カレンは女神?
カレンは、教師が教える事が無いと言った時点で、領の経営者としての意識と態度で学院側に接します。彼女の感覚は、非常にシャープです。以上を踏まえた上で、お楽しみになってください。
アイテシア宗教暦オメルテ(=4月)4日………。
その日、領館の小謁見室に集った主役の男3人と、妙齢の美女の姿がある。
謁見室というのは、貴族の見栄と誇りを満足させ、来客に圧力を加える位には豪華な調度品などの装飾が施されている。晴れやかな部屋に相応しくない表情の男達は、互いに顔を見合わせながら例の少女の行いに頭を悩ませていた。
例の少女とは、もちろん我等がカレン嬢であり、男3人は、彼女の父親カインと貴族院の学長と教諭のヴィリエである。熊の様に部屋を左右にウロウロしてカレンへの対応に頭を悩ます若い父と、それを冷ややかに眺める若い母の顔も見受けられた。
北アイテシアの首都とも言えるサラザード。その貴族院の新学期はオメルテ8日からであるが、入学式はアイテシア4大祭ロシュ・ホーディッシュ(=4月)の翌日、2日に行われる。入学式前のヴァ・アヴル月(=オメルテ約5日前:閏月)1日に、クラス分けの考査が行われる。
ずいぶんと泡立たしく感じられるが、貴族院の年間恒例の行事になっている。貴族の子供達にとっては、煌びやかな祭りを堪能した後のイベントであり、殆どの子供が新学期の期待に胸を膨らます行事であるが、この部屋に集った面々には頭の痛い問題が幾つか存在した。
カレンの教育については若い公爵夫妻にとっての大切な関心事なのだが、その素行に付いて、入学早々、問題だらけ?だったのを相談する為に集まったのだ。公爵夫妻にとって、カレンの奇行は既に見慣れた当たり前の行動だが、学園という集団生活の場に彼女が適応しないのは困る。
先ずは学長から、数学教諭がカレンに叱られて落ち込んだと報告が上がる。彼女の言い分は、学力を見るなら答えを最初に置いて、数値に合わせた数式を書かせれば良いと、例文として加減乗除だけでなく様々な高等数理の数式をテスト用紙に表したのだ。
更に、単純計算の問題だからといって試験をパスさせるのは何事だと彼女は不満を露わにした。
そこまでは思いつかなかったと返答をすれば、「思いつかなかった?工夫をせず、のんべんだらりと毎度同じ様な試験をして、その言い訳が"思いつかなかった"ですか……。貴方がたは、何の為に民の税金からお給料を頂いているのです?工夫が無いのは退化と同じ、知恵がないのは獣に同じです違いますか?」
と、「これがそのテスト用紙です。ハッキリと申し上げて、カレン様の数式の構造は数学教諭でも難しく、我々には及びもつきません。頭が良いのは大変宜しいのですが、周りの者にも同じレベルに合わせられないと許せない様な気質が見受けられます。」
「カレンは、満座の中で教諭を叱ったのですか?」「いえ、試験中別室に移動してです、ミラベル様。」「なら、懸念には及びません。生徒の前で、教諭に恥をかかせる様なら問題ですが、カレンは教諭の怠慢が許せなかっただけでレベルに合わせろなどとは言っては居りませんわ。」
「ですが奥様、学院には学院の秩序が有りまして……。」「それで、7歳の女の子に大人の教諭が反論も出来なくて落ち込んだと仰るのですか?」「いえその…、これは言葉が足りなかった様で、正確にはカレン様の数式が余りにも素晴らし過ぎて、教諭は弟子入りを申し出たのですが、すげなく断られた事が原因だと思います。」
呆れたカインは眉間を揉みつつ、「それでは、カレンを叱る訳にも行くまい。」「貴方、事情はともかくカレンには今少し学院側に従うように躾けないと、将来の為に成りませんわ。」
「カレン様には、数学のみならず奏楽についても教諭が弟子入り希望をするなど、他の教科でも突出した才能が見受けられます。今回、考査を実施した絵画以外の科目は、初等部でお教え出来る事が有りません。寧ろ、高等部で教授をして頂きたい程です。これはもう、並の才人の域を遠く跳び越しておられると思われます。」
「それでカレンを、初等部4年に飛び級させて様子を見たいと?」「はい。最初のクラス分け考査から、いきなり学年を飛び級させた前例は在りませんが、カレン様ほどとなると、低学年ではお教えする事が御座いません。4年生に成りますと、絵画を含めた彫刻などの美術工芸の授業がありますし、体術などの実技優先の授業が御座いますので適切かと思われます。」
「つまり、カレンに初等部は実技からでないと教えられる事は何も無いということなのか…。」「左様で御座います。カレン様にとって普通の授業は、レベルが違いすぎて亀の歩みに付き合わすのと同じもどかしさかと推察する次第です。」
「あい分かった。親としては、子供に普通の学生生活を送って貰いたかったが仕方がない。そこら辺りは学院の良いように計らえ。」「ははー、ご明察を恐れ入ります。」
実は、この件についてカレンはどう転んでも大した違いは無いと考えていた。授業が退屈なら内職をするだけだと思っていたし、周囲が自分のレベルと違う事くらいは感じていたからである。
「その他にも、カレン様に付いて、2〜3お耳に入れたい事が御座いまして………。」「構わぬ、述べよ。」「ははーっ、恐れ入り奉ります。実は、お昼時にカレン様がフォンタナ家のご令嬢と事を構えられたと聞き及び、カレン様にお尋ねした所、"大したイザコザでは御座いません"と事情を濁されたのはご存知でしょうか?」
「同席していたエセルリア嬢から報告があり、娘の毒味役からの裏付けも取ってある。」「で、どの様に?」「向こうに名誉爵に対しての非礼があり謝罪をしたので、娘が答礼をしたと聞き及ぶ。」「カレン様が、"ドゥースに害をなさばデュエンファンテの名にかける"と言い放ったのはご存知で?」
「娘らしいセリフだな。報告が気になりカレンに尋ねたら、我が家の者に、これ以上の非礼が加えられない様な宣言をしただけだと聞く。」「ですが、フォンタナ家はその様に捉えられなかった様で、御家の"軍事的な挑発"と苦情が学院に来ております。」「捨て置け、子供同士の問題に、親が干渉をすれば万人の笑いを買おう。」
カインは、カロリング派閥が如何に大きかろうと、ジュヌビエーヴを娶り、子も成した状態では大義名分が立たなければ喧嘩は売ってこないだろうと見做していた。"フッ……、巨獣は奢るか……、娘も上手い事を言う。"
向こうから遮二無二仕掛けようとすれば、それはそれでカロリング派の切り崩しのキッカケになると踏んでいる。しかも、北アイテシアの西の雄、アンジェのアポリネール家の姉妹と親交を結ぶという金星も挙げた娘を絶賛しても叱る気持ちには成れなかった。
"これが打算から出た事であるなら娘は腹黒いと評価も出来ようが、あの娘の性格では計算してやってはいまい。計算なら先が読めるが、自然体でチャンスを引く娘の幸運が恐ろしい。"
ここでエリニエの領都アンジェと、アポリネール家の重要性に付いて語って置こう。この北アイテシアが300年前、帝国に押し込まれた王家を救うため奔走した救命公の麾下、7賢公の内の一つの血脈を組むのがアポリネール家である。
"鉄壁のエドワール"とは、当時のアポリネール家当主の異名であり、実際にこの方面から北アイテシアに帝国を一兵たりとも入れなかった。大支流を抱えるロワール河は、水運の観点から地政学的にも重要な地であり、アイテシア貿易の大動脈の一つと言える。
メーヌ・エ・エリニエ領都アンジェ・サン・ロードは、ヴェール・アンジェ区の中でも、ロワール・アトランティック領都ナンテに次いでエンフォート区⇔メノルカ交易で栄えた中継都市でもある。
ロワール河口の都市ナンテで積荷を川船に積みかえ、30リュー(=約120km)河上の中継点のアンジェでサラザードに向けて陸送に変える。逆に、北アイテシアの産品はアンジェに集積されて送り出された。特に重要だったのは、北洋で穫れる灯り取りや燃料に使われる鯨油と、貴婦人がしているパニエの素材である鯨の髭であった。
メノルカとの交易窓口は、アジア方面や新大陸方面の主な産品の唯一の窓口であり、香辛料・砂糖などの嗜好品、生ゴムなどの産業に欠かせない南洋産品の交易の場でもある。ナンテ⇔アンジェ間は、流れが緩やかで汽水域が長く、潮汐の関係から川船の往来が容易に行えた。
現在までの戦役でも、ガゾンブリア(ブリイス方面)が長駆してブルトン半島(=ブリュヌイ区)を迂回し西アイテシア中部を狙いナンテを抜いてアンジェに迫った時、折悪しく南アイテシア軍(=国軍)が帝国に釘付けに遭っていて、ガゾンブリアの2正面作戦で北アイテシア軍(=国軍・領軍)も援軍が期待できない時に寡兵で鉄壁を貫いた。
北アイテシア軍は、アミエンスから海峡を渡って来たガゾンブリア(=ノーサンブリア+ダルリア)本軍を撃退して駆け付けるが、アポリネール家は救援が来るまで壮絶な防衛戦を繰り広げた一方の軍閥の中心でもある。
そんな、ロレッタ家の柱石であったはずの石心鉄腸の軍家でも、時代は無情に流れ代を重ねるごとに忠誠心は薄れ、現在は公爵派から距離を置くに至った。カインは、派閥を伸ばす上でアポリネール家の参加は外せないと考えていた矢先の慶事であったのだ。
「で、そこな者は、カレンに付いて何をか訴えたいと申すのか?」「私、ヴィリエと申します、初等部のマナ法基礎の授業を受け持って居ります。」「それは、先程も聞いたが?」「いいえ、これからのお話に関係する事柄ですので、失礼とは存じましたが再度の自己紹介をさせて頂きました。」「よい、それで。」
ヴィリエは、どこか狂信的な瞳でカインを見て、「公爵様の弁によれば、カレン様のマナの発現は未だないとの仰せでした。」「うむ。プレテ・ルカ様がそう仰って居られたからな。」「私は、カレン様の発現は必要がないかと心得ます。」流石のカインも、愛娘が貴族として必要が無いかの言質にはムッとして眉間に皺をよせた。
公爵が気分を害したのを察して、「いえ、悪い方で言うのでは無く、様々な話を伺っている内に、カレン様の魂は女神様の生まれ変わりか、若しくは人間の形を採られた女神様その物であれば、マナの発現は他の神々を当てにする必要が無いかと推測されます。」
「なんだと!」「まあ!」若い公爵夫妻は、仰天して声を荒げてしまう。もちろん、事前の相談を受けていない学長も同様で、単にマナ法に付いてカレンの現状報告だと事前には理解していた。良いも、悪いも無い。事実確認から、先ずは始める必要がある。
カインは、額の汗を拭いつつ、「それは、どの様な根拠に於いてか?」と問い質してみる。ヴィリエは学者らしく、「先ずは、これをご覧になって下さい。」カインに、追試の時の2枚の紙を手渡した。「それは、カレン様が左右同時に筆記された物です。1枚は、ディアーヌ様の誕生に付いての神話です。」
「ご存知の通り神話は修飾表現が多く、回りくどい文章で高等部の神学教授でさえ表現の思い違いを冒しやすい。ところがカレン様は、何も手本を見ず、事もなげに左右同時筆記で、この難関をクリアされました。神学教授が、聖典と照らし合わせて相違の箇所は無いと太鼓判を押しております。」
公爵夫妻には、思い当たるフシが無いでもなかった。カレンの異常とも言える年齢に見合わぬ能力の高さ、ヴィリエの言葉を有り得ない事と無碍には出来ない。ただ、突飛に過ぎて俄かには信じがたいだけだ。「まさか!?お追従にしても程があるだろう。其方は何を口にしているか、理解しておるのか?」
「勿論ですとも!もう1枚を見て貰えると分かりますが、それは私めの学術論文を抜粋して文章に再構成をすると言う離れ業を同時に行われています。原文は、私が書いたので、骨子の抜けに付いてもなく、理解のしやすい文を選び、読み物として分かり良い形になっています。」
「ああ、ここ2〜3年は、カレンが、我が政庁から上がって来た研究書や学術論文を読んで、必要な箇所を抜粋して私に知らせてくれる。予算書や決算書の数字に関しては娘の方が強いしな。なんだったか、速読術?パラパラとページをめくって眺めただけで、文書の間違いは直ぐに見付けて修正してくれる。」
「そんな事を、カレン様に幼い頃からさせていたのですか?」今度は、ヴィリエ達が呆れる番だった。「あの子が、私達の政務に日頃から強い関心を示してな。手伝わせている内に、今では政務の一部を完全に任せられるようになった。だから、去年の論文なら前々から知って居るし、要約するのはお手の物だろう。」
「失礼ながら、この際カレン様の才能が飛び抜けて居るのは確認済みだと思いますので、私がカレン様が女神様であると思うに至った根拠をお示しします。」そう言うとヴィリエは、例の水晶粉が入った教材を持って来た。ビロードに乗った、六角両錐の水晶も一緒に差し出す。
「とても綺麗………。」流石に倹約家のミラベルでも、女ならこの限りなく透明な水晶の放つガラス質の輝きの魅力に勝てないようだ。「この教材で、マナの操り方に付いて基本的な事を学ぶのはご存知の通りですが、考査試験にも使われたこの教材の中からその限りなく透明な水晶が発見されました。」
「ほぅ……。して、その水晶が発見されたのは、話しの流れから言うとカレンの教材からか?」「然り、ご明察に御座います。私は最初に、水晶粉を真ん中に集めるようにと言う意味で"固めよ"とご指示差し上げた所、確かに水晶の固まった"結晶"が出てきたので御座います。」
ヴィリエを除いて、その場に居合わせた者の眉根が跳ね上がる。水晶を、マナで加工は出来ないのが常識だったからである。「うむ、それで水晶粉が結晶になったから、娘は女神様と言う訳なのか…。」この国では、奇跡的な現象は全てマナ法による事象改変だと信じられていた。
「私は、最初の時はカレン様の奇妙な能力と思い研究をする積もりでした。ですが、水晶を調べる内に考えが変わりました。」「どのように?」「この水晶の形状は、かなりの高温と高圧で無ければ実現は不可能ですし、仮にそれ等の条件が揃ったとして、自然界では何千何万と年数をかけて結晶が完成します。人工的に水晶を作り出す技術は、まだまだ完成に至って居りません。」
カインは、娘を研究対象にするという所が気になったが、話の腰を折るのは自重した。「更に調べた所、この幅半プース(=約1cm)長さ2プース(=約4.5cm)の結晶に溜められたマナは、30倍以上の重量の水晶と等価という事が分かりました。これだけ高純度な水晶は、自然界では発見不可能です。」
「まぁ!」滅多に驚きの表情を見せないミラベルでさえ、驚嘆の声を上げた。「箱に異常は見当たりませんし、水晶粉の量も変わりません。ここに36個ある水晶は全部ピタリと同型、同サイズ、同重量です。ケース内で精製された証拠が有りませんし、自然界の何処からか引き込まれた可能性もなく、まるで無い所から突然生じたとしか思えません。」
「無中生有は神の御業と?」「はい、間違いなく。例え、どの様なマナの発現で有ったにせよ、それが人なら頭から存在しない物は作りだす事は叶いません。それが出来るのは、神様だけで御座います。そう思い至りましたら、カレン様を実験材料などと思い付いただけで、恐ろしさから公爵様ご夫妻に私の懺悔を持ってお許し願いたく思いまして、全てを語る気に成りました。」
「ふむふむ……良い許す、私に含む所はない。妻よ、そなたも良いか?」「貴方が良いなら、私から申し上げる事は御座いません。」「「ありがとう御座います。」」ヴィリエと学長が、深く頭を垂れた。「その上で、カレン様にお許しとお願いが有って罷り越しました。」
「水晶に、この純度と容量が有れば………、」「なんと、長年の夢が叶うと言うのだな。」「はい。ですから、カレン様へのお話をお父君にあらせられる公爵様からお伝え願えないかと思います。成功すれば、必ず国益になります。」「了解した。娘には、それとなく伝えて置こう。」
「ありがとう御座います。では、結果に付きましては後日、学園でカレン様とお話合いを持ちますので、その時に…。」「あい分かった。他の者も、何か無ければ解散と致そう。」「貴方、ああ見えてカレンは、まだ7歳の繊細な女の子ですから、言葉を選んでくださいましね。」「心配は無い、父上を同通しよう。」
ではと、一同解散とした……。
〜〜〜〜〜
【元四阿、現在離れの執務室】
この頃のカレンは、簡素な四阿で有った建物を気に入り、壁を嵌め込むどころか、ちょっとした広さの平屋に作り変えて、そこに執務室を置いて渡り廊下で本館と往来をしている。
バードアイメープルの木調を生かした重厚な天板をもつ机に向かって、何やら一所懸命に絵図面と数値に向かっていたカレンは、不意に上体を起こすと、「お父様が来られるみたいね。エセル、お茶の準備をお願い。」「畏まりました。」そのセリフを聞くか聞かない内に、部屋のベルが軽やかに鳴った。
全長で150トワ(=約300m)に及ぶ渡り廊下の連絡用に、丈夫な亜麻の撚り紐と滑車でベルを鳴らす仕組みが為されている。その平屋は六角形を基調に、部屋は大きなガラス窓が辺りを囲むが、それ以外は設えられた書棚が所狭しと壁に組み込まれていた。
部屋はカレンが散らかすもので雑然とした雰囲気で、書棚は書類入れの箱が半分は満杯、半分は書籍という窮状の上に、製図用具や模型に訳の分からない物まで置いてある惨状だった。その中で、4人の下働きと2人の側仕えの女性が整理整頓の為に細々と働いている。
前世での職場と比べても、全く雰囲気は変わらないなぁ〜と、ひと息ついたカレンは辺りを見回す。"そう言えば、前の事務所では2人の補助者で足りてはいたけど、今は6人でも足りないから、図書室でも増築して広くするかな〜、製図用机も欲しいな"と、しみじみ思う彼女だった。
"コンコン…"ベルが鳴って6〜7分で、ドアノッカーが来訪者の到来を告げると、下働きの女の子が声をかけて来訪客を招き入れる。直ぐに、護衛の2人を含めた、部屋の主人の父親と祖父が、厨房のフラヴィとマリルーの押すワゴンを引き連れてドアを潜った。他の護衛は、ドアの外に待機する。
「やあ、カレン。元気にしているかい?」「我が孫娘よ。じーじが来たぞ。」「あら、お父様、お祖父様。お揃いで私のお部屋に連れ立っていらっしゃるなんて珍しい。」そう言葉を交わして、順番に親しい家族同士の挨拶である両の頬にキスをしていく。
「お2人共、お茶菓子の新作も持って来て頂きましたし、丁度良いタイミングでいらっしゃいますね。」「ほう、それも領政に関わる新作かな?」「お父様、今日も冴えていらっしゃいます。マリルー、この前、指示をした物をお出ししてください。」「畏まりましたお嬢様。」
いくらカレンと仲が良いとは言え、今日は公爵と前公爵が一緒なのだから、緊張感から硬い返事になるマリルーだった。ソファーの長椅子には、今日も白いフワフワがクッションを枕に寝そべっているので、個別のソファーに父親達を誘い、カレンは対面のムームーの傍に腰を下ろす。
マリルーとフラヴィは、ワゴンから甘い匂いを漂わせながら何点かのスイーツを応接セットのテーブルに並べていった。カレンが、領の経営に関わる食材の事に熱心なのは今更の出来事と言えた。
「では、直ぐに側仕えが紅茶をお持ちしますので暫くお待ちください。」フラヴィが、「こちらは、糖蜜のシフォンケーキとワ・サンボン糖になります。」お辞儀をして説明をする。
「このワ・サンボンというのは、黒糖から糖蜜を搾り切ると出来上がります、舌に涼やかな甘さを感じさせる貴族向けの高貴な砂糖菓子になり得る一品です。」
カレンがニッコリと甘やかに微笑んで説明をすると、途端に父親達の鼻の下が伸びる。「その糖蜜を使って、このガトーが出来ています。焼いている間に生地の中で糖蜜が下がって来ますので、下面はネットリしっとりとした甘さとなり、お茶受けには最高です。」
エセルとドゥースが、ワゴンに紅茶を乗せて運んで来る。早速、目の前で毒味を済ませて、テーブルサービスをしていく。そのワ・サンボンの、薔薇の花型にした固形糖をクッキーの様に彼女が嚙ると、父親達もそれに倣う。「本当だ。舌に上品な甘味がして、このままクッキーの様に食べられる。」
「甘い物は、ここの疲れを取るのにも随分と役立ちます。」そう言うカレンは、優雅な仕草で銀色の宝冠と銀糸の髪の輝きに彩られた自らの頭を指差す。「ん、糖蜜でさえ再利用する締まり屋のカレンが、値の張る砂糖がたくさん必要そうなコレの開発を進めるのは他に考えがあるのかな?」
カレンがニヤリと口元を綻ばせると、棚から蓋つきのガラス壺を取るように指示をする。中には、クリーム色の粉が沢山入っていた。「コレは、テン菜糖ですわ。」小さじに1杯ずつ、紙の上にすくった粉を2人に渡す。その色合いは、誰もが知っている黒砂糖とは違って淡い茶色をしていた。
毒味を済ませて、1摘みずつ口の中で味わえばジワリとした甘さが口に広がる。「これは何の糖なんだ?」「家畜の飼料のです。」「ぶー!ゲホゲホゲホ……、何だって?」咽せて吐き出すカインと比べて、「あら、お祖父様は意外と平気なのですね。」「当たり前じゃ、可愛い孫娘が提供する物を吹き出すバカではない。息子よ、孫娘に対する愛情が足りんよ。」
カレンの目論見を躱す、まったく見事な孫バカぶりである。カインとカレンは、親娘して呆れて肩を竦めた。
「家畜の餌として栽培されていたビートの特に甘い物を、細かく刻み温水で甘味を抽出して石灰乳と炭酸ガスを吹き込んで不純物を沈殿させ取り除き、活性炭で余分な成分を取り除いたのを真空鍋で煮て低温で結晶化させて、遠心分離器で結晶を取り出し乾燥させた物です。」
「あ、うん、良くそれだけ一気に説明できるな。父さんには、詳しい事は分からないが大変そうなのは分かる。」「私の農業試験場での、精糖に付いての研究の成果ですわ、お父様。これだと、ワザワザ高いメノルカ経由の砂糖を買わずとも、必要なら我が国で独自に生産が利きます。」
「「何だって?」じゃと?」「これで、将来的にメノルカの言い値で砂糖を買わなくても良いのですが、急に価格が下がると困る人々が出ますよね?」「今まで、砂糖で暴利を貪っていた商人は軒並み大打撃だろう。」「そこで、今までも貴族向けの砂糖だったのを、貴族向けは貴族向けらしいワ・サンボンに加工し直します。」
「ほう…、そこまで気遣ってやる必要は感じないがな。」「それでも、このテン菜糖の導入は慎重にしないと、強欲商人だけではなく正直な人々まで巻き込んでしまいます。メノルカにしても、王室の莫大な借財をまたぞろディフォルトされたり、嫌という程の銀で返済をされても我が国は困ってしまいます。彼の国の経済を"これ以上"、追い詰めるのは得策とは言えません。」
「砂糖は、彼の国の重要な貿易品の1つだからなぁ〜。金銀副位制の我が国では、金に対して銀の量が増えて銀が暴落をすると、銀が民の基本経済を支えているだけに大きく混乱が予想されるな。」
「貨幣改鋳も手間がかかって余り実利の無い出費になりますし、こちらは銀山の閉鎖をしてまでメノルカの銀を受け取っていますのに、不満を溜められてコチラに嫌がらせをされても困ります。」
"はぁ、金銀の産出量に頼る通貨経済はコレだから困る。市場規模に合わせた通貨が自由に調整出来ないと、将来的な経済の足枷となるわ"と、将来の信用通貨(=紙幣)を意識して模索するカレンだった。
「それで、砂糖を確保しつつも適正価格に調整して取引量を増やしていく訳か。」「はい。テン菜糖と、既存の砂糖の高級化による、商品の上手な棲み分けが肝要かと思います。それで…、」「あい分かった。大量生産に向けて頑張って欲しいが、こちらも大切な話がある。」「承知しました。お伺いします。」
「実は、……カクカクシカジカ……で、………と言う訳なんだが……。」「まぁ、呆れましたわ。フォンタナ家は親バカ揃いなんて、学院に文句を付けても我が家には抗議にも来ないし、事を荒立てる積もりがミエミエです。」"過去の栄光って、なかなか捨てられ無いのよね"そう言えばと、妻バカ一代、親バカ二代の顔を眺めてため息を吐く。
「それはそうだが、カレンは如何したいのだ。」「決まって居ります。フォンタナ家の鼻っ柱を、上品に折って差し上げますわ。」「どの様に?」「フフ〜ン…。お父様は、何方に転んでも良さそうなお顔をなさいますよね。」これが娘の心臓に悪い所だとカインは感じた。
「如何して、そう思うんだい?」「種明かしが要りますか?なら、精糖プラントの製造の許可を内諾して欲しいな〜。」「分かった。いずれ必要な物らしいし、許可の方向で検討をしよう。」
「ありがとう御座います。では先ず、これまでのお父様なら、カロリング派とトラブルを避けたいと考えますので、真意を隠しながらでも止めに掛かるはずです。そこを感じないとなれば、こちらが優位に立ちつつある今、向こうの派閥の切り崩しに利用できると判断されたのですよね。」
「まぁ、そんな所だ。」「やはりね。4年生から始めるなら、オメルテ11日の午後に武器術の講義が有りますので、試技の見学という事でフォンタナ家と決闘を致しますわ。これなら、子供同士のケンカの決着として適切でしょう。それで、ラヴィニアさんの気がすむのなら良いでしょう。」
心配から、祖父が眉根を寄せるが、「もちろん、決闘は代理人を立てます。フォンタナ家にも、学院を通して伝えてくださいます?」この言葉を聞いて、一応、胸を撫で下ろす。
「ああ、分かった………。」
※7賢公設定データは、【北アイテシア9行政区詳細】に転記致します。
ワ・サンボンとは、徳島や香川で生産されている和三盆糖の再現です。今回も、字数ギリギリで書き上げました。書けなかったエピソードは、次回以降に盛り込みます。
次回は一応、'20-5/4日0時〜リリース予定です。




