【プロローグ】死神
俺の名前はソラ。今日も仕事で後輩と住宅街に来ている。
「今日の仕事はここら辺一帯だ」
深夜12時。朧雲の中でゆらゆら揺れる月。そして仄かな月明かりに照らし出された閑静な住宅街。全てが俺たちにとっては好条件だった。
冷たい風が俺の黒のローブを靡かせる。その風に混じって流れてくる微かな悪臭が俺の鼻を刺激した。
「あ。この家そうじゃない?屍人の匂いがする」
俺がそう言うと指でその方向へ合図した。指先には一軒の家。明かりはない。見るからに新しいが、ここで独りぼっちで死んでしまうというのは悲しいものだ。
「ああ。多分孤独死だろう。今日はこの家から行こう」
「わかった」
赤いローブをまとったシャーリアがちょこんと頷く。
「大鎌の準備はいいな?」
「うん」
「『死術』を使う際の魔力も足りてるな?」
「足りてる」
「よし、それでは行こう」
そう……俺は──『死神』だ。
この世界の死神は基本的には黒のローブを身につけ、左手には大鎌を持つ。この部分は世間で語られる死神と同じかもしれない。しかし意外なことに、この世界の死神は、普段は人間に似た姿をしている。白骨化した姿になれないわけではないが、その際は『死術』というものを必要とする。だからほとんどの死神は、普段は人間のような姿のままで活動することが多い。
ちなみに我々死神にも感覚があり、視覚、嗅覚、触覚、聴覚、味覚の五感が全て備わっている。だが、死神は人間と違って、霊感というものをはっきりと持っている。まぁ要は、通常は見れないものが見える、ということだ。
死神といえば人間の命を奪う残酷な存在として語り継がれている、が──それは所詮人間レベルの話だ。先に言っておくが、死神の仕事というのは『命を奪うだけ』というような単純なものではない。かなりちゃんとした“道理”っていうもんがある。
「それじゃ、今回は私が……」
「いや、今回も死術をかけるのは俺がやる。まだお前じゃ不安だからな」
「ええ? なんで?」
「いや、そりゃあ、お前がまだ未熟だからだ」
「って、未熟じゃないんですけど!? 私だってもう十分……」
「わかった、わかった、いいから黙れ、馬鹿」
「あ! そういうこと言うから他の死神さんから嫌われてるんですよ、先輩? 私聞いてるんですからね? 他の死神さんが陰口言ってたの」
「な……!」
少しうざいこいつはシャーリアだ。彼女も死神であり、そして俺の仕事上のパートナー。というのも実は、死神は基本パートナー同士で行動する。このパートナーというのは死神界のお偉いさんによって決めらており、こうしてシャーリアが俺のパートナーになる運びとなった。死神というのは思っている以上にかなりの数がいるから、こうして彼女とパートナーを組んだのも必然的なことではない。
ちなみに彼女の前世は……知らん。仕事中にも、休憩中にも、いつまで経っても少しも前世について語ろうとしない。そこには前世を知られたくないという強い意志のようなものも見える。
彼女は新入りの後輩であり、なぜか顔が良い。元人間の死神は、純正の死神とは違って、前世の顔がそのまま引き継がれるから、これが彼女の本来の顔であるはずだ。彼女は基本的に、ローブについているフードを被ることはなく、非常に長い、白銀のツインテールの髪が露出している。残念ながら胸は小さい。というかほぼない。
彼女の本性は小悪魔である。おかげでこの数か月間、彼女と仕事をしていて非常に不快だ。彼女の言動一つ一つに、こう……蔑むような、馬鹿にするようなニュアンスが入っている。言霊とか言うものがあるが、きっと彼女の言霊には小悪魔が住み着いているに違いない。しっかりと子供っぽい声をしているのがさらに小悪魔さを引き出している。とはいえ、彼女の身長と顔を見るからに前世では高校生ぐらいだったと思われる。
「ああ、そこまで言うなら聞くが、お前のほうこそ死神の仕事というものを全く理解していないだろ?」
「いいや、理解してます!」
「そうか、それなら仕事内容も完璧に覚えたんだな?」
「え、まぁ……」
「言えるか?」
そう言うとシャーリアはギクッとして顔をしかめた。ここで「言えません」なんか言ったら数か月間何を見てきたんだって話になる。
俺は追い詰められてあわあわしているシャーリアが面白くなってしまい、フッと嘲笑してしまった。
「言えるよな?」
微笑を浮かべながら彼女を問い詰める。流石に反論の余地なしと感じたのか、シャーリアは素直に顔を上げて、己の無知を認めた。
「……忘れました」
「ああ、そうだろうな。だったら最初からそう言え」
先ほどまでの威勢はどこへ行ってしまったのやら、元気のないシャーリアが再びうつむいてしまった。
流石に可哀そうだったのでせめてもの償いに、彼女の肩をポンポンしてやる。
「わかった。気を落とすな。教えてやるから」
彼女の姿を見兼ね、仕方なくまたあの長々とした説明をしてやることにした。
死神の仕事は大きく分けて3つ。
一つ目は『人間の死体から精魂を分離させること』である。
『精魂』とは生物に宿る生命のことである。生物が生きている間は死ぬまでずっとこの『精魂』が宿る。精魂が一度死んだ生物から抜け出すと一時の漂浪期間を経て再び新たな生命に宿る。そしてこれが連続する。そう、世界は常に輪廻転生を繰り返しているのだ。しかしこのシステムの中で奇異な存在であるのが人間だ。
人間以外の生物は強い感情を持たないため、何もしなくても死ねば勝手に輪廻転生が行われる。しかし、人間は他の生物と違って鋭い感情を持つ。死ぬ間際に「死にたくない」というような感情を持っていると精魂が屍から離れないことがあるのだ。この問題は普段は人間によって執り行われる『お葬式』という儀式により精魂が分離し、正常な輪廻転生が行われるのだが、たとえば独り身のお爺さんが孤独死をした場合、お葬式が行われず精魂が屍から分離しない。
ここで死神が仲立ちを行う。死神には『死術』といういわば魔術のようなものがあるのだが、その中で『セパレート・スピリット/精魂分離』というものがある。これをかけてやることで精魂が分離し、正常な輪廻転生が行われる。
二つ目は『世界の浄化』である。
人間が持つ感情は世界や輪廻転生というサイクルにおいて多少なりとも影響を及ぼす。喜びのような良い感情が多ければ世界は良い方向へ向かっていき、輪廻転生もスムーズに行われる。しかし、恐怖のような負の感情が多ければ世界には負のストレスが溜まり、人間は争いごとを好むようになり、喧嘩や戦争が増える。輪廻転生もスムーズにはいかなくなる。いずれの感情にせよ、その感情が大きくなっていくほど、世界や輪廻転生における影響は大きくなっていく。一応、『クリーン/浄化』という負の感情を取り除く死術は存在するが、あまりにも負の感情が大きすぎるとこの死術では対応しきれない。そして、この『クリーン/浄化』という死術では対処しきれないほどの負の感情が溢れている場合、下記に示されている『死の契約』を執り行う。
三つ目、『死の契約』
死の契約とは、『生物に対して、生きている間の願いを叶える代わりに、生物に宿る精魂をそこからより早く分離させる契約』つまり『良いもの与えて寿命を減らす』ということである。しかしこの契約を行うのには正当な理由がある。この理由を説明するには負の感情について更に掘り下げる必要がある。
人間が負の感情を持つにはその根源となるものがある。たとえば過去に、ローマのネロ帝やフランスのロベスピエールは恐怖政治を行うことにより、そこに住む市民の恐怖の感情を煽った。恐怖政治を断行した彼らはつまり負の感情の根源なのである。おかげで市民の間で不和が発生し、多くの争いごとが発生した。負の感情の根源は感情操作において非常に大きな影響を持つため早急に取り除かなければならない。
だからこそ、我々はそのような人間たちと『死の契約交渉』を行うことがある。契約の舞台はどこか?
それは──諸悪の根源となる客の『夢の中』だ。
夢の中では我々死神が無限に広がる白い空間と木の机、椅子、そして招いた客のためににハーブティーを一杯用意する。呆然と座る客。そして客にハーブティーを催促する。このハーブティーにはちょっとした毒が入っており、これを飲んだ客はのほほんとして判断が鈍る。ここで契約を持ちかける。「君は間も無く莫大な金が手に入る。その代わり、寿命を20年縮める」と言ったように。客は首肯する。契約成功。お互い良い気分になってそれぞれの世界に戻る。この夢は朝になると客の記憶からは完全に消される。
もちろん契約が結ばれないと寿命を故意に縮めることはできない。それが契約というものだ。……まぁハーブティーはずるいかもしれないが。
しかし契約が結ばれれば、諸悪の根源は何らかの形で予定より早く死ぬ。こうして負の感情となる根源は早いうちに消し去ることができる。
しかし、この契約は慎重に行わなければならない。それこそ闇雲に契約を勝ち取ってしまってはのちに悪い影響を及ぼしてしまう可能性だってある。だからこの契約の場が用意されることはあまりない。
とまぁ、こんなところだ。ここまで長く話すことはないが、ひととおりは話した。シャーリアも納得がいったようで、うんうんと頷いてくれた。
ちなみに、死神が扱う死術というのは、それを唱えるだけでかけられるほど単純なものではない。まず、死術をかけるには大鎌が必要であり、大鎌を振りかざした上で、呪文を唱えることで死術をかけることができる。
また、死術にはレベルがあり、レベルごとによって大鎌から放たれる際のパーティクルの色が変わる。パーティクルの色は死術のレベルごとに、低い方から緑、レベルが上がると黄色から赤、そして紫。最終的には黒へと変貌する。緑の死術は『簡易死術』、黄の死術は『応用死術』、赤が『高等死術』、紫が『超高等死術』そして黒は『究極死術』である。
レベルごとに死術のかけ方は変わり、例えば『クリーン/浄化』を応用死術でかける際には『アプリケ・クリーン/浄化』と唱える必要がある。ただし死神全員が全てのレベルの死術をかけることができるわけではなく、ほとんどの死神は『簡易死術』ぐらいしか使えない。鍛錬や経験を重ねることで、次の段階の死術を使うことができるようになるのだ。
ちなみにだが、全ての死術にレベルがあるのかというとそうではなく、一部の死術はレベル分けがなされていない。例えば『セパレート・スピリット/精魂分離』などである。これらの死術は基本、『簡易死術』に分類され、パーティクルの色も緑である。
俺自身は『応用死術』までならばいくつかは扱える。と、そう簡単には言うものの、どんな死術でさえ、呪文を唱えながらそれを体の中で“イメージ”しなければならない。これは超能力で言う『念力』のような感覚と似ている。これが慣れていないと非常に難しい。
しばらくして俺はシャーリアに首で家の中へ行くよう合図する。
「いいか、屍人があるのは多分この家の二階だ。俺が家に侵入したら、お前は周りに他の人間がいないか監視していてくれ」
「はぁい。とは言っても人間には見えてないんだから監視も必要ないと思うけどね」
「念のためだ。しっかり気を配っとけ」
そう言って家の壁をすり抜けて一階に侵入する。死神は別に飛べるわけではないが、通りたい障害物をすり抜けて通ることができるのだ。
もう少し内装を見ていたかった気もしたが、次の仕事もある。さっさと終わらせねば。
俺たちは早速階段をすたすたと上っていく。足音が響くことはない。
上ればすぐに匂いの元を探し出す。
「あそこだ」
指を差した先には「書斎」と書かれたドア。この中に孤独の屍人があるはずだ。
「お前はここにいろ。もし誰かが来たらすぐに教えてくれ」
「了解!」
シャーリアが笑顔で手をおでこに当てて敬礼のポーズをとる。俺もそれに応えるように彼女に向かってちょこんと頷いた。
ドアを開けて中へ入ってみると、そこにあったのは大量の本が飾られている本棚。そして本棚に囲まれるように置いてある大きな机。そして、机の前で車いすに背をかけて静かに眠る老人がいた。死体はまだ新しいようだ。死ぬ前まで作業をしていたのだろうか、机の上には大量の書類とペンが散在している。カーテンが開いており、月光がこの書斎を仄かに照らし出している。
孤独で死んだ人間はお葬式を取り計らってもらえないことが多い。執り行われたとしてもそれはほとんどが簡素なのである。だからこのまま放っておけば、それば屍人の精魂が身体から分離しないことを意味する。それはマズい。
すぐさま俺は大鎌を屍人の前に振りかざし、死術を唱える。
「セパレート・スピリット/精魂分離」
そう唱えるとすぐに、大鎌の先から緑のパーティクルが出てきた。成功だ。淡い緑の光は車いすと屍人を包み込み、しばらくして霧散していく。そして光が消えたかと思うと、すぐに屍人の精魂が身体から抜け出てきた。精魂は青い火の玉のような姿をしており、ゆらゆらと部屋を漂っている。
「さぁ行け」
俺がそう言うと、精魂は飛び立っていくように窓をすり抜けてどこかへ行ってしまった。
抜け出た精魂はしばらく時間が経つと、死神の目にも見えなくなる。もちろん、この屍人の精魂ももう見えない。
「終わりました?」
シャーリアがドアの陰からひょっこりとこちらを覗いている。
「ああ。終わったよ」
「それは良かったです」
「それじゃあ次の行くぞ」
「待ってくださいよ! 休憩しません? もうくたくたで」
「お前何もしてないだろ」
「いや、ちゃんと監視してましたから!」
シャーリアは自信満々の顔で自身の手を胸に据え、自分自身の貢献を誇示しているようだ。
「まぁ、役には立ったよ」
「はぁ!? なんですか? その言い方。まるで私のこと下に見てるみたいじゃないですか!」
「いやいや、お前は後輩だろう? 褒めてやってるだけ感謝しろ」
「はぁ!?」
シャーリアが納得いかない顔でこちらへ踏み寄ってくる。
しかし、俺もこう強がってはいるものの、人間だった時は、誰の役にも立てなかった記憶がある。何をしても報われなかった。そしてそのまま死んだ。
今となってはそれは全て苦い思い出だ。今更掘り返しても仕方がない。そう、今俺は死神だ。そんな昔のことは関係ないのだ。過去に何もできなかった分、今ある仕事を本気で取り組む。それが今俺がやるべきことなのだ。
読んでいただきありがとうございます!かなり設定が難しかったかもしれません……!そのような面も含めて、評価や感想などをいただけるとありがたいです!どうぞよろしくお願いします!