解放への道のり、勝利の苦い味。/後編<内面世界への旅立⑧>
お待たせしました。夏場は、何かと忙しいですね。では、お楽しみになってください。
"凄いですね" "何がでしょうか?" "戦術に於ける新時代の幕開けを目の当たりにしている事ですわ" カレンは、的確に状況を読み解く。
前世で有名な欧州100年戦争は、西暦1346年イングランド軍とフランス軍がこのクレシーの地で激突した事に始まる。また、この戦いで顕著なのは、フランス軍の誇る重騎兵隊(=職業軍人)が、イギリス軍の長弓兵部隊(=農民兵)に敗れた事でもあった。
つまり、それまで専門の軍人に頼っていた戦い方を、新兵器や兵器の運用変更と、それを扱う訓練さえすれば農民でも戦果を出せるとヨーロッパ中に知らしめた戦いでもある。中世日本の長篠の戦いで、武田騎馬軍に圧勝した信長の足軽鉄砲隊と似ていた。
そしてボドワンも、長弓兵にクレシーの丘が有利な地形であった様にナンポン湿原をドルイド有利と見て、帝国の職業軍人に対して民間の抵抗勢力を結集して事にあたり、長弓や鉄砲の代わりに榴弾を活用して戦果を上げていた。
"………と、言う事です。" "そ、それはまた、随分と鋭い分析ですね。感心いたします……" "中世の戦闘は、貴族騎士階級が戦うのが主軸で、平民に傭兵は助手にしか過ぎませんでした。投石や弓で援護をしたり、盾や槍を構えて陣列を維持するなどですね"
"なるほど、主役と脇役が立場を入れ替えた戦いになったと…" "ええ、当時の常識を根底から覆したのですから、随分と衝撃的だったと思いますよ"
カレーから主要街道を南下してエタプル→ナンポンを過ぎると、湿地を超えた辺りで南東に向けて、長さ2〜3里(=8〜12km弱)、幅最大1リュー(=4km弱)、楕円に近い陽樹の目立つ森林がある。
この森を挟んだ反対側に、クレシー=アン=ポンティテューと呼ばれる人口2百人程度の村があり、その西側をクレシーの森と呼んでいた。
水の力で土砂と有機物が運ばれ、イネ科、カヤツリグサ科、マメ科などの多種多様な草が茂り、湿原から平原に地形が変化をすれば植生も遷移する。長い年月でタップリと地力を溜めた土は、より大きな植物を養う事が出来る様になるからであった。
平原から先ず、ハンノキ属、ウツギ属、ツツジ属などの灌木(=低木)が生えて、次に陽当たりと風を好む陽樹と云われるアカマツ、ポプラなどの高木が生え始める。
森は徐々に様相を変え、ナラ、シイ、ブナ、カシ、ヒバ、トウヒ等の陽樹からさほど陽差しを必要としない陰樹が鬱蒼と繁り出す。こうしたサイクルを、数十年〜数百年単位で繰り返えして森林が広がり、多様な陸棲生物が住める土地へと変貌していくのだ。
北ヨーロッパは、氷河の影響から植生に乏しい。バンベルクの深緑の境界線は、トウヒの森を中心に低地にブナ、ナラ林が繁茂するだけである。
フリジア達の頃のクレシーは、丘の草原から灌木と陽樹が疎らに生えた程度の森で、木はさほど密生をしていないので軍が出入りをするには丁度良い。この辺りの住人は、地盤のシッカリとした土地に村を築いて、そこを中心に亜麻を栽培して生活の糧にしていた。
亜麻草は、紀元前から地中海沿岸で栽培され、その繊維を糸にして編まれた布は丈夫で肌触りが良く、洗濯をするほど白くなる繊維だ。その柔らかさ故に、家庭用衣類として、また婦人用下着としても帝国人に愛用されていた。
北ヨーロッパにも早くから持ち込まれ、良質な亜麻が生産される迄になっていた。その用途は衣服だけで無く、魚網や製紙にも欠かせない素材である。カレンの産まれた頃は、バンベルクから活版印刷が始まり、使い古したリンネルが高騰するほどの需要があった。
夏の湿原は、人の腰丈から背丈ほどの草が生い茂り、草の中でも成長の早い亜麻は収穫期を少し過ぎた辺りだ。現在村では、次の畑に植える物を除いて、亜麻の実が油を搾る為に圧搾されている真っ最中である。
亜麻は成長が早い分、地力を余計に奪う連作に向かない性質を持っていた。次に植えるには、5〜6年ほど燕麦豆類などの地力涵養植物を植えて輪作をしなければならない。
その為、この巨大な平原地帯にはアチコチに畑があって、村とは網目の様な道で繋がっていた。海側のエタプルから、領都アラス方面に10リュー(約40km)ほども南東に行くとマルコネルの村がある。
この平原周辺で収穫された亜麻は、マルコネルに集積後、乾燥され繊維の長さ太さを選別されて中間商材としてアラスに運び込まれた。クレシーの村までは、かなりの幅の道が整備され、コルンバーノの別働騎馬隊はこれを直走り森を目指す。
翩翻と翻る(=旗が風に揺れ動く様)アイテシアの3色旗を目指して………。
…
………
………………
'"ドドド………、ドガガ………"' 鎧もバラバラで、寄せ集め感が拭えない別働騎馬隊が、守る術なき人々を無慈悲に槍や馬蹄に掛けようと狂奔していた。
「ぐ、ぐほっ、ぐお〜っ………、」「だ、誰か…誰か助けてくれ………、」「う、腕がー、俺の腕が、、、」「いやだ〜、こんな所で死ぬのだけは、」そこら中に、目前に迫った死と傷の痛みから逃れるかの様に悲鳴が上がる。
戦場では見慣れた光景だが、お姫様育ちのフリジアには到底慣れる事のない血臭と阿鼻叫喚の地獄図。本来なら戦に巻き込まれるべきでない市民を、帝国は戦場に投入し、剰え傷付け死に追いやっている。
帝国の非情な采配と、自分の想像力不足が招いた結果だと、フリジアは哀しみと苛立ちを禁じ得ない……。
『………昏き水底より猶、暗晦に潜みし精霊よ……、我が招請に疾く応じ給え……。我が名はフリジア…、フリジア・エル・ピエレット・ルルフェール。風巻く者の眷属にして、その末孫………』
フリジアの繊細な指先は複雑な紋様を描き、ハミングと共にアルヴ古語で歌う様な旋律を奏で始める。純粋なエルフだからこそ成し得る、複雑な詠唱法であった。
指揮下の黒エルフ隊は、寡兵ながら法術で石飛礫や土塊を盛り上げ、逆鉤付投槍に投擲斧などの武器で敵騎馬隊を防ごうとしてくれている。
本来ならエルフ達は、余り直接戦闘に参加しない。彼女達エルフがアイテシアに加勢しているのが知れ渡ると、一攫千金を狙った帝国人が押し寄せて来るからだ。故に、頭から顔を隠してバレない様にしている。
恐れ慄くカレー市民や傷付いたアイテシア兵を守り、いち早く主戦場に戻る為にも、彼女は短期間で騎馬隊を追い払わなけならない。少し悩んだが、直ぐにエルフ独特の精霊召喚術を行う。
フリジアの悩みの種は、"海峡の全滅"を呼んだであろう荒ぶる闇水精シーサーペンテスの存在であった。そう、彼女達が戦場の争気に惹かれない訳はない。水ある所は、彼女達の知り得る範囲なのだ。そして沼地は、彼女達の眷属が棲まう所だ。
故にフリジアは、『原初の蛇にして千蛇の王、闇き水の主よ。精霊の子が呼ばわる!精霊よ、御姿を現し給え………。』セルポンデ・メーヌより上位の精霊を呼ぼうとしていた。敵兵とは言え、殺し尽くしてしまわぬ為に……。
"原初の蛇というと、サーペンタインの事でしょうか?" フリジアの記録を追体験する内に、アルヴ古語をマスターしたカレンは詠唱の内容を理解できたのだ。"別名、暁の蛇とも呼ばれ、最初の人類に知恵を授けたと伝えられます"
"それほどの精霊を、フリジア様は呼び寄せ様とされているのですね。危険は無いのでしょうか?" ピサロは両手を上げると"サア…"と答えて、"自我を付与された精霊は、召喚主とは言え通常は契約を結べなければ使役できません。例外として、普段から親しい精霊なら協力してくれる場合が有りますがね"
セポンタンは、創造神の精霊として人間より先に生じた。神と共に創造の歓びを味わいながら、後に生まれた人間に寵愛を奪われたと嫉妬する。人を貶めようと奸計を巡らせたが、神にバレて地に投げ落とされ、永遠に地を這いずり、冥府の水底に棲まうよう命じられる事となった。
"精霊力が凝集したのが大精霊と先述されましたよね?" "はい" "万物を創造された神様がいらっしゃられるのでしたら、他の神々も創造神がお造りになられた。そうであれば、大精霊と他の神々との関係はどうなのでしょう?"
"創造神は、混沌の闇の中で孤独を感じられました。天地創造の初日に、自らの分身とも言うべき精霊をお造りになり、神格を分け与えられたのが他の神々です。神格を与えられると、永遠不滅の存在と成ります" "では、神格を与えられなかった精霊は、何れ天寿が尽きると?"
"はい。大精霊は数千万年単位で長らえますが、シルフィやリュミスの様な自我の曖昧な精霊は泡沫の様に生じて然程存在できぬまま精霊力に還元してしまいます。ですから大精霊は、多くの分体を持って自我の消滅を防いでいるのです"
"さっきから、嫉妬したり、自我に執着したり、まるで人間の様ですね" "おやおや、賢い貴女にしては珍しく変な言い方になっていますよ?神に似せて造られた人間は、神が似ているのでは無く人が神に似ているのです。分身たる精霊は、言わずもがなでしょう"
"不完全な人間が神様に似ていると?" "はは……、主に精神面の話しですよ。喜怒哀楽を表されたり、愛情を示されたり、孤独を感じたり、ただ異なるのは人間より途轍もなく辛抱強い面ですかね。心の形、魂が似通っているのです。貴女ならご存知でしょう?"
"何がですか?" "この広い宇宙で、地球の様に生命溢れる星は希少だと、特別な恩恵を与えられているのは神がその星に意を向けているからです" "なるほど、地球生命にだけ用意された地ですか……" ピサロは、ニマリとして頷く。
"正にその通りです。話は戻りますが、分体とお伝えした様にセポンタンは種族名ではなく、個にして全なる者の総称です" "個にして全?" "はい。個体名としてはルーシェルと呼ばれますが、幾つもの分体に別れていますので総称してセポンタンなんですよ" "何だか、ヤヤコシイですね"
『………ううーむ、何用か?風巻く者の眷属よ………。』暫く虚空に呼びかけていると、急に辺りが薄暗くなり、響いていた怒声や絶叫、争乱の音が聞こえ無くなり時間が停止した様に感じられる。空間に細かな亀裂が生じたかと思うと、その向こうから気怠げな声が響いた。
フリジアは跪いて、『ルーシェル様ですか?』『左様、我は人類に知恵を与えた最も偉大なる精霊。それで、我に何用だ?風巻く者の末孫よ。』『無礼を承知で申し上げます。私と契約して頂けませんでしょうか?』
『契約とな?!ふむ、知らずか?我は、現界に影響する事を禁じられている。時を止めて、其方との話しが精々よ。』『それで構いません。私の望みは、セルポンデ・メーヌの現界と制御をお願いしたいのです。』
メーヌ達は、ルーシェルと人間の混血である。彼女達は人間として生まれ、時を経て肉体を捨て精霊の本性を現す。全てのメーヌは女形で、人間として暮らしていた時に子を成した。
この地の人々の多くはメーヌの末裔であり、偶に人界に姿を表して孤児を憐れみ育てる事もある。
愛し子に苛烈な扱いをした帝国人達は、メーヌの執拗な怒りを買っていた。普段は冥界との狭間に棲んで居るが、機会を捉えて人界に影響力を及ぼす。彼女達の呪歌は、帝国兵に永遠の眠りを与えていくのであった。
この地の人々はメーヌ達を畏れ敬い、水の在る所に女性名を付けるのを習わしとしていた。
『それで、契約というからには対価は如何に?』フリジアは、目を閉じてキッと唇を一度引き結ぶと震える声で、『私の寿命で、、、ボドワンと共に過ごせる年数だけ残して頂けたら幸いです……。』『敵兵の命と引き換えに、自分の寿命を差し出すとは奇特な事よ。』
『では、宜しいでしょうか?』『ならんな。ハイエルフの寿命が人間の20倍あろうと、契約するには見合わぬ。我の好む所を差し出せ。』『他に、何をお好みでしょう?』『ふむ…、今、其方の胎に宿る生命で良い。』
フリジアはギョッとした。当然、ボドワンとそういう事をしたのは事実だが、エルフの授胎の難しさからマサカと思い驚いたのだ。そうして、無意識にお腹を撫でる。『ここに、ボドワンとの子が……、、、』
フリジアは、愛する人との子供を宿した喜びと、その子を犠牲に差し出せと要求する冷酷な言葉の狭間で、胸が締め付けられてそれ以上の言葉にならない。『何やら胎に2つ、魂の形が見えるな。どちらか一方で良い差し出せ。』
『双子……。』フリジアは、言葉に出して我が子の命の重さを噛み締める。愛し子の顔を見る事なく、一方は捧げなければならない。『今すぐ、全ての寿命を頂くのも良いな。』『待ってくださいまし…、それでは、この子達も道連れになってしまいます。』
『闇に堕ちた我は、其方が子を差し出せば、それを核に光りの分体を成せる。我の一部に成ると言う事。其方が命を差し出せば、子も其方も通常の輪廻の輪に戻れる。然程、不当な取引きでは有るまい?』『主戦場に戻らなければ成りません。今すぐ、寿命の全ては無理です。』
我が子の魂が輪廻の輪から外れ、センポンタンという牢獄に繋がれるのを良しとするか?母子ともに死を選ぶか?それとも、敵兵の悉くを見捨てるのか?子ならまた生せる。双子なら、一方は残るではないか?家族の悲しみを考えれば、目前の人間の命が優先だと、フリジアの心奥で誰かが囁く……。
『慈悲深い其方にとって、自らの犠牲は然程の事では有るまい。愛する者は人間だろう?エルフと寿命を同じく出来ないのが分かっていて、共に過ごす年月が有れば後は要らないというのなら、我との契約の対価とは成し得ぬ。其方が失って苦悩する物、大切な物で無ければな。』
『…………………わ……、分かりました、、、た、、、。……………。』フリジアは、震える声で絞り出す様に返事をした。
『ふむ、良かろう。』
…
………
………………
「早速、片付けて来たみたいだね。」「メーヌ達に現界して貰って、敵騎馬隊を圧倒して貰ったの。」フリジアは、どこかギコチナイ微笑みでボドワンを見詰める。
「儚げで麗しいのに、真っ赤に輝いた冷酷な瞳をしていたわ……。」フリジアは、戦場に有っては気分が沈みがちで、いつの間にか無口になってしまう。必死で自分に言い聞かせて、戦意を鼓舞していたからだ。だが………、
「………敵味方の兵が、その美しさに見惚れていたら、スッと高い位置に顔と上半身が上って、蛇の下半身が露わになったわ。彼女達が"帝国は屠る!"と口々に宣言したと思ったら、目が真っ赤に染まって尻尾で敵を纏めて薙ぎ払い始めたの……。」
フリジアは、何かを隠す様に何時もと違って饒舌であった。「それで、敵騎馬隊はどうなったんだい?」「馬が暴れたりして犠牲者は出たけど、何時かみたいに全滅はしなかった。メーヌ達の恐ろしさに、チリジリに逃げ散ったわ。」
「メーヌ達が、帝国兵を見逃した?」「うん。上位の精霊に、メーヌを抑える様に頼んだから。それよりも、後片付けの方が大変かも知れないわ。リュミスのランプも、余計に作って来たしね。それで、コッチは如何なっているの?」
「君の希望通りで何より、こちらも多少の誤差はある物のほぼ思惑通りだよ。」前線は、騎馬に突破されたが、これは想定内の出来事なので彼を慌てさせる事は無かった。それよりも、クレシーの奇襲の方が痛かったと言って良いだろう。
突破した騎馬を主軸とした隊は、現在、土法術で作られた泥濘に足を取られ、三方からの弓矢に耐えていた。
この時、戦場にかまけてフリジアの変化をボドワンは見落としてしまう。
「頃合いか、、。疲れている所で悪いが、フリジア仕上げを頼んだ。」「分かったわ……。」フリジアは、軽く精霊術を詠唱すると、身体に何体かのリュミスを纏う。更に、光法術士が両肩を支えてマナの補給を万全にすると、戦場に広がる巨大な法陣にマナを流した。
アイテシア軍が足場を拓けさせたのは、単純に隊の機動のし易さと敵を誘い込む為でもあったが、ハイエルフが扱う聖樹とのリンクによる大規模法陣の構築があった。ボドワンの狙いは、この場に方面軍の主軸と、何よりコルンバーノ達指揮官を誘い込む事が企図されていた。
精霊に頼らないマナの運用は、幾らフリジアが莫大なマナの持ち主だとしても多大な負担を強いられる。ザッと、複数視点の千里眼と小まめな転移術に精霊術。マナの確保に、神経を削られる思いがしていた。
騒がしい戦場で、全ての草が低い地揺れの様にザワめく音が不気味に響く。「あひゃ?」「ひっ!」「なに!?何かが足元で……、」「泥の中で、何か蠢いているぞ!?」「へ、へ、蛇か………?」
目の前で、精鋭ヌンツィオ騎馬隊が泥濘に沈んだのだ。前線の帝国兵は、足元の変化に浮き足立ち、また何か良からぬ事が始まるのか?と将領達も緊張に表情を硬くした。ドルイドとの戦闘に、並みの常識は通じない。
「ぐぎゃ、痛い!何かに咬まれた!!!」泥濘に膝まで浸かった1人の帝国兵が、突然奇声を発したかと思うと跳び退こうとしたが、その足をのたくる物が巻き付き捕らえ、逃すまいと泥の中に引き摺り込む。「た、助けて……、」"くれ!"という言葉に出来ぬまま、哀れな兵士は素早く泥濘に沈んだ。
「ひ、ひゃああぁぁぁ………。」アチコチで同じ事が起きると、恐怖で最早戦闘どころではない。それでも、容赦なく矢の雨は降り注ぐが、「どこだー、どこに行った!?」別の兵士が怖れからか?それとも、戦友の安否を気遣ってか?喉を枯さんばかりに声を張り上げる。と……、その足首を掴み這い上ろうする者がいた。
「ひっ……、なんだ!?」歴戦の勇士でさえ、未知の恐怖で仔鹿の様に戦慄いた。「ゴボッ、ゴボッ、ゲボッ、、、げぁ、く…、苦しい、、、た、助け……、」泥に汚れた顔は判然としないが咄嗟に、「スキピオ、お前か?」と呼びかけ、必死に泥から引き上げ様と腕を掴み力を入れた。
けれど、大の男を持ち上げるにしては妙に軽い。いや、引き上げの途中から明らかに向こうから持ち上がって来た。「???……!!」反動で、力を入れていた兵士は後ろ手に尻もちを突き、肩まで泥を被る。
「ゴボッゴボッ!ゴァオオォァ〜………、、、」目前に迫ったのは、苦悶の表情で口角泡を飛ばし、最早意味の有る言葉を成せない男の顔だった。
彼が更に言葉を掛け様とした瞬間"ブッ!"と音がして、"何か"を認識する暇もなく、男の眼球を内側から突いて口からも溢れた"何か"に脳髄まで貫かれ絶命した。"ビクンビクン"と断末魔に痙攣した体から、盛大な血飛沫が辺りを真っ赤に染め上げる。
2つの骸は高々と持ち上げられ水分を失ったかの如く見る間に縮んで萎み、やがて塵から生まれた者は塵に帰していく。兵士の僅かなマナを苗床に、怖ろしげなソレは触手を伸ばしていった。これと同様の光景が前線に広がり、兵士達は旺盛だった戦意を喪失してしまう。
草地の底は、根が四方に伸びている。その根が絡み合って1つの縄になり、人間を貫いて生命力を吸い上げて居たのだ。この巨大法陣による罠は、あたかも大きな電気回路に大電流が必要な様に、起動でさえ大量にマナを必要とする。
"フリジア様は、よく昏倒されませんでしたね" "お腹の子の影響も有るでしょう。女性が妊娠初期に筋力が増すのと同じ理屈かと思います。胎児ほど、純粋無垢な魂の持ち主はいませんし、それで、一時的にでもマナプールが増大したのかも知れません"
緩慢な動きであった物が、泥の中より鎌首をもたげ人のマナを吸い上げる度に動きが素早くなる。最初はロープ状の物だったが、だんだんと網目状に形成され、人の精を吸って生まれた物は人の形を取ろうとしていた。
"これは……、ウィッカーマン??" "貴女の世界での呼び名ですか?" "いえ、ウィッカーマンか如何かは判然としません。何せ、この様に攻撃的な物ではなく呪術的な物で、ケルト民を嘲笑う時のローマ軍の話しの種ですから…"
その昔、ヨーロッパに広く分布していたケルト民を、地中海からの侵略者ローマ軍が征服していった。ケルト諸族は戦いを挑むだけでなく、ドルイド達が人型の籠に供儀を入れて火を放ち敵軍の調伏を祈念したのだ。
捕虜を使えば良い物を、ドルイド自身や自軍の兵に貴重な家畜の命まで無為に捧げられていた事をローマ軍は嘲弄して歴史に記した。ローマからすれば、迷信に捉われた蛮族の姿はさぞや滑稽で片腹痛かったであろう。
"それに、この様なロープで出来た網ではなく、粗く編まれた籠の筈です" "敵を調伏するという目的は一緒ですし、人型を使うのも同じですから、ウィッカーマンで良いんじゃないかと思います。コチラのは、より確実に恐怖の対象となりますが…w ''
"随分と、愉しげですね" "おっと…、これはこれは失礼いたしました。人間の愚かさは、楽しみの一つでして…。それより、ウィッカーマンが立ち上がりますよ?" カレンは、"悪趣味ね"と眉を顰めた。
異形は、人より出た割りには顔に目も鼻も口もなく、頭の上にポッカリと穴が開いて、そこにユーモラスな動きで人を掴んでは投げ入れていった。四肢は筒状に伸び、先端はウネウネと蠢いている。複数体、いや、少なくとも数十体は誕生して、帝国軍を瓦解に追いやっていくのだ。
「か、硬い〜、、、」勇士は異形に槍先を付けるが、頑丈な網は刃物を通さない。寧ろ隙間から、まだ生きている同胞を傷付けた。網にやっと傷が入ったと思った瞬間、中の兵士が塵に還り周りから材料が追加されて即座に修復される。
如何な勇士とて、味方を傷付けては手の施しようがない。その内、彼も捕まり仲間と運命を共にしていた…。ドルイドが起こす自然災害は恐ろしいが、異形が迫ってくる恐怖に比べて感覚的には耐えられない事はない。
それを、数知れない特大の異形が帝国兵を飲み込んでいくのだ。呆然と、為すがままに死にゆく者、僅かでも生に近い場所へ逃げ惑う者。辺りは、阿鼻叫喚の地獄図と化した。
ジリジリと迫る恐怖に、歴戦の勇者も新兵も関係なく、指揮官も兵士も関係なかった。等しく武器や防具を投げ出し、戦場を放棄しようと足掻いた。ブッキーナの音も、勇壮な太鼓の音も戦場の彼方に忘れさられ、軍規の影も形もない。皆、ただただ、この状況から逃れたかった。
ヌンツィオは名誉ある戦死ならまだしも、化け物に喰われて死ぬのだけはゴメンだとばかりに、馬は泥濘に脚を取られたが突撃槍をブン回して根が伸びてくるのをやり過ごしていた。
「連隊長!連隊長は居るか!!」直後に進軍していたはずのオロンパスに声を掛けたが、返事がない。「これからが、撤退の正念場なのに残念だ……。」パヌエラで顔を拭う彼だけは、負けを悟っても飄々としている。
フと気付くと、矢の雨が止んでアイテシア軍が戦場を後退していくのが見えた……。異形の動きは、存外に素早い。次々と吸い込まれる犠牲者が、マナを供給して塵になり網目から降り注いで行く。異形は、その度に動きが良くなる。
この状況を、目の前での事の様にハッキリと観る目がある。フリジアの千里眼は、どこまでもクリアーに戦況を見渡していた。「ボドワン……、、、」「ああ、分かっている。僕だって、虐殺が好きな訳じゃない……。」それは一方的な虐殺、戦闘と呼べるシロモノではなかった。
「僕らは、帝国に比べて数が圧倒的に少ない。一度でもミスをすれば、独立は終わりに向かうかも知れない。ここは非情でも、全滅に近いほどの損害を与え、絶対に勝てないというトラウマを植え付ける。それが、最も効率的に死者を減らす方法なんだ………。」
ボドワンは、どこか自分に言い聞かせる風にフリジアを諭す。凄惨な光景を目の当たりにしている彼女としては、分かってはいても不安な気持ちから呟かずには居られない。生々しい現場で、人が死ぬのを見る事は何と切ないのだろう。
「グギャアー!」「グァー……、、、」「た、お助け〜、、、」耳を塞ぎたくなる声が戦場に満ちて、迂回したアイテシア軍は無情にも帝国軍の後背から囲み討つ陣形を取った。「敗走する兵を、無理に討つ必要はない。我等の勝利を伝えて貰わなければな。」
平原に日が落ち始め、北東トリーアに相応しい乾いて冷めた風が戦士達の頬を撫でていった…。涼風によろめく、その影は2つ……。一方は両の脚が使えない様で、他方の満身創痍の体躯に背負われ足先を引き摺っていた。
「大将閣下。後少しで、戦場から出られそうです。」「ああ、そうだな。敵が許してくれればだが……。」「おや?ドゥクスとも有ろうお人が、簡単に諦めては行けませんな。捕まっても、閣下は交渉の達人でしょうに……。」
「はは……、チェレギン……、オロンパス……、数多の優秀な指揮官を失い、今朝まで威容を誇った我が軍を敗戦に導いてもドゥクスと呼んでくれるとはな……。皇帝陛下からお預かりした大切な軍を損なってしまった。ここまでの敗れを取るとは、申し開きも難しい…。」
「な〜に、生きて居れば捲土重来も叶いますよ。まだまだ、二つに分けた軍団の一方が残っていますし、本国からも大軍が派遣される予定では無いですか?」「今回は命拾いをしたが、戻れば敗軍の責任は問われよう。良くて引退して蟄居か、悪くすれば即刻処断もあり得るな。」
「皇帝派の名門ロレンツィ家の当主がですかい?」「名門だから、その権力は目障りと言えるな。皇帝は、権力をその手に集中させていたいのだ。能無しと判断すれば、処分しようと手薬煉を引いて待っている事だろう。」
「味方の派閥で?偉いさんの考える事は図りかねますな。」「味方であればこそ、能無しは許せない筈だ。皇帝は、自分以外を潜在的な敵と思わなければ、やって行けない職業なのだよ。」「そんなモンですかねぇ〜…。」2人とも、喋っていないと失血した寒さから眠気に襲われるので、ワザと言葉を紡ぐ。
ヌンツィオは戦場の最奥から戻り、コルンバーノを拾って撤退をしようとしていた。「察するに敵は、アレの影響が少ない位置に居るのではないかと思います。」「ふむ…。ここら辺に居ると、いずれアレの餌食にもなるしな。このまま潜んで、夜陰に乗じて逃げるのはマズイか…。」
すると、何処から現れたのか知れない1隊が2人を囲んだ。
「お迎えに上がりました。コルンバーノ閣下でお間違い無いですね?」ボドワンが、フリジアと共に精鋭を連れて現れたのだ。
敵兵に囲まれると、「ふう……、ここまでですかな。」コルンバーノの体を、近くの灌木の傍の岩に腰かけさせたヌンツィオは、腰に帯びた最後の武器であった短剣を抜くとボドワンに斬りかかる。
彼はこれを、咄嗟に片刃長剣で一刀の元に斬り捨てた。
「ぐっ……、見事。感謝す…る…若いの、よ…良い死に場所を与えてくれ……た………。」"ドサッ" それだけを言い残すと、ヌンツィオは30年に及ぼうかという軍歴に幕を閉じる………。
「若いの、名前は何という?」
「ボドワン……、ボドワン・サラスゥゥイイー・ロレッタです。」ボドワンは、血塗られた刃を一振りで拭うと、兜を取り軽い会釈をした。
「私はフリジア・エル・ピエレット、エルファーナ国の王女をしています。」フリジアも女鎧の兜を外すと、笹穂耳と長い銀髪を晒して挨拶をする。
「なるほど………、これは最初から勝てぬ筈だ………、、、。」
コルンバーノは、エルフのしかも王族を相手にしていた事を知る。
ハイエルフは、膨大なマナ量だと伝え聞いてはいたが、マサカに古の種族が加担して居たとは思いも寄らず、複雑な気持ちに暫く言葉がでない。
「………………これは……、何ともはや、そなたは美しい…な………。」
流行りの異世界転生物というカテゴリーで書いている訳ですが、地球環境と似ても似つかない世界観を描くのは苦手です。ある程度は現実世界に共通する点を持たないとイメージし難いという点も有りますし、一から全くの世界観創造をする程の才能に乏しい面も有ります。
鉄という物の代わりを創作するのも面白そうだと思いますが、一般に知られていない部分を掘り下げて小説ネタに使うのもアリかと思います。炭素一つを取っても、多過ぎると柔らかく靱性に欠け、しなさ過ぎても硬く剛性が下がるという現象が起きます。
今後の本作の中で、物語りに合わせて掘り下げを行う積もりですので、次話以降もご期待ください。ではまた、お会いしましょう。




