第二回 天才郭嘉が彼らしい励ましを立案し、敵襲をかいくぐり官渡に赴く
郭嘉、字は奉孝。
荀彧様とは同郷だが年は一回りほど若い。従って荀彧様や荀攸殿など他の軍師よりも後に曹操に仕えたのだが、急激に頭角を現した。二年前に曹操が呂布を討伐した際に従軍し、様々な策を立てて貢献した。特に今後の展開を予測することに長けており「先読みの郭奉孝」との異名がある。
「荀彧様、定例報告は届いておりますかぁ?」
「ご苦労様です。一昨日届きました。やはり補給ですね」
「そうですねー。官渡城には二万斛の食糧が残っていて二万の兵と戦闘補助員への補給が完全に途絶えると二週間、配給を減らしても三週間しか持たないっすね。*1) 許からの補給隊が袁紹軍の韓猛に襲われるのがムカつくので、荀攸どのと対策を練っている最中っす。返り討ちにしてやろうかと」
「分かりました。まずは無事に官渡への輸送が成り立つことを優先してください。その上で韓猛の首が取れれば上々でしょう」
「承知っす。韓猛はけっこう向こう見ずな奴らしいんで、付け入る隙が見つかったらついでに殺っときますよ」
曹操軍は元々袁紹軍から枝分かれしたようなもので、荀彧様も最初は袁紹に仕えていた。そして曹操殿が兗州を治めるようになった際に荀彧様は袁紹に志願して曹操付きの軍師になったのであった。
既に荀彧様の兄の荀諶が袁紹の軍師の一人として活躍していたので、袁紹からすると弟分の曹操に軍師として余り気味だった荀彧様をつけてやったようなものだったのだろう。郭嘉どのも袁紹の高名な軍師である郭図と遠い親戚らしい。同盟していた頃は交流もあったのでお互い顔見知りなのだ。
そんなもんだから袁紹の部下の性格なんかも判明している。もっともそれは袁紹側からみても我々の顔は割れているのだが。
「それよりやっかいなのは殿の精神ですね。落ち込みっぷりがヤバいっす。超めんどくせえ」
「相変わらずですか。まあ励ましてやってくださいよ。私も昔、とある宴会で殿が袁紹に勝る四か条を話しました。その内容を先日改めて書簡にして送っておいたのですが」
「ああ、残念ながらあまり効果なかったですねぇ。俺なんか四つどころか十か条挙げたのだけど、やっぱり駄目でしたねぇ」
「もう項羽と劉邦のたとえ話は通用しませんね……」
殿の重症っぷりは継続中のようだ。どんな名医も匙を投げるだろう。華佗も張仲景*2) も心の病までは治せまい。
「まあ君主が困らないと軍師の出番は無いのでいいっすけどね~。君子たるもの愛嬌も肝要なり」
「それ誰の言葉でしたっけ?孔子?いや老子?」
「おお、まさか荀令君ともあろうお方がご存じありませんか?」
郭嘉どのはわざわざ荀彧様のあだ名を持ち出してもったいぶる。
「寡聞にして存じませんね」
「へへへ、当然です。俺の言葉っすから。俺が死んだら誰かが俺の言葉をまとめておいてくんねえかな。きっと飛ぶように売れまっせ~」
「はいはい、くだらないこと言ってないでもう出立なさい」
「まあ俺の得意な話題で殿を励ましておきますよ~」
「ほう、ちなみにどんな話題で?」
「殿を励ますなら俄然酒か女かなぁと」
「それは郭嘉殿ならではですね」
荀彧様の皮肉が飛ぶ。しかし郭嘉殿には効いていないようだ。むしろニヤニヤ嬉しそうだ。
「袁紹んとこの次男坊の袁煕が最近めとったヨメが絶世の美女らしいので、さっさと袁家を滅ぼして側に置きましょうってね。殿は未亡人大好きですからね」
確かに大きな声では言えないが殿の側室には未亡人が多いので好みなのだろう。徐州で殿が民の大虐殺を行った際に拾ってきた環夫人。滅ぼした呂布の部下の奥方だった杜夫人。この人は劉備の義弟の関羽が横恋慕してきたのだが殿は譲らなかった。関羽が結局逃げて行った理由の一つかもしれない。何進の子の嫁だった尹夫人なんかは殿はその連れ子まで自分の子のように可愛がっている。*3)
「まあ、ここは郭嘉殿のお手並み拝見と行きましょうか」
「承知っす。殿はこの話をしたらきっと奥方様がたが恋しくなるでしょうから、側室のどなたか、できれば馬に乗れて戦場でも耐えられる方に官渡城に来てもらうよう手配をお願いします」
「うまくいけば、ですね。杜夫人が適任でしょう。なにせ幷州からあの呂布の軍にずっと付き従っていた御方で馬にも慣れておられる。今回も郭嘉殿の先読みが当たるよう、願っています」
今回は殿の様子を見てこいとの荀彧さまの命令で、官渡城に帰還する郭嘉殿に自分もついていった。郭嘉殿は行きはわずかな供の者と急行してきたのだが、帰りは補給隊に混ざることになった。道中でやはり敵の韓猛の襲撃があったが、今回の補給隊は徐晃将軍が当番として指揮を振るっていた。補給隊の護衛なんぞは微々たる兵力なのだが、迎撃する徐晃将軍の整然とした陣をみて韓猛は手を出さずに撤退していった。
「軍師どの、韓猛は軽率と聞いておりましたが、簡単には攻めかかってこないようですな」
「徐晃将軍の陣形が美し過ぎるからっすね。もっとこう、ごちゃっとした、スキのある感じだと向こうも攻めてくるかもしれませんねぇ」
「今回は四隊(二百人)分の兵しかいませんので、堅実に行くしか」
「もちろん。被害が無い上に韓猛を観察できたので今日はこれで充分っすよ」
敵は五百ほどの騎馬隊だったので襲い掛かってきておかしくないのだが、相手も徐晃将軍の圧を感じたのであろう。袁紹軍もきちんとこちらを測っているのだ。郭嘉殿の虚実をないまぜた策が決まらないとこちらの兵力の不利は補えないのだなと改めて思った。
官渡城で殿に会う。随分と痩せたというか、やつれている。髪もボサボサ。眼だけがギラギラとしており、落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしながら書簡を読んでいたが、郭嘉殿が部屋に入ると竹簡の山を押しのけて、
「……。戻ったか……奉孝よ。また輸送隊が襲われておる。考えてみたのだが……」
「はいはいーい。殿、その件は荀攸殿と対応策を検討済みなので後で二人で説明しますねー。まずは酒です。前に殿が南陽郡の郭芝*4) から聞き出した酒の製造法の通りに許で作らせてみたんすよ。ご賞味あれ」
嫡子の曹丕殿や荀攸軍師なども交えて酒宴が始まる。籠城中で質素ではあるが楽しい宴会、、にしたかったのだが殿の表情は相変わらず暗い。
「殿、酒のお味はいかがですか?前回作ったものより甘味がほんのり出ていて良くなっていると思うのですが」
「最近なんだか食事の味が薄く感じるのじゃ。まあ言われてみれば確かに旨いのう……」
これはまずい。食事の味が分からなくなるのは典型的なうつの症状だ。重症だ。
「ところで最近得た情報では袁紹の次男坊の袁煕が最近めとったヨメが絶世の美女らしいですよ。このまえ殿はえくぼが大事だとおっしゃっていたじゃないですか?その甄とかいう袁煕のヨメもえくぼ美人らしいっす。さっさと袁家を滅ぼして殿の側に置きましょう」
「おお、父上。これは狙わねばなりませぬな」
曹丕殿がかぶり気味に畳みかける。しかし殿の反応は薄い。
「……そうじゃのう。奪い取ってきたらお前の嫁にでも取るかのう」
食欲だけでなく性欲も失われているらしい。これは杜夫人を連れてきても効果は望めなさそうだ。あまり宴会は盛り上がらないまま、殿も早々に席を退出して終了した。苦痛で疲労感のみが残る類の宴会であった。
「まあ、結局は具体的な策の実行と成功で殿を元気づけていくしかないでしょう。二次会を兼ねて検討しませんか?」
珍しく荀攸殿が自分から二次会を申し出たので郭嘉殿も驚き、
「おおお~、いいっすねぇ。もうこんな雰囲気になっちまったら飲み直すしかないっす。ぜひぜひやりましょう!」
とノリノリであった。
*1) 食料の消費に関しては篠田耕一「三国志軍事ガイド」新紀元社1993を参考にさせて頂きました。この本はパネェっす。
*2) 華佗も張仲景も当時の有名な医者です。この先出てこない(はず)なので三国志に詳しくない方は名前は忘れちゃってもこの小説を読む限りでは支障はありませんが、現代の中医学に通じる影響を与えた医学の巨人たちです。
*3) 尹夫人の連れ子が何晏、杜夫人の連れ子が秦朗ですがこの小説には出てきませんので名前覚えなくて大丈夫です。
*4) 郭芝は曹操に「九醞春酒法」というお酒の作り方を教えた人です。名前忘れてオッケーです。
次回、前線担当軍師の寡黙な荀攸が具体的な献策で曹操殿を励まそうとする。果たして曹操殿は立ち直るのか?