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神に仕える資格。



これは、お気に入りのクリスの外伝的作品です。その横顔を、ホリホリして見ました。では、お楽しみになって下さい。

 




 …




 ………




 ………………




【時は遡って……、ブリュヌイ区ヴィレーヌ領都レンヌ-ブレイユ教区】


「返して〜、それ、お母さんの大切な形見だから、返してよぉ!」


「はん!ドロボー、これは俺の母ちゃんの物だ!お前の母ちゃんは妾だった癖に、こんな物を持っていて良い訳が無い。お前、生意気だぞ!」


「返して!それは、お母さんの大切な物だから………ヒク………ウク………何で、そんなにイジワルをするの?……。」


「やーい、泣き虫クリスが、また泣いた!」4〜5人の悪童が彼女を取り囲んで、大切な形見の銀の手鏡をパスしあってクリスが触れられない様にしている。


 ………5歳に成ったクリスは泣き虫だった為に、2つ上の腹違いの兄バルナベが夏休みに帰って来てイジメの絶好の標的にしていた。彼女は一応、剣聖の血筋ラクロア家に連なるムートン子爵の分家、神官(プレテ)ロンバール家の亡くなった第2夫人の子供だった。




 この国の成り立ちによって、神の力たるマナ法が使える祭司(ドルイド)から神官、王族、貴族が出ている。聖職である神官家といえど、王族貴族と同じく第2夫人を娶るルールに変わりはない。


 中世の出産は、感染症のリスクと背中合わせ、女性は命を賭して出産に挑む。それは、この世界も変わりはない。クリスの母親は、産まれたばかりの彼女を置いて天に召されてしまっていた。


 癒しを司るプレテ家にとって、その若く健康な女の死は忌避されるべき事柄であり、直ぐさま嫁入り道具と共に遺骸は実家に送り返されて埋葬された。正妻も、輿入れして来た代わりの第2夫人も、母が遺した僅かな宝飾品ほどは彼女に興味を抱くことは無かった。


 ロンバール家は、祖父と父親の癒しの法術のお陰で(=町医者のような物)裕福な家庭では有ったが、忙しく立ち働く父親達は、亡くなって忘れ去られた女の娘には関心を示さず、主人達が無視をする子供には召使い達も世話が義務的になる。誰もが彼女を、愛情なく冷たくあしらって育てた。


 そうした子供は無口無表情に育つものだが、天にいる彼女の母親が憐れんで彼女の感情を取り戻させてくれたのかも知れない。3歳で産屋を出た幼女は、どこから迷い込んだのか知れない野良の仔犬を抱きしめて、人生初の笑顔を零したのだ。


 プレテ家に不潔な野良犬は不要だったが、クリスは頑としてその仔犬を離さなかった。洗礼式や対面式の準備があり、困った召使いが父親に相談をすると、仕方ないから思うようにして良いと返事がある。但し、離れと裏庭から絶対に出すなと条件を付けられた。


 その仔犬はキレイ洗われて、精悍(ヴリル)と名前を付けられクリスの欠けがいのない友であり家族となる。ご飯を食べる時も、ベッドで寝る時も、ヴリルと一緒のクリスは徐々に表情を取り戻しつつ有った。


 やがて、式典の内容を教え込まれた彼女は、片道10日は掛かる道のりで北アイテシアの首都サラザードに向けて、洗礼式を受ける為に出発をした。ヴリルを連れて行きたかったが、長い旅路に洗礼式と子犬を同伴させるのは召使い達も面倒がって父親に報告せずに無理矢理引き離した。


 ブルトン半島のヴリュヌイ区は、古代キャナルの一支族ブルトン人が王国を宣した地区である。その王家の末裔がラクロア家であり、ル・スゥーベ公時代に剣聖と2つ名で呼ばれたランペリアの子孫でもある。


 クリスが住んでいたレンヌは、ブルトン半島の根元、ヴィレーヌ領のほぼ真ん中に位置しており、エンフォート領サラザードまでにマイエンヌ、サルト、ロワール=エ=シェール、ウール=エ=ロワールのそれぞれの領を股がなければならない。


 クリスを乗せた馬車は、母親代わりの4人の召使いと4人の護衛と共に寂しく洗礼の地を目指した。サルト領から、アンジェ⇔エンフォート間の主要街道に出るとはいえ、危険な野獣が跋扈する道筋には寂しい護衛だった。


 別の商人や旅行者を伴っても良いはずが、クリスの家族はその手配の労を惜しんだ。もとより、父親には関心という物がない。プレテ家の娘として、最低限の体面を整えただけだった。


「あーあ、アタシら飛んだ貧乏クジだわ。あんな陰気な子のお守りで、遠いサラザードまで行かされるなんてさー。」「まぁまぁ、その分はタンマリと特別手当てを貰っているからさ、途中の宿場町でパーっと飲んで騒ごうぜ。」「「あ〜っはっはっは〜………。」」


 護衛で雇われた者達でも、この不謹慎な受け応えには眉をひそめずには居られない。でも、結局は彼等に何か出来るわけでは無かった。


 クリスは、移動中も毛布に包まって、ロクロク食事もせずにヴリルが居ない寂しさにガチガチと震えていた。そんなクリスに義務である食事だけは出したら、町に繰り出す召使い達は楽しげに飲んでは騒いだ。


 洗礼を受けて家に戻ると、痩せ細った体でヴリルが待つ離れに飛び込んだクリスは、そこで信じられぬ物を目にする………。


 それは、庭の地面に埋められたヴリルを目掛けて、的当て遊びに興じる男の子達の姿だった。「止めて〜、私のヴリルに何をするの!」痩せた体のどこにそんな力が有ったのか、クリスは大声を上げてヴリルの頭に覆い被さった。


「チッ………。この死に損ないが俺の妹かよ…。ソコを退けよ。」「イヤ!ヴリルに酷いことをしないで!」「ソイツはよー、生意気に俺達に吠え付きやがったんだよ。」「イヤー、イヤイヤ、ダメー!!」クリスは泣き叫んだ。「ウゼー、どうせ昨日まで顔も見た事がない妹なんざ、どうなろが知った事はないよな〜。」


 男の子の内の1人が、クリスの体を掠める様に石を投げて、「おい!今度は、妹君を可愛がろうぜ?当てるのじゃなくて、どれだけギリギリに投げられるか勝負と行こうじゃないか?」「いいぜ、のった、のったー!」


「ギャウ!つぅー……。」悪童の1人の投げた石が、手元を狂わせてクリスの体にクリーンヒットする。「ギャハハ、負けてやんの。」「「ワーッハッハッハーッ!」」「ちぇ〜、だいたいコイツが体を動かすのが悪い。」


 クリスは、"いま体を退かすとヴリルが悪童達の餌食になってしまう。自分の体がどうなろが、大好きな友達を絶対に守ってみせる!"と、幼いながら心の中で固い意志を表した。一度クリスの体に石が当たり痛みに悲鳴を上げるのを見た悪童達は、嗜虐心を刺激されて次々とその小さな体に石をブツけ始めた。


 間も無くして短い怒声の後、兄妹の父親が間に割り込んで来た。「「ヤベ!」」蜘蛛の子を散らす様に、悪童達が退散する中、兄だけがムンズと頭髪を父に掴まれて逃げられない。クリスは、助かったと思った。召使いが、さすがに気が咎めたんだろう、父親を呼びに行ってくれた。


「お父さん、お父さんだよね?助けて!私のヴリルが、ヴリルが殺されちゃう……。」彼女は鏡で見た、自分と同じ赤味の強い栗色の髪と"茶色の瞳"で父親かどうか聞いてみた。


  父は冷たく見下ろすと、「湯浴みの準備を!それから、ここは汚いんだ入るなと言っただろう?」「すいません父上。」父親はブツブツと文句を言いながら、兄に腕を出させて折檻の鞭打ちをしだす。たちまち、手の甲が真っ赤に染まる。


 クリスに向かって、「おい!大丈夫か?まったく……、プレテ家から不審な死体が出るほどの恥は無いというのに、人に石打ちをして万一の事が有ったら如何するのか!」バルナベにも、「理解出来ないのなら、お前の母親諸共、実家に叩き返すぞ!」彼女は立たされて父親のヒーリングを受ける。その姿に、ギリっと睨む兄の視線がクリスを突き刺す。


 その肉の無い、骨が浮いた体に石の衝撃で何十のアザと骨折が有ったのを温かい波動が癒していく。クリスは、初めて会う父親にヴリルも治して欲しいと懇願するが、動物を治すバカは居ないと突っぱねられてしまう。


 何度もしつこく頼み込むが父の返事は変わらず、「忙しいのに、こんな汚れた場所に来るだけで有り難いと思え!」と、放り出されてしまった。片目を潰され、半死半生で鳴き声も上げられないヴリルを抱えて、一緒の寝床に入ると自らの生命力(マナ)をヴリルに与えて幼い命の限りを尽くして救おうとした。


「ヴリルごめんなさい。貴方を1人にさせた私が悪かったの……。」"クゥン…キュウン…"そう落ち込む彼女の顔をヴリルは弱々しく舐めて元気付けようとする。その時、彼女の中に芽生えた気持ちは、"大切な物は自分で守らなければ簡単に奪われてしまう"という物だ。


 対面式は、クリスが部屋から出たがらないので、体調が悪いとして取り止めになった。実際、ヴリルの容態が落ち着きを見せるまで効率の著しく悪いマナの移譲を行い、何度も失神して命の危険に晒されるまで粘ってヴリルの命を助けた。


 それから月日は流れて、クリスは相変わらず小さく痩せっぽっちだったが、体調は戻って離れで普通の生活を送っていた。ヴリルは、片目は潰れたままで若犬に成長している。飼い主の立場が不利になるのを察して、無駄吠えや唸る事をしなくなっていた。


 クリスは、召使いの噂話から、亡くなった母の形見を正妻が引き上げた事を知る。どの宝飾品が母の形見かは分からないが、たった一つ、銀無垢の手鏡だけは母の実家の華紋が意匠されて居たのでハッキリとしていた。


 "誰も信用は出来ない。母の形見は自分の物だ。自分の物は自分で守らなければ、奪われるだけだ"と考えたクリスは、家族が近くに旅行に行った隙に正妻の部屋を物色して手鏡を奪取して来た。盗人にしては銀の手鏡だけ、しかも亡くなった第2夫人の遺品を持って行ったのだから犯人は瞭然としていた。


 クリスは、誰が来てどんな話をしようと、"これは私のだ!殺されようと、手放す気はない!"と主張を繰り返すばかり、無理矢理引き剥がそうとした召使いの手に噛みつき指を喰い千切るほどの抵抗を見せた。


 召使いは来ない、食事も水差しの水の交換も、排泄の世話も来なくても、彼女はヴリルと母親の形見の品が有れば満足だった。


「ヴリル……、あなたは…、生きなさい………。」クリスは、意識が朦朧とした目で最愛の友人に生きろと命じて、その首輪を解く。


 5日、6日と経って、さすがに聖職者の家から餓死者を出したら不味いと感じた父親は、クリスの部屋を覗いて、ヴリルがクリスの顔を舐め回し、どこからか持って来た皮袋の水と食べ物を与えているのを目にして、犬でもこれだけの情愛を示すのに自分は頑なに躾に拘って娘を死に追いやるのか?僅かな疑問が胸を過ぎる。


 そうして、鏡を諦める様に正妻を説得したのだった。


 クリスは、寝床から起き上がる。僅か1年の間に、生命力を絞り尽くす事件が2回も起きたのだ。食べ物を摂ろうとしても喉を通らなかったので、回復するまでの暫くは父親の癒しのエネルギーを浴びた。肝心の成長も止まっている様で、3歳の時から体格は殆ど変わらない。


 父親が娘を手放さなかったのは、娘ならば年頃になれば他家との婚姻に使えると思っていたが、こんなに小さく痩せていたのでは、それも儘ならない。ボチボチ、亡くなった母親の実家に返すかどうか迷っていた時期だ。


 貴族院の夏休みで帰って来ていた正妻の子で跡取り息子が、また娘を泣かしている声がする。去年の夏休みも、娘に的を絞ったイジメで泣かしまくっていた悪タレ坊主は全く成長をしていない様子だ。急に、息子の悲鳴が上がって、何事かと現場に行けば手鏡を咥えて唸るヴリルと、手に怪我をした息子が喚いていた。


「どうしたんだ、バルナベ。」「父上、こいつの犬が僕に噛み付きました。」「嘘!ヴリルは、ただ手鏡を取ろうとしただけだわ!」「では、この傷は何と説明する。」「それは、私がイジメられていたから、鎖を引き千切って駆けつけてくれたの。手鏡を取る時に、千切った鎖が当たって切っただけよ!」


「嘘はいけないなぁ〜。俺達は、そのワンコロがバルナベさんに噛み付いた所をバッチリ見ていたよ。」「何で?私は、嘘なんか吐いてない……。」周囲は兄の子分ばかり、何を言っても通用しそうにない。「………分かった………、どちらにせよ、人に危害を与える動物は飼っては置けない。」


「そんな…、そんな、ヴリルが何の悪い事をしたと言うの?お父さん、お父さんは神様に仕えているんだよね?なら、何で正しい事をしないの?」「確かに、私は神に仕えておるが、ここは施療院だ。そもそも、お前のワガママで、不潔な犬を飼わせているに過ぎん。始末してしまう訳ではない、元の野良に戻すだけだ。」


 "キューン、クゥーン" ヴリルが泣き崩れているクリスの側に寄って、手鏡を彼女の膝の上に置いた。父と召使いの総がかりで、クリスをヴリルから引き離そうとしたら、「イヤーーー!この子と、離れたくない……。」クリスが、悲痛に泣き叫ぶ。「どこか、遠くに犬を捨ててこい。」


 バルナベは妹が悲痛な泣き声を上げても、怪我をさせられた事に腹が立っていたので小気味よい気持ちで悲鳴を聞いていた。




 クリスは、ヴリルを探し回らない様に、もう2週間ほど離れに監禁されていた。その妹の元にバルナベは、愉し気に麻の包みを持って現れる。泣き疲れて憔悴し切った顔をする妹に、持って来た物をポィと投げ渡した。


「いや〜、お前が悲しんで居るから、極上のプレゼントだよ。そーっと、そーっと、開けてご覧。ヒェヘッヘッ〜…。」言葉の通り、ソッと布地を開いてみる。




 ………



 ………………




 そこに、彼女の最愛の友の生首が有った………。


 クリスの中で何か大切なものが壊れて、割れた隙間からドロっと漆黒の闇が滴り落ちて彼女の器を満たしていく………。


「いや〜、そいつさ。遠くに捨てても、翌日か翌々日に戻ってくるからさー。サクッと死んでしてしまえば、取り敢えずご対面になって嬉しいし、そのうち忘れられるだろ?へへっへ…、妹を心配して生き物に手を下せるって、僕は何て良い兄なんだろうね?」


 イジメをする奴は、時折りイジメられる側の許容量を無邪気に超えてやり過ぎてしまう。クリスが、悲鳴を上げて悲しむ姿を見たいが為にした行為が、彼女を追い詰め過ぎて誰も望まぬ結果になろうとは死が間際に迫らなければ意識もしないだろう。


 ドロっとした粘りを帯びた闇が、彼女の口を突いて溢れでる…。「お兄ちゃん、お兄ちゃんは〜、私の大切な、大切なお友達の目を盗ったよね?返して欲しいの。」"ヒュ"「へっ?」バルナベは、急に片目の視界が暗くなった事に驚いて間抜けな声を漏らす。


 "ボトボト……" 何か生温い塊が手の平の上に落ちてくる。「なーーーー!」自分が掴んだのは何か、残った片目で確かめると、赤黒い血の塊と気付いて悲鳴にならない悲鳴を上げた。痛みを感じなかったので、余計に恐怖を感じる。妹だと思っていた体から、闇が溢れて別人の様にしてしまう。


 ソレは右手の上に眼球を転がしていたが、直ぐに飽きたのか動くのを止めたと同時に眼球がザッと粉になって消えた。紅い唇を舐めると、「まだ、足りない。お兄ちゃんは、私の友達から命も盗ったよね?返して。」「ヒッ…ヒッ……ヒェェェェ〜………。」


 バルナベは、腰を抜かして床を後ずさりしながら逃げるも、ソレは苦もなく追いついて右手で足首を掴み引きずって自分の方に引っ張る。「お兄ちゃんのマナを頂きます。」右手で吸ったマナを、左手のヴリルの首に流していく。


 いくら生命力(マナ)を注いでも、死んだ物を生き返らせる事は出来なかった。それでも、動きを止めた犬の死骸に大量のマナが注がれて、過剰供給(オーバードライブ)したマナが死骸を元素に還元していく。


 還元したヴリルを、ソレが取り込んで無邪気な笑顔で、「あは、私とヴリルが一つになって行くの。こんな幸せは産まれて初めて、ありがとうお兄ちゃん。大切な物は、やっぱり肌身離さずで居た方が良いよね?もう一体だから、心配しなくても良いんだよ。まだ、お母さんの鏡が有るから、もっとマナを頂戴ね。」


「ヒッ……、ヤメ…止めてくれ………。ごめん、もうしない、もう二度とイジメ無いから許してください……。」金属を還元するには、一体どれほどのマナが要るのだろうと考えて気が遠くなる。ソレは、首を横に振ると、「んーん、お兄ちゃんは謝らなくて良いの。その分は、マナで返して貰うから………。」


「ヤメー、それだけは止めてくれ!」「どうして?お兄ちゃんは、私が同じことを言っても止めないよね?だから、謝る事の必要が無い解決方法を選んだの。たくさん、たくさん、もっと、もーっとマナが欲しい…………、そうすれば私は、皆んなは、幸せになれる。」


 その時、異変を感じた兄妹の父親と祖父が部屋に押し入って来た。「なんじゃー、こりゃ!いったい全体、お前達はバルナベか?クリスか?」


 ソレは、血色が良く肌色がツヤツヤと煌めいて、輝く金色の髪をたなびかせ、金色と紫色の金銀妖瞳をしている。美しいのに不気味さを感じるのは、右半身の肌が透け出した事だ。ドクンドクンと脈打つ度に肌が透けていって、マナの光りが透けた方の腕から体に吸い上げられているのが目視できる。


 父と祖父に気が付いたソレは、新たな目標を見つけて喜びに震えている。「お父さん、お祖父ちゃん、今まで面倒を見てくれて、本当にありがとう。私ね、弱虫で泣いてばかり居たから悪かったの。でも、こんなに強い体になったよ?これからは、もう二度と泣かないからね。」


 バルナベの体が、急に歳を取ったようにシワシワに萎んでフサフサと生命力に溢れていた髪が真っ白に変化してバサリと抜け落ち、目が落ち窪んで、いつの間にか片目から流されていた血も乾いてしまい、父と祖父に気付いたバルナベが助けを求める為に口を開けば歯がポロポロ落ちていく。


「ヒューヒュー………、ひっ、ひひふえ、ふぁ、ふぁふけひぇ………、ふぁだ、ふぃにたふぅ〜、な…い………。」苦しげに喘ぐ息の下から力なく助けを求めるが、ソレが掴んだ足首が弾けて崩れていった。


「ふふふっ……、お兄ちゃん、逃げたらメーッしょ?さぁ、私と一つになろ?何の苦しみもなく、怒られる事もない、心配事の無い世界に旅立つの……。」ソレは、丸で慈母のようにバルナベをかき抱いて、彼が最期に父に助けを求めて腕を伸ばす。


 父は息子の危機を感じて、咄嗟に伸ばされた腕を掴んで引っ張ろうとするが、「ぐあぁぁぁぁーーーー!!!」掴んだ息子の腕から体内のマナを急激に吸い出されて掴んだ腕を思わず離してしまう。「あらあら、お父さんもお祖父ちゃんも、慌てなくても、そこで待って居れば、やがて私と一つに成れますよ。」


 ソレは、バルナベの頬に親愛のキスをする。した所から、乾いてピキピキとヒビ割れていくのを、見た事も無いバケモノへの恐怖から腰を抜かす無力な父は、黙って見続けるしか無かった。


「何をしている!早く、逃げんか!」激しい叱咤が親子を正気に戻した。「貴方は、もしや侯爵様?」気が付いて見れば、家の中はドヤドヤとした喧騒に包まれていた。「そんな事はどうでも良い。アレが、今咥えている獲物の命をユックリと吸っている間が勝負だ。」


「あの、息子と娘はどうなるのでしょうか?」「息子は助からん!アレが顕現する引金の一つになって居るからな。娘は、まだ元に戻れるやも知れぬ。アレが顕現する引金は人の絶望だ。人が絶望するキッカケに、愛したモノとの別離がある。それを、取り込んでいてくれさえすれば、まだ希望はある。」


「………アッ……アア……アゴア………、」「いかん!もうマナが尽きるぞ!」テオドールは右手に術法の光りを纏い、ソレの額を手の平で掴む。「ぐあっはぁー、まだまだ顕現途中のお前なんぞに負けはせんぞ!ラクロア家の秘儀、お前の脳裏に術法を刻印してやる。」


「ほぅ……、我の、我の、封じ方を心得おる、おると?これは、これは、め、珍しい。」ソレは最早、娘と容姿も声も完全に異なって、男とも女とも判然としない大人の声で喋りかけてくる。「我は、我は、この肉体の絶望によりし顕現したる、したる(モノ)。既に、既に、闇に堕ちし魂が救えるのか?のか?」


「だまれ!人は誰しも、お前の人形ではない。」「ほっ、ほぅ、言い、言い、よるわ。ならば、ならば、我を、我々を、封じて見るが良い、良い!そのか弱い術法、術法でな。」「抜かせ!術法はリミッターよ。そなたの力を制限すれば、いつまでもお前はその肉体に宿っては居られまい!」


 "ボフッ" 嫌な音を立てて、バルナベの肉体の崩壊が始まる。袖や襟から、服のいたる所の開放部からサラサラと肉体であったモノが砂の様に流れて崩れいく。「ふっふふふ……、お兄ちゃん、怖くは無いのよ?痛くも辛くも無い、憎む事も苦しめる事も無い、ただ全てが一つになって愛し合えるの。安心と、安らぎに満ちた私の体の一部になるのよ。」


「それは、生きて居ない状態を言う!生きるとは、苦しんでも、痛くて辛くとも、常に前を向いて進み続ける事だ!名前の秘された神よ、お前も神なら生命に慈しみの心を持たんか!」「黙れ、黙れ!人、人の子、子よ!神の、神の、計画にお前如き矮小な者の、知恵が及ぶ、及ぶか!」


「父親よ、お前も父と呼ばれるなら、僅かでも娘に情愛があろう。手に術法を纏え、そして我を助けよ!コレの核に在る娘のマナの総量が予測した倍はある。後は、親子の情愛だけで制御を完了しないと、顕現だけでこの都市が滅んでしまう。」


「無理だ。私は、この娘に何も施しては居ません。」「それでも、そなたの中に施すべき情愛はないのか?この娘が取り込んでいる、絶望のキッカケとなったモノと呼び会えれば良い。」


「私は、今まで何を見ていたのか?教えを説いて、人々を癒して、感謝されて、汚れから遠く離れて居れば清くなれると信じていた。その為に心を閉ざし、冷たい石の壁のようになっていた。この娘の心を取り戻したい、命を救いたい!」


 そうして、翳す手に祈りを込めた。ソレの胸から、輝く光の花弁が伸びて大輪の花をさかせる。その中心から、ヴリルが顔を出して、次第に亡くなった元の妻の顔に変わる。「お前、ずっとそこに居たのか?」"ええ、アナタ。この娘を見守って居ないと、誰も愛を施してくれそうに無かったから心配で……。"


「すまん。お前とは愛の無い結婚だったから、娘も愛してやれなんだ。」"ううん。貴方は、ほんの僅かでも与える事を成しました。それでこの娘は、これまで命を長らえたのです。神とは、与える愛。私も、亡くなるまで気が付きませんでした。大切なのは未来、この娘を救うこと、命を与える事が神に仕える資格です"


「こんな私でも、何かの役に立つのか?」"愛の無い結婚でも、未来永劫に渡って怨み憎み合う関係ではないのでしょう?私は、貴方とこの娘を世に送り出した事を悔やんでは居ません。2人の間に僅かでも情愛が残っているなら、この娘に未来を与えましょう。さあ………"


「ムダ、無駄だ。この娘の魂は、我が、我々が物よ。そんな、そんな、脆弱な情愛で、娘が救える物、物か…。全てが、全てが一つになって、苦しみの無い世界がこの娘の望み、望みよ。我から、我々から、娘を剥ぎ取れるなら、やって見れば、見ればわか、わかる。」


「ソレの言葉に耳を貸してはイカン!コイツは虚無、虚無の闇を司る悪神だ。我等、光のマナを操るモノの真逆、"全なる一"こそ最上と唱え、死を無上の喜びとする。」





 ………クリスの意識は、夢の中にいた。"クリス、クリスったら、早く起きてご飯を食べなさい"

 "はあい"真っ暗闇の世界に、ただポツンと彼女が理想とする家だけが建っていた。


 "お母さん、お母さんだー"クリスは、母親に甘えて抱きついてみる。


 "まぁまぁ、この子ったら、いつまでも甘えが抜け無いのだから……"

 "ヴリルがいる、お父さんもお兄ちゃんもお祖父ちゃんもいる。皆んな一つの家族だわ"

 "何を言ってるの、当たり前の事じゃない?"

 "だって、だって、とっても幸せを感じたから"


 "なんだ、クリスは変なヤツだなぁ~"

 "あっはは"

 "おほほ"それは、クリスが望んでも与えられなかった、どこにでもある家族団欒の一コマだった。


 "バンバンバン!クリス目覚めて、そのまま闇に呑まれては貴女の未来が無くなってしまう!"その暗い窓の外から、クリスの本当の両親が、目覚める様に呼びかけていた。そのまま、両親は彼女を現実に引き戻そうと必死に呼び掛けるが………。


「無駄、無駄、無駄、無駄よ〜。あの娘にとっては辛い現実より、この夢想と虚無の狭間の世界こそが幸せという現実よ、現実よ。」

 "くっ……、私が少しでも、子供達に配慮していれば、こんな事には成らなかったんだ……"


 "諦めるな!今まで、娘を顧みなかったのだろ?一朝一夕で事がなると思うな!今、あの娘の未来を諦めたら、我々もレンヌの人々もその命は無い。皆の未来も無くなるのだぞ!"


 "アナタ、祈りましょう。人々は、神に委ねるしか手段の無い時に、心の底からの祈りを捧げるモノです。娘の、そうして皆んなの未来の為に!"


 ""皆んなの未来の為に""


 テーブルの上に有った、銀の手鏡が白く輝きだす。"お母さん、これな〜に?"

 "あらやだ、こんな所に私はお化粧の時の鏡を忘れて居たの"夢想の母が、ひったくる様に手鏡を隠そうとするが、クリスの方が近い所に有ったので少し早く手にしてしまう。


 "ヒッ……、ソレに触れてはダメ……アナタが目覚めてしまう。夢幻の幸せを捨てて、辛い現実世界に帰ってしまう…"

 "でもこれって、凄く温かいよ?とっても、胸に染み入る温かさ"

 "良いから、捨てなさい!"

 "でもこれは、とても大切な物の様な気がして、お母さんの形見?"


 "ああ………、ああ、ああああ………"

 "お母さん、死んじゃった?ここに居るのは、本当のお母さん?"鏡が、一際強く輝いて辺りを照らし出すと、窓の外の光景を鏡面に映し出す。


 "あれは、本当のお父さん、お母さん?"銀の鏡が、全てを明るく照らして、偽りの悉くを光で塗り潰していった………。






 皆、意識を現実の物とする。魂だけの母は、娘の中に消えていった。バルナベの体は、ギリギリまで保って"ボン!"という音と共に砂ぼこりの様に消えてしまった。


 "うーむ、うーむ、人の子よ。まだ、辛い現実に挑むか?挑むのか?"


「当たり前だ!名を秘された神よ、"明日がある"それが生きている意味なんだ。」


 "ふは、ふははは…、だが忘れるな、忘れるな。生ある所に死があり、光ある所に闇がある。我が虚無は、常に汝等の隣りに有ると知れ、と知れ。我は、我々は、常に見張っているぞ、いるぞ……"







次回まで、クリスとカレンの闘いは引き摺る予定になります。クリスが、学習なしにマナ法を使えるのは、テオドール卿の術式の刻印が影響しております。


外出制限でかなり暇になって、何時もより先行してのリリースとなりました。落としたら御免なさいですが、次回も11日0時〜のリリースにして、執筆を頑張ります!


21-1/18 "しつこい"は標準語で、"ひつこい"は関西方面の方言なので修正しました。漢字で、"執拗い"と書くそうです。初めて知ったw

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