第一回 官渡から退却したい曹操は荀彧に泣きつき、荀彧は都から励まし策を講じる
殿の悪い癖が出ている。殿は勢いに乗ればイケイケドンドン。多少の劣勢をも覆して勝利をもぎ取ることができる。
曹操、字は孟徳。
かつて「乱世の姦雄」と評された男である。私の上司の荀彧様は殿の軍師の中の筆頭であり、いつも都の許で留守を守り、前線への物資の輸送から都の治安まで、あらゆることに目を光らせている。その荀彧様が
「戦場で閃くがままに臨機応変に指揮を振るう殿は正に天才ですね」
と、言っていたほどだ。でもそれに続けて
「皆には隠していますが、峻厳剛直に見えて実は窮地に陥ると弱気になることも多いのです。我々軍師には策を授けるのだけではなく、弱気になった殿を励ますのも重要な役割なのです」
「でもこれは皆にはあまり知られないようにして下さいね」
と釘をさされた。機密事項なのであろう。こんなことが知られたら敵に付け込まれるであろうし、そもそも恥ずかしい。いや、敵の袁紹は殿とは幼なじみなので既に知っているかもしれないが。
時は建安五年(西暦200年)、中国大陸では河北を統一した袁紹と漢王朝の皇帝を擁立して中原に覇を唱えていた曹操の二大勢力による天下分け目の戦いが官渡の地で勃発していた。
敵の袁紹はこちらの三倍以上の兵力を率いて黄河を渡って南下してきた。殿は劣勢ながら戦場担当の軍師である郭嘉殿と荀攸殿の二人を連れて出陣していった。だまし討ち、陽動作戦、伏兵、おとり作戦。ありとあらゆる狡い手を使い、敵方の有力な武将である顔良と文醜の二人を討ち取るという大きな戦果を得た。もちろんどんな手を使っても勝てば良いのだ。特にこちらは劣勢なのだから。
それでも袁紹軍は二枚看板を失った事実をものともせず、優勢な兵力でひたすら正面から攻め立ててきた。大軍に兵法なしだ。こちらはなすすべもなく敗退を続け、官渡に籠城する羽目になった。
籠城戦というのは殿の良さが出せない形式の戦のように思うと荀彧様は語っていた。殿は常に動きながら相手の弱点や隙を探り、そこを突く戦い方を得意としている。野戦では無類の強さを発揮するし、攻城戦でも様々な工夫を行って敵を心理的・物理的に動揺させ、そこを突く戦い方だ。
ただし籠城戦は基本的には受け身の戦いなので、殿が得意とする戦法が採りにくい。せいぜい敵の不意を突いて城門から討って出てみるくらいなのだが、失敗すると痛い目に合う作戦でもある。何度も使える作戦ではない。
城の中にじっと籠って耐える戦いは、常に策があふれ出てくる殿にとっては苦痛のようだ。なにせ策は湧き出てくるが実行はできない。策が失敗する危険性、代替案、挽回策、など後ろ向きの考えばかりが頭の中をよぎってそれで一杯になってしまうらしい。
もともと敵の袁紹は漢王朝でも一二を争う名門の出身で、その名声は中国全土に鳴り響いている。評判だけでなく9年で河北を統一してその実力までも証明して見せた。さらに殿にとっては若い頃からお世話になっている先輩でもあった。殿は袁紹と共に旗揚げをし、しばらくは同盟を組んでいた。むしろ同盟というよりは袁紹に半ば従属し、その意向に沿って勢力を共に伸ばしてきた。それが曹操が西から逃げてきた漢王朝の皇帝を保護して擁立した時期から仲が悪くなってきたのである。
漢王朝の再興は殿の、そして荀彧様の、共通の夢であり目標であった。皇帝は傀儡にされていた長安の土地から逃げ出して、近衛兵をほぼ全員失いながら苦難の末、廃墟となっていた洛陽にたどり着いた。しかし食料も物資も無く、となりの州を治めていた殿に助けを求めた。夢への第一歩ということで殿は皇帝を受け入れたのであるが、同盟相手の袁紹への根回しがおろそかになっていた。皇帝をどこの城に迎えるのか、どちらが主導権を握るのか、大いに揉めたのが袁紹との仲たがいの原因であった。割と曹操殿は行き当たりばったりの所があるのだ。荀彧様も
「あの時はもう少し慎重でも良かったですね」
と後に反省しているほどだ。荀彧様も同じく気が高ぶっていたのだろう。
官渡からの伝令が殿からの書簡を持ってきた。殿と荀彧様が書簡をやり取りする際はいつも同じ箱を使っている。その箱は決して二人以外は空けてはならないことになっている。国家の最高機密なので当然ですよね、と荀彧様に聞いたら、そのような機密事項に混じって弱音や愚痴が列挙され、返事をしないと後で拗ねるので面倒らしい。
「うーん、困りましたね。また殿の病気が始まったようです」
荀彧様はひとりごちる。
「どうしたのですか?」
「いつになく弱気になってますね。官渡を放棄して許に退却し、許で袁紹と最終決戦を行うのはどうだろうと相談してきました」
「えっ、そこまで戦況悪かったのでしたっけ?」
「まだ充分に踏ん張れると思うのですが……。思った以上に弱気になっていますね」
「なにか策をご提示になるのですか?」
「うーん、それは現場の荀公達(*)や郭嘉さんの役割ですから私がしゃしゃり出るわけにはいきませんね。彼らのほうが戦場の策は専門ですし」
「ではどのようにお返事を?」
「おだて上げて、励まします。まずは健全な精神を取り戻して頂かなければ」
なるほどと思った。流石に荀彧様は軍師の筆頭だけあって殿の内面までをよく把握されている。戦が始まる前にどうしても自信が持てない殿に対して荀彧様は以下の四点をあげて殿を励ましたという。
・袁紹は寛大に見えて実は仕事を任せた部下を疑うが、殿はそんなことは気にせずひたすら適材適所を心がけていて度量がある。
・袁紹は決断力に欠けるが、殿は即決してその後も臨機応変に対応できて計略面でも優れている。
・袁紹は大軍だが軍規は乱れてしまりが無い、殿の軍は軍令が行き届き信賞必罰なので兵士も果敢に戦う。
・袁紹は名門の威光をかざして知者を装っているので議論好きの浮ついた人物が集まるが、殿は誠実で仁愛をもって人と接し、自分は贅沢をせず功績をあげた者には惜しまず賞を与えるのでちゃんと実力のある人材が集まる。
まあ言われてみればそうかな、という感じではある。四番目は少々盛り過ぎかもしれない。とはいえこれで殿は戦場へ意気揚々と向かって行き顔良・文醜を討ち取ってきた。荀彧様が凄いのか、殿の荀彧様への信頼が凄いのか。にもかかわらずその後はずるずると敗北を続けて籠城戦に追い込まれ、殿の精神も崩壊したのであった。
荀彧様とああだこうだ殿を励ます方法を考えていると
「お疲れ様っすー。郭奉高、ただいま戻りました。俺の知恵が必要そうな顔してますねぇ」
おなじみの語尾が伸びた口調で、「先読みの天才」と軍師たちの間で評される郭嘉殿が官渡から定期報告のために戻り、荀彧様の官舎を訪れたのであった。
次回、郭嘉の用いる策に品行方正な荀彧は呆れる。さすがの天才不良軍師。果たして曹操殿は立ち直るのか?