第2話 最初の欠陥
ベルフェとの会話中、急に目が眩んだ。
恐る恐る目を開くと青い空が広がっている。
雲一つない青い空はグラデーションのように美しく、時折吹く風は春のように穏やかだった。
何も見たくないという無意識の表れか、真上を向いていた視線を下げて周囲を見渡す。
どうやら俺は立っていて、ストーンヘンジの中にでもいるような景色が目に入ってきた。
ゲームの世界ならワープポータル的な場所で使われそうな巨石で囲われた円形広場だ。
中央には台座の上に立つ石像がある事から、この場所は人の手で作られた場所だと推測できる。
神殿のような遺跡の中にいるのか、大都市の中にいるのか、今の時点では見当がつかない。
「はぁ、別れの挨拶も無しで転送完了か、話の途中だというのに」
勇者転送は勇者の意識を優先してくれないらしい。行きたくもない異世界に突然飛ばされ、具体的な指示も与えられずに漠然とした目標の達成を依頼される。
その目標は勇者一人で達成できるのかもよくわからない難しいものだ。異世界の平和を取り戻すために必要な情報提供が少なすぎるのではないか?
げんなりするがこれが今の現状だ。
ここからベターを尽くすしかない。
ベストではない、ベターを尽くす事が大事だ。
とりあえずこの世界の人工物、石像に何かヒントは無いかと近寄ってみる。
「うお、これは」
それは見事としか言いようの無い美しい女性の像だった。どういう作りなのか光を反射する程ピカピカしている。
真っ白なその石像は一糸まとわぬ姿で西洋美術の女神像を彷彿とさせる。
しかし、この女神像の輪郭に見覚えがあるような?
あぁ!これは創造主ベルフェ像か!
転送中に見た白ドレス姿との比較はできないが、背丈といい顔立ちといい、この像のモデルはベルフェで間違いない。
これを作った芸術家に全人類を代表して感謝の念を伝えたくなるような傑作だ。
「しかし、いくら像だとしてもこれはどうなんだ」
台座の上で祈りの姿勢をとっているベルフェ像は色々と上手く隠されてはいるが、先ほどまで話していた神の裸体なわけで、これ以上見せつけられれば男として冷静さを失いかねない。
素早く台座に上り背広を脱いで像に被せた。
像にこんな事をするとか本当に馬鹿みたいだが、それほどに精工な作りだ。
台座から降りて確認すると、顔以外の露出面が一気に無くなり非常にもったいない気分になるが、とにかくこれで煩悩から解放される。
「ゴールの平和を取り戻す褒美の前払いとして、胸を揉んでおけばよかったか」
頭を掻きながらバカな事を…ん?んん!?
普段の俺なら絶対言わない類いの発言。
セクハラ・パワハラ発言は本当に注意案件で普段通りなら絶対しない発言だ。
まさかこれが神の性質の影響なのか?
【怠惰】 【好色】
これについては少し気をつける必要がありそうだ。神の胸を揉むなど、天罰が下るとしか思えない。神の性質の《《調整が効かなくなった世界》》…か。
像から視線を外して考えを巡らせていたが、ふと気になるものが視界に入った。
ここの出入り口にあたる巨石の門か?
神殿とまではいかないが、像があった事からも何にせよここは神域という事だろう。
神に対して邪な事を考えていた事もあり、急に何やら背筋に寒いものを感じる。
ばつが悪くなり深く考えるのを辞め、本能のまま足早にここを立ち去ることにした。
ベルフェに頼んだ異世界へ持っていく荷物。
転送直後から着用されているスーツ一式(背広は先ほど失った)。
PC鞄と中身、腕時計、携帯。それらの有無を確認しながら歩く。
溜息しかでない。平和な日本での生活を失い、科学文明ではなく魔法文明の世界へ転勤。日本では殴り合いの喧嘩など一度もした事が無いというのに、命のやり取りをする事になるという。
あまりにも荒唐無稽すぎて現実感が無いため逆に何の焦りもない。ただただ厄介な事になったなと思うばかりだ。むしろやはり、まだ夢の中なのではないか?
「しかし、草原にスーツと革靴姿というのは本当に相性が悪い」
像から巨石の門までの歩道は整備が行き届いておらず、青草が膝丈辺りまで生い茂っており歩を進める度に靴底が滑りそうになる。
剣と魔法の異世界だと言うのにこの姿を選んだのは大学卒業後16年間続けている習慣だからだろう。
機動性や耐久性を考えて汎用性の高い趣味のアウトドア装備一式にするという事も考えたが、凡庸性からスーツにしてしまった。今更にして異世界にスーツが凡庸だと考えるのがそもそも間違いだった気がする。どう考えてもありふれた物では無く、逆に目立ちそうな気がしてきた。とにかくネクタイも邪魔だ、外してしまおう。
次に荷物、ノートパソコンと携帯は充電方法が無いのでそのうち使えなくなるだろう。電波はもちろんあるはずがない、圏外だ。元の世界より持ってきた物は全く役に立つ気がしない。
「服装だけでなく、恩寵の取り方も間違えたかもしれない」
今更ながら後悔の念が湧いてくる。
ベルフェに俺の恩寵は頼まれた事が無い珍しい選択だと言われた事が気になり、転送完了までの限られた時間で例えばどんな恩寵を願うものなのか参考までに聞いておいた。
①剣の達人スキル&人間界最強の剣
②身体強化達人スキル&光学迷彩スキル
③攻撃魔法達人スキル&魔力常時回復スキル
④強化魔法達人スキル&状態異常無効スキル
⑤回復魔法達人スキル&異世界転生(若返り)
具体例を出されて即戦力というイメージが湧いた。あまりに具体的過ぎるので俺以外の勇者が過去に少なくとも5人いた感じがする。彼らがどんな活躍をしたか話を掘り下げて聞くべきだった。
しかも一人は転移ではなく記憶を残したまま転生してるという、転生しても良いのなら恩寵を考える前に教えてくれれば良かったのに。
「メモを取りながら話を聞くべきだった、あと何を話してたか」
確か、66年で一人転送できるとかなんとか。ということは俺が104歳になった頃に勇者がまた転送されてくるはずだ。
16歳の勇者なら82歳の時に、20歳の勇者なら86歳、転生者なら66歳の時だ。
「なるほど、送り込まれた勇者の影響力が次の勇者に被らないようにしているわけか」
勇者は神の力を恩寵として貰い受け、世界で唯一無二の強力な力を持てるという。66年に1人という事で、自然と勇者同士の衝突を避けたシステムなのだろう。
ただ、さすがに定年退職してる年齢《65さい》で勇者として世界の前線で平和を守る戦いをできる気がしない。
世界の均衡をうまく取るためにきっと66年なのだろう、などと《《勝手に推測する。》》
「あとは懸念材料として、俺の能力の確認だな。ステータス画面みたいなのが見えたりしたら便利なんだが…ステータスオープン!!」
俺の声が響き渡るが視界には何も現れない。
「…当然か、異世界とはいえゲームじゃないんだ」
俺はオーバースキルの効果のおかげか通常2つの神の恩寵を合計3つ授かっている。それだけなら他の勇者より秀でているイメージだが、今思うと内容が悪かった。
①取得経験値増加
②能力限界値突破
③オーバースキル
他の勇者と違い、何の達人でもない。転送直後はゴールで同年齢の者より体力面で劣る可能性が十分ある。
これらを選んだのはサラリーマン生活が長く、自分の成長速度や能力に限界を感じてきたからだろうか。社会人になりたての20代ではそんなことまったく思わなかったのにな。
夢の可能性を疑っていた時と違い転送されこれが現実だと実感した今、冷静に考えてみると俺のスキルで神の依頼が達成できるか以前にそもそもこの世界で生き残れるのか不安になってくる。
「まあとにかく、元の世界にノートパソコンと携帯が残らずに済んで良かった。
プライバシーの全てを他人に見られる可能性があったからな、恥ずかしすぎる」
現実逃避と不安からか、バカな独り言をつぶやきつつ鞄の荷物確認もしながら歩く。
特に問題なく荷物の確認も終わり、間近に迫った巨石の門を観光気分でゆっくり見物しようと足を止め視線を上げた。
視界に一瞬何かが映り込みすぐさま消える。
※ドスッ※
「ッ⁉」
鈍い音とともに地面が揺れた気がする。
緊張からか身体が硬直して動かず、目だけでをそれを探す。
長い木材が地面に突き刺さっていた。
門を見るため立ち止まらなかったらあの木材は俺の体を貫いていた可能性があると理解した途端、動悸が激しくなる。
落ち着け!
これは建築中の建物から鉄骨が落ちてきたみたいなもんだ!
状況を把握するためその木材を観察する。木材は地面に近くなるにつれ赤色に染められている。更に下を確認したかったが、青草のせいで隠れている。
この木材、音と振動から想像したサイズより細い。人間の手で握れる程のサイズか。つまり青草に隠れている部分が重い。
鍬、鋤、つるはし、スコップ、フォーク、大木槌、鎌、槍、斧
ホームセンターで見かけるような見慣れた用品から連想ははじまり、ここが剣と魔法の世界という事から消去法で考える。
おおよそ検討がついた、武器の可能性が高い。どこから飛んできたのか?それとも落ちてきたのか?それに赤色も気になるが俺は今丸腰だ、とにかく少しでも身を守れる可能性が増えるならそれを手に取るべきだろう。
たぶん槍か斧と思われる柄を握ろうと手を伸ばした時、喉に違和感を感じ咄嗟に首元を右手で押さえた。
生暖かく、ぬるりとした感触。
「ッ⁉ガハ」
喉から口に向かって何かが勢いよく溢れ出し、周囲の青草と木材の一部が赤く染まった。
痛い、苦しい、息ができない。
あの木材は俺の足を確実に止めさせる罠となり、そこを何かで狙われたのか?
皮膚が切れた感じも何かが刺さっている感じもしないというのに、何だこれは。
このままでは死ぬしかない。サラリーマンお得意の冷静に考えるだけじゃ本当に死ぬしかない。
目前に迫る死の恐怖と痛みが体を無理やり動かす。踵を返し、左手に持っていた鞄で背中を守るようにして門から像まで走る。
苦しい、苦しい、息もできずに走れるわけがない。
背中に衝撃が走り前に吹き飛ばされたあげく青草で地面を滑る。
真っ白なシャツは緑と赤と茶に染まった。
痛みしかない、酸素不足で意識も飛びそうだ。
もう無理だと分かっていても、体は前に逃げようと視界を向ける。
鞄が宙から落ちてきた、俺の腕もついたままだ。
「ガ・・ッガ」
声にならない悲鳴。
青い空にあの美しかったベルフェ像が視界の端に入る。
あぁ、本当に、胸を触ってれば良かった。
俺の世界は暗転した。