第六回 郭嘉軍師のアドバイス、からのげえっ!関羽
半年以上の籠城戦が続き戦況はこう着状態。曹操軍の兵士たちにも疲れが見えていた。食料も節約が続いており目が落ちくぼんだ、さながら餓鬼のような形相で皆任務に就いていた。兵士の間で穀物配給の枡が小さくなり量が少なくなっているのは食料係が着服をしているのではないかと根も葉もない噂が流れたこともあり、食料係が身の危険を感じたので夜間に脱出させて許に連れてきたのだが、官渡城では食料係は斬られただの、袁紹軍の回し者だっただの、噂でしばらくもちきりであった。
またあるとき、殿の護衛を務める許褚どのが非番の日を狙って数人の兵士が曹操殿の命を狙って反乱を起こしたのであったが、許褚どのは本人曰く「胸騒ぎがした」と言って非番にも関わらず陣営に顔を出したので兵士たちは動揺の色を隠せず、不審に思った許褚に斬られて事なきを得たという事件もあったほどであった。
このように軍全体は極限状態であったが殿の精神状態は意外にも小康状態を保っていた。郭嘉軍師や荀攸軍師と作戦を練りながら、徐晃、任峻、曹仁ら各将軍を繰り出してネチネチと袁紹軍の輜重隊への攻撃を続けたので、袁紹方の韓猛は怖気づいて決して挑みかかっては来ないようになっていた。
他にも満寵どのが残していった投石機を改良したり、孫策の切り崩し工作の一環として孫賁の娘と三男の曹彰どのとの縁談を進めたりなど、戦いだけでなく外交にもこまごまと動いていた。
ある時、執務室で荀彧様への報告をしたためていると郭嘉軍師に声をかけられた。
「精が出るね。荀令君への書簡かな?」
「はい、荀尚書令様は許を離れられませんからなるべく細かく官渡の状況を報告するようにしております!」
「荀令君の下では長いんだっけ?」
「はい。殿が黄巾を破った頃からですから八年くらいになります」
「なるほど、じゃあ令君の考えもばっちり分かるってわけだ」
「いえいえ、とんでもないです。半分も、いや三割ですら怪しいところです」
「ほほう、大きく出たね。令君の三割の考えで動けているなら充分優秀だと思うけど?」
「うっ、い、いや、一割も難しいかと……」
気さくに見えてこの人の前では下手なことは言えない。
「と、とにかく尚書令の耳目となり、官渡の皆様との橋渡しを全霊で努めたいと思います」
「なるほどね、まあ耳目としてなら君はまずまずの働きだとは思うよ」
「恐れ入ります」
「でもまだ足りない。耳目だけでなく口にもならないと」
「しかし、私は命令に従ってここに来ている身でございまして」
「まあそうだろうけど、ここぞという時には気張んなきゃダメだ。この間の荀令君の書簡を君が朗読したときは、なかなかに迫真の演技で良かったじゃないか。殿の心も動いたようだしね」
「あれはただ書簡を読んだだけですから……」
「でも荀令君の気持ちが乗り移っていた。しかも君はあの後の議論でも令君はこう考えていたのだろう、って論じていたじゃないか。」
「申し訳ありません、僭越でした」
確かにあの時は自分らしからず饒舌であった。殿や歴々の軍師たちの前にも関わらず。荀彧様の涙を思い出し、自分も感情的になっていたのだろう。
「いいんだよ僭越なくらいで。って俺が言っても説得力ないかな?あはは」
「あ、いや、そんなことは」
「あの時みたいに荀令君の思考をなぞる訓練を日頃からしてみることだね。師匠としてはこの上なく筋がいいわけだし。それに我が軍は言うまでもなく最大級の危機の中にいる。誰もが十二分に力を出さねばならない」
「はっ!わざわざのご指導、痛み入ります。誠にありがとうございます。自分にできるかは分かりませんが、励んでみます」
「そうか。ところで指導料としてこの前の九温酒、俺用にまた取り寄せておいてね。よろしく。じゃあ頑張って」
郭嘉軍師らしい最後の軽口だったが、笑顔を返す余裕もなく去っていく軍師を見送るしかなかった。自分はこの乱世で自分の力で果たして何を為すことができるのだろうか。生き延びるだけで精一杯でここまで来たのだが、郭嘉軍師のような上層部はこの危機的な状況でも泰然としていて自分のような弱輩への指導に気を遣う余裕がある。そのことが頼もしくも恐ろしくあるのであった。
「注進!汝南に再び劉備軍が現れ、黄巾残党の龔都と連携して各地の城砦を落としているとのことです!袁家に味方する豪族も再び反旗を翻しており、五千ほどの軍になっている模様」
数日後、戦況の変化の一報が舞い込んだ。悪い方向にだ。劉備は殿が「英雄」と評価するほどの戦上手であり、局地戦では部類の強さを発揮する。しかも負けが見えるとさっさと撤収して自軍を温存し、壊滅させたと思ってもいつのまにか別の場所で再起している。戦巧者であり、したたかさも持ち合わせた名将であった。袁紹と連携して徐州で反旗を翻し、殿の電撃作戦で壊滅したが、袁紹の元に逃げ延びて保護された。そして元々の予州牧の地位を活かして袁紹から兵を借り、汝南を荒らしまわっていたが曹仁将軍が撃退していた。このたび、自分の手兵を率いて再び汝南に入り、さらに許がある潁川郡に出張ってきたのだという。
「満寵の兵だけでは劉備は押さえられまい。許から蔡陽を出撃させよ。兵は二千」
「蔡陽では劉備の相手としては不足かと」
「劉備と戦う必要は無い。満寵と連携して劉備軍を南北からけん制し、劉備軍へ合流しようとする者を攻撃して劉備軍の増大を防ぐように。許を攻撃できるような大軍に膨れ上がらないようにすればよい」
殿の判断は正常のようだ。兵も糧食も無い状況で合理的な判断に思える。郭嘉・荀攸の両軍師も納得している。しかし時に一流の軍師の想定であっても、それを超える事態は起こるのであった。一週間ほど経ち、伝令が再び送られてきた。
「蔡陽どの、討ち死にです」
「なに?命令に違反して劉備と戦ったのか?」
荀攸軍師が問う。
「いえ、劉備に合流しようとした五十名ほどの小部隊を攻撃したところ、返り討ちにあった模様です」
「二千が五十に!?」
「はっ、敵には旗印が無くはっきりとはしませんが、長い髭を蓄えた武将、おそらく関羽であろうと思われます」
「あ、その名前を出しちゃだめだ」
郭嘉軍師が止めようとしたが遅かった。
「関羽!関将軍!おおお、なぜそなたは私のもとを……やはり貴公は劉備でないとだめだったのか」
殿が涙を流し嘆きはじめる。取り付く島もない。
「殿、あやつは殿にあれだけの恩がありながら、我が蔡陽を討って仇で返したのですぞ」
「そうですよー。だからせめて閉じ込めておこうって言ったのに。格好つけて放っちゃうもんだからこうなるんですよ」
両軍師は劉備主従には散々手こずらされているので、彼らに対しては辛辣である。関羽が劉備とはぐれて殿に降伏した際に、一度恩を返してから劉備のもとへ戻るというのが約束であった。そして関羽が袁紹軍の名将であった顔良を討ち取った際に、軍師たちは関羽に見張りをつけて許に閉じ込めておこうと進言したが、殿は関羽を行かせたのであった。
「もしかしたら関羽は私の度量の広さに感じ入って残ってくれるかもしれない、と思ったのじゃが……」
「いやいやいや、だから言ったでしょう、劉備と関羽の絆はヤバいって、裂くのは無理だって」
「うぅぅ、関羽ぅぅぅ」
殿は寛解の方向に向かっていたのだが、ここに来て最愛の想い人にフラれたことが確定してしまった。この日以降、殿は部屋に閉じこもってしまい以前の状態に逆戻りになってしまったのであった。
焼け木杭に火が付くのは実は良い兆候?次回、頼りになるのは過去の人より今の人