解放への道のり、不惑の執念。<内面世界への旅立⑥>
すみません、遅くなりました。では、お楽しみになってください。
サマルカンド帝国は歴史が長く、大まかに旧帝国→古代共和制→神聖帝国と、複雑な政体がせめぎ合いながらも古くからの歴史を紡いできた。豪族に部族長の合議体が今日の元老院の始まり、その眷族や富裕層と勲功があった者に爵位が与えられた。
帝国枢密院が元老院と異なるのは、元老院が諸侯の代表合議機関なのに対して皇帝直属の諮問機関だからである。また、皇帝と諸侯との間で利害調整の役目も果たす。その構成員は伝統的に、領地を持たない法衣貴族で占められた。ローブ貴族とは、専門の教育機関を卒業した際に着用されたローブに由来する。
現皇帝は、神聖皇帝フェオドシイの子孫で占められる12氏族、その筆頭セウェルス家から出ている。皇帝が、軍の指揮・統帥権(=エンペラーの語源)を持つので、支配地を帝国領と呼ぶ。
神聖帝国暦291年ミラン寛容令(=信教の自由)から44年。先々帝の意向を覆して、皇帝が救世教を国教に定めたのは皇帝の不可侵・絶対性を強める為である。唯一神を仰ぐ教えは、皇帝を地上における神の代理人として権威を高める物であった。
フリジア達の時代の皇帝は、神権(=神殿の首長)・政権(=執政)・軍権(=統帥)を掌握する三権の長である。元老院に残されたのは立法権であったが、皇帝は議会で定められた法律に対する拒否権も握っていた。絶対君主とは、神に選ばれたという意味で絶対と付く。神聖皇帝は神の代理人まで兼ねるので、それ以上に強い権威と権力を持ち合わせている。
この為、神聖帝国に反対する勢力は、独自の神による王権を確立する必要があった。トリーア地域では、元々の自然神信仰が深く根付いており、アイテール教の神官や信者は、救世教会から迫害される原因になっていた。
神聖帝国成立から年数が経ち、中央に対する忠誠心が薄まり出すと各地の帝国貴族達は独自の力を持ち始める。彼等により支配のタガが緩み始めた為、皇帝の権威を強化する必要に迫られた。具体的には、直属の翼軍の強化である。
対抗する様に、パトリキは異民族の私兵を雇って国防と偽りつつ軍備増強をした。属州領民は自分達の監視者を、自分達の税金で養う羽目になるという意味も持つ。戦時の労働力として、奴隷から戦奴が選ばれた。
犯罪奴隷ならまだしも、不作により税金が払えず農奴と化した領民まで徴用される場合もままあった。正規兵は横柄で、傭兵は乱暴者揃い。これを養わされたのだから堪ったものではない。法律は有る物の、帝国人に有利な掟ばかりだった。
パトリキ達は、中央の権威を弱体化したいと思ってはいても、さすがに帝国秩序を乱すほどバカではない。彼等は、自分達の権力基盤が揺らぐのを1番に恐れる。
民衆が反乱を起こせば、各地に張り巡らせた道路網を通じて重装騎士(=下級貴族)の軍団が現れ、現地のパトリキと協力して鎮圧をした。この時代の騎馬は、歩兵に対して戦車ほどの威力を誇る。特に鎧で固めた重装騎兵のチャージ・ド・ランスの行く手を阻むのは、馬防柵と槍衾位な物だろう。
鎮圧した後は、これ以上逆らえない様に畑に塩を撒き反乱分子を処刑し、その家族を売ったり奴隷にするなどの過酷な制裁を下す。また、場合によっては近隣の村や町ごと制裁の対象とした。残虐な上に冷酷非情が、広大な属領を支配できた秘訣である。
帝国陸軍の編成は重装歩兵を主体に、騎士・弓兵は独自の翼軍を組織して、軽装歩兵は偵察・前哨戦・投石を担当した。重装騎士が下級貴族なのに対して、軽装騎士は属州民や軍団直属の傭兵で構成される。その任務は、偵察・側面援護・追撃・掃討戦など本隊の補助として多岐に渡った。
帝国の主戦力は、なんと言っても重装歩兵である。基礎単位は、10人で1小隊を組んだ。3つの小隊でそれぞれ、1列目に新兵(=2等兵)が、2列は熟練兵(=1等兵)で、最後列に古参兵(=上等兵)が控える。
彼等歩兵は、兜 、大鎧、脛当て、大剣、長剣、短剣、五本の投げ矢 (=短槍)と2本の中槍を装備していた。方形大盾を前面と上に構えて密集隊形を組み、内側から長槍や中槍を突き出し、投槍や盾の後ろに付けた短槍を投げて援護する隊形をファランクスと呼ぶ。
彼等の体系的な攻撃法や、それを効率良く運用する為の陣形は(=斜傾陣・円陣防御など)、蛮族の力に頼ったバラバラな攻撃より優位に立つ事が出来た。蛮族側の攻撃法で恐るべきは、騎馬による側面攻撃だろう。実際に、軽騎兵による撹乱戦法や重騎兵による突進戦法に帝国軍は度々苦杯を舐めさせられている。
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【王国暦元年 帝国暦967年 初夏】
80年と保たず統一帝により終わりを告げた4分割統治時代から700年、副帝時代にトリーアと呼ばれた属州は、元老院議員や上級士族を輩出する複数のパトリキにより分割統治されていた。
帝国の軍事組織は、1〜2万人規模の軍団を主体としていた。複数のレギオーを統括するのが、大将である。軍団とは、本来なら定員6千人規模の集団なのだが、ドルイドに消耗戦が有効な為に軍団の規模を拡大した物である。
陸軍歩兵の編成は、十人小隊が10で1百人隊、百人隊が2つで1中隊、中隊が3で1大隊定員600名で1コルホスとなる。小隊は軍曹に率いられ、3小隊を曹長が掌管し、2人の少尉が中尉を補佐して百人隊を組織した。少佐が大隊指揮を行い、2人の大尉が補佐にまわり3人で中隊を率いる。
各レギオーの中でも、最精鋭の第1コルホスを率いるのが中佐である。また、第1コルホスは、他のコルホスより定員で2倍となった。大佐は、4個大隊からなる1個連隊の指揮を務める。連隊の定員は、約2400名となる。また、第1コルホスを入れて4個大隊で、3000名の別働連隊を組織する事も有った。
歩兵軍士官の中で、大佐以上が騎乗を許された貴族階級である。軍団指揮は中将が執り、少将は中将の補佐や参謀の筆頭もこなす。レガトゥスが負傷や死亡で指揮を執れない場合は、代わりを務める事もあった。
通常軍団には、300の重装騎兵と100騎の軽装騎兵に、投石や弓を使う軽装歩兵が翼軍として加わり、補給や野営時の世話を担当する兵站部隊が構成され、状況に合わせたコルホス単位の増減で総数1〜2万となる。班としては、伍長・軍曹を別にして8人の兵士がテントと調理道具一式を共有していた。野営技術に長け、大規模な部隊の野営陣地が数十分間で設営、撤収が可能であった。
ドゥクスは、属州総督や執政官も兼任する。総督は、皇帝からインペリウムメダルを貸与され(=指揮権・政治的判断の代理)、現場ではドゥクスが講和条件を煮詰めるが、最終的に元老院で協議し皇帝が裁可を下す。
属州トリーア地域アルモリカ(=後の北アイテシア+ロースダール+ドルーデン中央マース川以西)総督コルンバーノ・デ・ロレンツィは、統一帝の血筋を受け継ぐ名門ロレンツィ家の出自であり、家は12氏族の1つでもある。
帝国中央は、反逆を恐れてドゥクスの長期派遣をしないのが原則だ。属州総督の任期は基本4年であるが、コルンバーノはもう3期も続けて北部トリーアに釘付けになっていた。その理由の一つが、"カンピエーニュの悲劇"だった。
悲劇によって亡くしたガイアス中将は、ロレンツィ家の次期当主であり、子供の居ないコルンバーノの可愛い甥であった。帝国が領土を拡大すれば、パトリキ達にも様々な恩恵がある。侵攻は、現皇帝の肝煎りの面もあり、8年という歳月により風化して自然災害と片付けられていた。
帝国は北部トリーアを足掛かりに、バンベルグやノ・ホイレーンムヒラへ大侵攻を計画した。コルンバーノはドゥクスとして計画に先立ち、ガイアスに3万の軍勢を預けてアルモリカ地方の地固めをして貰っていた。傍流であるガイアスが、ロレンツィ本家を継ぐ為の箔付けの意味もある。
コルンバーノは、エヴルーに向け行軍しながら頭の痛い問題に思いを巡らせる。
その日、彼はフレタン駐屯地からカレー港に後詰めの軍団長と共に、ノ・ホイレーンムヒラ遠征軍を見送りに出ていた。所が、15リュー(約60km)程の海峡を幾らも進まない内に、人知を超えた暴威に遠征軍が瓦解したのである。海軍150隻あまり、陸軍3個4万人あまりが、目の前で幾筋の竜巻に揉まれ全滅した。
「オロンパスよ。先日あった"北の海峡の全滅"は、8年前のカンピエーニュと似てはいまいか?」コルンバーノは、騎馬で随行していた准将に問いかける。
この時代の准将は佐官の筆頭で、主に若き元老院議員が軍事経験を積む為の名誉職の意味合いが強い。ドゥクスに付いて回って、話し相手から指揮法まで学んでいる。参謀役は、少将を筆頭に、佐官級で固められていた。
「あれを目の当たりにしましたが、正に超自然災害という点で共通するかと思われます。」ドゥクスが目を閉じて、甥の悲惨な最期の様子を思い浮かべる。
どの遺骸も真っ黒に焦げて体格以外の判別は容易では無かったが、コルンバーノが贈った高級鎧が飴のように溶けて遺体に張り付いていたのが決めてとなってガイアスだと特定できた。「うむ。悲劇と言い全滅と呼んでも、奴等が使う超自然現象には変わりがない。」
「奴等と言いますと?」「決まっておろう、カンピエーニュの時はドルイド共を追い詰めておったし、この度はサンガット海岸で馬鹿騒ぎしていた連中が煙りの如くに消えている。しかも、全滅の噂の回りが早すぎると思わぬか?」「我が軍の士気を挫く為でしょうか……。」
「うむ。あのクラスの災害を起こせる者が敵に居れば、我が軍の士気は上がり様がない。」「だから、あの者達をお連れになったという訳ですね。」レギオーが街道を6列縦隊で整然と進むのに対して、その脇を暗い顔をした一団が付き随うのを准将は指差した。
それは、カレー港の市民5000人程の集団である。女子供と老人は、フレタン駐屯地に保護と称して人質に取り、丈夫そうな男達が思い思いの武装で随っているのだ。もちろん、地元民を徴用するのは法術に対する弾除けの意味合いが強い。戦さとなれば、最前列で敵の戦意を挫く役を果たすのだ。
これまでの戦略方針でも、身代金の取れぬ俘虜や敵性国民を前線に立たせて同士討ちで戦意を鈍らせる策が取られていたのだが、コルンバーノが徴用したのは属州とは言え帝国領民であった。万一の場合に備える為であれ、良民を生贄に捧げるが如き戦術に元老院で非難が出る事は否めない。
「それにな。斥候や連絡網などの軽騎へのダメージが痛い。」「確かに。如何に我が軍の数が多いとは言え、騎馬の数は限られて居りますから、馬を戦場用に一から調教するのも時間が掛かりますし…。」馬は物資も食うが元来が臆病な性格で、戦場に引き出すには専門の訓練が必要だった。
連絡網は、フリジア特殊部隊の敵補給部隊に次ぐ目標でも有る。騎馬は、現代の航空戦力と同じ意味を持つ。1個軍団に対して、凡そ300程の重装騎兵が付いて、軽装騎兵は100騎単位で独自の翼軍を組織する。斥候や伝令に立つ軽騎兵の数が、この所、徐々に打ち減らされていた。
バンベルグ遠征軍へ連絡を取ろうと、2騎2組みで送りだしたら何日経とうが返事が返って来ない。それまで、遠征軍総司令官であったフレタン駐屯コルンバーノへ、バンベルグ遠征軍から屡々進捗の詳報が届いて居たのにも関わらず無しの礫だった。
"おかしい?もしや、海峡で見た様な異常事態が起こっているのか"と、4騎5組みで出しても駄目。複雑な連絡は騎兵か伝書鳩に頼っていたが、何れも最初の宿場町までで始末されている様だ。狼煙や鏡の光による連絡方法は、暗号化しても暗号表が盗まれていれば偽伝が混ざる。
結局、最初発信した"海峡の全滅"の報を最後にバンベルグ遠征軍とは連絡がつかず、本国からの命令文のみ切れ切れに届く始末だった。その命令に拠ると、叛徒がエヴルーにて兵を挙げ、これを鎮圧するのが秋口になるので遠征軍にも鎮圧に参加する様にとの事だった。
コルンバーノは、"我々を見張っているのなら、人質の市民を連れ出した事もお見通しだろう。災害級の法術を、使える物なら使って見るがよい"と考えていたが、海峡の事件ではカンピエーニュでは無かった沢山の地元民まで巻き添えになっている。彼等の手違いか、勝利の為に私情を捨てたかが悩み所だった。
コルンバーノが率いている部隊は、鎮圧に加わるトリーア地域アルモリカ守備軍1個2万の内、フレタン駐屯地に残した1万を引いた1万人と、ノ・ホイレーンムヒラ遠征の後詰めで本国より派遣された正規軍3個軍4万、計5万人である。ロワール方面軍2個3万あまりと、本国からの鎮圧軍5個10万の本隊を加えて、鎮圧軍は総勢18万の予定だ。
1里(約3.9km)とは、元々レギオー単位で移動する陸軍歩兵が、旅次行軍速度で1時間に進める標準距離を示している。帝国軍は鼓車(=車輪動力で太鼓を叩いてリズムを刻む)とブッキーナ(=トランペットの原型)を使用して、行軍速度を一定に保つ工夫をしていた。
これで、夏の標準行軍1日6時間で、フレタン駐屯地から海側の主要街道をフランクヴィル方面に抜けてエヴルーまでだいたい12〜13日(=道のり約300km)の距離を進む事となる。今は夏だから、秋のエヴルー着陣までに急ぐ必要はない。とは言え、旅程で不意の抵抗にも会わないとは限らないので、早目に駐屯地を出立する事にした。
これから進むべき街道の先に、こちらに向かう馬が上げる砂埃が見えた。「ご注進!…ご注進!………。」馬上の騎手が声を張り上げて、行く手の人払いをする。インペリアル・ガリック型の兜(=馬毛のブラシ飾りが付いた物)、鱗鎧、楕円盾を鞍に結わえ、真っ赤なスカーフとマントを靡かせて近づくのは偵察に出していた騎兵だ。
騎馬の足を持ってすればエヴルーだとて1日で踏破できる距離なのだが、1時間以上の離れた距離に偵察を出すと悉くが始末されてしまう。間違いなく、敵はアミエンス方面軍を見張っている。しかも見張りを気取らせず、こちらの偵察は確実に削ってくる。駐屯地を出てから3日目、そろそろ会敵する頃かと構えていた矢先の出来事であった。
「よし、進軍を止めい!」コルンバーノが号令を掛けると、兵士が高らかに停軍ラッパを鳴らし、旗手が色鮮やかな軍団旗を振って合図をする。
「コルンバーノ閣下、前方のクレシーに見慣れぬ旗が幾本も立っており、手前のナンポン周辺の湿原には凡そ3000程の軍勢が屯しております。」軍隊では、必要に応じて礼儀作法は無視される。鍛え抜かれた兵士は、息を切らす事もなくコルンバーノに状況を報告した。
「ご苦労!そのまま、後続軍にも教えてやれ。」「は!参ります。」小気味よい返事と共に、軽騎はタタラを踏ませていた騎馬を宥めて後続軍へと向かった。騎兵は帝国軍の花形である為、軽騎兵とは言え指揮官クラスは下級貴族が率いている。
重装騎兵になると、新兵・熟練兵で少尉・中尉、10騎の1個小隊長が大尉、3個小隊で1個分隊の長は少佐、10小隊で1個中隊の長は中佐。騎兵を入れた連隊を組織する場合には、大佐級以上が長を務めた。
ナンポンからクレシーの森の周辺には、2つの川に挟まれた低地に2〜3リュー程の広さで湿原ができている。周りは、池や沼地があり小高い丘や森林に囲まれ、とても大規模な軍の運用ができる広さでは無かった。海側の主要街道を使えば、恐らくは住民の少ないこの辺りで仕掛けてくるだろうとコルンバーノは睨んでいた。
フリジアの闇法術や空間転移の技は、帝国側には知られてはいない。無論、エルフの協力や神器による偵察の事も知り様がない。故にコルンバーノは、サンガットで消えた敵が彼の軍にストーキングしていると考えている。8年も間が開いたとは言え、帝国軍を狙って全滅する様な超自然現象が2度重ねて起こり得る筈がない。これは、人為的な現象だと彼は確信していた。
彼は、法術対策として人質を取ると共に、万一に備え前軍と後軍の二手に分けて、半日の距離を置いて行軍をした。ナンポン村の手前1時間ほどの場所で前軍を止めれば、後軍はエタプルで海岸から東へアラスを迂回するルートが採れる。老練なコルンバーノらしい、リスク分散であった。
「敵も気付いていると思うので、ここでジタバタしても仕方がない。行軍を止めた序でに、全軍は昼食とする。腹が減っては、戦にならぬと言うしな。ハッハッハ……。」コルンバーノは、ワザと明るく振る舞った。
「閣下、これからどの様に出られますか?」ナンポン手前の平野で、幕僚と早めの昼食をしながら軍議に花を咲かせる。
「緒戦は出方を見る為、湿原の敵軍を叩いてみよう。准将を筆頭に、第1重装歩兵を入れた4個コルホスと重騎1個中隊、軽歩1個中隊で混成軍を抽出して貰いたい。カレー市民1000を前方に置き、歩兵に督戦をさせろ。指揮には、参謀のグロッシ大佐も付ける。敵を圧倒してこい。」「ははっ!」
「敵が、こちらの耳目を奪い、湿原に別働隊を置いて本軍を出さないのは次の場合が考えられる。準備不足で装備が整っておらず、兵の数と練度が足りない。湿原の平地部分が少なく、ドルイドが有利に戦いを進める事が出来る。」
「閣下にもお考えが有ると思いますが、前半は些か楽観ですな。」チェレギン中将が口を挟む。「敵は突然現れて偵察を受け付けないとなると、今から情報を集めるしかない。常に最悪を意識しながら、挑むしか有るまい。ふーっ…。」
コルンバーノは一息吐くと、後手後手に回っている現状に思いを巡らせる。"多分あの軍の中に、甥の仇がいる事だろう。何人かで法術を使わねば、あの天変地異は起こせまい。だとすれば、これは彼等の切り札であり、クレシーに複数が隠れている可能性が高い。何としても、引きずり出さねば成らぬ"
そこに罠が有ろうと、彼が全軍で迂回路を取らず仕掛けて来ると予測できたナンポンの湿原に進むには訳があった。公には敵切り札の排除と、私情では可愛い甥の仇を討ち、自然災害と、なし崩しにした中央への雪辱を果たす為である。その為ならば、自分の命を的に敵の目論見を食い破る覚悟であった。
コルンバーノは、罠があっても力押しで破壊して通る様な猛将タイプでは無かったが、敵の目論見がエヴルーに戦力集中をさせず、集中する前に各個撃破をする積もりなのは見抜いていた。故に隊を分け、後軍はエヴルーへ、前軍で仇を報ずる積もりだ。
「他に異論が無ければ開戦とする。ここで、敵の切り札を屠って置かなければ、エヴルーでは大打撃を被る事になるだろう。この地が、今回の戦さの分水嶺となる。皆の者、心して勝利を得よ!」
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【ナンポン湿原/正午】
"パッパッパ、パラパー!!!"「「「ワーーー、ワォーーー!!!」」」
国と国との戦争なら、この時代は戦書を交わすのが慣例であった。この戦さに限っては、帝国属領の叛乱鎮圧が主なので、戦いは突撃ラッパの音と鬨の声と共に始まった。
「戦争怖いよ〜、仲間を殺すのは嫌だよ〜。」誰もがブツクサ言いながらも、槍を構えて突っ込んでいく。混成連隊の前に立たされたカレー市民は、同胞に槍の矛先を向けたくは無いが、フレタンに残してきた家族や後ろから歩兵が突き出す槍に脅かされてヤケクソになって声を張り上げて敵陣に突っ込んだ。
"ヒュンヒュンヒュン………" 中隊の弓兵が援護する様に100トワ(=200m)の距離から一斉射を敵に浴びせるが、突風が吹き全ての矢は敵に届く前に流されてしまう。2斉射目も同じ事だったので、オロンパスは弓を投槍やスリングと小石に持ち換える様に指示をだした。
弓は遠射が出来ても、矢が山なりの軌道を描く分は風に流され易い。敵に風法術士がいる場合は、直射しなければ矢の無駄遣いになる。弓直射は盾で防がれてしまうので、質量と衝撃力に勝る槍や投石を選択した。だが持ち換えて射程に入れようと近付いた途端、辺りにモウモウたる白煙が充満する。
"ビュビュン、ビュビュン………"続いて、敵陣からも矢が応射された。飛翔するには音がおかしいと思えば、着弾した盾から白い粉が煙の様に立ち上った。オロンパスが、アレは何だと声を出そうとする間も無く、陣のアチコチで「ギャー、目がー、目がーー!」「ゴフ、ゴフゴフ…喉が灼けて………。」
「いかん!彼奴ら、やりやがった…。毒だ!息を止めて口と鼻を覆え!!」オロンパスは、咄嗟に鼻と口を覆う指示を出す。だが、指示の届かない前線では、法術の風で白い粉が舞い上がり、辺りは視認するのも難しく、粉にやられた市民と歩兵が目を押さえ喉を掻きむしって転がり回る。
「やってくれたな蛮族共、厳しいお仕置きをしてやる。」グロッシはそう吐き捨てると、重騎による側面攻撃を提案した。「それは良いが、敵もその位は予測していよう。戦場を迂回して、背面からの強襲ならどうか?」「はっ!ただいま、カリッロ中佐の隊を向かわせます。」
「ようし!我等の出番だな。」中佐は、勇躍すると自分の顔を叩いて気合いを入れる。"遠征には出られ無かったが、海峡の件を考えると自分は運が良い。この戦さで手柄を立てて、是非とも出世して大佐になる"と意気込んでいた。
「彼奴等、同胞に毒を使いおったか!」"ガタ!"思わず音を立てて席を立つコルンバーノは、この戦いを湿原の入り口から遠望していた。伝令を受けると海峡の件で予感はしていたが、目の前でこうも鮮やかに切り捨ててくるとは予測をしていなかった。
彼は席に戻ると、「湿原の調査を優先する。主戦場は我が軍に不利な様だが、オロンパスなら持ち堪えてくれるだろう。我等は、暫く戦さを見守る。」コルンバーノは、何とか前軍を主戦場に入れる事は出来ないか、敵の大規模法術で一挙全滅しない様に三方以上の攻め口は無いか探らせていた。
「閣下、先にクレシーを攻略したら如何でしょう?」「それは悪手だな。考えても見よ、敵には我が軍の規模と兵種や行動が筒抜けになっている。今までの向こうの戦略を見ると、クレシーには我が軍に備えるだけの戦力が有るやも知れず、無いかも知れない。
我が軍の耳目を奪ったのは、我々が賭けに出るかを選択させる為に仕掛けられた心理の陥穽だ。森には、必ず罠が張ってあると見るべきだろう。ここまで用意周到に、虚々実々の駆け引きが出来る人間が只者である筈がない。」「それではクレシーに向かうと、足止めをされて湿原の混成軍は全滅すると?」
「うむ、まず間違い無かろう。混成軍を屠った後、我が軍の後背に回られたら3000は厄介な兵数だぞ。しかも、ドルイドが付いておる。後軍を投入したい所だが、5万の軍を一網打尽にされたら軍を分けた意味が無くなる。」その時、更に1000本の旗が一斉にクレシーの森にあがった。
「森の中では、騎馬が十分に活かせぬ。挑発としても、アレに乗るのは愚策だろう。それにしても、市民が役に立たないのなら軍列の邪魔だ。早急に解き放て!後軍は、予定の針路を取りつつ行軍の邪魔になる市民は解放と伝えよ。」
開戦から1時間も経たず戦況は移り、カリッロの100騎の中隊はクレシーを背に敵軍の後背から迫りつつあった。「一方的に殴られてばかりは居ないぞ。さあ、こっちの番だ!」と、中佐は兜の中で声を上げた。
"ドドドドド………、ドガガガ………" 迫り来る騎士と馬が着用した鎧の重みで響く重低音、突進する鋭い槍先、人馬一体で巨大な槍となった騎兵達は進路上の悉くを威圧する。所が敵は、その威圧に逃げるでも萎縮するでもなく彼等の前に立ちはだかった。
"ブーン、ブーン、ブンブンブンブン、ヒュヒュヒュオ!" 何やら歩兵が布のカバンをスリングの様にブン回すと、迫る騎馬の鼻先に投げつけて来た。"ピカ!ドドーン!ドカーン、ドドドド………" かつて見た事もない閃光と爆音が戦場に出現する。
モウモウと上がる黒煙に視界は遮られ、先行する騎馬が驚きツンのめって転けた。そこへ後続のカリッロ達の騎馬が突っ込み、止まれた馬は棹立ちになる。
「いまだ!」棹立ちの馬を含めて、一気に騎兵の身長が縮む。いや、正確には地面にズブズブと吸い込まれてしまった。彼等中隊の足元は、地面が液状化して底無し沼になっている。もちろん、土法術使いの仕業であった。
「アワー、アワアワアワ……!!助けて下さい、出られない!」重い鎧が災いして沈み方が早い。周りは、戦闘に忙しく、底無し沼に落ちて最早脅威では無くなった面々に対しての興味は薄れつつあった。彼等を、救おうとする者は居ない。居た所で、鎧の重みで巻き添えになるのが関の山だ。
ドルイドは帝国と救世教に苛め抜かれたのだ、今更助ける義理は無い。カリッロの隣で、副官が助けを叫びながらズブズブと泥に沈んでいく。その様子を呆けた様に見ていた彼は、不意に"名誉の戦死なら未だしも泥に塗れて息絶えたくない"と声を上げる。「嫌だー!こんな死に方だけはしたくない!!いっそ、殺してくれ!!!」
血を吐く様な叫びが、戦場にコダマする。泥が呼吸を止め苦痛な死が彼を捉えるまで、遂に最期の望みが叶う事は無かった。カリッロが昇進の願いを叶えたのは、皮肉にも功績ではなく彼の死による二階級特進であった。時の移ろいは無情だ……。いったい彼等の命に、どれほどの価値が有ったのだろう………。
「閣下、急ぎ沼と足を取られる湿地には、目印の旗を立てさせました。湿原の入り口も、三方以上を見付けて御座います。」参謀が、コルンバーノに報告をする。
「やっとか……。もう、開戦してから2時間は経つ。兵を纏めて、見付けた三方より戦場に突入せよ!一気に揉み潰す。」カリッロの死が、爆発と黒煙でよく確認できなかったコルンバーノは、危機的状況にある主戦場へと突入命令を下した。
"切り札は、安全なクレシーに隠してあるはず。こちらが、クレシーの敵により後背を取られたとしても、厄介な森から引きずり出せる。そうすれば、矛と盾の騎兵と重歩で本領を発揮してやるわい"
「もう少し…、あと少しで、敵の急所に手が届く………。そうすれば、、、」
「は?閣下、何か仰いましたか?」
「何でもない。それより、クレシーなど後背からの攻撃に備える様に重ねて伝えろ。」年甲斐もなく興奮したコルンバーノは、知らず知らず思いが言葉になっていたのに気が付いた………。
「はっ!」
彼の狙う先が、憎き男共ではなく1人の可憐な少女だとは知らずに………。
表題の産業革命とは、技術の革新に他なりません。人間の必要とは、先ずは衣食住ですね。カレンの幼少期は、食にスポットを当て農業技術の革新を行いました。
重装とは言え、歩兵は騎兵に対して弱い。前面には無敵とも言えるファランクスの弱点は、騎馬による側面や背面からの素早い攻撃でした。ですから時代が下ると、ただの長槍から中槍という投擲兼用武器に変わって来ます。他にも敵に対して、短槍、投げ矢などの飛翔武器を装備し、軽装騎兵の援護で弱点をカバーしました。
ローマ軍は、地中海から小麦とサラダを広めました。カレンの朝食に、パンとサラダが付くのは地中海からの侵略者帝国軍のお陰です。
家族の怪我は全治1カ月で、リハビリを入れて2カ月は掛かるそうです。次回以降も暫くは、執筆ペースを2週間前後にさせて頂きます。
※8/29 編成数の間違いや、記述に付いて分かり易く修正しました。




