~秋、留年をかけたテスト勉強と収穫祭五~
稽古場の戸締りを済ませて客間に戻り少しだけ花ちゃんとおしゃべりしていると、花ちゃん家の時計の針がもうお昼だと音を鳴らして告げた。
朝からそれなりの時間お邪魔しているし、花ちゃんの舞の練習を邪魔しちゃうからそろそろお暇しようかとも思っていた矢先、花のおばあちゃんがお昼作ったから食べていきんさいと、冷やしそうめんとおつゆ、それにトッピングの野菜が机の上に並べられていた。
ここまで準備されていると、とてもじゃないけど帰りますとは言い難い。
それに食べなかったら、花のおばあちゃんの機嫌を損ねてしまいそうで、そうなったらそうなったで面倒だ。
……ここはありがたくごちそうになってた方がよさそう。
蒼汰の方を見ると、どうやら蒼汰も同じ考えだったようで花のおばあちゃんに感謝の言葉を告げながら、四人で食卓を囲んだ。
用意していただいた箸を手に取り、早速そうめんのほうに手を伸ばし、氷水が見えなくなるほど器いっぱいに入っているそうめんを箸で一つかみして、器からおつゆの入った小さな器へと移す。
器越しに伝わるほどキンキンに冷えているそうめんは、お昼時ということもあって私の食欲をさらにかきたてた。
早速頂こうと、おつゆにつけたそうめんを口へ運ぼうとしたとき、
「それで、茜ちゃんは私の舞を見て何か感じるものはあったかな?」
花ちゃんが、私たちに今日この場所を訪ねた本当の理由について質問を投げかけてきた。
そうめんを見てからそうめんのことしか頭になく、すっかりそのことを忘れかけていたので、そうめんで埋め尽くされた頭を何とか先程の花ちゃんの舞の記憶があるところへ巻き戻していく。
何か感じたもの……。
…………。
…………。
…………。
凄いものを見た事しか覚えてない。
むしろ、他に何と言えばいいのかわからない。
「えっと、その……、凄かったね?」
あまりにもチープすぎる私の返事を聞いて、隣でそうめんをすすっていた蒼汰はガックシと肩を落とす。
「茜……。それじゃぁ俺がここに連れて来た意味がないじゃないか」
「え!?どうして!?……あっ」
蒼汰にそう言われて、あの時の言葉を思い出す。
今一番頑張っている人の所へ行くんだよ。
数日前の蒼汰は私にそう言った。
あの時はこれから先の事が不安でどうしようもなくって、深く物事を考えられていなかった。
だから蒼汰がどうしてこんな場を用意してくれたのか今まで分かっていなかったけれど、その意味が今ようやく分かった。
「……もしかして、私のモチベーションをあげるために花ちゃんに会わせてくれたの?」
「むしろ、あの発言からいったいどんな理由で花の家に連れて来たと思うんだ!?」
私の発言に蒼汰は呆れと驚きを隠しきれないみたいで、目を見開きながら体を目いっぱい使ってどうして気付かなかったんだと訴えてくる。
どうして気付かなかったのかとアピールされても、気が付かなかったものは気が付かなかったもの。
むしろ、私みたいな勉強嫌いで、かつ直感で動こうとするような人間に、そんな頭のいい考えを求める事は間違っている。
そもそも頭の中で問題がグルグルしていた時に、気付けというのが無理な話だ。
だから、私が蒼汰に返すことが出来る答えはこれだ。
「……さぁ?」
「さぁ!?」
私の何も考えていない発言に、ウゴゴゴゴと頭を抱える蒼汰。
そんな私と蒼汰のやり取りを見てクスクスと笑う花ちゃん。
昔からの何も変わらない。
そんな当たり前の光景。
でも、学校ではもう見ることはできない光景。
だからこそ少し寂しくもあって、ずっとこの時間が続けばいいのにと叶わないことを考えたりもする。
訪れる事のない高校生活を思い描きながら、今、この瞬間を私は楽しむ。
「それで、茜ちゃんは私の舞を見て元気になったかな?」
私達のやり取りを見ていて笑っていた花ちゃんは笑いが収まって一息入れてから、もう一度私に同じ質問を投げかけた。
今度は、私がまっすぐと答えを出せるように。
けれど、一体どうしたらいいんだろう。
言葉にすることもはばかられるほど素晴らしいと感じたものに、今度は言葉をつける。
その工程の難しさに加えて、私のボキャブラリーが少ないことも相まって、うんうんとうなっても全く言葉が出てこない。
うーん、なんだろう。
求めていることは分かっていても、求めている言葉は浮かばない。
何かしら最適であるはずのたった一言が、私の頭の中から出てこない。
それがとてももどかしい。
もどかしくて仕方がない。
何とか言葉をひねり出そうと、何度も、何度も、何度も数少ない言葉が頭をめぐる。
それでも満足が行く答えを作ることはできない。
どうしようどうしようと悩んでいると、ふと花ちゃんと目があった。
その目はただまっすぐ、まっすぐに私を見つめていた。
それはきっと、何か特別な答えを待っているんじゃなくって。
私だけのありふれた答えを待っているような、そんな気がした。
だから、きっと、難しい言葉はいらない。
伝えることは一つだけだ。
「それは、もう、ばっちりだよ!」
右手で親指を突き立て、渾身の笑顔で花ちゃんに応える。
これが花ちゃんの求めていた反応だったのか、それは分からないけれど。
「茜ちゃんらしい答えだね」
花ちゃんは私の返事にそう言ってクスクスと笑った。
それから少しして、さすがにこれ以上お邪魔するのは花ちゃんに迷惑をかけてしまうと思い、家を後にすることになった。
その際、玄関で別れる時に花ちゃんから意外な言葉をもらった。
「今日みたいな週末のお昼ごろなら時間があるから、茜ちゃんさえよければ勉強教えるよ」
あまりにも意外なお誘いに、逆にいいの?迷惑にならないかな?と尋ね返す。
「私は別に大丈夫だよ。……おばあちゃんが許してくれるかだけど」
そうしてちらっと花ちゃんはおばあちゃんに目配せを送る。
花のおばあちゃんはすぐに口を開いて何か言おうとしたけれど、それを飲み込むかのように一度口を閉じてから、
「……週末の土曜日、昼頃なら構わないよ」
ため息をつきながらも、了承してくれた。
この時期の花のおばあちゃんなら、忙しい時にそんな事言うんじゃないよ!さぁ帰った帰った!くらい言いそうなのに、一体どうしたんだろう。
「ほら、これからまた舞の練習を再開するから、はよ帰りんさい」
だけど、その心変わりの理由を花のおばあちゃんから聞けないまま、私たちは外に追い出されると玄関の扉を閉めてしまった。
「また来週会おうね」
扉越しに花ちゃんは私たちに別れを告げると、玄関越しにぼやけて映っていた影が家の奥の方へと消えて行った。
どうやら二人とも舞の練習のために稽古場に向かったみたい。
それもあって、取り残されてしまった私達の周りは、先程までのにぎやかさが嘘のようにしんと静かになる。
聞こえてくるのは遠くの方から鳴り響く、あいも変わらずにぎやかな蝉の声。
今まで涼しいと感じていた場所の温度が、不思議と上がっていくのを感じる。
花ちゃんの家の中で忘れていた夏の残り香が再び私たちを包みこみ、引いていた汗がまたぽつぽつと湧き水のようにあふれだした。
このまま花ちゃんの家の前で立っておくわけにもいかないので、私たちはその場を後にしてまた神社まで戻り、朝に蒼汰がひいこら言いながら登った長い階段を下る。
階段を下りきって舗装されていない道路へ出ると、普段こちらでは見るはずのないよく見る野菜屋のおじちゃんのトラックが止まっていた。
野菜屋のおじちゃんは運転席で煙草をふかしながら何かを眺めていたので、いつも野菜を買いに来たときのように運転席をノックする。
すっと視線をこちらに動かすと、
「おぉ!茜ちゃんたちか!ちょうどよかった」
と言って運転席で煙草をつぶし野菜屋のおじちゃんは座席から降りて来た。
「ちょうどよかったって、どうしたのおじちゃん?」
「いや、じょう…………知り合いの猫が逃げちゃってね」
こんな感じの猫なんだけど。
野菜屋のおじちゃんはそう言って、私達たちに座席でずっと眺めていた物を見せてくれた。
そこに写っていたのは、腰まで伸びる長髪と学生服を身にまとった少女と、赤い着物を身にまとったおかっぱ頭の小さな女の子。
そして少女の腕に抱かれた赤い首輪をした灰色の顔が少しぶすっとした猫の写真だった。
少女達の横には入学式という立札があることから、これは入学式に撮られた写真の様だった。
……どうして入学式の写真に猫が写っているかは謎だけど。
「山の方に逃げたらしくて、丁度おじさんが甘導村に向かうからついでに探してくるよとは言ったんだけど……」
おじさんはそこで言葉をきって大きくため息をついた。
この様子だと、どうやらそれと言った目撃情報はないみたい。
「私は見てないかなー。蒼汰はこの写真に写っている猫ちゃん見た事ある?」
蒼汰はよく堤防で釣りをしていて、群がってくる猫たちに取り過ぎた魚を何匹か分けたりしているので、もしかしたらこの猫ちゃんをどこかで見た事があるかもしれない。
そんな私の予想に反して、蒼汰の返事は渋いものだった。
「いや、俺もその写真の猫は見た事はないなぁ」
その返事を聞いて、野菜屋のおじちゃんはそうだよなぁと少し困った顔をした。
「蒼汰君なら見た事あるんじゃないかと思ったけれど、こりゃ仕方ない。知り合いにもそう伝えるよ」
ありがとうな、二人とも。
そう言っておじさんはその写真を胸ポケットにしまった。
「そう言えば茜ちゃんたちはここで何をしていたんだい?この時期は神社に近づく人なんて限られた人しかいないだろう?」
今一番突かれたくないところを突かれて、心臓がぴょんと跳ね上がり、暑さでかいていた汗が冷や汗へと変わる。
野菜屋のおじちゃんにどう返事をしようかと言葉を詰まらせていると、おじさんはそんな私の反応を見て、ケラケラと笑った。
「何をそんなに焦っとるんね。悪いことをしてたわけでもあるまいし。ましておじちゃんは村の外の人間だから、村のしきたりなんて気にせんよ」
蒼汰君もそんな気にしていないだろう?と野菜屋のおじさんは蒼汰の方にも話を振った。
けれど、蒼汰も私と同じように言葉を詰まらせたので、目を一瞬きょとんとさせてから、何だ、蒼汰君もか、とゲラゲラ笑った。
でも、この場所で出会ったのが野菜屋のおじちゃんで本当に良かった。
他の村の人だったら、きっと私たちが神社の長い階段から下ってきたその理由について、深く掘り下げてくると思う。
特に、村長に見つかったのなら尚更。
あのじじいなら、想像を超えた面倒くさい事態に発展している。
だから本当に野菜屋のおじちゃんでよかった。
ゲラゲラ笑っていたおじさんの笑いが少ししておさまると、
「二人はこれから何か用事はあるのかい?」
と尋ねられた。
特にこれから先どこで何かしようとかは決めていなかったので、蒼汰と二人してどうしようかと顔を見合わせる。
「荷台になるけれど、村の方に戻るんだったらだったら下まで乗っけてくよ」
今日の分の野菜は完売してしまったからね。
そう言いながら親指で空になった荷台を指さした。
「ご迷惑にならないですか?」
蒼汰がさすがに、そんなことをしてもらうわけにはいかないと声をあげる。
「迷惑だなんて思っていたら、おじさんから乗ってかないかなんて聞かないよ」
確かに野菜屋のおじさんの言う通りだ。
ならここは、野菜屋のおじさんの善意に甘えさせてもらおう。
「じゃぁお邪魔しまーす」
そう言いながら私は、おじさんの空いた荷台にヒョイッと飛び乗った。
「少しくらい遠慮しろよ、茜」
私のその行動力に、驚いたのか呆れたのか、蒼汰は複雑な表情で私の事をジトーッとした目で見る。
「人のご厚意には甘えとかないと、色々損するよー」
「少しは躊躇え、って言ってるんだよ」
「えぇー、別にいいじゃーん」
野菜屋のおじさんがいいよって言ってるんだから、乗せてもらえばいいのに。
損な性格してるなーと思う。
蒼汰らしいと言えば蒼汰らしいけど、だからこそもったいない。
もっと人に頼ってもいいのに。
……現在進行形で蒼汰に頼っている私が、言えたものではないけれど。
そんな考えがおそらく顔に出ていたのかもしれない。
野菜屋のおじさんが、少しだけ気を利かせてくれた。
「なんだ、蒼汰君はトラックの荷台に乗るのが怖いのかい?男が女の子に肝っ玉で負けてるなんて格好つかねえぞ」
ニシシと笑いながら、野菜屋のおじさんは蒼汰の事を少しからかった。
おじさんのその言葉が聞いたのか、蒼汰は別に怖いわけではないけれどと愚痴をこぼしながらもお邪魔しますとトラックの荷台に乗り込む。
野菜屋のおじさんはそれを見届けてから、運転席に乗り込むと、エンジンをかけて車の向きを百八十度回転させてから、土ででこぼことした道をゆっくりと進みだした。
そうして村の役場の前にまで乗せてもらうと、今度見かけたらうちの野菜たくさん買ってなと言葉を残して、野菜屋のおじさんは村の外へと続く道をトラックで走り抜けていった。
小さくなっていくトラックに手を振りながら、蒼汰に残りの時間で勉強するかどうか尋ねる。
まだ日が暮れるには早いし、蒼汰なら勉強しようって言うはず。
「……疲れたから、今日は帰って寝る!じゃっ!」
そうして、私は蒼汰と一緒に勉強をしに……。
……あれ?
これ、蒼汰家に帰ってない?
パッと隣にいる蒼汰に視線を移す。
が、そこにいたはずの蒼汰はすでに役場を抜けて、蒼汰の家に帰ろうとしていた。
「ちょっと!勉強教えてよー!」
勉強を教えてもらっている立場の人間がこんなことを言うのはなんだけれど、今日は花ちゃんからたくさん元気をもらったから。
私も負けないように頑張らないと。
待ってーと声をあげながら、帰ってしまう蒼汰を追いかけまわし、その日は蒼汰の家にまで乗り込んで、残りの時間で無理矢理勉強を教えてもらった。
そうして三時間ほど蒼汰に勉強を見てもらった後、日も暮れてきたので猪が出る前に帰れと言われ、そのまま家を追い出された。
また明日もよろしくねー、と家の中に戻っていった蒼汰に声をかけて、地平線に沈んでいく太陽を背中に、私は自宅へと一直線に帰った。