アポリネールとラクロアの確執。
地球レベルのマクロ気象では、極点と赤道直下の3分の1ずつを極風帯・偏西風帯・貿易風帯と、大体30°ずつ分けて考えます。これに、季節や地形などの細かな条件で、様々な気候変化が起こる事と、動植物の分布が関係します。その辺りを頭に入れて、本作をお楽しみになってください。
【王国暦615年イズコール月(=6月)カレン7歳/神聖帝国暦1582年初夏】
日本で言えば、梅雨真っ盛りで蒸し暑くて仕方がない時期。サラザードは盆地であるが、西岸海洋性気候で四季がある。イズコール月からタムズ月(=7月)が年間で1番暑い時期だが、通年湿気が低く最高で気温30度前後、最低が20度に満たず15度程度と真夏でも肌寒い日もある。
気温差が10度はあって、降水日は月平均5日〜7日だがタムズ月は3日と少ない。夏の雨は、ザッと降って直ぐに止む。こっちの世界も赤道直下のメキシコ湾流(=暖流)で、北海道より緯度が高く寒いヨーロッパが温められていると見られる。
夏場は偏西風でガゾンブリアに暖流が打つかっていると見えて、海流をアテにしている新大陸からの戻りの帆船はメノルカ近辺で海流から早目に下りる。そのまま、ビスケー湾のアイテシア各港に寄港する事もあるんだ。
普通は、夏場に気温が上がるから湿気も増えるのだが、北アイテシアは冬場に海峡で暖流と寒流が打つかる為に、冬は比較的に暖かく湿度が高い。年間を通して日照が多く、温暖で過ごし易かった。
湿度が低く日照が多いのなら、ジャガイモ・トマトなどの新大陸産の高地野菜に向いた土地柄って事だ。冬場には、中央山脈や近辺の山々にシッカリと降雪するので夏場の水量には事欠かない。
メキシコ湾流に乗って、3トワ(=6m)の途轍もなく大きなマグロが海峡やビスケー湾付近まで北上するようだ。メガロドンという15トワ(=30m)級の化け物ホオジロザメも健在らしいから、捕食対象も大きくて不思議はない。やはり赤道付近の熱帯を中心に、メガサイズの動物が生き残っている様だ。
カレンは、マグロステーキを懐かしく思っていた。カツオにマグロの食味は、魚というより鶏肉に近いからニンニクを擦り込んで塩胡椒で焼いた物に、レモン醤油やマスタードにタルタルソースでパンに合わせると美味しい。
魚肉と言えばワサビと醤油だが、ワサビなんてツーンとした清冽な辛味はヨーロッパの食肉文化には余り向かない。ワサビの辛味成分は、熱に弱くて脂物にスポイルされる。ステーキに、西洋ワサビなんて言うのも有るにはあるが、メジャーな選択肢では無かった。
醤油も、テリヤキソースみたいな甘辛いタレでも無ければ塩辛いと判断されるだけ。だいたい、米を主食にする人種は醤油の臭いと塩辛さに鈍感みたいだ。剛の経験で、学生の時にユースホステルに泊まった事があったのだが、泊まり客が外人さんばかりだった。
で、お茶受けに煎餅を、仲良くなったベルギー人とフランス人にオーストリア人と食べたのだが、大概の日本人が魚醤に抱く感慨と同じく臭いがキツク塩辛いと言われた。そういえば、外人さんはクッキーやビスケットなどの甘い物をお茶受けにするなと考えて、日本人の鈍感な所を自覚した物である。
日本食が海外に受け容れられて久しいが、舌の違いに留意すべきだろう。日本食に近いと言えば、地中海世界の魚食文化が挙げられる。この世界にも、魚醤という極東の文化が流れ込んでいた。なんと牡蠣に、魚醤とレモン汁を掛けて食べて居たのである。
ミディ・テラネの食文化が出たので関係する帝国史から、これから行くアンジェ-ロワレ閥とレンヌ-ブリュヌイ閥の感情的齟齬(=行き違い)に付いて触れて置こう。
サマルカンド帝国自体は2600年前に、中央アジアの奥地に興り、その後にミディ・テラネ世界まで進出し始める。皇帝に拠る専制と、古代民主制がない混ぜの複雑な歴史を持つ。さらに帝国は、前帝国史と神聖帝国史を持つ。
神聖帝国暦182年、それぞれの副帝による4分割統治の時代を迎える。
東部から、
1.アスタコス地域(現:クアルーン教圏-神聖ティルク帝国)
2.イリュリクム地域(現:サマルカンド東小国家群)
3.アンブロージョ地域(現:フリストス救世教-神聖サマルカンド帝国)
4.トリーア地域(現:ロースダール・ロレーヌ含むアイテシア〜メノルカ)
神聖帝国暦255年 帝都ロームルスで、統一帝マクシムス1世がミラン寛容令を発し信教の自由を認める。
神聖帝国暦291年 皇帝フェオドシイが預言者フリストスによる救世教を国教に定める。遡ってフリストスの生誕年を、神聖帝国暦元年と改元する。
神聖帝国暦404年 クアルーン教を開いた預言者アブー・シェラファーが、マデアに遷った時をヒジュラ暦元年とした。帝国領アスタコス(=キパリシア、ミディ・テラネ世界の東側)が、後のクアルーン圏(=西アジア〜北アフリカ)となる。
神聖帝国暦-前253年 (=1835年前) 北アイテシア中央山脈からロワール川北岸沿いに、帝国と同盟したアエドゥイ・カルヌテニ2部族を除く、キャナル16部族連合が結集して対サマルカンド帝国との最終防衛ラインを引く。翌年から、アルモリカ戦役が始まり翌々年までに帝国軍に大敗す。事実上、キャナル最後の組織的抵抗となった。
ロワール川とは、セテ・フォンセの谷間を流れる長さ260リュー(=1000km強)に及ぶ大河である。アンジェの畔りを流れるメーヌ川は、ロワールの大支流の1つだ。アイテシアという国名は、アルモリカ戦役の時に集った部族を総じてアルモリカ人と呼び、その語源となっている。
ブルトン人の祖となるウェネティ族の部族長(=王/現:ラクロア侯爵家)はブリュヌイが本拠だが、アイテシア中央トリーア地域を中心に、ウェネティ、ボディオカセス、コリオソリテス、ディアブリンティ、レドネス、トゥロネス、サラスゥゥイイー7部族に、クロン人、ロタンギリア人、アミエンス-ローレシアス人、アミエンス-ローダニア人などが、戦役に破れてアイテシア全土に散る。
ラクロア家とアポリネール家の齟齬の始まりは、同じウェルネティ族でありながら、ラクロアは嫡流王家であり本拠のブリュヌイに戻ったのに対して、アポリネール家はサルト領メーヌ支流アポリネール川付近で諸部族と混血しながら踏み止まった。
アポリネールを中心としたロワレ閥は、戦場を投げ出したかの様に去ったウェルネティ王家に含む所があり、ラクロアは帝国の酷政に呻吟(=苦しみうめく)するもアポリネールはメノルカ交易で潤っていて面白くない思いがあり、この感情論は長年に渡って燻り続けたのである。
…
………
………………
時は下って………、
幸運王・救命公時代、王国暦293-6年に始まった帝国の大侵攻にアポリネールが曝され、更に直後連邦にナンテを攻撃されると、ラクロア家はブルトン半島を迂回した連邦を見逃しただけでなく、近くのナンテ-アンジェ戦線の救援に向かわず遠いアミエンスに兵を向けた。
これは、後の救命公ルネ=ジャスランの戦略的な命令であり、カロリナ人(=クロン+キャナル混血)-カロリング家の好意を取り付け、少ない戦力の逐次投入を避けた十分に成算のある戦いであった。またそれは、アンジェ-ロワレ閥にとっては、厳しい防衛戦を強いられる戦いでもある。
アポリネール側から見れば、カロリナの状況を知らされて居ない時期のラクロアの無視であり、少しでも戦力を回して貰らい、アンジェ〜チヴィタスという最終防衛線を守り、オルレアネー・ペルシュ地方など豊かな穀倉地帯が焼かれる危険性を軽減できたはずだ。
ジャスランが計画した補給線の徹底分断が功を奏し帝国軍が総崩れを起こして間もない頃の話で、連邦が火事場泥棒よろしく2正面作戦を継続した。今回は逆に、連邦に王国の補給要衝を落とされそうなハメに陥ったのだ。南アイテシア軍は、帝国が息を吹き返さない様に掃討戦から手が離せないので、結局は北の本軍を待たなければ成らなかった。
古都アンジェの名前に諸説があったとしても、聖なる祈り(=Saint-Laud)と追記されたのは、壮絶な兵力差の防衛戦を潜り抜けたアポリネール家側の祈りであるのは確かだろう。
それは帝国の侵攻を退け、連邦の野心を挫いた戦勝の論功行賞の席の事である。南アイテシアの王族貴族家の多くが、一族郎党の戦死により絶家となって空き領が増えて、アイテシア全土で領地の大規模再編が行われていた。
ラクロア家は、前期アイテシア時代にモルビアン+コート・ダモールの2領まで減封されて居たのを、その忠実な働きにより、かつてのブルトン王家の面目に掛けてヴィレーヌ+フィニステールの復帰を願っていた。
アポリネールも帝国を防ぎ連邦に一泡吹かし、戦いに於いて最も犠牲を出す重要な働きを見せたのを、サルト+エリニエの2領を認めて貰い報われる事を願った。ロワール・アトランティック領も加えて、もしや侯爵家に陞爵かとの噂もあった。
所が蓋を開けてみると両家とも最低線で、ラクロアはヴィレーヌの加増と、アポリネールは本領のサルトより重要なエリニエに転封になっただけであった。サルトは南からギュヴォール家が領すると決まった。
王家の事情としては、北が強くなり過ぎるのを避けたい目論見があり、北から有力貴族を引き抜いて北中央サルトに南の実力貴族という楔を打ち込んだ。更に北からの貴族を、ヴェンヌ区という西南のメノルカ交易の要衝に集めて名目上は北の区分に入るが、実質は南の経済圏に取り込んだ。
これには、ジャスラン公が呆れる。勝って国土が荒れ、出来たばかりの王家の内状はボロボロで、北と南で国内の融和を図るべき所を野心が横行し内乱の種を蒔くとは、敵は内にも居たかと溜め息を吐いた。戦争に勝って滅びる国の典型なのを悟った公は、件の名言とともに勲功を返上すると宣言したのだ。
信賞必罰の原則を覆せば、王国の内政が立ち行かなくなる。勲功第1位のロレッタ家が褒賞を辞退した事に焦ったのは王家の廷臣達であり、水面下の交渉で王都と首都に同じ権威を与えて、ロレッタ家に華紋を下賜する事で決着を見た。そうしてジャスラン公は、7賢を正式な称号にして特に働きの良い家に下賜をする。
アポリネール家は不満が有る物の"鉄壁"の称号と共にエリニエの領有で我慢を示したが、ラクロア家にとっては本領地の回復であった為に"剣聖"の称号と加増を受け入れた。これを、"ラクロアは軍家なのに意地汚し"と、アポリネールの将兵が漏らしてラクロア側が聞き咎め騒ぎとなる。
結局、ラクロアは3領とフィニステールに傍流を送り込む事で実質的には旧領を取り戻す。同族故にお互いの境涯に反発しあい、ラクロアとアポリネールは更に仲が悪くなった。アポリネールの本拠地アンジェは、北経済の重要地だった為に、政治上の思惑が明暗を分けた形になる。
〜〜〜〜〜
【王国歴615年イズコール月のとある昼下がり】
カレンは、執務室がある離れの窓外を渡り行く、新緑の風を感じながら旬のフランボワーズに舌鼓を打っていた。「やはり、木苺のサワー漬けを潰してミルクで緩く寄せたのも良いのですが、旬のフレッシュな果物は別格です。」「ええ、本当に新鮮な香気と酸味が、とても心地よいですわ。」
今日も、小鳥達のサエズリがけたたましい………。
「今年のローヌ・イズコールは暑そうだけど、今日は日陰が涼しいですわリーラ。」「まことで御座います。所で、アンジェ行きの旅程を変更して私の里帰りに付き合って下さるなんて、デュチェッセ様にも護衛でシャーリーズ様を出して頂けるそうですし、なんと感謝して良いのか分かりません。」
「それは、普段の働きが良いからです。市中の相場情報や庶民の暮らし向きに付いて、教えて貰って本当に助かっています。私の教育にも、本業を差し置いて熱心ですしね。」リーラは現在、家庭教師というよりか情報室長の色が濃くなっていた。
「お嬢様が私の言葉から汲み取って、領政に活かして下さるのが楽しみなだけです。私がお育て遊ばしたお嬢様が、いずれアイテシア1の領主になるのが待ち遠しくて仕方が有りません。初代ボドワン公や中興の祖ジャスラン公よりも、私にはお嬢様の方が優秀に見えます。」
「やだわリーラったら、そのお2人の血を引いただけで、特別に優秀な訳では有りません。」「これは、大変失礼を致しました。」かつての乳母は、自分が手ずから育てた優秀なお嬢様に対して、誇らしげな表情で一応の謝罪をする。
「東洋には、"旅は道連れ、世は情け"という言葉があって、どんなに困難な旅路でもお互いに協力すれば上手く行くと呼び習わしているそうですわ。ウール・エ・ロワール領を通るのですから、他でも無い2番目のお母様の生家を見てみたい気持ちが有りますし、トゥリー村に寄り道をしましょう。」
「ありがとう御座います。」さすがにミラベルと仲の良いリーラだけあって、スッと立つとスカートを摘み床にトンと片膝を突いて美しいお辞儀をする。「でもお嬢様、トゥリーはオルレアネー地方の外れに有る1千人そこそこの畑ばかりで何もない所ですよ?」
「私は、首都の穀倉地帯と言われるオルレアネー地方を見て回りたいの。ヴァンサン子爵にはポマの実栽培で随分と協力して頂きましたし、トゥリーからシャルトルに抜ける間道沿いの作物の生育状況も目にして置きたいと思います。」
「畏まりました、私めがご案内致します。」「いいえ、せっかくの里帰りなのですから、ゆっくりと生家で羽根を伸ばしてお過ごくださいませ。」カレンは、そう言うとニッコリと柔らかい微笑みで返した。多少の変更は有る物の、シャルトルからアンジェまでは予定の街道を進む事になる。
エンフォートとエリニエの間に、ウール・エ・ロワールとサルトの2つの領を挟む。ウール・エ・ロワール領ヴァンサン子爵オルレアネー地方-領都シャルトル人口2万弱と、同領リケッティ子爵ラ・ペルシュ地方-領都ドルー人口1万6千人に領は分けられていた。
………………1か月後タムズ月3日の朝8時。
フロンとリリアを前日泊まらせて朝食を一緒にすると、父と母に祖父母と挨拶を交わして馬車に乗り込む。その後を、ムームーがモソモソと尾けてきた。猫に長旅は酷だと思い、置いて行こうとカレンは決めていたのに、慣れると家より人に付くみたいだ。
「もう!出発の邪魔をしてはダメですよ?貴方は連れて行けませんから、お留守番をしていて下さい。」"なぁ〜"羽ぼうきの様に太くて長い尻尾をウネウネとして、白い毛玉が可愛い声で鳴く。この子は頑固で、こうと決めたら絶対に譲らない性格をしていた。
「姉様、猫ちゃんが付いて行くって言ってます〜。」リリアが、ムームーに抱きついて援護をする。「もう、仕方ないですわね。」カレンが遂に折れて、急遽、ムームーの同行が決まった。側仕えのエセルが、慌ててムームー用の籠を用意してくれる。
トイレは、普通に人間用を使っている。カレンが便座に座って用を足すのを観察していて、どうやらマネている様だ。猫だから、後を流さないのはご愛嬌だ。何故かクリスもお供をしてサラザードを出発した。"クリスがボケで、フロンはツッコミの漫才コンビだよなぁ〜"と、不謹慎な冗談を考えてみる。
6頭だての大型長距離馬車は、8人乗りで後部にトイレまで付属している。馬を繋ぐ舵棒と連動して前輪の舵が切れる様な工夫がされており、大型馬車にしては小回りが利く構造になっていた。
緩衝器も板バネでは無く、スプリングとその中心にオイルを封入したシリンダーが取付けられている。この世界では最新式ショックアブソーバーが装着されており、シールのパッキンと車輪の外側のタイヤはカーボンゴムで出来ている。止まる時や、坂道での馬の負担を減らす為に前輪は油圧式ディスクブレーキ、後輪はドラム式にした。
ステアリングにサスペンションとタイヤなんて現代知識は、もちろんカレンからの指示と実験の成果であった。彼女が、ガタゴトと揺れる馬車に嫌気が差したのを発端に、何時も王都と往来して大変そうな両親への親孝行の積もりで開発した新型馬車技術である。
今回はサラザードを出て、エタンプ町という人口1万弱程の場所で昼食をとって、ヴァン・デ・ヴァン村側の広場でお茶をする積もりだ。そうして今夜は、オルレアネー地方のトゥリー村で1泊をする。
盗賊の襲来や暗殺などの不測の事態を避ける為に、護衛騎士は騎乗した300人が同行をする。カレンの乗る馬車は白塗りで同じ白塗り馬車は全部で3台用意され、護衛は100人ずつ3グループに分かれて出発をする。カレンとリリアとフロンにクリスは1台の馬車に同乗して、リーラと息子のベルはシャーリーズと共に別の馬車に分乗した。
カレンの馬車は身辺警護役と世話役など側仕えと、身の回りの世話をする下働きが同乗すれば定員だ。カレンの発案により天井のボンネットは二重で、車軸を動力にした空調ファンが付いており、馬車が走っていれば快適な作りになっている。
サラザード南にあるフォンテーヌの森の端をかすめて、南西の街道を順調に進んだ。エンフォート領を出ると、昼にはエタンプ町に到着をする。穀倉地帯の町は、農繁期になると農夫は数十人単位で夏の仮屋に移動をしてしまうので、このオルレアネー地方の町や村々は人口が減ってしまう。
だが、街道に隣接する町は、エンフォートの好況を受けて賑わっていた。季節柄、貴族家専用の豪華な宿泊施設や、いっぺんに大人数が食事を出来る施設はギュウギュウ詰めだったので仕方なくカレンは、エタンプでパンとハムに野菜とミルクを買い込んで、町を過ぎた辺りでテントを広げて昼食をする。
「姫様〜!どちらにおわしますか?」街道を、エタンプ方面から、数頭の馬に騎乗した男達が大声を上げながら全力で駆けてくる。「何事だ!無礼者め、名を名乗れ!」これには、待機していた騎士達が槍や銃を構えて警戒を強めた。
「これは、失礼を致しました。私は、エタンプで代官を務めさせて頂いて居ります、ブレソールと申しまして、準男爵をして居りますです。それなるは、町の議員連です。どうか、姫様にお取り次ぎをお願い申し上げます。」代官が、馬から降り立礼でお辞儀をすると他の議員連中もこれに倣う。
「これは、代官さんと議員の皆々様、どうか為さいましたか?」騎士が取り次ぎ、ブレソール達が引ったてられる様にカレン達女性陣の目の前に連れて来られると、彼女は少しも慌てず微笑みで迎える。
長々とした挨拶の文句も軽く切り上げ開口1番、「私共の町で、何かお気に障る事が御座いましたでしょうか?」「その様なことは御座いません。ただ、町が賑わっているなと感心しまして、食堂は随分と忙しそうだったので遠慮をしたまでです。故に、含む所は有りません。」
「それは、ご存知の通り、姫様のお陰を持ちまして今日の町の興隆がありますのに、私共と致しましては是非にお立ち寄り下さって歓待を受けて頂きたかったのです。」カレンは、スカートを摘みチョコンと軽く会釈をしてから、「私が、心無い事を致しました。この通り、お詫びを申し上げます。」
これには、カレンの側に仕え慣れている者は良いが、貴族が謝罪をするなぞ見慣れない人々は度肝を抜かれて呆けてしまう。日本人的には先ずなにより謝罪なのだが、欧米では本当に謝罪すべき時にしか頭は下げない。カレンが、変人呼ばわりされる所以の1つだ。
「………ふぅ〜、ご不興を買ったかとヒヤヒヤ致しておりました。」「往路は心無い事を致しましたが、4週間後には使いを出しますので帰路は立ち寄らせてくださいませんか?」「その時は是非ともお立ち寄りになって下さい。我が町の名物料理で、歓迎申し上げます。」
カレンは、心中で"ウヘー"となった。この地方の名物は、ナマズの白身をバターで煮る様なソテーだった。魚食いの日本人としては、ショウガと酒でアッサリ酒蒸しか蒲焼きが良いのだ。ナマズの泥臭さは、バターでは抑え切れない。
「ではまた、その折に寄らせて頂きます。」「畏まりました。」と、代官達は暇乞いをして下がって行った。この光景を、町に入る手前から観察する視線がある。実は町を通り過ぎると、代官辺りが慌ててやってくるのは予想していたのだが、目的地を通り過ぎて尾行者かどうかを確かめてみたのだ。
この前の練武場の一件は、決闘と成れば観戦でも参加でもスキが出来ると油断をさせて、カレンを狙う連中に罠を張っていた。刺客を逃したのじゃなく、尾行者を付けて泳がせている。
カレンは、500トワ(=1000m)先の針が落ちた音でさえ聞き分けるほど聴覚が鋭敏だ。他の感覚も鋭いが、神経を集中させる事で選択的に音を拾える。そんな彼女が、250トワ先の畑の中でガサゴソやっている音を聞き逃す訳はない。
それは、ヴァン・デ・ヴァン村に近づいた時、街道にトウモロコシなどの背の高い作物が迫っている畑の近くを通り始めた時に起こった。こうした所は警備が難しいので馬車は全力で過ぎようとするのを、カレンは御者に並足を指示した。
"ブヒヒーン!ブルル…、キキーッ!!"御者がブレーキを鳴らして、車体を止めた。カレンが注意を呼びかけていたので、車中の混乱は無い。「何しやがる!馬車を全力で走らせて居たら、お前は今ごろペッチャンコだぞ?」御者が驚いて怒声を上げる。
茂みのガサゴソ音が、1〜2人分しか聞こえなかったので、盗賊の襲撃の可能性は低く地元民から何か訴えたい事でも有るのかなと、馬車のスピードを緩めていたのが正解のようだ。
「あ…あの、お願いです!私のお母さんを助けてください。」「何をバカな!お前は、お貴族様の馬車を止めた意味が分からないのか?そのお前のお母さんとやら、家族丸ごと処断されるのだぞ!?」「無礼者!お前は何をしているのか!」と護衛の騎士に女の子が取り押さえる。
「何事ですか?」即座にエセルが、外の様子を尋ねてみた。御者が、少女の取り押さえられた経緯を簡単に述べる。エセルがカレンに取り次いで、カレンが「それは余程の事情ですから、直接本人に尋ねてみましょう」
少女の目線で見ると、馬車の中からステップがスルスルと下ろされて、周囲を護衛が固めた中に神殿の彫像と見紛うばかりの光り輝く美しいお姫様が現れた。
「聖女様、母をお助けください!」田舎の踏み固められた地面に、平伏した少女が額を擦り付ける様に懇願をする。「控えよ!姫君の御前であるぞ。」護衛騎士が、少女の不躾な態度に声を荒げる。
カレンは手で騎士を制すると、「良いでしょう。それだけ必死の訴えなのですから、この場の無礼は存じなかった事にしましょう。この少女は、既に己が罪により死も免れえぬ立場なのです。今更、礼儀作法などと喧しい事は言いません。」「はは!御意に…。」
「それで私はカレン・ロレッタ、貴女のお名前は?」「あたいは、ペイリーヌ・デヴァン。聖女様、あたいは如何なろうと構わない。ただ、母と兄妹達だけは罰せない様にしてください。」「貴女は、貴族の馬車を止めると家族ごと命が無いと知っていて止めたのですね?」
「聖女様のお情け深いお噂は、この田舎にも届いております。このオルレアネーにもポマやプレを広められて、首都の治安も良くなってエンフォートが豊かで暮らしやすい領になったのは、皆んな聖女様のお知恵に拠るものだと、だから罪に問われるとしてもお願いすればあたしだけで済むと思いました。」
「それは、私共だけの力では無いのですが……、いずれにせよ貴女の命という賽は投げられた訳ですから、貴女の必死さは分かりましたので、そのお母様に会ってみましょう。」「ありがとう御座います…、ありがとう御座います………。」ペイリーヌは、また額を地面に擦り付け始めた。
「いけませんお嬢様!その者が、嘘を口にしているかも知れず、誘い出される可能性も有ります。」「いいえ、この娘は、嘘を吐いては居りません。」実際、カレンはその人の緊張や敵愾心、嘘を吐く時の顔色、所作の変化まで見通せる。
「エセルさん、このペイリーヌの傷を癒してくださいます?」「畏まりました。」「ペイリーヌでは、呼びづらいので、今日からリーヌと呼ぶ事にしましょう。私の事は、お嬢様で結構です。命までお預かりしましたので、リーヌの全ては私のモノです。名前も、私が決めます。」
エセルがリーヌを立たせて衣服の砂ぼこりを払うと、傷に光マ法を施して癒す。「さあ、詳しい話は馬車の中で伺います。」と、カレンはリーヌの手首を掴んで馬車に誘い入れる。馬車の座席にリーヌが座ると、ムームーが寄って来て膝の上にのしかかった。
説明によると、彼女の母親は重い病いで、高い薬を飲まさないと回復しないそうだ。父親はと聞けば、夏の仮屋に行ったきり戻って来ない。仮屋に行っても、父の姿を見つけられない……。
細ぼそと、この2〜3ヵ月を食い繋いで来たが、このまま父親が帰らないと一家の生活が成り立たなくなる。リーヌは、自分が知る全ての事情を話して一旦落ち着くと、今更ながらにガタガタと震えだす。
「良いのよリーヌ、もう良いの。貴女の望みは、私が出来るだけ叶えて差し上げます。」カレンは、リーヌを抱きしめて、膝の上のムームーを撫でさせて落ち着かせる。「姉様、優しいですね。」
「リリア、人間社会は助け合いによって保つのなら、法の正義が社会秩序をなすのです。私は、民を慈しみ育てる"仁愛"によって政治を行いたいと思っています。もちろん政治を行うのが人間ならば、全ての民が救える訳では有りません。
"愛民は煩わされる可からず"この娘の罪は問いますが、母親を救いたいとの願いは精一杯叶えます。
親兄妹への愛情は社会の始め、家族にとっての大切な想いだからです。これを否定したら、社会は成り立たなくなります。"人事を尽くして天命を待つ"からこそ、幸運の女神様は微笑むのですわ。
"兵は詭道なり(戦争は、専ら騙し合い)ならば、政治は仁道であらねば人々は何処に信を問うのでしょう。残念ながら、政治を方便として悪となす能力の無い人間の多い事。だからと言って、仁愛の心を蔑ろにして良い訳では有りません。」
楽がしたいとか思いながらもカレンは、自分が成すべきこと自分が求める行いを、この時までに大きな志として抱いていた。
皆様は、物を買う時にお金を払いますよね?盗んでくるなんて冗談はさて置き、これは経済行為です。物(=産業)とお金(=金融)はセットで考えないと、経済を説明できません。産業という物を扱う以上は、経済に付いても語るのが必定だと考えますので、前話の難しい話が出た訳です。
金貨銀貨の貨幣全盛の時に、"銀行に国債を買わす"などと信用通貨の概念(管理通貨制度)を説くのは、原始人達に最先端技術を再現しろと言うのと同じです。中央銀行は、国債を原資に通貨を発行してナンボでしょう?筆者の専門は経済学では有りませんが、小説を書く時には貨幣と信用通貨の概念位は意識して欲しく有ります。
次編では、輪栽式農法に付いて言及していきたいと思います。三輪圃までは、大概経験的に実施可能です。大切なのは、休耕地を作らず効率よく生産を持続させる事に有ります。地力を維持し続けるには、追肥と地力涵養植物が欠かせません。そうした意味で、耕作サイクルと作付けの組み合わせを考える方が重要なのです。
黎明期編の山場は、これからメーヌ編の後と、最後に来るようにしています。
次回は、1週間後を目安にリリースをします。




