~秋、留年をかけたテスト勉強と収穫祭二~
次の日の放課後、私のメンタルは昨日からボロボロになりかけていた。
何でかって言うと、登校中に挨拶をするおじさんおばさんたちから、私の留年の話が出てくるから。
村みたいな小規模集団だと、小さな噂はすぐに広がってしまう。
誰にも話していなくても、次の日にはほとんどの村に住む人に筒抜け状態。
村や集落での噂の広がり方は恐ろしいとはよく言ったものだけど、それを自分の身で体験することになるとは思いもしなかった。
「いつまでそうやってしょげてるんだよ」
すでに荷物をまとめて外に出る準備が出来ている蒼汰が、机に顔をうずめる形でしょげている私に声をかける。
「だってー……」
「茜が自分でまいた種なんだから、諦めてまじめに勉強するしかないだろ」
「でもー……」
「文句言っても成績は上がらないんだから、早く行って勉強するぞ」
「はーい……」
蒼汰の言う通り、ここでしょげていても何も変わらないし、それどころか留年が確定してしまう。
そんな未来だけは何とか避けないとと思い、心と体に鞭を打って立ち上がると荷物をまとめて蒼汰の後に続いて学校を出て、村役場へと向かった。
村役場に着くと友姉が私たちを待っていたようで、私たちをみて、
「来たねぇ。純情ボーイと鈍感ガール」
ニヤッと笑いながら出迎えてくれた。
「変なあだ名付けないでください」
「やだなぁ。そのままの事を言っただけなのに~」
昨日から変わらず、友姉は蒼汰を楽しそうにおちょくっている。
おちょくられている蒼汰は少し不機嫌そうだけど、どこか照れているようにも見て取れる。
そんなわかりやすい蒼汰と友姉のやり取りを見てニコニコしながら待っていると、友姉が私の方を見て「……ハァ」とため息をつくと、
「……頑張るんだぞ」
憐れみの表情を浮かべながら蒼汰の肩を叩いた。
「憐れまなくていいですから!それより早く公民館の鍵を貸してください!」
流石に友姉からのおちょくりに堪えられなくなったのか、蒼汰は公民館の鍵へと話を戻す。
「あー、あれね。ちょっと先に来た野菜売りのおじさんに貸しちゃった」
昨日きちんと用意しておくという話は一体何だったのやら。
流石友姉。ずぼらなところは昔からまったく変わっていない。
「でも、蒼汰たちが帰ってくる前には戻ってくるって言ってたんだけどなぁ。……多分まだ公民館にいると思うから、鍵はおじさんから受け取っておいてくれると、私の手続きが楽になるなぁ」
「それって友姉が楽をしたいだけじゃ……」
「さぁ二人とも、勉強頑張ってらっしゃーい」
友姉は蒼汰の色々と言いたかった言葉を遮って受付から出てくると、蒼汰と私の背中を押して村役場から追い出してしまった。
きっと仕事がガサツなところを追及されたくなかったんだろうな。
このまま友姉の所に戻っても、私の成績は何一つ上がらないし、ただただ留年に近づくだけだ。
蒼汰は釈然としない顔をしていたけれど、ここから動かないと何も始まらないと思ったのか、私に行こうと声をかけて公民館へと向かっていったので、私は蒼汰の背中を追った。
公民館はこの村では村人にとってかなり少ない娯楽施設の一つ。
図書館としても機能しているし、集会場にもなればすぐ横には小さな公園もあることから、子どもたちの遊び場にもなる。
昔は友姉や律子姉とよく一緒にここで遊んでもらった。
あの時の楽しい思いでは、今でも鮮明に残っている。
私達が公民館にたどり着いた時には扉は開いており、駐車場には隅の方に一台の軽トラックが停めてあった。
どうらや野菜売りのおじさんはまだ中にいるみたい。
空いている扉から入ってみた所、一階の図書館のスペースで、野菜売りのおじさんは何かの本を手に取って、読みふけっていた。
野菜売りのおじさんと声をかけると、読んでいた本から目を離して視線をこちらに移した。
「おぉ、蒼汰君に茜ちゃんか。こんなところに来てどうしたんだい?」
「ここに勉強しに来たんです。おじさんが鍵を借りていったと公民館で聞いたので……」
蒼汰がここに来た理由をおじさんに説明した所「あぁそう言えば受付のお嬢ちゃんにそんなこと言われていたねぇ」と言いながらおじさんは時計を確認した。
「あらら、一時間以上たってたね。すまないね、あまりにも興味深い本があったから、つい読みふけってしまったよ」
そう言いながらおじさんは読んでいた本を閉じ、丁寧に本棚にしまうとポケットから鍵を取り出して、近くにいた蒼汰に手渡した。
「ほい、勉強頑張ってね」
「また野菜売りに来るからね」と言葉を残しておじさんは軽トラに乗り込むと、あまり整備されていない道をガタガタと荷物を揺らしながら公民館を後にした。
軽トラの音が遠くなったころ、
「ほら、勉強しようぜ。中間テストまで一か月しかないんだからさ」
「……だねー」
蒼汰から促されて、やりたくはないけれどやらなければいけない勉強をするために、公民館に入ると、蒼汰と一緒に7時になるまで勉強をした。
その結果…………。
「まさかあそこまで茜が勉強できないとは思わなかった……」
蒼汰の目の前に広がられた簡単な基礎問題に、たくさん別マークがついた五教科のノート。
テストの結果からおおよそ予想できた惨劇ではあったが、改めて広げられてみると目も当てられない。
バツバツバツバツバツバツ…………。
どうしてこうなったのか私が聞きたいくらいだけど、一番頭を抱えているのは蒼汰だろうから、とりあえず何も言わないことにする。
ただ、私の心もボロボロなんだよ?
それだけは、分かってほしい。
「……とりあえず、どれだけ茜が勉強苦手でさぼってきたかって言うのがよく分かった」
頭を抱えながら蒼汰かが私に向けた発言は、朝からボロボロになりかけていた私の心を破壊するのに、十分な威力を持ったものだった。
「それをどうにかしてよー!蒼汰―!留年だけはしたくないよー!」
「うわっ!泣きつくなって!っていうか、テスト結果は俺じゃかえられないんだから、茜が頑張るしかないんだぞ!」
至極まっとうな蒼汰の意見が砕けた私の心をさらに細かく粉砕させていく。
「もう…………嫌だああああああああああ!」
開始一日目だというのに、私の心は勉強を頑張るという思考を手放しそうになっていた。
ということもあったので、次の日。
「律子先生、茜の成績向上のために協力してください!」
「お願いします!」
蒼汰と共に昼休みの間、律子先生の元を訪れて、勉強を教えてほしいと頭を下げた。
「テストのレベルからおおよそは予想できるけれど、茜は今何が出来ていないとか蒼汰は把握しているの?」
律子姉の疑問に、蒼汰が昨日公民館で私が解いた問題のノートを提示する。
その中を見て、明らかに律子先生は顔をしかめた。
「茜、あなた中学までは成績はそれなりによかったじゃない。それがどうしたらここ半年で知能という毛根が抜けた禿げの馬鹿になるのよ」
独特な言葉の切れ味で、この前のテスト返却の時のような何とも言えない脱力感に見舞われる。
どうしてこうなったのと言われても、中学校の頃から勉強のスタイルは変えてないし、与えられた課題もこなさなかったわけじゃない。
唯一変わったとがあるとすれば、中学校まで一緒に学校に通って勉強していた花ちゃんがいなくなったことくらい。
だから、この問題で一番不思議なのは、勉強のスタイルを何も変えていないのに、高校生になってから突然成績が滑り落ちるように下がったことだった。
「……なんで私の成績って下がったんだろう?」
「それは私や蒼汰が一番聞きたいところよ」
「中学生の気分でずっと勉強続けてるからじゃないか?」
「二人とももうちょっと柔らかい言葉で言えない!?」
昨日から死体蹴りも良いところ。
私のメンタルはもう砂粒のようにさらさらと風に飛ばされている。
何とか涙と汗で固め直すことはできないかな。
「……とりあえず簡単な基礎問題のプリントは用意しておくから、放課後になったら取りに来なさい。何をするにしてもここからは茜の頑張り次第なんだから」
そんな厳しい言葉を私に向けながら、それでも律子先生は昨日からへこたれつつあった私の背中を押してくれた。
昔からそうだけど、なんだかんだ言いながら律子先生は面倒見がいい。
だから、私が頑張ればその頑張りに応えてくれる人。
それが、律子先生。
もとい律子姉だ。
「ありがとう!律子姉!」
「学校では律子先生って言いなさい」
律子先生をいつ通りの呼び方で呼んでしまったことにピシャリと指摘を受けるが、すぐに柔らかい表情に戻ると
「また放課後にいらっしゃい。昼の授業が始まるわよ。準備は出来てるの?」
一時を指し示している時計を指さしながら、クスリと笑った。
五時限目の授業の準備を何もしていなかった私たちは、律子先生にもう一度頭を下げて急いで職員室を後にして教室へと走った。
そうして五時限目、六時限目を乗り越えて放課後。
改めて職員室へと向かうと、律子先生は私の為に五教科分の簡単な問題集を作ってくれていた。
「はい、これ今日の分ね」
そう言って手渡されたプリントの数は十数枚。
多すぎるわけでもなく、少なすぎるわけでもなく、私が一日でできるであろう課題をまとめてくれていた。
「放課後の頑張りは友から色々聞いているから、しっかりこなしておいで」
「うん!ありがとう!律子姉!」
律子姉から手渡しでもらったプリントを私はすぐにカバンにしまうと、改めてお礼を述べてから蒼汰の手を取って役場へと向かって走り出した。
「……まったくあの子は、子どもの頃から変わらないなぁ」
そんなハチャメチャに元気な茜が、グラウンドを抜けて校門をくぐるところを
クスクスと笑いながら見送る。
「律子先生。この前のお話、今よろしいですかな?」
……来た。
今日も聞きたくもない、あの話。
それでもこの事実には向き合わなくちゃいけない。
それが、私がこの村、甘導村へと戻ってきた理由。
「何度も言いますけれど、私はその話に首を縦には振らないですからね」
断固、ゆるぎない意志を持って私は立ち向かう。
そして、友姉から公民館の鍵を借りて、律子姉からもらったプリントを解いてみた私は……。
「わからないー!」
もらった基礎問題プリントに早速躓いていた。
「そこは何度も説明しただろう?」
蒼汰の言う通り、私は蒼汰から何度も何度も何度も。
それこそ耳にタコができるほどに教えてもらった。
それなのに、なぜか全然成長しない。
少し問題が解けるようになったら、また躓く問題が出てきて、これの繰り返し。
しかもこれを五教科分もやるのだから、初めの方にやってしまった分がプリントを終える頃にはいくつかポロポロと抜け落ちてしまっている
かなり無茶なことをしているということはわかっているけれど、こんな形をずっと続けていてもきっと成績は向上しないどころか、記憶が混濁して余計に分からなくなってしまいそう。
家に帰ったら私は自分の性格上まじめにやらないことは、自分で理解している。
だからこそ外で出来るだけ多く解いて理解し、家に持って帰ってわからないところをまとめる。
そうした勉強スタイルをとりたいのだけれど、分からない部分が多すぎることが災いして、分からないところが分からないという、最悪の循環を繰り返している。
どうしよう、どうしよう、と心の中では早くも焦りが生まれ始めている。
不安で押しつぶされそうになる。
まだまだ時間に余裕もあるのに、目の前に立ちはだかった壁があまりにも大きすぎるように感じて、私では到底超えられるような気がしない。
皆が応援してくれているのに、皆が私の背中を押してくれているのに、こんな簡単なところで躓いてしまっている自分が、嫌いになる。
そんな悪いことを悶々と考えてしまって、いつの間にか私のシャーペンを握っていた手は止まってしまっていた。
それを見かねたのか、蒼汰は私からプリントとシャーペンを取り上げた。
「一度休憩にしよう」
そうして、蒼汰に促されるままに一度公民館から外に出ることにした。
外は相変わらず秋とは思えないほど暑くて、外にいるだけで残っているやる気を根こそぎ奪われそうになる。
「まだ始まったばかりなのに難しい顔してたぞ。そんなに中間テストが不安なのか?」
早速、私の心を押しつぶしそうになっている悩みを的確に言い当てられる。
だてに十年以上も幼馴染みを続けているだけはある。
「……こんな状態で私、大丈夫かな」
私の現在の学力と残り日数から逆算して、本当にどうにかできるのか不安でしかない。
「大丈夫、とは言えないな」
率直な蒼汰の感想に、思わずずっこけそうになる。
そこはなんかこう、一緒に頑張って行こうよ的な励ましをするのが、幼馴染なんじゃないかと思うんだけど。
「そこは私を励ましたりしてモチベーションをあげさせたりするんじゃないの?」
「事実を捻じ曲げて行ってもなぁ。それで茜が変な自信持っても困るし」
「それは、まぁ、その通りだけど」
「だから、まずは自分の実力がどの程度かってことと、今どれだけ無謀なことをしているのかって言う事を理解することだな」
散々な言いようだ。
とてもじゃないけれど、私に勉強を教えてくれている人が言うセリフではないと思う。
「……結局何が言いたいの?」
蒼汰の発言の意図が全く分からないので、単刀直入に聞いてみる。
「今一番頑張っている人の所に行くんだよ」
そう言って蒼汰はニカッと笑った。