薄明階段3章
今日、生徒が先生に怒られているのを見た。
こういうのを見たとき、僕にはよくあることなんだけど、精神的な圧迫感を感じた。
なんだか、不愉快で、不安で、怖い。そして、なんだか息苦しさを感じる。
嫌だ。こういうの、すごく、嫌だ。
薄暗い階段で楓を待っていた。
今日見た、先生が生徒を怒っている、あの嫌な風景を思い出していた。
彼女はもう入試対策授業が始まっていて、僕は今日の部活が終わったところだった。
嫌な風景は心を嫌な感じに締め付けて、早いところ彼女に抱きしめてもらいたかった。
不安だったから。
この前は、三年生の校舎の廊下に出て楓を待っていたけれど、廊下は三年生が勉強している様子が見えるので、妙な圧迫感を感じた。
だから、階段で彼女を待っている。三階校舎への階段。踊り場が下に見える。
暗い。早く楓に会いたいな。
無意味に手をすり合わせた。
これから、寒い季節になるな、と思いながら。
「あ、貴理」
「やあ、楓」
にっこりと楓に笑いかけた。
彼女も笑ってくれた。ありがとう。
「ねえ、一緒に帰ろうよ」
「うん。ちょっと待っててね」
なんだかまた今日見た嫌な風景を思い出した。
今、僕が見ている平和な風景と全然違っていて、何か胸騒ぎがした。
「おまたせ」
「じゃ、行こうか」
玄関までは、手を握っていこう。
まだ夜は明るかった。
これから、どんどん暗くなるはずだ。
「ねえ、楓。今日、友達が先生に怒られているのを見たんだ」
「うん?」
「気分、悪いよ」
「―――」
ぽんぽん、と肩を叩かれて、ぐっ、と引き寄せられた。
「貴理は、やさしいね」
「ありがと」
肩に乗せられた手に触れる。
僕は、不安なんだよ。今日見た風景が、怖かったから。
「怖いんだ。そういう風景を見ると、僕は怖いんだよ。背骨がぞくりとするんだ」
なんだか、ひどく、嫌な感じ――――。
「あたしも、そういう風景は、見たくないよ」
でも、何が出来るだろう。
「あ」
「うん?」
急にあげた僕の声に、楓が僕を見た。
「楓、背、伸びたんだ」
「え?あ、ホントだ」
夏に会ったときは、下に見ていた彼女が、ほぼ同じくらいの高さにある。
「へー。まだ伸びるんだ。わたしの体」
おもしろいー。とはしゃいでいた。
楽しかった。幸せな風景に、僕は少しだけ安堵した。
六年生の後半のとき、終わることについて考えていた。
断続的に考えが浮かんでは消え、結局よくわからないままに色々終わった。
もしかしたら僕はそのとき何か大事なことをしなければならなかったのかもしれなかった。
ただ、その大事なことができたのかどうか、自分でもよくわからない。
そもそも、しなければならなかった何か大事なことなんて存在したのかどうかさえもよくわからない。
ただ、小学校生活と共に、色々なことが終わったあと、ふと、みんななにもかもが、結局は僕をおいてけぼりにして去っていくんじゃないかと思った。
論理的にそれは正しいように思えて、僕は自分の思いつきに結局のところ反論することができなかった。
だけど、そんなひとりぼっちなのは嫌だった。
そして今、僕は何かをしなければならない気がするのだった。
自信は無くても覚悟でおぎなってなんとかするのだ。ひとりが嫌だ。
この前の八月、夏休み。品森くんは人生をゲームにたとえた。
そのたとえでいくなら、僕はタイムリミットまでにミッションをコンプリートしないとこのゲームをクリアすることはできないと思うのだ。
ただ、ミッションが何なのか。どうすればコンプリートできるのか。よくわからない。
タイムリミットがいつまでなのかも判然としない。ただ、ぼんやりとは見えている気がするけれど。
このままでは駄目な気がする。まだ間に合う気もする。だけれど何をすればいいんだろう。
何かをしなくてはならない気がする。だけれどその何かってなんだろう。
そして僕は何かをしたい。ただ、何を望むのかがよくわからない―――気がする。
もしかしたら、実は僕は自分が何かしたいのかわかっているのかもしれない。わかってしまうと色々と大変だから、わからないふりをしているだけで。――――でもそれが本当かどうかなんて、よくわからない。
どうすればいいのか、よくわからない。
今、手元にあるものをどうすればいいのか、よくわからない。
何をしても大丈夫なのかがよくわからない。何をすべきかがよくわからない。
明確な意志が存在しないようで目的が取れない。この状況をなんとかする方法がよくわからない。
僕は、僕のやり方が、よくわからない。
僕にとって大事なことがよくわからない。
やるべきことが、やりたいことが、よくわからない。
よくわからない。わからない。わからない。
よくわからないまま色々と考えていた。
そしてある一つの考えに達した。つまり、なんとなく、楓の体に触るのは駄目な気がしたのだった。
それはまるで楓の体だけが望みのようで、嫌な気がした。
しかし、実際のところ抱きしめたいのだった。ただ、おばあちゃんになった楓を抱きしめたいかと問われれば答えはたぶんノーだった。つまり、若い女の子の体が僕は欲しいだけなのだと思った。
だから、しばらく抱かないでおこうと思った。こちらからは、誘わないでおこうと思った。
僕のたどり着いた考えがどんなものか、試してみようと思ったのだ。
そうして、しばらく抱かない日々が続いた。
そんなある休日だった。日記が詰まったので、文房具屋さんに買いに行った。
そこで僕は、ちょっと瀟洒なノートを買った。
「あれ、相川くん?」
金髪の彼女が、ちょうどそのとき声をかけてきた。
グレイさんだ。例の、桐代怜のいいなずけ、という彼女。
「ああ、グレイさん。奇遇だね」
とかなんとか話をしているうちに、気持ちのいい午後だから、お茶でも飲まない?怜もいるよ。
という話になった。別にいいかと思ったから、僕は誘いを受けた。
談笑しながら道を歩く。
頭の片隅で、こんな姿を楓に見られるのはまずいな、と思った。
なぜか僕はグレイさんに対して自然に笑顔だった。彼女が美人だからだろうか。それともただハイになっているだけだろうか。
ひたすらに色々な話をして、それに対してグレイさんもまっすぐに返してくれる。
二人とも、笑顔だった。桐代くんや楓には見せられない光景だと思った。
まるでご主人様に尻尾を振る犬のように愛想を振り撒く僕だったが、楽しかった。
楓ひとすじのはずだったのに。恋人がいるのに。
―――でも、友達だから、これくらいいいんじゃない?だって、友達、だよ?
―――逃げてる。
―――だって、すっごい楽しいじゃない?楽しみを逃がすなんて変だよ。
―――真剣に付き合わない、真剣に関わらない、そんなのは軽い。
―――でも、したい。それに僕はみんな好きだ。
―――今したいといってしたことのせいで未来に不幸になるのは嫌だ。
―――不幸になるの?
―――わからない。
―――いったいどこまでが許されるの?
―――自分次第じゃないかな。自分がどこまで許すかっていう問題。
―――じゃあ、僕はどこまでを許すの?
―――よく、わからない。
まるで八方塞で出口の無い迷路の袋小路にすっぽりとはまりこんでしまったみたいだった。
何か行動を起こすというのがこれほど難しいとは思わなかった。昔はもっと簡単に出来たと思うのに。
思考が複雑化したんだろうか。自分の中の倫理の問題がぐるぐる回っている。
感情、趣向、趣味、好み、などなど。ぐるぐる回って道を閉ざすかのようだった。
そんなことを頭の片隅で考えながら、僕はグレイ邸へと着いた。
きぃ、と門を開けて中に入る。洒落た感じの白い家。洋風建築。
広い窓に大きな庭が、どこか異国の家を思い起こさせた。隣に異国の血を持つ女の子がいるせいもあるかもしれない。
「まあ、どうぞ入って」
うながされて中に入る。
「ただいまー」「おじゃましまーす」
二つの声が家にひびいた。
しかし、返事は無かった。
「あれ……怜、どこ行っちゃったんだろ?一緒にお茶にしようと思ったのに」
不思議そうな顔でグレイさんはあたりを見回した。
「まあ、いないんだったら仕方ないか―――とりあえず、おもてなしします」
そう言って、彼女はにっこりと笑った。
ついてくるように言われて、僕は彼女に従った。
僕は居間に通されて、そこのソファに座る。ふわん、としていい感じ。
今度、楓も連れてきたいな。
そのとき、心からそう思った。楓のことを好きなことに変わりは無い。
「じゃ、お茶の準備してきまーす」
「はーい」
そうしてグレイさんは出て行った。ひとりになった。
ソファにもたれて、ぼうっとしながら色々考えてみた。最近のことを色々。
気のめいることや、どうやって手をつければいいのかわからないこと、やりかたのわからないこと、などなど。
このまま、なんとなく生きていっても、多分それなりにいくんだろうけど、しかしなあ。
僕には何かやりたいことがある気がするのだけれど―――。
「おまたせ」
僕の思考は女の子の声で中断した。
エプロンを着たグレイさんがやってきた。お茶を運んできてくれたのだ。
なんだか、すごくかわいくて、ぞくりとした。腰のあたりから背骨を通って頭にぞくりと。
「あ。ありがとー」
僕はそんなことはおくびにも出さずに、あくまで冷静に、笑顔になってカップに手をのばした。
ふんわりとした感触と人肌の温かさを感じた。
僕の手と、グレイさんの手が触れ合っていた。
―――――やれやれ。恋愛漫画じゃないんだぜ?
「おっと、ごめんね」
「ううん、いいよ」
かなり社交的な感じで僕らはお互いに手を離した。ふたりとも笑顔だった。
しかし、見れば見るほど美人な女の子だった。欲しいという気持ちもあった。
そんな自分に少しだけ嫌気がさした。
お茶菓子をぱくつきながらお茶を飲んでいると、桐代くんが帰ってきた。
「おや、相川くんじゃないか。いらっしゃい。そして、ただいま」
「おじゃましてます」「おかえり」
そして桐代くんとグレイさんは楽しそうに話し出した。
おそらくは、桐代くんにとってグレイさんは特別なのだろうし、グレイさんにとって桐代くんは特別なんだろう。そしてお互いにお互いを満たしているんじゃないだろうか。
ああ、二人ともいい笑顔だ。
僕はちょこちょこと二人の会話に口をはさみながら、お茶を飲む、ということをしていた。
しばらくすると、お茶もお茶菓子も僕にとって必要な分はしっかりといただいた。
「じゃあ、そろそろ帰るよ。今日は楽しい時間を過ごせたよ。ありがとう」
「どういたしまして」「じゃあねー」
二人の声に見送られて、僕は外に出た。
わざわざ二人は玄関までお見送りに来てくれた。
僕は門を開けて、最後に二人に手を振り返してから、歩き出した。
僕と楓の関係は、桐代くんとグレイさんのようなものだろうか?
そうだったら、いいのだけれど。ぼんやりとそう思いながら、僕は歩いていった。
数日後のある日、教室に残っていると、女の子たちの声が聞こえた。
「ねえ、―――ってちょっと気持ち悪くない?」
「だよねえ、ちょっとねえ」
それは彼らの社会の社交辞令のようなものなのかもしれないが、あまり陰口というのは気持ちのいいものじゃない。
ず、と沈むような感触。気分が悪い。
「だってさあ、―――なんだよ?」
「あー、わかるー。―――はねえ、駄目だよねえ」
きっと、彼女たちは、話に出てきている例の人物が姿をあらわすと、それなりの礼儀でもってお迎えするのだろう。そしてその例の人物は、自分が陰口を叩かれているとは露ほども知らずに日々を過ごしていくのだ。それは、ひどく気分の悪いことだった。
まるで、世界自体が嘘のような錯覚を覚える。
むけられている笑顔は、社交辞令だという、嫌な想像。
味方だと思っている人間が実は敵なのではないかという、戦慄。
実は自分はそんなに好かれていないんじゃないのかという、恐怖。
すべては僕の思い込みで、僕の思っている世界と、現実とは違うのではないかという、一つの仮説。
まあ、結局のところ、自分が本当はどう思われているのか知る術はあまり無い。
仮説は仮説のまま、真実は見えず、恐怖が心にひっそりとたたずむ。
真実か。それはひどく大事なことだ。真実は揺るぐことが無い。だって、正しいのだから。
だからそれを土台に、色々なことが出来る。
行動の基準は真実でなくてはならない。もし嘘なら、間違った決定を下してしまうかもしれないから。
だけれど、真実なんてどうやって手に入れればいいのだろう?
「―――真実?」
品森くんが聞き返した。僕は繰り返す。
「うん。真実なんて一体、どうやって手に入れればいいのかと思ってさ」
「そうだねえ。仮説を検証する実験をやってみるのがいいんじゃない?科学者がそうするように」
「なるほどね」
「1+1=2だ。それはたまたまそうなるのではなく、いつもそうなる。―――知ってる?」
「え?ああ、もちろん知ってるよ」
たまたま1+1=2になったらそれはまずいだろう。世界が滅茶苦茶になる。
「ああ、ちなみに今言ったのは、このフレーズを知っているか、って意味なんだけど」
「うん?いや、聞いたことないな。誰の台詞?」
「さあ、それが思い出せないんだ。ただ、好きな台詞ではあるんだよね。おれ、真実って好きだし」
「でも、たまに痛いよ」
「知ってる。でも、本当のことがわかっていれば、本当の危険に気付けると思わない?足元すくわれたくはないんだよ」
本当の危険。マジでやばい出来事。
正確な情報がないと正確な対処ができないことは、世の中にはくさるほどあるはずだ。
下手をしたら足元をすくわれるばかりでなく、命を落としかねない。
「そういえばさ、自分の考えがただの電気信号にすぎない、って考え方知ってる?」
急に品森くんの話が飛んだ。
「脳が感情やら理性やらの源泉だって話?」
「そう、それ。すべては脳細胞の働きにより、理論や記憶や感情までもが動いているって話。
おれはこの話を最初に聞いたとき、戦慄したね。マジで恐かったよ。だってさ、自分の感情が『たかが』電気信号なんだぜ?全てはちっぽけな頭でおこっていることがらなんだ。確かだと思っていた自分の感情が、脳なんていう不安定なものに支えられているって思ったら、恐くってさあ。
もし脳が感情なんかをつかさどっているなら、薬を与えれば恐怖を感じなくなったり、やけに興奮したりってことが起こりうるんじゃないの?それも恐いね。自分の感情が、コントロールされかねないっていう事実がさ。
人間なんてただの生き物で、所詮は『動物』にしかすぎない―――結局、本能だかなんだかわけのわかんないものに操作されているみたいで、むなしいね。事実かもしれないけど」
ああ、そういうことなら僕も思ったことがある。
それは、確かに恐いこと。確かだと思っていた足場が実はもろかったということに対する恐怖。
感情すらも確かではなく、もう世の中で確かなことなんてほとんどないような気になる。
「ついでにいえば、心がただの電気信号なら、脳が破壊された場合は、俺たちの意識も記憶も全てぶっ飛んじゃってゼロになり、そしてそのまま、ゼロのままなんじゃないか?それは最も恐い―――つまり、最恐だよ。死んだら、一巻の終わりで、自分自身の永久の消滅なんて―――やってくれるぜ、最悪だ」
「そうだね……」
ああ、それは本当に恐い話だ。
そして、品森くんが、また口を開く。
「そうそう。本能とかってある意味、プログラムだよね。恐いね。誰がプログラムしたんだろうね」
「神、とでもいうつもり?」
「いやいや。仮説としてはありうるけれど、検証が不可能だろう?真実にはなりえないね。まあ、今の質問に答えが出せることなんてありはしないだろうけど。そもそもプログラムした誰かなんてものがいたのかどうかわからないし。意志なんてそこにはなかったのかもしれない。仮にあったとしても、じゃあその意志というのはいつからあったんだ、なんてこれじゃあ無限に続く質問だね」
「だけど、なんとなく嫌な感じだね。既に決まっている、というのは」
「同意権だ。運命なんて吐き気がする単語だよ」
決定事項なんてのは、僕らの無力をつきつけるようで、気が滅入るから嫌いだ。
「ああ、そうそう。最初の話なんだけど、そもそも正しいことなんてのはどうやって見つければいいんだろうね?」
僕は話を戻した。
「そうだねえ。難しい問題だけれども―――真実の上に真実を積み重ねていったら、そこにあるのは真実しかないんじゃないかな。科学というのは手法であって、知識でないと思う俺としては、それが正しいかどうかふるいにかけて、絶対に正しいことをみつけてその上にまた絶対に正しいことを積み重ねる―――これがいいと思うね」
「それが常に出来ればいいんだけれど」
「無理な相談だ。あいまいなデータしかないところに、科学を使っても、明確な答えは出ない。はっきりした土台の上にのみ真実は立脚する。―――だっていうのにみんなは実にいいかげんに、絶対に確かでないことをさも本当のように言っているね。正しいとも間違っているともいえないものを正しいとか間違っているとか断定するのはおかしいと思うよ。わからないと断定すればいいのにさ」
「まったく」
それじゃあ、と言って僕らは別れた。
僕は、品森くんが何かあったときに、彼にとっての正しい判断を下せるように、祈った。
僕は、僕にとって正しい判断を下さなければならない―――いや、下したい。
そのためには僕の行動基準、行動理念、僕のやり方、僕の論理、僕の倫理、僕の世界の軸などが必要なわけだが、いったい何が僕のしたいことなのか、僕が正しいと思えることは何かということがいまいちよくわかっていないようなわかっているような、そんな不安定な気分なので、それらの必要な装備はあまり万全とはいえなかった。
生きることは選択することである―――誰が言ったのか知らないが、こんな台詞があったはず。
自由に選べといわれても、自由に選べないときとは別の意味で困る。自由研究の自由のいやらしさだ。
しかし、本当にまあ、どうしようか?僕は何かしたい、だけど何かよくわからない。
選択次第でうまくいきそうな気もする、だけど選択を間違えるのが恐くて、最悪のシナリオを避けるように動いている。最善のシナリオを手に入れるためでなく。
臆病な僕は、予防線を張ったり、自分に被害がなるべく及ばないように欲しい情報を手に入れたりする。
それは、それでいいと思う。ただ―――ただ、僕はもしかするともう少しいけるんじゃないか?
自信は無いけど。覚悟も揺らぐけど。それでも、しかし、あるいは。
きっと何か道はあるのだと僕は探っている。若さしか救いが無いような気がしてあせっている僕がいる。
若さのゲージが無くなったら僕はゲームオーバーのような気がして、未来に不安がっている僕がいる。
それでも何か突破口はあるのだと信じて僕は試行錯誤を繰り返す。
あらゆるものは無意味で無価値でどうしようもなく救いようもなく駄目で終わっているのだと確信している僕がいる一方で、それでも何かあるはずであきらめは愚かな選択だから打開策を探している僕がいる。
無意味かもしれない思考を流してひらめきがひっかからないかと網を張っている。
手札に切り札なんて存在しないのだという思いにとらわれて絶望するときもある。
あらゆるものに魅力が無くなり、世界の魅力が消えうせるときもあれば、あらゆるものが光り輝き、世界の魅力に魅せられるときもある。
しかし、いったい僕は、
行動に一貫性があるのかないのか、思考に一貫性があるのかないのか、法則が存在するのかしないのか。感じることはとりとめがなく、波のように気分は浮かんだり沈んだり。光るような暗くなるようなこれでいいような悪いような、言葉であらわせるようなあらわせないような、つかめるようなつかめないような、理解できるようなできないような、ぼんやりしているようなはっきりしているような―――――
いや、やめよう。無限の言葉の羅列になってしまう。
つまり僕は―――どんな言葉でもつかめないようなつかめるようなもの―――ほら、再び羅列―――なのだ。
僕に言葉をあてはめること自体が馬鹿げているのかもしれない。馬鹿げてないのかもしれないけど。
ほら、またわからない―――だけど頭のどこかではわかっているような気がするのだ。
だから、僕の思考やらなんやらは、言葉で伝えるのは難しいのかもしれない。全てを言おうとすると、ひどく難解な詩のような文章になってしまう気がする。
あえてすべてを伝えないことですべてを伝える技法があったような気がする。
それでも使おうか。使うだけの能力が無いかもしれないが。
まあ、とにかく。
論理の時間は悪くないけれど、論理が誰にも理解されない詩に変わる前に、次の段階に移ったほうが良さそうだ。
今のような混沌としたことが本当に伝わったかなんて誰にもわかりはしないだろう。そう、そもそも自分でも正確にとらえているとは断言できないし。
ああ、きっとわけのわからない難しい言葉を使おうとするやつは気取りやの格好つけだ。少なくともそういう側面はあると思う。自分に酔っている。
関係のない文章がつながってしまった。不規則。あるいは関係があるのか。
とにかくこの理論展開はおしまい。
つづきがあるのかは、知らない。
夢を見た。これが久しぶりに素晴らしい夢だった。
夢だから、いつものごとく一貫性が無い。だけど大まかなストーリーはある。
楓がいる。そして僕がいる。舞台は最初ホテルみたいなところだった。
下に行くエスカレーター(エスカレーターなのに扉があるのだ)に乗り込むところだったが、
先にいった二人(楓+知らぬおっさん)が入ると、扉が閉まった。
え!?マジかよ、僕は置いてけぼり!?
すると、ゾンビっていうか吸血鬼っていうか、そういった魔物がやってきた。まあ、人間の男みたいな奴で、つかまったらまずいって設定。いつものごとく主役の僕は設定がすべからくわかる。夢だから。
で、まずいと思ったら扉が開いて、なんとか助かったんだけど、扉をテレビのリモコンみたいなのであけてくれたのが楓だったわけだ。感謝した。
そして、エスカレーターをおりると舞台が学校に変わった。
そこでは、例のゾンビさんが出てくる中、日常生活もどきをこなすのだ。まるで、日常の中にしっかりと非日常が食い込んでいるような。体育館から出たボールを追って楓+誰か(Aとしよう)と一緒に体育館につづく廊下に出たのはいいんだけど、ボールをそのAが持って、ふと右に続いていた廊下を見ると、ゾンビさんがいるわけだ。
まずいと思って逃げる。すると友達がふざけて扉を閉めていて体育館に入れない!
おいおい、こんな場合じゃねえよ!後ろを見るとそのAがボールをゾンビさんに投げつけていたりした。
でも、しばらくしたら逃げてきた。めちゃめちゃ冷静な顔で。マジでクールなやつだったよ、Aは。
うん、まあ、なんとか扉を無理やり開けて逃げられたんだけどさ。
思えば、Aとエスカレーターのおっさんは同じ人だったかもしれない。もう記憶が薄れ掛けてて覚えてない。
そして、ここがなかなか素敵なところでね、ぼくはいつのころからか楓の手を握っていたんだ。
なんでなのかよくは知らないんだけど、手を握っていれば、大丈夫だとわかった。
そうして手を握ったまま、仲間と一緒に学校内を歩き回るわけなんだけど、だけれどだね、僕は油断して、ちょっと手を離しちゃったんだよ。
で、隣を見たら、彼女がいないわけ。あれはびびったね。
起きてから考えるとめちゃくちゃ哲学的な場面だったな。
それで油断したーッ!と思った。で、ぼくには彼女が同じ位相の異次元にいるってわかったんだ。もちろんそんなことがわかるのも夢だからなんだけどさ。
異次元っていうのは、つまり、彼女のいるところは同じ学校なんだけど、ぼくのいる学校じゃないわけ。
平行世界にある学校に飛ばされたと思ってくれればいい。
今ぼくがいる学校と学校の構造は一緒だけれど、平行世界だからそこはこことは違う世界だ。
まずい、彼女を助けなきゃ!だけど、どうやって?
ふと、頭の中でこれは夢だという考えが浮かんだ。そして夢なのだから意志ひとつで上手くいくってことも思い出した。僕は夢の中で、意志を使って銃を出したり妖怪を消したことがあるんだぜ。
あと、がんばるっていう方法があった。なぜか知らないが、がんばれば彼女の行った世界への扉が開くみたいだった。
だから僕は走り出して、校舎内を走り回った。
途中喧嘩していた小さい男の子二人を仲裁した。先生らしい人は喧嘩を見ても何も言っていなかった。
なんでこいつは動かないんだ!?と腹が立ったね。
ALTの先生と何度か話したりした。ぼくはこの先生に質問があって彼女のいる場所に何度か行ったんだけど、どうしてもその質問を思い出せないんだよ。
で、適当な会話をしてお茶を濁すわけ。
それでだね、何度目かのALTの先生への訪問のとき、質問をやっぱり思い出せず、ちょっと口ごもったら、そのとき別の女の子が入ってきてALTの先生に何か言った。すると先生は泣いた。もうすぐ転勤だから悲しくて泣いているのだとわかった。
で、その女の子がALTの先生を上の階に連れて行った。近くの人がいうには、誰か(Bとしよう。実はこの人名前があったのだが、例によって例のごとく忘れてしまった) のところに連れて行くらしい。
最初そのBを女の子だと思ったのだけど、(名前のせいだったかも)実は男の子だった。
(もしかしたらそのB、苗字しかなかったかもしれない。あるいは女の子っぽい苗字だったから女の子だと思ったのかもしれない。いや、まあ結局のところ覚えてないんだけど。っていうか女の子っぽい苗字って何だろうね)
そうやって上の階へ去っていくALTの先生を見送って、ふと後ろを見ると、異世界に飛ばされた楓が戻ってきていた!
あれにはびっくりして、そしてすごくうれしかったね。
「ああ!大丈夫だった?怖くなかった?」
「怖かった……」
「ああ、ごめんね、ホントごめんね……少しだけなら手を離しても大丈夫だと思ったのが間違いだったよ」
とかなんとかいう会話をした。そしてぼくは彼女を抱きしめた。
それから、「もう刹那の瞬間もこの手を離さないから」とかなんとか言う台詞を僕は言った。
この台詞を言ったときは、彼女を抱いていなかったはずだ。ひどく大真面目に、僕はこの台詞を言った。
で、二人で手をつないで笑いながら歩き出した。
佐村と会って、彼はなぜかバレー部で、バレーの大会があるからがんばってとかいう話をしていた。
そして、もうよく覚えていないけれど、僕は何かしようとした。これは間違いない。
そうしたら、夢から覚めてしまった。せめて、その何かをさせてくれ、と起きてから一瞬思ったのは確かだった。
だけれど、その何かがよく思い出せない。
そう、そんな夢を見て、僕は目がさめた。
時計を見る。八時五分。今日は土曜日だった。
なんて夢だろう。ああ、本当になんて夢なんだ!
僕はとてつもなくさっぱりと目が覚めていた。そんなときがたまにある。
すごくくっきりと目が覚めて、眠気なんてまったく残っていない、そんなときが。
ああ、こいつはさっそく行かなくちゃならない。
だけど―――だけど、楓の親がいるかもしれないし、あっちにはあっちの予定があるだろう、そして僕はまだ朝ご飯を食べていない、しかも親はまだ寝ているからいつご飯かもわからない―――。
いや、そんなことは重要じゃない。時間が経つと色々風化してしまう、そんなことはわかっているはずだろう?
僕には行く場所があるし、目指す人もいる。
この夢から覚めて、心がまだ新鮮なうちに行かなくちゃ―――!
走った。朝の空気はなかなかきれいだ、知っているけど。
黒いシャツに白いパーカーを羽織って走った。今日はちょっと冷え込んでいる。
走っているうちにだんだんハイになる。気をつけろ、興奮していると冷静な思考が出来ない。
冷静な思考が出来ないと、何か予想外の事態が起こったときに対処できない。
無論、予想外の事態が起こったときに興奮してしまうのも駄目だけど。
しかし―――しかし、予想外の出来事に的確に対処できるものだろうか?
僕は、思い込みかもしれないが、そんなに頭の回転が速くないと思っているので、即、その場で対処できないような気がする。だからあらかじめ予想をたくさんしているつもりだけど、それでも予想外の出来事は起きるだろう。するとそれなりにでも、その場で対処しなくてはならない。
解決策らしきものが見つかってもすぐにその場で実行できないときもある。なぜだかその解決法を実行できないときがある。勇気がないと思う。そんなときはすごく気が滅入る。自己嫌悪して。
思わずあまりよくない方法をとってしまうときもある。そのときもまたひどく気が滅入る。
どうしよう、もうそんな気持ちは味わいたくないのに。なんとかしようとしても限界があるのは知っている、でも現時点の僕にはちっとも満足できない。そればかりか今の僕はあまりにも駄目で怒りすら感じる。
でも、ただ怒るだけじゃ駄目だ。解決しなくちゃいけない。
そう、まだそれは問題として残っているのだから。
だけどあやまちはくりかえさないと言葉に出しても、くりかえさないという自信が全く無い。過去のあやまちの数々が、未来にもまたこういうことが起こって、これを阻止することがお前には出来ないと、断言する。
そして僕もその言い分にすごく納得して、そのとおりだと完全に信じてしまう。
しかし。しかし、駄目だろう、それは。なにやらひどく絶望的な気持ちになっているとしても、駄目だ。
それでも、回避できるはずだし、きっと何か方法はある。そう、きっと何か―――
と色々考えながら走っていたら、楓のアパートだ。
階段を駆け上がる。そして彼女の扉の前に着いた。チャイムを鳴らす。
扉の向こうで鐘が鳴る。彼女を呼び出す鐘が鳴る。
「はい?あ、貴理、おはよう」
ドアから彼女が顔を出す。赤いトレーナーに茶色のズボン。
あったかい印象を受ける、いかにも秋物って感じの服装だ。
「ちょっと、一分くらい話していい?」
「え?何?」
ちょっと不思議そうな顔で外に出てくる。
ぎゅっ、とその手を握る。そしてそのまま抱きしめた。
――――もう刹那の瞬間もこの手を離さないから、とは恥ずかしくて言えなかった。
雰囲気が、ちょっと駄目だった。言えない自分に少し気が滅入る。勇気がない。抵抗に負けている。
ああ、でもこの台詞は言うべきか?言うべきでないのか?ああ、ほらまた考えがぐるぐる出てきて動きがとれない。
「あとで、事情は説明するよ。午前中、空いてる?」
「うん。大丈夫」
「よし、それなら午前中にまた会おう」
ばいばい、と手をふって僕は走り出した。
僕は家に帰って、朝ご飯を食べるのだ。そしてまた戻ってくる。
「―――という夢を見たんだよ」
「へえー」
楓に夢の内容を話した。
楓は、ときに笑ったり、真面目な顔をしたりした。
そして語り終えて、すぐに僕は、
「うん、だからさ」
ぎゅっ、と手を握る。
雰囲気は、作ることだって出来るはず。
「もう刹那の瞬間もこの手を離さないから」
なーんてね、と続けて、恥ずかしくないようにしようかとも思ったけど、まあ要らないかと思った。
笑われるかな、とも思った。まあ、それなら、それはそれで楽しめそうだからいいやと思った。
けど、抱きしめられた。
「わたしも、離さない」
僕も抱きしめる。
僕も、もちろん、離さない。