄せた。




 時子が想像するスカイダイビングと全く別物だった。


 4対4というが、敵味方の区別がつかないほど目まぐるしく入れ替わる。


 関節技の応酬に入った攻守の二人は、絡み合い、高速で回転しながら、あっという間に画面の外に飛び出していった。


 ディフェンス側が上からボコボコにパウンドし、オフェンス側がブースターを使って姿勢を維持しながら下から関節を取りに行く場面もあった。それも上昇気流に捕まって、まるごと真上に吹っ飛んでいった。


 圧巻は、攻守が横並びになったときだ。頭から逆さ落としの垂直落下をしつつ、お互いにブースターを吹きっぱなしで接近し、パンチとキックを繰り出す。


 時速1,000キロを超えると、音速の壁が“ベイパーコーン”と呼ばれるパラボラ型の白い水蒸気となって取っ組み合う二人を包み、“バーン!”という衝撃波が画面にも伝わった。




 しばしの沈黙の後、コーチが頭を掻きながら「…ナニコレ?」と呟いた。


「あー、最後のやつは超特殊、“よいこは絶対に真似しないでね”ってヤツだ。普通は音速までいかない」と佐村は言った。


 だが、アメリカのトップ選手で生身の鼓膜を残した者は少ない。身体への負担は他にも複数ある。そのことは言わなかった。


「あと、延長戦もない。上空3,000メートルで試合終了。それ以上やると着陸に失敗する可能性が出てくるから…」


「パラシュートは?」とコーチが尋ねると、「そんなモノはいらない」という答えだった。


 試合は海の上空で行われる。終了した選手は、ムササビのように滑空膜を広げ、海上に浮かべた直径500メートルの巨大な減速材に向かって着陸する。


「減速材なしで海面に緊急着陸する訓練もちゃんとするし、究極の“セーフガード”をセットして闘うから、致命的な事故の確率はモータースポーツの半分以下」と佐村は気まずさを打ち消すように笑った。




「おトキ、ごめん」コーチが袖を引っ張った。小声で囁く。


「こりゃ正気じゃない。自殺行為だ。お前さんの腹に収まった肉の勘定くらい俺が何とかするから、もう帰っていいよ」


 時子は腕組みしたまま何も言わなかった。考えるときの癖で、半眼になっている。


 佐村が何か言いかけようとすると、夏海が口を開いた。


「そうですね。私はさっきの試合も見ました。この子には無理です。体重だけじゃありません。気の毒ですが、ひ弱すぎます」


 挑発に慣れている時子は存外に冷静だった。パッと目を見開くと、「表に出る?あたしは強いよ。確かめる?」と返し、

 続けて、「それよか、アンタはこれができんの?」とディスプレイを指先で弾いて、夏海に聞いた。


「私は日本代表チームの一人よ」と夏海は腕と脚を組み、片眉をピクリと上げた。「空中戦も私が上です」


「じゃあ一度見せてよ」と時子はあっさり言った。


「それと、そんなに我慢しないで肉食ったらいいのに」




 翌朝、同じ顔ぶれが横田基地の滑走路に集まった。


 だだっ広い滑走路の手前の方に、C-130輸送機が駐機していた。


 夏海は、身体にフィットした専用のスーツの上にフライトジャケットを羽織っていた。酸素ボンベを内蔵したレーサー風のヘルメットを持っている。足下はブーツだ。


 コーチの視線が泳いだのを見逃さず、時子はわき腹を小突いた。「ふーん。あの子、スタイルいいわね?」


 自衛隊は、格闘技の世界以上に男社会なのかもしれない。夏海があえて眼鏡をかけ、脂肪を削ろうとする理由がわかるような気がした。


 タラップを上がって、がらんどうの貨物室に入ると、夏海の仲間が二人待っていた。


 ショートヘアで、時子と似た小柄な体格の少女が陽菜といった。時子は、どこかで見た記憶があると思った。


 もう一人は、夏海の1期上の空挺部隊の隊員で、美空という名だ。やはりレンジャー課程の修了者だ。今回、時子を抱えてタンデムダイブをしてくれるという。


「今日は5,000メートルくらいしか上がらないし、私たち二人はパラシュート使ってのんびり降りるから大丈夫よ」と時子に微笑みかけ、握手した。


「でも、“F³”の体験だから、1分くらいはビュンビュン飛び回るし、ブースターも使う。そこは、覚悟してね」と言う。


 時子は、「昨日、動画を見たから大丈夫。手加減なしでよろしく」と手を握り返した。


「話が早い。気に入った」と美空は笑った。




 貨物室では、陽菜の隣に座ることになった。C-130は輸送機なので、外壁を背に、シートが左右1列ずつ並ぶ。反対側に、夏海と美空が並んだ。


 振動や騒音は気になるほどではなかった。ただ、グオーンという飛行音が響き、反対側の声は聞こえない。


「あなた知ってるわ」時子は陽菜に話しかけた。「ボクシングの藤原陽菜でしょう。日本ランカーの…」


「今はやめた。去年は2位よ」と陽菜は物憂げに答えた。


「なんでやめたの?」


「ジムの借金とか、色々あって」陽菜はボソボソ言う。そして、流し目で時子を観察した。


「そう。あなたが“彼女”の後釜なのね?」


「え、何のこと?」


「気をつけてね」


「何を?」時子は苛立った。


「これが、ただのスポーツだと思う?」と陽菜は言うと、「ごめん、眠い」と時子に背を向けてしまった。


“この子は難しい子だ”と察し、今は触らず、時間をかけて聞き出すことにした。


 時子も気になっていた。4人で1チームのはずだが、美空、夏海、陽菜の3人しかいない。


 “彼女”と呼ばれるメンバーが欠けたことに、“F³はただのスポーツではない”ということが関係するのだろう。


 これまで見てきた限り、自衛隊の存在感が大きい。冬のバイアスロンを含む射撃競技と同程度かそれ以上だ。そのあたりがヒントかもしれない。


 現時点で考えられるのは、ここまでだ。




 小笠原諸島周辺の上空で、投下訓練高度に達すると、4人は集められた。


 時子はハーネスを装着しており、背中は美空の腹側にがっちり固定されている。


「今日は低高度のデモンストレーションだが、本番の気合いで頼む。セーフガードも使う」と佐村は言った。


 一人に1錠ずつタブレットが与えられた。


「飲んで大丈夫だ。国際ドーピング規制委員会が、唯一認める“F³”専用の精神剤だ」と佐村は時子に説明した。


 おそるおそる舌にのせると、一瞬で溶けて吸収された。


 貨物室の後方扉が開いた。


 徐々に空が大きく見えてきた。




「あ、ヤバい」時子は思わず声に出して言った。


 感覚が異常に研ぎ澄まされていく。視界に入るすべての色が鮮明になった。


「大丈夫?」とコーチが時子の肩に手を置いた。「瞳孔が開いてるじゃん。変なクスリじゃないの?」と佐村に詰め寄った。


 佐村とコーチは離れたところで話し始めたが、その会話もはっきり聞こえた。美空が耳元で説明する注意事項も同時に理解できた。


 貨物室内にいるすべての人々の視線が、レーザービームのように可視化された。様々な意味を持った軌跡、軌道が空中を飛び交った。


 10メートル先のガラス瓶の中に、小石を投げ込むことも可能だろう。放物線がはっきり見えるのだ。


 万能感が全身を満たした。いま闘えば、誰にも負けない。それを確信できた。時間と重力すら支配できそうだ。


「さあ、一丁ハネるよ!」美空が声をかけた。


 夏海と陽菜は、筋肉の一つ一つを躍動させ、空に飛び出していった。


 圧倒的な空の青さが呼んでいる。


「っしゃー!そっち行くぜい!!」


 時子は叫んだ。



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