薄明階段5章
流れの強いほうへ押し流されていきそうになるけど、それはきっと賢いやり方じゃない。
下手をしたら不幸になってしまうようなやり方だと思う。
傍らで人が誰かの悪口を言っているのを聞きながら、そう思う。
彼らが世界を汚しているように、僕には思える。そうしてその流れが強いなら、押し流されそうになるけど、押し流されちゃあ、いけない。世界が望むところじゃなくなってしまうから。
世界を汚されると、僕はすごく気が滅入る。
そんなことされると、本当にすごく僕の心は滅入る。そして、心がささくれだっていらいらする感じがする。
やさしい気持ちが変質していくような、そんな感じ。
自分をしっかりもっていないと、人を傷つけても笑顔でいられるようなそんな人間になってしまいそうで、いやだった。
ちがう。そんなのはいやだ。
僕は、自分の嫌なことというのがよくわからないときもあるけど、これは絶対にいやだとわかる。
誰かが誰かに対して、さげすむような、見下すような、敵意を見せるような、馬鹿にするような、そんな感情を見せられると―――つまり相手を傷つけるような、傷つけても自分はどうってことないんだよというような、そんな感情を見せられると吐き気がする。
気分が悪い。きしきしと世界が軋むようだ。イライラする。ストレスがたまる。
そんなの、駄目だよ。
そんなやさしくないのは、駄目だ。
僕はそんなの、望まない。絶対に望まない。
たまに彼らは楽しそうに、ときに蔑むように、あるいは嫌悪感を見せて、相手に向かって呪いを吐くのだ。だけど、その呪いをくらった相手は、呪いをくらったなんて全然知らない場合が多い。そして、知らないのにも関わらず、その相手もまた誰かを呪う。お互いに知らないところでお互いの悪口を言い合うのだ。
もちろん全ての人がそうだっていうわけじゃないけれど。
ああ、もうやめようよ。
別にあまり好きじゃない人が相手でも、敵意を剥き出しにすることはないじゃないか。ひどく恐いよ。
あまり好きじゃない人が相手でも、なんとかお互いに楽しくやれる方法を考えればいいじゃないか。
ある程度距離を取るとか、あまり深くは関わらないとか、そんなのでもいいから。だけどなんでそうやって敵意を剥き出して攻撃するんだ。なんでそうやって世界を汚してしまうんだ。ぎすぎすして汚れた世界は、それ自体が呪いのようだってのに。
僕はもっと楽しく、平和にいきたいのに―――。
だけど、僕はやめさせることも出来なくて、教室から逃げ出した。
僕は、気が滅入るから、呪いを吐くのはもうやめてくれ、とでも彼らに言えば良かったのだろうか。
ああ―――いったい、僕がどういう風に動けば、望むところに辿り着けるんだろう?
帰ろうとして廊下を歩いていると、佐村を見つけた。
「おや、相川。帰るのか?」
「そうだよ。佐村は?」
「ちょっと考え事」
そうやって彼はにっこり笑った。
ああ、佐村、きみは平和に思えるよ。なんだかほっとする。
僕は佐村の教室に入る。
しばらくたわいもない会話をした。
「好きな人に、『つきあって』って言うけどさ。あれって結局、どういう意味を持つんだろうな?」
「え?」
佐村の唐突な質問に、僕は聞き返した。
「うん、だからさ、人とつきあう、っていうのは、具体的にどういう風になるんだろうなと思ってさ。
友達同士では出来なかったことができるのか?それとも気兼ねなく一緒にいられるってだけか?
相川、お前にとってはどうなわけ?彼女、いるんだろ?」
「うーん……」
正直、考えたこともなかったな。
「よく、わからない」
なんだか、最近、わからないという結論に達することが多い気がする。
でも、よく考えてみても、つきあうってことの明確な定義を、僕は出せない。
考えたことがなかったんだから、そんな定義、すぐに出せるはずはないんだけれども。
思えば、僕はひたすらになんとなく付き合ってきた気がする。
あんまりもめたことはないけれど、それは付き合いが浅いってだけなのかもしれない。
ただ、僕らは仲のいい友達同士みたいなものなのかもしれない。
ああ、でも友達と恋人の境界って何なんだろう―――?
さまざまな疑問が、頭の中を駆け巡った。
「そういえば、相川って恋人の、楓さんだっけ?に誕生日プレゼントとかあげた?それにどっかに食べにいったりするときってお前がおごったりするわけ?」
「ふーむ?」
佐村の矢継ぎばやの質問に、しばらく考える。
「そうだな……誕生日プレゼントはあげてないなあ。どっかに食べに行くことはあまりないけど、自分の分は自分で出すねえ。あ、でも、最初に楓と会った頃、おごってもらったことがあったな」
あれは一番最初に凍れる大気に行ったときだった。なつかしいなあ。
「誕生日プレゼント無しで怒られないのか?」
「僕は要らないって言ってあるし、そうしたらそのときに、貴理が要らないなら私も要らないって楓が」
「まあ、人それぞれってことか」
「そういうことかな。しかし、一体どうしたよ?新しい恋人でも出来たのか?」
「いや、出来てないさ」
三秒くらいの間のあと、そろそろ会話の切り上げ時かなと思ったので、僕は帰ることにした。
「それじゃあ、僕は帰るよ。じゃあね」
「ああ、じゃあな」
佐村に手を振って、僕は家に帰った
俺こと佐村夕夜は、女の子たちに軽く声をかける。
かわいいと思うから、かわいいね、と言うし、ほめるところは素直にほめる。
しかし、インチキだと思った。俺がやっているのはホストじみていると思った。
別に、嘘をついているわけじゃない。だけど、そう簡単に使ってもいいものか。
いや、いいんだろうけど、軽すぎやしないか。もしかして、世界の大事な中身を、俺はがらんどうにしているんじゃないだろうか。空っぽの世界が俺の前に転がっていて欲しくはない。
覚悟が足りない。まっすぐに相手を見ていない。真剣になりきれていない。逃げ道を作っている。
そんな臆病な俺のせいで、俺の世界はインチキボックスだ。
トリックにギミックにミミックが満載の、真っ赤な嘘で出来た箱だ。
そんなことを、相川が帰ったあとの教室で考えていた。
俺には好きな子がいる。恋とか愛とかよくわからないけれど、女の子の中で一番に好きなのは確かだ。
今までは別に告白なんてなんともないと思っていたけれど、実際に好きな子にするとなると、けっこう恐いものだな、と思う。
今までの関係が壊れて、悪いものに変化するのが恐い。
まあ、でもよく考えて見れば、そう悪いものにはならないかもしれない。
今よりか悪くなることは、そうないのかもしれない。冷静に考えて見ると、その可能性は大きい気がする。
たかが愛の告白くらいで駄目になるような仲じゃないと思うし、もし駄目になったら仕方がないと、今の俺は思えた。
だから、機会があればあっさり告白でもして、ケリをつけにいこうかと考えている。
だって、今のままだと色々イライラするしな。いいかげんにグズグズしているのをやめて、さっさと終わらせにいこうぜ。きっと色々すっきり終わるはずさ。
ああ、でも今の俺はけっこうフラフラだ。自分の心に振り回されて、激情に駆られそう。
激情のままに動いても、この件は解決しないだろう。そういう種類の問題じゃないと思う。でもやっぱり壊れそうだ。俺が壊れそうだ。しかし多分、冷静さが必要だ。ちょっとだけ深呼吸。俺は佐村夕夜だ。まだ、負けない。まだ、いけるさ。
「あれ、佐村くん?こんなところで何しているの?」
がらり、と戸を開けて、あの子が入ってきた。
あんまりにも突然の登場に俺はびっくりした。奇跡か?
奇跡なんて道端にだって転がっている。というよりこの世界自体が奇跡で成り立っているようなものだ。きみの望む奇跡かどうかは別として。
どこかで知った言葉が頭の中にふと浮かんだ。
ふむ、世界は奇跡で出来ている、か。上等だな。
それじゃあ、予想以上に早い展開で、思ったよりも相当に早く機会は到来したけど、別にかまわないから、さっさとケリをつけるか。
「ちょっと考え事をしてたんだ。ところでさ、俺―――」
俺は呪文を唱えだす。
戦闘開始の叫びをあげる。
なんだか、楽しくなってきた。
目を覚ました。
また、か。
二階の自分の部屋へとあがる。
ストーブはつけっぱなし。電気も然り。
駄目だな、僕は。
不覚にも寝てしまった。机の上にはまだ途中の宿題。
宿題をやっていて、もうやりたくなくなって、そしてふらりと下におりて、そこで横になる。そして時間が飛び去っていく。次に意識が戻ったときには、なにやら失った感覚。
急に怒りが湧いてきた。
よくこういうことはあって、だけど直したいと思っていた。少なくとも部屋を使っていないんだから電気は切っておこうと思っていた。だけれど今回も失敗した。ちゃんとできなかった自分に腹が立った。
横になったときには、考えが及ばなかった。横になったら寝てしまうというのに、そこまで考えが及ばなかった。我ながら信じられない話だけれど、そこまで考えていなかったのだった。
都合よく、頭の中から抜けていく。その瞬間には、そんな考えは頭に浮かんでいない。そしてことが終わったその後で、ふっと頭に浮かんでくる。
覚悟が足りないのか。油断していたのか。
これじゃあ、駄目だ。こんなんじゃあ、僕は駄目だ。
十二分に予想されていた未来すら回避できずにどうしようというのだ、僕は。
こうなることがわかっていたのに、なぜ止められなかった。
やろうと思えば出来たはずなのに。
やっぱり、覚悟が足りないのか。
気合が足りていないのか。
油断していた自分に、本当に腹が立った。
不愉快だった。もっとしゃんとするんだ。
そうじゃなきゃ、また同じ失敗を繰り返す。
しかし……ある意味、快楽に引きずられたと言える。
眠ろうとする衝動に、僕は負けたのだ。眠ろうとする衝動が頭の中にあったから、電気を消すこともどうでもよくなっていた……僕は過去の行動を自己分析する。
少しは怒りがおさまってゆく。しかし、だ。
回避方法がよくわからない。眠気で電気を消すのがどうでもよくなることに対処する方法なんて、「気をつける」ぐらいしか思いつかない。
習慣にする、っていうのもあるか。しかし、一度寝てしまったときに電気がついていると、起き上がれずにそのまま寝入ってしまうこともある……やはりごろりとでも横になるときには電気は消すべきか。
それか、ごろりとでも横になることはしてはいけないか。
似たようなことがある。ただ、似ているだけで違うのだが。
適当に時間をつぶす。それはそれなりに楽しい時間で、だけれど無駄といえば無駄な時間。
たとえばPC。サイトをめぐる。別につまらないとは思わないが、楽しいわけでもないようだ。
テレビをつけて、適当にチャンネルを変える。切り替わる番組。別につまらないとは思わないが、楽しいわけでもないようだ。
そんな風に、たとえば、別につまらないとは思わないが楽しいわけでもないようなPCをしていて、ふと、我に返って、自分がまだ宿題をやっていないことに気付く。そして、自分には見たいテレビ番組があることにも気付く。すると僕はPCをする時間に宿題をやっていればテレビ番組を余裕をもって見ることが出来たのだということを悟る。僕は己の行動に怒りを覚え、己のぼんやりさ加減に腹が立つ。
まったくもっておろかなことで、そんなことはつまり、ふらふらと楽な道に足を踏み入れるということだ。
楽だから悪ではないが、楽なばっかりに我を忘れ、大事な何かを見落としそうで、恐い。
何かに気を取られているなんて、油断している。考えが集中していて駄目な気がする。
我に返ったとき、もう手遅れなんてことになりたくはなかった。
ふと、起き上がって引き出しを開けてみた。
日記帳が入っている。楓がいなくなってからつけはじめたやつだ。
楓がいなくなってから―――中学校の一年生になってからは、つらい日々だった。
みんなはいい人なのだ。だけど、楓を失った空虚感で、何か満足できない日々だった。
いや、そのせいではないのかもしれないけれど。
まあ、とにかくなんだか、色々と気に入らなかった。
なんだかイライラがつのっていった。普通の生活は送れそうだったけれど、イライラしていた。
きっと、心が安心するようなところが無かったからだろう。よりどころがないような感じ。
楓といると、心が安らいだから、いなくなってから、つらかった。
ところで、なぜ日記をつけるようになったかといえば、確かにあったものが、痕跡を残さず消えていくのが嫌だったというのがその理由だ。
だから、僕はその痕跡を残そうとした。
すべてを捕らえることは出来なくても、一部くらいなら残せるかと。
価値のあるものが僕のところにやってきて、跡形も無く消えていく。
ふりかえってみるとすごく輝いているものが、もうよく思い出せない。
そんなのは嫌だった。だから僕はどうにかして残したかった。
このままただ流れにまかせて、僕にとって価値のあるものがどんどん流れ去っていく。
そんなのは、困る。もっと、僕のそばにいてほしい。
きっと、そういうことなのだった。
そして今でも僕はそういうことを思っている。
だから今でもたまに日記にペンを走らせたりするのだろう。
断続的に、書きたいときにふらりとペンを走らせて残す。
僕はそうやって日記を書いてきている。
彼女がいなくなったから、彼女がいた当時のことを、まだ記憶が残っているうちに、残しておきたいと思ったのだった。そうして回想記を書いたのが始まりで、それからは、残したいことを、ぽつりぽつりと書き足していっている。
一ヶ月くらい記述が飛んでいるところもあるし、一週間ぶっ続けで書いているところもある。
ところで、僕は文房具が好きだ。
今、使っているノートも、けっこう瀟洒な感じだし、ペンは万年筆だ。
まるで一昔前の作家になったかのようで、気分が盛り上がる。
なんだか、ひどく、良い感じ。
ちょっと、日記を読んでみようか。
ページを開いてみると、物語が出てきた。ああ、そういえば、最初は物語を書いてみたんだった。
未完成だけど。中学校一年生のときの、楓がいなくなって比較的ボロボロだった心の整理も兼ねて書いたのだった。
そうだ、こいつを読んでみようか。
0.
なんでこんなものを書いているのか、っていわれると、いわば心の整理ってところだ。
もし、これを読んでいるきみの心が比較的ぐちゃぐちゃになっているならば、紙と筆記具を持ってそこに思い付くまま思い付く形できみの心の内を書いてみることをおすすめする。
PCなんかじゃ駄目だぜ。書き方が型にはまってしまう……と思うから。
その点、紙の上なら自由自在に色々書ける。この場合、描く、って方が正確かもね。
とにかく、思い付いたことを紙の上にぶちまけるっていうのは気分が良いもんじゃないかな。
まあ、少なくとも少しは気分がマシになると思うな。
暇なときにでもやってみなよ。
ちなみに。
この話は現在形で書いてあるところも、あるいはそれはすでに終ってしまったことかもしれない。
過去形で書かれているところも、あるいはまだ続いていることなのかもしれない。
また始まるものなのかもしれないし、まだ終っているままなのかもしれない。
ただ、どっちにしろそれはどうでもいいことだ。
どうでもいいこと―――うん、あまり良いイメージの来る言葉じゃないが、確かにどうでもいい。
どうでもいいと言えば、これを書くこともどうでもいいと思えるし、読むこともどうでもいいと思える。
まあ、そんなことも、どうでもいい。
………どうでもいい、という言葉の羅列って、気を滅入らせるのだね。
残念なことだ。まあ、しかたがないのかもしれない。
しかたがない。これも嫌な響きの言葉だな。しかたないけどさ。
気分が悪いのはきっときみも嫌なことだろう。ぼくもいやだ。
いや、あるいは嫌なことというのは気分を悪くさせるのかもしれない。
つまり、どっちからでも成り立つ言葉なのかもしれない。
ちょっとややこしい話だね。なおかつ、どうでもいいと思わせる話だ。
こんな話は永久に頭の中だけでめぐらせておいて、外界には出さない方が良いかもしれない。
ところで、もしかしたらこの前置きを読んで気分を害された方がいるかもしれない。
そういう方がいたら、ごめんなさい。ちなみに、書いているぼくは、少しだけ気分が悪くなった。
この先はこんな感じの気分の悪さと、その対極の気分の良さが見られると思う。
まだ、書いてないからはっきりと自信を持っては言えないけれど。
さて、それでは、はじめよう。
1.
ぼくは、たいていのことが気に入らない。
我慢できないほど気に入らないわけじゃないけど、気に入らない。
昔はそれでよく無気力になったものだ。
だけど今は、ぼくも義務くらいはある程度気に入らなくてもこなせるようになった。
さて、とりあえずぼくのこの話での日常を追ってみようか。
朝にぼくは起きて、もろもろのことをこなして、学校に行く。
そして先生が来るまでの時間を何もせずに過ごす。
別に何もしたくないわけじゃない。ただ、何をすればいいのかよくわからない。
勉強はどうだろうか。そんな考えも頭に浮かぶけれど、朝から椅子に座って勉強をするなんて健康に悪い気がする。
だけど立ちっぱなしもなんだから、とりあえず座る。
たまに立つ。そしてまた座る。
教室でただ立っているだけっていうのは、すごく不審者みたいだ。
だってみんな座っているんだから。
それに耐えてひとり何もせず立っているのもいいのだが、ぼくはそういうときは教室を出て廊下をふらふらさまようことにしている。
歩くのはただ立っているだけよりも健康に良い気もするし。
そして授業が始まると、ぼくはあまり気に入っていない授業を受ける。
ノートをとりながら、思う。こんな無価値なことをノートに書いて、こんなのページの無駄じゃないか、と。
このノートを作るのにどれだけの材料が使われたのか知らないけれど、その犠牲に見合うだけの内容がこのノートに書き込まれているとはとても思えない。
まるでノートをよごしているようだ。
ダイアモンドに成れなかったカーボンがすすっ、と滑って白から黒へ。
それはひどく絶望的な光景だった。
やめようと思っても、この流れをぼくはどうすることもできない。
ノートを取らない勇気が出ない。
先生に怒られるかと思うと怖くて出来ない。
もし仮にぼくがノートを取らなかったとして、それをこれから先、ぼくの気の済むまで続けていくことは絶望的だと思う。
もうほっといてくれればいいのに。
ぼくにかまわずそっとしておいてくれればどんなに楽だろう。
部活。
色んなやつがいる。
完全に無価値ってわけでもないが、あるときはどんなことよりも無駄な気がする。
だけどここにある人との交流がぼくのささやかな楽しみなのだ。
これは教室の人々とも同じだけれど。
話すことはやっぱりそれなりに無価値だけれど、それでも現代文の授業で先生の解釈を聞くよりかは遥かに価値がある。
ぼくにとってはそうなのだ。
帰る。
人がいる。
ありがたいことだ。孤独でないから。
部屋に入って宿題をこなす。義務だからね。
我慢できないほど気に入らないときもあったけれど、今はなんとかこなせる。
だけどまた未来に我慢できないほど気に入らなくなって、宿題が出来なくなる日が来るかもしれない。
昔は今ほどひどい状態じゃなかった、とたまに思う。
だけれど、そこで少し考えてみると、今は昔よりも良いんじゃないかと思う。
そしてさらに思考をすすめてみると、見方によって良し悪しはどっちにも転がると思う。
最後に、そんなことはどうでもよいという結論にたどりつく。
結局のところ、ぼくはどうしたらいいのか、どうしたいのかよくわからないのだった。
昔といえば、ぼくは昔、本が好きだった。漫画も好きだった。音楽も好きだった。ゲームも好きだった。
今ではどれもあまりしない。あんまりやる気がおきない。
本や漫画を読もうとすると、そこに書かれてあることが気に入らないときがある。
うねうねとのたうちまわる文字とか、ぎらぎらと圧迫する絵とかを見ていると、気が滅入ってくるときがある。
音楽は気に入らないわけじゃない。ただ自分から音楽を積極的に聴こうという気が無い。
もちろん、強制で聞かせられるのはごめんだ。
ゲームはつまらない。だから、やらない。
トランプ、将棋、ボードゲーム、テレビゲーム………やる気がおきない。
昔は積極的に本やら漫画やら音楽やらゲームやらをやっていた。
今は別に無くてもいいので、しない。たまにやってみるときがあるけれど、昔ほどの熱意が無い。
なんだか、本当に面白い本やら漫画やら音楽やらゲームやらが見つからない気がする。
たまに自分の心情に合ったものが見つかっても、別にそのもの自体に魅力を感じない………ときもある。
いや、よくわからない。
これは難しい問題だ。
ただ確かなのは別に自分から積極的に何か上に挙げたようなものをする気が無いということだ。
ぼくと同じくらいやる気の無いやつに、試験用紙をリサイクルに出すやつがいる。
しっかりと直しをしたあとでリサイクルに出す。
そのときそいつは、今まで忌まわしいと思っていた試験用紙が、ひどく素敵な紙切れに思えるんだそうだ。
勉強も大事だけれど、地球環境問題の方が価値のあるものに思えるからじゃないか、と彼は自己分析していた。
どっちもやるべきことだけれど、後者のほうが素敵だと思う……なるほど、確かに価値がありそうだ。
こんな精神状態で、ときに不安になりつつも、とりあえずこれがぼくの日常。
「こんな精神状態」と書いたが、精神状態のことを書くのは難しい。うまく書ききれていない感がある。
そもそも、ぼくが自分の精神状態を上手くとらえられていないのが原因かもしれない。
2.
唐突に話を始めるが、ぼくは放課後の校舎の散策、というのをたまにする。
放課後の校舎をふらふらとほっつき歩くのだ。ぼくにはそういう時間がある。
そういう時間が作れる人間なのだ。
ふらふらと夕暮れの校舎をさまよっていたら、ちらり、と教室の中に人が見えた。
不細工な顔の人だった。ぼくと目が合った。
あれではもてないな。
そう思ったのを覚えている。
そしてひどくぼくは気が滅入った。
あの人は顔のために幸せになれないのだろうか。
どうあがいても、整形でもしない限り、あの顔はきれいには見えないのだろうか。
あの人自身の「気」や「オーラ」や「魂」みたいなもので、あの人をきれいにすることはできないか。
雰囲気とか、性格とかが、顔には出ないものだろうか。それとも出ていてあの顔か。
色々なことを思った。
ただ、どっちにしろあの人は素敵な人生を歩めないんじゃないだろうか、そんな予感がした。
ただの予感だ。なんとなくそう思っただけだ。本当にそうかは知らない。
ただ、そう思っただけだ。
そして、そう思ったために、ぼくはひどく気が滅入った。
部室に帰る途中で、きれいな体の女の子を見た。
年を取ると、彼女も老ける。今は心が揺れ動くような美人もどうせすぐに駄目になる。
駄目になる。
だからぼくは絶望した。
こんな気持ち、なんども経験しているけれど、それでもあまり気分はよくなかった。
部室に帰ると、いつも楽しそうな彼と、落ち着いて知性的な彼の二人がいた。
なんだか、ほっとした。まだ、希望はあるような気がした。
駄目ではなく、まだ希望はあって、大丈夫な気がした。だから、安心した。
「おかえり」「おかえり」
「ただいま」
彼ら二人に返事する。
そして部室にはゆったりとした雰囲気が流れた。
……そして、ゆったりとした雰囲気は退屈に変わった。
退屈なので、ぼくは不愉快になった。
その退屈をなんとかするために、ぼくは二人に話しかける。
無価値な会話。でも、沈黙よりかはまだ価値がある。なぜならば、退屈ではないから。
何もしないということをせざるを得ない状況というのは、ひどく不愉快だ。
ぼくは何かしたいのだ。こう心踊るような何かを。
『それが何なのか、具体的にわからなければ、それはただの甘えん坊さんだ』と心の中で誰かが言った。
困ってしまうな。参ってしまうよ。
通学路。ちょっとだけのひとりっきりの時間が出来る。
色々考える。気の滅入る考えとか、気障な考えとか、色々。
頭で思っていることを、口に出すときには、ぼくは気を使うべきだ。
でも、いちいち考えて言葉をつむいでいたんじゃ、会話が遅くなる。
だから、経験と勘なんかを使ったりする。
たまに、日頃考えていることを外に出そうとする。
だけれど、それは気を付けるべきことだということを、ぼくは知っている。
別に大した害があるわけではない。だけれども、ぼくがその考えに魅力を感じる程、聞いている相手は魅力を感じないかもしれない。それだけの話だ。
それに頭の中では魅力のある考えも、口に出したとたん色あせて魅力が無くなるっていうのはある。
ひとりごとでも口に出すと魅力がなくなる、っていう場合がある。気を付けたほうがいい。
家に帰っても、ひとりだった。
孤独な食事は体に悪いらしい。テレビはつけない。だって、くだらなく思えてしまうから。
魅力を感じない。それにもし、そこにぼくも混ぜてもらいたくなるような番組があったら、それは悲劇だ。
混ぜてもらいたいのに、そこに行けない。見えているのに、行けない。悲劇だ。
だからきっと素晴らしいテレビ番組というのは、そこに行きたいと思わせないで楽しませる番組なんだろう。でもぼくは大抵の番組はしらけるけどね。
ご飯を食べおわって、ごちそうさまをした。ちなみに、いただきますもちゃんとした。
宿題がある。学生さんの仕事だ。かたづけようか。
そんなとき、片桐渚さんが来た。
うちとは、遠縁にあたるらしい。近くに住んでいるから、たまに遊びに来る。
「今日はひとりなんでしょ?」
「うん。よく知ってるね」
くだけた口調でしゃべれる。
「だって悠くんがひとりの時間を狙って来ているんだから」
積極的だね。心の中でそう言って、ぼくは笑顔を浮かべた。
「今は恋人もいないから、男の子の体が欲しくなるんだよね」
そう言って、ぎゅっと抱きしめられた。
良い香りがした。ああ、ぼくも、あなたの体が欲しい。
ちなみに念の為に言っておくと性行為しようってんじゃない。
ただ、女の子の体にひっついていたいだけ。だってすごく、良いんだから。
抱き合っているだけで幸せになれた。
彼女の香りがさっきからずっとぼくのまわりをぐるぐると漂っている。
そして彼女の体温がぽかぽかと伝わってくる。愛しいなあ。
キスまではいけない。
抱き合うまでが最大値。でも、それでも、十分だ。
しばらくそうしていると、彼女は離れた。
そうして帰っていった。
すうっ……とさみしさが心の中に染みとおってきた。
じき、おさまる。だけれども、それまでは切なさが心の中でぼくをじっと見つめる。
ひとつ、深呼吸。すこし、楽になった。
彼女も、ぼくみたいに、切なくなっているのだろうか。
なっていなかったら、それはまた、悲しい話だ。
やさしいね。
何回か、渚さんから言われた言葉を心の中で繰り返す。
やさしい人ね。いい人ね。素直だね。
ヒーロー。
テレビや映画や本の中にいるヒーローも、やさしくていい人だ。
あるとき悪者がヒーローに言う。
『お前は人の幸せを守っているけれども、お前はちっとも幸せになっていないじゃないか』
もし仮にぼくがヒーローでピンチの人を助けたとしよう。
すると恋人がかけよってきて、『ヒーローさん、ありがとう』。そして助けられた人をその恋人が抱きしめる。二人はぼくに感謝の言葉を浴びせて、二人で幸せに去っていく。
『ヒーローさん、ぼくたちの幸せを守ってくれてありがとう!あなたはやさしくていい人だ!』
ああ、ありがとうよ、若いの。
ぼくは心の中でこう言って彼らに背を向けて去っていく。
けれど。けれども。それでもぼくはひとりだ。彼らの幸せを守ったが、自分に幸せが来ない。
いや、人の幸せを守ること、それもまた幸せだが、それでもぼくは孤独なのだ。
確かにぼくは自分で正しいと思えることをしたけれど、それをしたってぼくは孤独なのだ。
だけれども、自分で間違っていると思えることをしても、ぼくはやっぱり孤独なのだ。
いや、しかし。いいことをしている人にはきっといつか誰かがやってきて孤独じゃないようにしてくれる。
と、いいな。って思う。
そんなことはありえないと言う人もいるかもしれない。
世の中、そんなにうまくない。孤独じゃなくなる保証は欠片もない。
きみがいいことだと思っていること、それを他の人がどう思っているかなんてわかりゃしない。
きみが自分のことを思っている程、まわりの人はきみを魅力のある人だと思っていないかもしれない。
全ては推測だ。それに、まったくどうにもならないわけではないのかもしれない。
まあ、要するに、ぼくは『いいことをしているのになんでぼくに幸せが来ないんだ』と思っているのだ。
やれやれ。いいことをするといいことが自分にも起きるという説を信じるあまりの心の愚痴だ。
だけど、ぼくはもうちょっと満足したいんだけどな。どうにかならないものか。
3.
会いたいと思った。
ここできみに想像して欲しい。
男がいる。彼は切羽詰った感じに思いの丈をぶちまける。
『ああ、会いたい!会って抱きしめたい!手をつなぎたい!ああ、ずっといっしょにいたい!』
そして男は体を動かしたり、叫んだりして、このもどかしい気持ちを表現する。
無様である。彼は、実に素直な気持ちで、それを実に率直に表現した。
しかし、だ。それは目を当てられないほどに無様な姿なのだ。直視するのが難しい程に無様なのだ。
思わず目をそらしたい、上の文面を読んだだけでもそう思う読者がいるだろう。
書いているぼくもそうなのだから。
駄目だ。あれじゃあ駄目だ。ぼくは今にもあれをやりそうだが、あれじゃあちょっとまずい。
かっこわるいと思う。恥ずかしい。やりたくない。でも、心としてはやりたいって感じだ。
理性が止める。『やめとけ』。そして続けて、『誰を相手にあれをするんだ』。
ひとりで?……まあ、悪くないけど、やっぱりやめようぜ。
もっと、爽やかにいこうよ。
さて、これが渚さんに対するぼくの、たまに感じる気持ちだ。
たまに―――そう、たまにぼくはひどくさみしくなる。そういうときに、この気持ちを感じる。
まあ、さみしいときはあるものだ。
たとえば真昼間にひとりで歩いていると、きみは絶望的な気持ちにならないだろうか?
ぼくは、なる。ひとりじゃなく、複数のときでもなるときがある。
このまま歩いていてもどうしようもないような、どうにも救いが無いような、そんな気持ち。
何がどうしようもないのか、何が救いようが無いのか、よくわからないのだけれど、そんな気持ちがする。
要は、ぼくは真昼間にあんな風に歩きたくないのだ。
何か違う。あれじゃあ駄目だ。
あれが駄目ならどうしたらいいのか。それがわかればぼくも苦労しない。
馬鹿げた話だが、ぼくにもどうやったらいいのか皆目見当がつかない。
ただし、きっと解決策はある。
漠然とそう思う。根拠の無い思い。思い違いかもしれないっていうのに。
まるで物語の主人公のように、ピンチからぼくは這い上がって来ると、ぼくは信じているのだろう。
何か不愉快なことがあっても、きっとそれはいつかひっくり返ると、ぼくは信じているのだろう。
そしてきっとぼくは大丈夫で、何かあってもどこかで救われると、ぼくは信じているのだろう。
ありえない。馬鹿げている。世の中には救いようもないようなのがごろごろ転がっている。
だっていうのに、ぼくはまだ何か、ぼくの理性が見落とした何かが存在して、その何かが何かをやってくれると信じているようなのだ。
もしくは自分だけは大丈夫で、なんとかやっていけると信じているようなのだ。
いや、あるいは。そんなこと別にどうでもよくて、ただぼくは生きているだけなのかもしれなかった。
気に入らないことがあるとする。
だからその復讐をしようと思う。けれども、今それをすると自分の未来が台無しになる。
だから、ぼくは、大きくなってから、そういう気に入らないことを無くそうと思う。
そうすることで復讐しようとする心を抑える。
だけれど、たまに考える。
大きくなっても、ぼくの力では、気に入らないことを止められないんじゃないかって。
そうしたら、復讐したほうがいいんじゃないだろうかって思う。
けれど、それをしたらきっと、色々と終わってしまう。
それが怖くて、ぼくは復讐が出来ない。
どうしようもないことがあるから、みんな何かにすがるんだよ、って誰かが言った。
真実かどうかなんてどうでもよくて、助けてくれるかどうかが重要なんだって誰かが言った。
続けて誰かは言った。
誰もことの真偽をしっかりと確かめようとはしないよ。
地球は丸いらしいけど、それをきみは確かめたことがあるかな?
ぼくは無い。誰かの話によると、地球が丸いことが確かかどうかがきみにとって重要になるまで、そんなことはどうでもいいことだってさ。
重要になるまでは、みんなそれを、九割は信じられることだって思っていれば良いと誰かは言ったよ。
だからぼくは尋ねた。100%信じちゃう人がいたらまずいんじゃないの?
誰かは言った。絶対だと信じてしまう人がいるのは、確かにまずいよね。
だけど、みんなそうなんだよ。いちいち疑っていたらきりがないから、適当なところで手を打つんだよ。
必要になってからみんな真剣に考え出すけど、それまではみんな、まわりの流れにのって、適当に進むんだ。
それがみんなのやり方さ。
だけれど、そんなの危険だと思うんだよ。
絶対だと信じてしまったら、そのことが正しいということをもとに、行動を起こす人がいるでしょう?
もし前提自体が間違っていたら、その行動も間違ったものになってしまうんじゃないかな?
そうしたら、悲劇が起こっちゃうんじゃないかな?
じゃあ、どうしろっていうんだい?
正しいかそうじゃないかがよくわからない局面だってあるだろうしさ。
世の中は複雑だよ。あらゆる場面に適応可能な公式なんてあるもんか。
いったいぼくらに何が出来るっていうんだ。
だから、結局のところ、頭がぐちゃぐちゃになっちゃうんだよね。
目の前にあるものを見て、これから何をしようかと考える。
今出来ることをやっていけば、きっと大丈夫だよ。
そんな台詞が頭に浮かんだ。
だから、ぼくは考える。手持ちの装備で出来ること。
ぼくが楽しく過ごすために、今出来ること。
考えた。そして、結論を出した。試してみた。
だから、ぼくは、勉強をした。
これは、きっと少しは価値のあることだと思った。
だけれど、一方で、馬鹿らしいと思った。
所詮は義務を行なうための心への言い訳だと思った。
価値のないことでもがんばってやっていれば、何か役に立つかもしれないと思った。
懸命に守ってきた、その人にとって価値のあるものが、あるとき突如、もしくは徐々に、価値の無いものに変わる。そんなこともある。そしてその逆もきっと。
価値の有る無しなんてのは、けっこう頻繁に変わるのかもしれなくて、だからぼくは何を基準に動いていいのか、よくわからなくなってくる。
だけど、とりあえず勉強をやっていれば、安全な気がして、とりあえず手を動かした。
世界ば、遊園地だ。
心はジェットコースターみたいにめまぐるしく動いて、
世の中の色々なことがトリックハウスみたいにありえなく、
メリーゴーランドに乗ってるみたいに行きたいのに、
お化け屋敷の中の恐怖と戦いつつ、ミラーハウスで迷いながら、
観覧車の天辺で見た景色をもう一度。
だから結局のところ、すごい速さで回るコーヒーカップから降りたときのような、
そんな目眩と吐き気だけがして。
本当は入りたくなかったのに、なぜかチケットは人数分。
4.
渚さんに恋人が出来たとさ。
別に、渚さんの体には、もう飽きたけど。
でも、彼女の心のこと、まだよく知らない。
きっと今のぼくはしばらくこの状態を孤独と思わないだろうし、退屈だとも思わないかもしれないけど、それでもこのままでいいのかな。
まだ、間に合う?
ある朝、目が覚めると、四時だった。
家族のみんなが起きているはずはなく、数時間経ってもおきてこないかもしれない。
だから、ごはんを作ろうと思った。
冷蔵庫を開けて、使えそうな材料を探す。
きっと、これならいけるはず。
フライパンに油をしいて、目玉焼きを作る。
ちっちゃな楕円形のパンを皿に用意する。そしてマーガリンも。
牛乳をコップに注いで、パンの皿とは別の皿に出来上がった目玉焼きをのせる。
あつあつでおいしそうだ。
洒落た感じのバターナイフで、ある程度マーガリンをすくって、パンの皿の上に置く。
そしてマーガリンを片付けた。皿にのっけたマーガリンでパンを食べるのには十分だ。
右手で箸を操って目玉焼きを食べつつ、左手でパンを食す。
右手の箸はたまにバターナイフに変わって、パンにマーガリンを塗る。
パンと目玉焼きを食べ、牛乳を飲み終わった。
よし、出かけよう。
皿を片付けたあと、自転車で夜明けの街へ繰り出す。
きっと誰にも会えない。
本当は会いたい。だけれど会えない。
本当に会いたいなら、いくらでも方法はあるはずなのに、恐くて身動きがとれない。
世の中は恐いことばかりだって、誰かが言ってた。
楽しいことも、幸せなこともあるとぼくは思うけど、それでもやっぱり世の中は恐いな。
車は道を走っていない。人もいない。
ぼくの車輪が回る音だけがする。気分が晴れていく。
だけれど、ぼくは、多分このあとの展開を知っている。
またおなかが空いたから、ご飯を出して、納豆を食べた。
ああ、おいしい。もうそろそろ朝という感じ。夜明けから、朝へ。
まだ家の中の誰も起きちゃいない。ああ、今、ぼくの気分は良い。
けれどもぼくはきっとこれから昼にかけてどんどんと気が滅入っていくのだろう。
楽しい昼、なんてあんまりやってこないんじゃないかな。
ぼくは結局のところ、何もかもが気に入らないんじゃないか―――。
さて、どうなんだろう。自分でもよくわからない。でも、たくさんのことを楽しめていない。
人と話してみても、あまり快感を感じられない。なんだか会話がくだらなく感じる。だけど、とりあえず笑みは浮かべておく。相手を不愉快にさせたくはない。
ぼくは今、のっていないから。沈んだ感じだから面白みなんて感じられないし、安心もしていないんだ。
ほっとするような場所は、今のぼくには無いし、心が安らぐ場所だってそうだ。
そこにいることで満足できるような場所は、今のぼくには無かった。
心の支えというか、理想郷というか、そういったものは、残念ながらないみたいだ。
悲劇だよね。ぼくはそう思うよ。
ところでさ、きみは聞いたことないかな。
無ければ作ればいい、って。理想郷が無いなら、作ればいいんじゃないか。
だけど、どうすればいいんだろう?きっと本屋さんには「理想郷の作り方」なんて本は無い。
でも、できないこともないかもしれないなあ、って思うんだよ。
材料は手元にあるような気がするんだよね。もうちょっとぼくに勇気があれば、材料を組み合わせて何かできるかもしれない。
まあ、もちろん駄目かもしれないけどね、でも、こういうのって、駄目でもともとじゃない?
試してみる価値はあると思うな。始めてもいないのに、終わったようにしているのは臆病だね。
いや、ぼくのことなんだけど。ぼくは臆病なんだ。
たまに勇気も、出るけどさ。
まあ、でも客観的にみて、世の中の全てのことは大したことがないんだと思うよ。
ぼくの感情も、行うことも、ものごとも、大したことがないんだ。
そして大したことがないっていうのも大したことがないんだよ。だって、世の中の全てのことを大したことない、と思う感情なんて、目の前にトラがあらわれたら、一瞬にして吹き飛んで、ぼくは死にたくないと心から願うに決まっているからさ。
ぼくの命なんて大したことないと客観的に見ればそうなんだけど、本人にしてみれば一大事だよね。
結局全てはそれだけの軽さなんだ。ひどく大したことはないんだ。
そして、同時に、ひどく大したものであるんだと思うな。ああ、哲学的な話だね。
ちょっと気が滅入るな。
このあとは普通の日記になっていて、この物語はこれでおしまい。数字も4で止まっている。なんだか中途半端だという気がするけど、しかたない。未完成なんだから。
僕は日記を閉じた。
今でも、気が滅入るようなことはある。
それに、二年前は、世界が終わっていく気がした。
そして、今夏は、世界が閉じていく気がした。
少し、昔を考える。今も考えて、未来も考える。
そして、深呼吸。
言葉であらわせないほどややこしい、ただ感覚的に捕らえるとちょっとだけ簡単かもしれない、そんな解決法が、見つかった気がした。