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第3話 龍王バハムートの結界

◆ドラゴンと天使の異世界・異種族恋愛ファンタジーです。

毎週火・土曜日の夜8:00に更新予定。

第一章は龍界編。主人公の一人、アスランの話です。長くなりそうですがよろしくお付き合いください。


「疲れたよ」


 部屋に戻るなり、息詰まりな礼服の襟元を緩めながらアスランはぼやいた。着替えを持った召使を押しのけてルルが飛んでくると着替えを手伝い、「お疲れ様です!」と大きな声で言う。


「どうでしたか、新しいお妃!」


 あけすけに聞いてくるルルに、アスランは思わず噴き出した。


「え、えっ。何すか、お妃、面白かったんですか」

「違う。お前が面白い」


 部屋の隅では、ルルの不躾な質問に召使の女の方が青くなって震え上がっている。無理もないことで、ほかの兄姉の部屋では、部屋付きや召使が些細なことで兄王子や姉姫たちの機嫌を損ねて残酷な罰を受けているらしい。


「……そうだな、どうだったかと言えば」


 アスランは、ゆったりとした部屋着に袖を通すと、細長い指を顎に当てて少し考えた。


「とても強く、美しい人に見えた。あと、この王宮の中ではリリカの次にまともだ」

「へぇえ」


 思わぬ賛辞に、ルルは目を瞬かせる。


「アスラン様の好みドンピシャだったっすね!」


 次の瞬間、耐えかねた召使の女が物凄い形相で走ってきてルルの頭をはたいた。


「いったぁ! 何するんだババア!」

「おだまり! サラマンダー家の令息だからと黙っていたらこの! 無礼者、この!」


 普段は空気のように静かな女が金切声を上げながらルルを何度も打ったかと思うと、その首根っこを掴み、自分より背の高い頭をぶんっと下げさせた。


「アスラン殿下、申し訳ありません。よく言って聞かせますのでどうか、どうか……」


 一連の素早すぎる動きに一瞬呆気に取られていたアスランだが、ルルを自分の後ろに隠すように押しやり、震えながら何度も一緒に頭を下げる召使の女に、口の端を僅かに上げた。ルルは何だかんだと、仲間たちから好かれているようだ。


「構わん。お前たちを見ていたら、少し気が晴れた」


 少なくとも、身の周りにいてくれるドラゴンたちは自分と近い価値観を持っているように思う。父王のことは父王のこと。僕には関係ない、と自分に言い聞かせて、アスランは目を丸くしている召使と頭を押さえつけられたままのルルを後にして寝室に入った。

 ドラゴンは眠らなくても、生命活動にも思考にも影響がない。それでも、王宮に来てからアスランはよく「眠る」という行為を生活に取り入れた。時間は無限にあり、すべきこともなく、考えたくないことが多い。それらを消化するのに、ちょうどいい行為だったからだ。



 太陽が大空をひと巡りして、再び龍界を照らし始めた頃、アスランは目を覚ました。窓から見る空は金紅に輝いて、燃えているようだ。夜と朝の間のこの時間、王宮は最も静まり返っている。彼にとって、一番好きな時間帯だった。

 あと二刻ほどすると朝食の時間で、それが終わればウィスタリアがまた山のような課題を持って現れる。その前に、誰もいない王宮の庭を散歩するのがアスランの日課だった。


 龍界は空に浮かぶいくつものラグーンから成っていて、王宮がある島は最も大きく、浮かぶ位置も高い。だから広い庭の先まで行けば、朝焼けの中に浮かぶほかの島々が見える。黒龍の谷は、朝陽が昇ってくる方角にあり、今は雲海の中に隠れているようだ。


 ―――ああ、


 王宮に来てからこの景色を見るたびに声にならない叫びが体の底から沸き上がる。


 ―――風よりも速かった翼を広げ、力強い尾で舵を切って、空を駆けられたら!

 

 ビシビシっと乾いた音がして、一瞬アスランの腕に黒い鱗が現れた。

 しかしすぐに割れて剥がれ落ち、人の腕に戻る。王宮に満ちる龍王の魔力が通った結界が、龍王以外のドラゴンには龍の姿になることを許さない。

 万が一の反乱も起こさせないよう、王宮のある島に入ったドラゴンは龍の姿を封じられてしまう。その力を開放されるのは、この島から出た時か、龍王が死んだ時だけだ。父王を殺すことができる訳はなく、島を出ようとしても、何の能力もないアスランでは衛兵たちにあっさりと捕まってしまうだろう。


「……こんな瞳などなければよかった」


 思わず零れた弱音に自分で驚いた、その時。広い庭のどこかに、もう一人誰かいる気配があることにアスランは気付いた。聞かれていなかったか確かめるよう、気配を探る。どうやら、自分がいる東側ではなく、北の方の庭を誰かが小走りに走っている。


 いつもなら放っておいて部屋に戻るところだが、その何者かの狂気を感じさせる足取り、耳を澄ませば微かに聞こえてくる手負いの獣のような息遣いが気になった。

 気配を殺して、そっと北側の庭へ移動する。アスランがいた東側の庭と違ってこちらは背の高い木や茂みが多く、森のようになっている。その中を石畳の散策路が何本か通っているために、相手に見つからずに移動ができそうだった。

 気配を辿って、木の陰を選びながら移動すると異国の衣装がふわりと揺れるのが見えた。


(……クレディア王妃………) 


そこにいたのは、昨日紹介された父王の新しい王妃だった。故郷の部屋着なのか、長い布を巻き付けて帯を巻いただけの薄着、足元は裸足だ。すぐ側にアスランがいることなど気付きもせず、真っ直ぐに庭の果てにある腰の高さ程度の外壁へ向かい、遥か遠くに浮かぶラグーンに向かっていきなり――吠えた。


「ウォオオォオオオォオオオオォオオ!!」


 人型を取った雌とは思えない、雄々しく強い咆哮が朝焼けの空を震わせる。驚いて見ていると、彼女の姿が心なしか大きく膨れ上がり始めている。


(――まさか)


「グォオォォオオオォオォ!! ガァアァアァア―――!!」


 そのまさかだった。二の腕にボコンと筋肉が現れ、手が大きく長くなり、肌に無数のひび割れが走って鱗になる。爪は長く伸び、明るい茶色の髪の毛は黄土色の固いたてがみになって背中を覆い始めた。

 肩甲骨が膨れ上がって翼が現れる。半人半龍の姿のまま、地面を蹴って飛び立とうとした。だが―――


「ギャアァアァアァアァアア!!」


 次の瞬間、翼がベキベキッと音を立て、無残に折れ曲がり始めた。爪が折れ、爪と指の間から血が噴き出す。鱗もささくれのように反り立ち、クレディア本人の肌に突き刺ささって、まるで無数のガラス片が体から生えているような姿になる。


「な……、」


 木の陰から一部始終を見ていたアスランは戦慄した。龍王のあまりに無慈悲な結界にも、この結界の中であそこまでドラゴンの姿に戻ることができるクレディアにも。

 逃げようとしたのか。北にある、自分の故郷に向かって飛ぼうとしていたのか。


「ア……アァアーーーー……」


 崩れ落ちながら、空に手を伸ばしてクレディアが哭いた。


「……アエリ…タ……。アエリタ……」


 異国の響きを持つ声が悲痛に誰かの名前を呼んだ。その時、ふと、昨日の晩餐会でのリリカの言葉が蘇った。


<帰りたい、帰りたいって言いながら泣いていたの……>


(かえりたい、じゃなくて……「アエリタ」だったんじゃないだろうか。アースドラゴンの王の名前か……?)


 キン、キンと固く澄んだ音がして琥珀色の鱗が石畳の上に落ちた。折れた翼も消え、たてがみも茶色の髪になり、血だらけの人型に戻ってぺたんとその場に座り込んだクレディアの目に涙が光っていた。アスランはぎょっとする。いくら祖国から無理やり連れてこられ、番と引き離されたとしても、古い血を持つ純血のドラゴンが泣くとは……。


「う……う……、うぅ~……」


 クレディアは折れてくしゃくしゃになった翼を醜い瘤のように背中にぶら下げ、血の滲む指先で石畳を引っ搔きながら嗚咽を漏らし始めた。


 ガリ、ガリ。ガリ、ガリ、ガリ、ガリ。


 爪がめくれ、指の肉が直接石畳を擦っている。それでも、やり場のない怒りをぶつけるように石畳を引っ掻き続ける。


 ガリ、ガリ……ガリ……グチュ……


「……、やめろ」


 湿った音に、アスランは思わず近付いて、彼女の手を取っていた。石畳から引き離した手は血で真っ赤に染まっている。


「―――はナせ!」


 途端に、涙に濡れていた緑色の瞳が獰猛な光を放った。この国のドラゴンを全員憎んでいるのだろう。物凄い力でアスランの手を振り解くと、クレディアはよろよろと立ち上がり、破れてボロボロになった部屋着を雑に体に巻き直した。

 もう一度アスランを見て、そこで初めて彼女は目の前にいるのが昨日の晩餐会にいた王子の一人だと気付いたようだ。龍王と同じ金色の瞳を真っ直ぐ見つめ、嫌悪感を露わにした顔で睨むと、くるりと長い髪を翻し、よろけながら王宮の方へ戻って行ってしまった。


 後ろ姿を見送りながら、アスランはただただ彼女の真っ直ぐな怒りに驚いていた。自分は、王宮に来てから一度でもあんな風に怒りを表したことがあっただろうか。

 ――いや、ないし、できない。己の無力さのために囚われているという事実を認めるということが、ドラゴンとしてのプライドにかけてできない。


「あんな王族の女性もいるのか……」


 興味なのか好意なのか分からない感情が、ぽつりとアスランの胸に灯る。自分と似た境遇にいながら、抵抗を諦めない姿への憧れもあったのかもしれない。


 しかし、クレディアの燃え盛るほどの怒りと狂気の理由は、無理やり連れてこられた理不尽のためではなかった。もっと深刻で、龍界全体に影響を及ぼすほどのものだった。



 この時のアスランは、まだそのことにはまったく気付いていない。

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なかじま ひゃく

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