第七回 箱入りの貴公子が策を述べ、主人公は鄴へおつかいに行くことに
劉備軍が許の南側の汝南・潁川で暴れ始めると再び官渡城への補給線も攻撃されるようになった。劉備の将として名高い関羽・張飛の二枚看板に加え、新しく加わった趙雲という男も二人に劣らないほどの強さであった。彼ら三人はわが軍の徐晃将軍や曹仁将軍らと同等以上に渡り合える。さすがに両将軍が輜重隊の当番の際には相手も本気では攻めかかってこないが、味方が弱いとみるとすぐに襲撃をかけてくる。これにより度々官渡への補給が途絶えるようになってしまった。
そればかりか許より南の各郡も劉備軍、それに味方する黄巾の残党や汝南にはびこる袁家寄りの豪族が息を吹き返した。汝南太守の満寵どの、陽安太守の李通どのなどとは連絡が取りにくくなり、それぞれ個別に事態に対処させるしかない有様であった。遠方の太守などは命令に応じなかったり、中には袁紹方に寝返ったりする者もいるようで、情勢は厳しさを増していた。地方長官たちだけでなく、中央の武将や役人にも離反の寝返りの噂が立つようになり、袁紹軍に親族が使えている荀彧様、鍾繇使君、郭嘉軍師の名前を密かに挙げる者もおり、雰囲気は重苦しいものとなっていた。
そんな中、殿は関羽ショックで再び引き籠りがちとなっており、また曹操軍の主力は官渡で袁紹軍との対峙が続いており曹操陣営全体として有効な策は打てていなかった。状況を荀彧様へは逐次報告をしているが特に返答は無かった。
「袁紹軍の増援部隊が烏巣に新たに陣営を築いているようです」
「んー、向こうは余力がまだあるってことっすかね」
「いや、これで八万に達しようとしているはずなので、さすがに河北からの動員はめいっぱいでしょう」
「大軍になればやはり弱点は補給っすね、しっかしどうやってそれを突くかですが……」
「我々が向こうの韓猛を討ったせいでは特に慎重になっています。スキはなかなかありません」
「大耳の劉備のせいで逆にこっちの兵糧がヤバいですね。あと1か月ほどしか備蓄はありません」
両軍師が議論を続けているが殿の反応は薄い。ちゃんと聞いているのだろうか。
「殿、ここは思い切って徐州軍を官渡に召喚し、許からも軍勢を呼んで決戦を行いましょう」
「でものう、徐州軍は袁紹側の青州のけん制の役割もある。徐州からの圧力がなくなると袁紹軍に青州の兵が合流するかもしれんぞ」
「どうも孫策が予想通り死んだらしいっすよ。揚州軍を呼びますか」
「そもそも各州や許の軍勢をここへ呼んで、留守役が裏切ったら破滅じゃのう……噂によると許のじゅ」
「殿!その先は言ってはなりませぬ!」
「あーだめっす。その考えはやめておきましょう」
殿は何を言っても消極的な反応ばかりで味方への疑念も口に出してしまいそうであった。今日の軍議もそのまま何も方針や策を打ち出すこともなく解散となったのであった。
その夜、徐晃将軍が当番の輜重部隊が到着し、妙に大きな葛籠が殿の元に届いた。中からなんと荀彧様が現れた。「こんばんは」と。殿は最初はポカンとしていたが「くっくっく」と忍び笑いから始まってしまいには爆笑していた。嫡子の曹丕どのは「こんな策があるのですね!いつか私も使ってみたいです」と感心していた。
「いったいどうしたのだ我が子房よ、葛籠に入って良い知らせを持ってきたのか」
「殿はまだ落ち込んでいるのですか?いつもの箱に入れて届けた私の書簡はお読みになったのでしょうか?」
「その後でのう……関羽のことがのう……」
「なるほど、それでは殿はもうすぐ治りますね」
「そうなのか?」
「はい。関羽将軍をお求めになる心があるということは、様々な欲が出てきているということなのでは」
「そういえば先日の九温酒は美味であったぞ」
「ならばもう心配はございません。殿だけでなく皆も戦っているのです。殿は小さくても良いので一歩を踏み出して下さいませ。あとは我々が支えます」
「うむ、わかった。頼りにしておるぞ。で、何か策があるからわざわざ来たのであろう」
「はい、良策を仕込んでおりますのでご裁可を頂きたく、忍んで参りました」
「よほどの機密事項とみたが、なんじゃろう」
「許攸を寝返らせます」
「許子遠をか。確かにあの者であれば叩けば埃は出てくるであろうが」
「はい、許攸の家族の者が袁紹軍の物資を横流しして儲けていることが、鄴で留守居と物資手配を行っている審配に感知されて許攸の処罰に動く可能性があるのことです。」
荀彧様に以前聞いた話だが、許攸は何顒、袁紹、張邈、伍瓊ら五人の「奔走の友」の一員であり、殿は五人の弟分として彼らにくっついて行動をしていた。以前に述べた袁紹と殿による花嫁泥棒の逸話にも許攸や張邈が絡んでいる。反董卓連合を袁紹と殿が立ち上げた際、袁紹、張邈、許攸は洛陽を脱出して董卓と戦うため軍隊を集めた。結局董卓と実戦を交えたのは殿だけだったのだが、それはさておき残りの二人である何顒と伍瓊は朝廷に残り董卓の側で彼を騙しながら便宜を図り、発覚して伍瓊は処刑され何顒も獄中で果てたのであった。
霊帝の御代、許攸は霊帝を廃して別の皇族を立てる謀議に参加して殿を誘ったが、殿はこれを断った。許攸は「貪欲で不純」だと評されていたが、ある人は「危難に立ち向かい、泥を被ることを厭わない」とも評しており、時に思い切った行動を取る人だと荀彧様は評していた。
「どのようにして寝返らせるのか?」
「兄の荀諶が袁紹軍におり、許攸とは仲が悪いです。許攸一族による不正を密告すれば喜んで鄴を押さえている審配に告げるでしょう。審配が動けば許攸は処罰されるでしょうが、許攸は誇り高き人物がゆえ、素直に罰を受けはしません。そこに当方から渡りをつけます」
「荀諶が動かせるのであれば許攸は動くであろうが、許攸を寝返らせる目的はどこにある?機密事項に通じていることは間違いないであろうが」
「報告を伺いましたが袁紹方の淳于瓊が大軍を率いて烏巣に陣取ったとか。私はこれは恐らく強大な輜重部隊なのであろうと思っていますが、詳細は探れていますしょうか?」
「間諜に探らせているのですが、はっきりとは分かりそうにもないっすね。敵も警戒していてきちんとは入り込めていないっす」
郭嘉軍師が答える。
「そのあたりを許攸なら把握しているはずです。袁紹軍の食料が烏巣に集積されているのであれば、ここを入手なり焼き払うことができれば敵に大打撃を与えることができます。ただし味方は寡兵、攻撃した先に物資が無かったらわざわざ攻撃する価値は低いですし、敵方に万全な備えがあったならば当方が破滅します。賭けに出るのに値する確証が欲しいところです」
「そこで許子遠ということだな。やっかいな先輩を迎えることになるが、みすみす殺させるくらいならば役に立ってもらおうか。よし、やってみよ」
荀彧様の良策が殿には一番効くようだ。敵陣や地形の分析などで軍議は大いに盛り上がり、久々に活気のある雰囲気であった。そして翌朝荀彧さまに呼び出された。
「この書簡を鄴にいる兄に届けてきてください。この封泥は荀家の者しか使わないものなので、これを見せれば各地で通行証にも身分の保証にもなりますし、兄の屋敷にも入れます。見せればあとは兄は動いてくれます」
「かしこまりました」
「渡したらしばらく支持を現地で待っていてください」
こうして単身袁紹が治める鄴に潜入することになったのであった。
次回、いよいよ袁紹軍の大軍師にして殿の大先輩である許攸との面会!