カレンが紹介するアイテシアの歴史。
'20-2/5 に、新エピソードを追加して改編しました。
葬送が終わった後の辺りは暗く、虫の音以外は冷涼たる沈黙の中で静まり返っています。
"ドン!"「つ・・・、悪いお母さんで、ごめんなさい・・・。」赤ちゃんが、フイにお腹を蹴ってきたので謝りました。けれども、甘い幸せも同時に感じます。
多分、母性が強いのは、お母様の血筋でしょう。あの人が父親で有ろうと、自分が元男で妊娠を気持ち悪く思おうと、お腹の赤ちゃんにとって産んでくれる相手は選べませんもの。精一杯の愛情を注がなければ、バチが当たります。
「どうされました、マダーム?」フロンが聞いてきますので、「いま、赤ちゃんに叱られました。」「当たり前です。マダームが無茶をするのはいつもの事ですが、今は1人では無いので自分のお体を大切にしてください。」とクリスが応えます。
まだまだ、戦士達を埋葬する作業は完全に終わってはおりません。一度睡眠をとったあと葬送の礼をこなしましたが、下腹の違和感と僅かな出血が見られたので寝床に横になっています。2人とも、私のお腹に手を当てながら諌めてくださいます。
クリスは、ちゃっかり屋さんの不平屋さんですけど、心優しい面もある癒しの光マ法使いです。柔らかい栗色の髪と、イタズラ気に輝くアイスブルーの瞳をしています。
フロンは水マ法使いですが、クリスを手伝って私の体を温めてくれます。基本的には、癒しの光マ法以外では他人の体に干渉する事は出来ません。それと端折って居りましたが、マ法のマは"マナのマ"です。生命根源たるマナで、万物に干渉するからのマナ法なのです。
クリスが明るくお気楽な性格なら、フロンは真面目で折り目正しい性格をしています。濃い翠瞳に、透明感がある灰色が濃いブラウンの髪色が性格を表していると思います。
今、妊娠6ヶ月に成ろうかと言う時期で安定期では有りますが、ライフルを撃って下腹に力を入れたり、脳内時計の速さに合わせた体に持っていくと、赤ちゃんに負担が掛かって下手をすれば流産に成ったかも知れません。
「マダームは、何故そこまでされるのですか?」「そうですよ。なんで、私をお連れにならなかったのですぅ〜?」クリスさんのは、多分に私情が入ってそうですが、一応、私の身を案じてという事に致しましょう。
「ライフルの件も国軍の件も、私で無ければ処理が不可能だからです。」「ライフルは、マダームしか遠間から狙えないので仕方ありませんが、アニーがお止めした時に、何故、別の士官にお任せしなかったのでしょう?」「それは、クレマンが呼びに来たからです。」
「「……???……」」「分かりません?クレマンなら、軍律に明るいはずです。つまり、高度な法律判断を必要とされる場面が出ると想定したのでしょうね。」「どうしてでしょうか?」
「兵隊同士の諍いは、これを軍律で厳しく禁止しております。ところが、上官が部下に懲罰を与えるのは合法とされます。私が、国軍とはいえ、無礼者を打ち据えたとて何らの責は負いません。」「はい、ですから私も黙って見ておりましたが、アニーの言うように別の士官でも事足りたはずです。」
私は、首を横に振り、「我が領の軍法に則れば、遺体損壊や金品の強奪などは重大な罪に問われますが、国軍など傭兵を頼る地域は軍法がユルユルなのです。詳細はまたの機会にしますが、彼等の習慣に拠ればどちらも正しい事になり軍法会議にも成りません。」
「遺体の顎を切り裂いてもですか……。」「そうです。醜い行いですが、彼等からすれば立派な経済行為なのです。私が事を分けて説明し厳しい軍律を課した物を、目の前で平気で犯す人間が居れば、我が軍が争いたくなる気持ちは分かります。」2人が、ウンウンと首を縦に振ります。
「でも争えば、私は罰したくもない我が身と我が手勢を罰せなければならない。我が軍は、私の言う事を理解して従っているだけですから、軍法会議にかけられるとなれば私も同罪でしょう。」「そんな、マダームほどのお方を罰する軍律などは有ってはならない物です。」
「律とは、法という背骨が有るからこそ意味があります。それだけでは、ただの落書き程度に過ぎぬ物を生かしているのは、法の上の法、徳目という良識です。律は、人々がお互いに上手く生活して行くための知恵に過ぎません。知は、仁=(人々を救う優しさ)に優ることはありません。ここは、法の序列を明らかにして総司令の頭の中に叩き込む必要があったので私が出向きました。」
「ほぅ……、これだからマダームに付き従うのは止められませんわ。」「我々は、ガゾンブリアの"人々"と戦っているのですか?それとも、人が為す"暴挙"を敵としているのですか?私は、人々を相手に戦うことを好みません。」
「理解しましたが、そろそろお休みください。マダームが落ち着けないからと、押しかけたムッシュを遠ざけた意味が無くなりますよ?」と、フロンが毛布を掛けて来ました。
クリスが、旦那様と聞くと、クスッと頬を緩ませます。身重な新妻を心配する旦那様とでも思っているのかしら?ま、悪戯な乙女には、甘い想像でもしていると良いのです。私が出陣する時は黙って雲隠れしておいて、今頃になって戦場まで駆けつけても遅いのですわ。"ぷんぷん…。"
"トン!"また、お腹を赤ちゃんが蹴りました。元気が良いから、男の子かな〜?
女の体だと、実際に不便な事の方が多いのですが、この赤ちゃんを産むという事だけは欠点を大きく覆す美的ですわね。お腹を撫でながら幸福感に満たされていると、施療の効果と腰に当てられた焼き石の熱でホンワカポカポカして眠くなって来ました。
安定期に入ると、うつらうつらするか、食べているかの比率が多くなりました。それと、酸っぱいものが、やたらと食べたくなります。私の骨を溶かして赤ちゃんに上げてるなんて、ひどく幸せな気分になります。母乳を上げたら、きっと天にも上る気持ちなんでしょうね。
私も幼い時、お母様の母乳を飲んだ記憶があります。普通の貴婦人は、子育てを乳母に丸投げなんですって。ミラベル母様は、普通とは違った子育てをしていたみたいです。この子が、手がかかる間は、ガゾンブリアが攻めて来ませんように………。
は〜〜、ガゾンブリアの事を考えていたら、この国の将来について考えてしまいます。
少し、この国についてお話をしましょうか?
〜〜〜〜〜
まず、アイテシア王国の成立したのは、約600年前に遡ります。
2500年以上前にサマルカンド帝国が、遠く東から攻め寄せてキパリシアという地中海に突き出た半島を足がかりに、今の帝国の拠点であるペルージア半島を確保してミディテラネ世界を支配し始めた事に端を発します。
2000年前頃から、このアイテシア地域に帝国からの侵略が始まりまして、まだ国家としての意識が薄い各地の豪族の集まりに過ぎなかったアイテシア地域は、善戦虚しく1800年前頃には全面征服を受けます。
それから1200年の間は、アイテシアにとっての受難の時代でした。
平時でさえ"征服すれど統治せず"で、行政区を置いて貴族位を設け、貴族の代官による収税で民を"生かさず殺す"の搾り取りが行われ、税金を払ってもインフラの整備も、武装解除されたにも関わらず、盗賊や外敵や野獣など民を襲うものから守ることも怠りました。
特にアイテシア人の怒りを買ったのは、僅かでも反抗したら村落単位での絶滅はもちろん、それ以上殺したら税収に響くとなれば、ある地域では5歳以上の男子は皆殺し、女性は悉く強姦の対象とされたことです。帝国軍が通った後は処女が居なくなると、人々をして言わしめた程です。
各地で反乱の狼煙が上がり、その度にキャナル人の死体の山が築かれたそうです。サマルカンドから独立した今でもキャナル人の最大の侮辱語は、"この、サマルカンド野郎!"、"帝国の豚!"が最も酷い言葉になっている位です。
確かにキャナル人は、文化が遅れて文盲率が高く哲学、音楽、工学も、帝国に比べたら500年は遅れているでしょう。かつて私達は、このヨーロッパ地域における首狩り種族でしたし、ドルイドによる生け贄儀式などの野蛮な風習も多々残して居りました。
けれど、帝国が行った苛政のどこに文明人の行いが有ったのでしょう。私は、サマルカンドの平和なぞ、征服し反抗する口を封じた奴隷の平和だと断言いたします。彼等は、文字と哲学と宗教に多大な影響と、パンやブドウに道や灌漑施設を残しましたが功罪が釣り合っていません。
そうして遂に、2人の英雄によってアイテシアが救われる日がやって来ました。1人は、今のアイテシア王家の始祖、英雄王グザヴィエで、もう1人が、我が実家ロレッタ家の始祖、智慧公ボドワンです。
2人は、支配者階級のドルイドの家系に生まれましたが、人々の艱難辛苦を見過ごせず、当時は帝国の救世教の弾圧も重なり、ドルイドを協合してマ法による反抗部隊を作りました。
そして、大軍に対して、徹底した補給線分断戦術を展開し、マ法使いを小回りの効く小舟に乗せて、帝国の大船を海の藻屑として消してしまいます。
そして更に、帝国の蛮行は天に届いていましたが、帝国への怨嗟が天を突き抜けるような事件が起きました。
帝国はロマ人を入植させて農産を行なっていましたが、帝国軍は食料に窮してあるロマ人農家を襲います。種麦まで奪う帝国兵に抵抗を見せた女の口を割き、娘共々犯したあと、切った首を槍に突き刺して逆らわない様に脅して周ります。これが、逆効果でした。
ロマ人は、帝国から無理矢理入植させられただけなのに、この仕打ちに激怒してキャナル人に協力して一緒に帝国を討つ事となります。農具を武器に持ちかえ立ち向かうか、備蓄作物や畑を焼き、家畜を野に放ち、戦えぬ者は山野に逃げ惑い、逃げ切れぬとなったら自害して果てました。
もはや、帝国兵には一粒の麦も口に入らず、山野に屍を晒すのみと成り果てました。アイテシアの反乱鎮圧に加わった帝国兵18万の内、約半数が討たれ飢え死にし、生きて本国に帰った残りの半数以上が手足を失い痩せ衰え軍務に耐えず、気が触れたり、軍務拒否をする人間が後を絶たずの惨状となりました。
1000年以上経てばとっくに、東の帝国本国は政変により切り離されて、更に地中海沿岸の属州が、アイテシアに続けとばかりに独立を次々と果たしていきます。
サジェス公の提案により帝国包囲網が組まれ、帝国が他国を攻める時はアイテシアが帝国の後背を扼し、アイテシアに兵が向けられる時には他国がその後背を扼する事となりました。
帝国にとってアイテシアはケチのつけ始め、自分都合で逆恨みしますが、地中海世界に文明をもたらしたとしても、積み上げた遺骸の重さとは釣り合っていません。故に、恨まれ先進国の座を引き摺り落とされるのは自業自得の範囲です。
帝国とアイテシアは、最初期の30年は激戦を繰り広げ後は政治的な絡みもあって、アイテシア建国300年ほど緩やかな戦争状態を続けます。
初期アイテシアは領土に中央山脈があり、統治の都合から北のロレッタ王家と南のリュイン王家の双子の王国として建国がなされました。
つまり私は、世が世なら本物の王女なんです。
100年間は、双子の王国として成立しておりましたが、世代が進むにつれ、北と南の協調関係に水を差す事件が起こり、アイテシアはロレッタ家が低頭する事でリュイン家の下に一つの王国にまとめ上げられました。
600年の長いアイテシアの歴史は、南北に別れていた期間も含めて帝国から独立した年を起点にします。
その中頃、王国中興の祖と呼ばれる幸運王リオネルが、王国のマ法力に対抗する手段として火槍(=銃の原型)を開発したサマルカンド帝国の軍勢に負けて追い立てられます。
帝国はリュイン家を滅ぼし、傍流のヴァロッテ家のリオネルに迫りました。ロレッタ家を頼り、この山脈北側の地エンフォート領へと落ち延びたリオネルは、救命公ルネ=ジョスランの智謀を借りて王国を再興します。
帝国に対抗中、ガゾンブリア連邦国家群が北側から侵入して来て、前後に軍勢を迎えて王国は絶体絶命のピンチに立たされますのを、スゥーベ公はカロリナに自治権を与える事で連邦を抑え、危機的状況を脱します。
スゥーベ公は、王国全土を戦場に見立てたゲリラ戦術で帝国の鋭棒を挫く手にでます。各個撃破と、補給線分断を連携させる王国軍に手を焼き、そうして引きずり回された帝国は、あれだけ痛い目を見たはずのいつもの悪い癖がでました。
アイテシアの民を野蛮人と見下して、虐殺、強奪、強姦を繰り返します。建国時の再来となった一連の事件が、帝国軍の首を絞める結果となったのは言うまでもありません。
ポルトボヌール王とスゥーベ公の逸話は他国でも名高いのですが、何より名高いのが一連の戦いが終わって王が南に還御(=戻る事)された際に行われた論功行賞の席で、ルネ=ジョスラン公への宰相叙任と太公位への陞爵(=爵位が上がる事)をスゥーベ公が固辞した事です。
断るにあたってルネ=ジョスラン公は、「この王国は、いまだ未曾有の混乱の只中に有って、一身の栄達を求むるに非ず。自国を救うのは貴族として当然の義務であり、私の誇りの致す所でもある。」と名言を残し、戦勝に浮かれる貴族達の襟を正させました。
リオネル王は、その言動を聞いて不快に成るどころか、「さすが、ジョスラン公。王位を譲っても、我に悔いは無かった。まぁ、あの誇り高い男の事だ、また断られるに決まっているが・・・。」と、感銘の溜め息を漏らしたと言います。
代わりに褒賞として下賜されたのが、睡蓮の花の華紋です。これは、沈思黙考するジョスラン公の静かな佇まいを睡蓮に例え、"俗界に咲く一輪の清らかな花"の様だとリオネル王が評した為です。
それ以来、エンフォートの領都サラザードは、首都と同じ扱いを受けるようになったという話です。
王家と同じ家格を持つロレッタ家本家は、エンフォート区エンフォート領を治め、この北アイテシアの中央から東よりに位置します。
北アイテシアは9つの行政区に分かれており、それぞれ、
1.エンフォート区
(区全体がロレッタ領の為、一般には単一領として表される。名前の正式な表記には、ルラン、フォセ、フォンティーヌ、ブランアブル、マルクシ、サンヨンス、フォーヨンヌ、ピュークール、リュミテラスなど、9都市名と同じ領名が足される)
2.シャルドロン区
(ヌフシャルドン・ヴィシャルドン・エルシャルドン・バーゼル・ブレタンジュの5領)
3.モンターニュ区
4.アミエンス区
5.ブリュヌイ区
6.カンペル区
7.ショルヨン区
8.ヴェンヌ区
9.ヴェール・アンジェ区
となりまして、高位貴族は、複数の領を治める為に名前の表記が長くなります。例えば、ジュヌビエーヴ様の嫁ぐ前の正式名称は、
ジュヌビエーヴ・ドゥヌブ・ヌフシャルドン・ヴィシャルドン・エルシャルドン・カロリング・フォンタナ・侯爵子と8節となり、私が嫁ぐ前は、
アンヌ・カレン・ドヌゥブ・エンフォート・サラザード・ルラン・フォセ・フォンティーヌ・ブランアブル・マルクシ・サンヨンス・フォーヨンヌ・ピュークール・リュミテラス・ロレッタ・モンテローザ・公爵子と17節でした。
中位貴族以下となりますと、1つの領か、それを分け合う形にもなりますので、バーゼル領モンテローザとかバーゼル領モントイユなどと表します。
ガゾンブリア連邦は、全体をクロン人が支配していた時期にアイテシアの反抗が始まりましたが、帝国の矛先がアイテシアに向き始めると、北からザーム人の侵略を受けて変質しました。
ザーム人の価値観は優勝劣敗で、他国に攻め入る事になんらの躊躇も持ちません。帝国は心底憎いが、連邦の侵略は割とドライに捉えるのが、今のアイテシアの現状です。
難しい事を考えている内に、頭が程よく疲れて眠くなって来ました。それでは、あの懐かしい時代の夢を見て癒されたいと思います………。
自分をエリート(=文明人)だと勘違いした人間ほど、残酷な仕打ちができる動物はいません。その事は創作である本作に関わらず、現実社会の歴史が証明しております。