異世界転移
シャーリアと仕事を始めて約二年が経つ。シャーリアには様々な死術の扱い方を徹底的に教え込み、彼女も魂の分離のような普段の仕事を支障なく行えるくらいには成長した。俺も俺でだいぶこの生活には慣れてきた。シャーリアが罵ってきたときだって上手くかわせている……はずだ。
しかし俺は、日に日に一抹の不安を抱えるようになっていた。シャーリアが死神として成長していくのを横目に、俺は本当に死神になりきれているだろうかと考え込むようになっていた。これまで俺は『死神』という看板を背負いながら、自分がしている仕事に自信を持って取り組んでいた。それは俺の人間に対する高慢なプライドへと変化していった。
しかし、シャーリアが死神として、内面から完璧に近づいてきたのにつれて、『死神』という看板がプレッシャーとなってきていた。俺にはまだ人間味がある、と考えては、本物の死神に近づいてきているシャーリアを羨ましく感じてしまっていた。
常日頃考えていたことではあるが、今日はやけにそのことばかりが頭を埋め尽くす。いつもより……月の光が少ないからだろうか。とにかく鬱になる。不気味な夜だ。そんな中俺たちは普段通り仕事をする。
ジージーと唸る電灯を一つ二つと追い越しながら住宅街の真ん中を進んでいく。いつもと変わらぬ静けさ。
しかし、様子がおかしい。
「屍人がいないな」
全方位に向けてくんくんと匂いを確かめている。つられてシャーリアも匂いを確かめる。
「あ、確かに。全く匂いがしない」
「ああ」
……いつもはぷーんと屍人の悪臭が匂ってくるものなのだが、今日はやけに空気が綺麗すぎる。そして綺麗なのにずっしりとした重みがある。もちろん本当に屍人がいないという可能性はある。しかし俺たちの担当区域の広さから考えてそれは起こり得ない。異常だ。
「あぁほら、でも仕事の量も減っていいんじゃないですか?最近働きすぎてましたし、たまには休みも必要なんじゃないですか?ほら、先輩も……」
「黙れ」
「え……?」
……いる。何かがいる。住宅街の道の先。
「いや、あの先輩?」
「黙れ!」
これはただものではない。シャーリアも何か気づいたようで、大鎌を放り出して俺の背後に隠れてしまった。怯えているようだ。こんな状況過去にはない。この瞬間、かなりマズい状況であることを悟った。
道の先には蜃気楼のようにゆらゆらと動く黒い影があった。最初はよく見えなかった。しかし、それがゆっくりと近づいてくるごとに黒い影が次第に濃くなっていった。周りの空気がどしりと重くなる。一瞬で化け物じみた”何か”であることが分かった。
その”何か”というのには心当たりがある。俺が死神になったときに一度だけ会ったことがある。
「……ブラッディア」
「え? 誰?」
ブラッディア──『死神の統率者』
死神の頂点。全ての死神が敬うべき対象。それがなぜ俺たちの目の前にいるのだろうか……?唐突過ぎることで、頭の中が真っ白になった。
黒い影が近づくごとに、付近にある電灯がジージーと一段大きな悲鳴を上げる。俺たちよりも一際大きいことがはっきり分かる。それでも見えるのは何かを取り囲む黒い靄だけだ。暗黒星雲のように背後の光を完全に遮断している。
その姿に呆気に取られていると突然、俺の耳元で恐ろしく低い声が囁いた。声の主はすぐに分かった。
「『アルティメット・クリエイト・アノマリー・スペース』」
彼がそう唱えると、急に地面が激しく揺れ始めた。
『クリエイト・アノマリー・スペース/異常空間作成』──聞いたことはある。だが、今の俺には出すことが出来ない高レベル死術だ。ましてや『究極死術』となると出せるのは一部の限られた死神だけだ。
「逃げろ!」
背後にいるシャーリアに向かって叫ぶ。しかし彼女は少し後ずさりした後に、揺れの影響で地面にへたり込んでしまった。
「……っ!」
タイルが一枚一枚剥がれていくように地面が割れる。上を見上げると……空も割れている。割れた先には黒い空間が広がっている。この空間に閉じ込めるつもりなのだろうか。やはりコイツ、俺たちに敵意がある。
……しかしなぜだ。なぜ死神の統率者が俺たち同胞を殺めるのだ。納得がいかなかった俺は、揺れに狼狽えながら怒りのままにヤツの方へと一歩一歩近づいた。
「なぜだ、ブラッディア!なぜ俺たちに危害を加える!」
反応はない。それでも俺は力を振り絞って近づく。
「今すぐやめろ!お前は仲間を殺めようとしているんだぞ!」
「『アルティメット・パラライズ』」
「うっ」
全身に強い痺れが走った。『パラライズ/麻痺』の死術は知っているし既に扱える。しかしコイツの繰り出す『パラライズ』は俺のと比べても桁が違う。ただの痺れではない。全身に電流が走り、焼け焦げるような感覚。骨の髄までしっかり響いてくる。
痛い。とにかく痛い。いっそ楽になったほうがいいかもしれない。でも、結局死ぬなら最後ぐらい足掻いて終わりたい。
咄嗟に言葉にもならない声が出る。最後の力を込めて黒い影に突進し、大鎌を振り下ろした。
「……フッ」
コイツのドスの聞いた笑い声が聞こえた。大鎌の先を見ると……やはり突き刺したものはなかった。
無益なのは分かっていた。死神には臓物はないし、突き刺す場所はないのだ。でもコイツに死術で勝てるとは思えない。ならばいっそのこと度胸だけでもコイツに勝ちたかった。
……しかし、俺もそろそろ体力が尽きる。悪あがきはここまでなのだろう。振り抜いた鎌の先を見つめながら自然と涙が出る。
(自然のままに死んでいくのも案外悪くないのかもしれない……。それでも不憫すぎる。せめて俺たちを狙った理由を知りたかった……)
そう思いながら全身の力を抜いて、地面に倒れ伏した。
「……面白い。来い」
耳元でそうはっきり聞こえた。すると突然、黒い靄の中から一本の巨大な腕が伸びてきて、地面に倒れ込んだ俺の胸ぐらを掴んできた。そしてなされるがままに持ち上げられ、黒い靄の中へ引き寄せられた。
「お前は本当に面白い」
目の前には……俺の全身と同じぐらいの大きさの髑髏があった。幾度の戦闘を経験してきたのか、至る所にヒビが入っている。同じ死神なのに恐ろしいと感じてしまった。
「俺を……どうするつもりだ……」
「お前は殺めない。度胸が気に入った」
「ならばシャーリアも」
真っ黒い地面にへばっているシャーリアをチラッと見て、再び目線を戻した。
「アイツはダメだ」
「……なぜだ!」
死にかけながらも急に怒りが湧いてきた。なぜ俺はよくてシャーリアはダメなのか。いや、元々はコイツが俺たちを殺めようとしたからこそ起こった悲劇なのだ。まずはここをはっきりしなくてはならない。
「なぜ俺たちを殺そうとしたんだ」
「お前らが元々人間だったからだ」
「……は?」
ワケが分からない。俺たちが元々人間だったのは事実だが、今は死神だ。元人間でも、俺たちは必死に死神としての仕事をしてきたのだ。そんな屁理屈が通ってたまるか。
「人間だったから……?ふざけんな……」
俺もびっくりするほどの震えた声が出た。
「ああ。お前らのような元人間の死神は、振る舞いは死神でも心に人間味が宿る。人間は自堕落な上に欲にまみれた生き物だ。そんな人間が死神をやっていたら仕事にも差し支えが出る」
確かにそれは自分でも自覚がある。仕事への熱意はある反面、疲れればすぐに「休憩」とかいって弛んでいた部分もある。
「しかし、なぜ今更……」
「ああ。以前から、元人間の死神の仕事効率が悪いことは薄々感じていた。だが確証がつかめなくてな。最近、担当区域ごとに、分離していない魂の数や負の感情の量を調べていくうちにそれが明らかになっていったのだ。非効率な奴らを置くなら、心が何者にも染まらない純正の死神を配置した方がいいだろう」
納得したようでうまく飲み込めない。確かに俺たちは自堕落と言われても仕方がないとは思う。だが死神の仕事は必ず全うしてきたつもりだ。幾分の休憩を挟んだとはいえ、仕事の時間に比べればほんのわずかにすぎない。なんなら、ある程度の休憩を取った方が仕事効率は高いのでは? とも思ってしまう。他の死神がどうかは知らないが。
ひとまずシャーリアを助けるためにはなにかしら上手い言い訳が必要だ。あれこれ思案したのち、一呼吸おいてからブラッディアのほうを見つめる。
「ブラッディア……様。これだけは申し上げておきたい。あなたは確かに私を『度胸があるから』という理由で殺めませんでした。でも、あなたが重視しているのは『効率』なんですよね? それならばシャーリアを殺す理由にはなりせん。彼女は確かに元人間です。ですが、彼女を見ている限り、彼女が休むことは一切にありませんでした。あなたが効率、非効率の問題で彼女を殺めるなら、彼女の代わりにまずは俺を殺してください」
もちろん嘘である。彼女は怠惰だ。仕事の合間に、常に休憩を要求してくる。もしブラッディアが俺たちのことを完全に把握していて、彼女の怠惰な側面を知っているのであれば、きっと彼女の首は飛ぶ。
「……そうか」
目の前の巨大な髑髏は一度右上を見上げ、何か思案する。しばらくして何か合点がいったように軽く頷き、俺をまっすぐに見た。どうやら、俺の言い訳に納得してくれたらしい。
「いいだろう。お前らを殺めるのはやめよう。その代わりに……」
ああ。罰でもなんでも受け入れるつもりだ。これでシャーリアが救われるのなら。
「お前たちで、元人間の死神がいかに優秀かを証明しろ」
「どうやって……」
「お前らで異世界へ行け」
「…………は?」
(って?は?異世界?いや、俺は厳しい労働環境に強いられるとか、シャーリアとは二度と会えないとかって、そういうことを言われると思ってたのに)
完全に斜め上からの回答だった。思わず惚けるような顔になってしまった。ブラッディアの言うことが全くわからない。第一、俺たちが異世界に行って何になるのか。
「いいか、これは実験だ。実は私が認知している並行世界の一つに興味深い世界がある。その世界は確かに人間が支配しているのだが、今我々がいる現世とは全く違う。しかもそこには死神が存在しない。まぁこれも実験の一環ではあったのだが……。そんなワケで多くの問題を抱え込んでいる。お前らがそこへ行って、この異世界の秩序を保つことができたのなら、元人間の死神に対する態度も変えようと思う。失敗したのなら元人間の死神は全員殲滅する」
「あぁ、なるほど」
「良いな、この異世界をお前らが責任を持って管理してみろ。俺は外側からお前らが行く異世界を監視することにする」
そう言うとブラッディアは、その巨大な手で口を押さえながら、まじまじと俺の身体を眺めた。いかにも興味津々な眼差しである。ブラッディアがこの実験にどれだけ熱意があるかが分かる。
「あぁでもそうだな……。今のお前らの力じゃ世界全体を統帥するには難しいだろうな」
「私にはあなたほどの力はありません。難しいと思います」
「うむ。異世界に入った瞬間、お前らに私と同様の力を与えよう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ、良かろう。異世界に行ったら、このスクロールを開いてみろ。このスクロールには私の力を凝縮しているから、忽ち力を感じるはずだ。本当は使ってはならないのだが、私はこの実験に非常に興味がある。特別だ」
そう言うと、俺を地面に降ろし、二種類のスクロールを手渡した。一つは死術に関するもの、もう一つは身体能力に関するものだそうだ。
それにしても驚いたことに、さっきまで化け物のようなオーラを纏っていた『死神の統帥者』は、もうすでにその面影をなくしていた。未だに暗黒の空間に閉じ込められてはいるが、自然と恐怖心は薄れていく。
「そしてこれは眷属だ。きっとお前の役に立つ。まだ未使用だから好きなだけ持っていけ」
「家臣みたいなものですか」
「ああそうだ。このスクロールを開くと召喚できる。ただし、一度召喚したら再び収納はできない。良いな?」
そう言うと、これでもかと言うほどどっしりとスクロールを渡してきた。まぁ多いだけありがたいのだが。
「ここで注意事項だ。力を与えたからには再び現世に戻ることはできない。これだけは理解しろ」
「……」
現世に思い入れがないと言ったら嘘になる。でも俺は死神として、どんな世界でも良いから救いたい。弱かった自分をシャーリアを守れるほどにまで成長させてくれたこの『死神』という職業で、秩序を守りたい。
覚悟を決めて俺は小さく頷いた。シャーリアはというと……どうやら話を聞いていたらしく、床に臥しながらも軽く頷いてくれた。
「よし、良いな。それでは。転移の儀式を行う。お前らは目を瞑っていろ」
言われた通りに目を瞑った。今感覚が機能しているのは聴覚のみ。ダラダラと長い呪文が俺の周りで響いている。
次に目が覚めるとそこには何が広がっているのだろうか。俺は楽しみで仕方なかった。
読んでいただきありがとうございます!大分ソラ君が強くなったようにも感じちゃいますが、まぁ2年も死神やってれば……ということで(笑)。評価や感想などをいただけると嬉しいです!