カレンの3分間クッキング。
前話の続きエピソードから始めます。
カレンは、なかなか情報に鋭い感性を持って居ます。詳細は、物語の最後の方です。
エテルネルに抱えられて踏み台に乗せられ、ジョーヌとの間に支えられながら、俺は静かにコップに満たされた冷やし飴を含む様に飲むと、その工程を見つめていた。小麦粉にバターより安いラード少々と、水飴を入れて濃度は、すりおろした林檎とそのジュースで調整している。
なるほど、ブドウ糖×2の麦芽糖に、果糖を足してやる事で、砂糖に近付けて、リンゴの風味を添加して甘味を強化するわけだ。
「ラルエットさん。この冷やし飴、とっても美味しゅうございますわ。スペアミントを使ってらっしゃるのかしら?暑い時に、スースーするミントは欠かせません物ね。」
「あらやだ、お嬢様は良くお味が分かられますのね。」「はい、いつもマトン(羊肉)料理の口直しで出て来ますの。」臭みが有って安いマトンは、庶民も良く口にする肉だ。
「へー、お嬢様は意外と庶民派なので御座いますね。」「うちの母様が、グラン・ブルンで使う肉の内、牛肉や豚肉は、マトンや鶏肉(=飼料が少なくて済むから安い)に変えて節約していますの。
そうそう、お母様に苦情を漏らした料理人が居まして、料理人なら材料に関係なく工夫して美味しくしなさいと、叱り飛ばして居ましたわ。」気さくな話に、ラルエットが微笑をする。
「あれ、何か水みたいな物を入れてますけど、何ですか?」「ああ、家で食べる分のパンにも使ってますが、干しぶどうを水に浸けて発酵させた物で、パンを膨らませるのには、欠かせない汁です。」
なるほど、天然酵母ね。イーストが出すガスで、生地内に小さな気泡を作って食味を良くする訳だ。いちいち理に叶っているわ。
「本当は、これで暫く置く所で御座いやすが、お嬢様にお見せするのには、直ぐに焼きに入った方が宜しゅう御座いますな。」そう言うとエンゾは、熱い鉄板に薄く油を引いて生地を伸ばして乗せる。
生地が伸ばされると、取っ手付きの丸い鉄の蓋で上からジューっと押さえつけて、焼き上がりのタイミングを見て蓋に付いた分をナイフで刮げるようにして剥がすと、1枚の煎餅が出来上がる。
2、3枚焼き上げた所でストップして貰って、ラルエットに水飴を2本の細い棒の先に掬ってもらう。そうして、2人からよく見える様に棒の先で伸ばして練ると、大麦麦芽から作ったのであろう、濃い琥珀色で粘ついていた水飴が忽ちの内に、空気を含んで白濁していく。
「これは、水飴が空気を含んで白く美味しくなって居るのですわ。」「お嬢様、私が代わりにやります。」と、リュミエラが申し出るので、水飴の棒を渡して代わりに練って貰う。
「その辺で、宜しいでしょう」2人にそれぞれ、出来上がった水飴を舐めて貰って、「どうですか?こうして、空気を巻き込んだ方が、口当たりが滑らかになるでしょう?」
「確かに、美味しくなって御座います。いつもは、調味材料に使っていたので、こうした食べ方をする事は有りませんでした。」「そこで、ゴーフレットをもう一枚焼いて貰えますか?」俺もこの合間に、毒味して貰ったゴーフレットを1枚頂く。
ジューっと焼けたら、用意して置いた羊皮紙の上に置いて貰って、棒を芯にクルッと巻く。慣れたら、羊皮紙だけで良さそうだけどね。ともかく、葉巻型のゴーフレットの出来上がり。
「先ほどの水飴を、思い出して下さい。空気を含む事で、劇的に口当たりが良くなりました。リゾンの汁をゴーフレットのタネに入れられたのも、発酵したガスが口当たりを滑らかにしている証拠です。このゴーフレットは確かに、空気の影響は僅かかも知れませんが、確実に美味しくなっている筈です。平たいのと比べて食べやすく、生地を工夫して、より薄く焼いても丸めたら崩れ難くなります。」
序でに、バタークリームの変形レシピでも教えて置いとくか。「えっと、中央神殿に献上していらっしゃるのですよね?だったら、このシンプルなゴーフレットに、私のような貴族が口にするのを見越してバターをクリームにして2枚のゴーフレットの間に挟んでも良いと思います。貴族は、滑らかなのが好きですから。」
この世界の重さの単位は、リーヴェルを中心にして、スニ、ドニがあるんだ。1リーヴェル=20スニ、1スニ=240ドニに成っている。4で割れる数字が基本で、貨幣に使用している銀の重さが基準になっているから、使い勝手に左右されるわ、10進法じゃないわ、なかなか慣れないよ。
「基本のクリームはパタボンブと言いまして、卵黄2つに付き、水飴が2スニ、これを湯煎にかけてトロ味が出るまで泡立て機でかき混ぜ、火から外して少し冷めたら白っぽくなるまで泡だてます。室温に置いたバター4スニに、かき混ぜた物を3回に分けて馴染ませるように入れて混ぜて下さい。これを基本にピーナッツを炒って粉に挽いたのや、黒ごまも同じにして、そば粉は炒らずに粉のまま加えても良いし、リゾンをブランデー漬けにして刻んだのとか、オレンジやレモンの皮を摩り下ろて加えても良いのですわ。後、クリームは硬めに仕上げたいので、小麦粉で調整した方が良いと思います。あ、パタボンブのバターは、熟成バターの方が味が深いかも知れませんね。」
ゴンゾの表情が硬くなって、真剣そうに俺の話を聞いていた、ラルエットがオロオロしかける。
「パタボンブを挟む案は、この素朴なゴーフレットの方が良いかも知れませんが、ゴーフレット単体なら、カカウエッツテの砕いた物やリゾン、柑橘類なんかはおススメです。後、硬いチーズを摩り下ろして加えても美味しく頂けますわ。」
俺は、ゴンゾが暗い顔をしているのにも関わらず話を続けると、「お嬢様、貴方はいきなり来られて・・・、」と、急に俺の方に腕を伸ばして来た。
「慮外者!お嬢様になんとするか!!」俺の傍にいたエテルネルが、ゴンゾの手首をガッと掴んで、その体を押さえつけると、イボンヌが腰の剣を抜いて気色ばむ。言い忘れたが、力仕事専門の侍女とはボディガードも兼ねていて、こうした外出時には男装をして剣を帯びている。
そりゃ、ひらひらドレスを着ていたら、お姫様の護衛の邪魔になるわ。アイテシアの貴族階級が、元の世界と違ったイメージで常在戦場(=日本の武士に近い)なのは後日、説明するけどね。
「ひぃ!お姫様、お許しください。」ラルエットが、夫にしがみ付いて憐れみを乞うと、近くに居た幼い子供達も夫婦にしがみ付く。それまで和やかだった雰囲気が、一転して緊張に氷付いた。
「大丈夫ですから、私は何事も御座いませんよ!?」「ですが、この男はお嬢様に狼藉を働こうとしたのです。」「いいえ、違います。私が、ゴンゾさんの誇りに触れたから、思わず手が出ただけですよね?」それまで、呆然としていたゴンゾが頷いて、ラルエットが息を飲む。
「それでも、お嬢様に触れようとした事に変わりは有りません。引っ立てて、警吏に引き渡します!」「いいえ、それは成りません。」「どうしてですか?」気色ばんだイボンヌが、疑問の声を上げた。
俺は、ゆっくりとした動作でニッコリと微笑んで、「どうしてか、見ていて気づきませんか?ラルエットさんが客人を心から歓待するのは、その心根が真っ直ぐな証拠です。剣が有っても恐れず、夫の身を案じてその前に立てる人が、そうそう居ますか?この優しいラルエットさんを、長年、妻として従えているゴンゾさんが悪人な訳が無いでしょう。」
「それはそうですが、やはり・・・、」「警察の留置所は、悪人を収監して置く場所です、この美味しいお菓子の心尽くしが出来る様な人間が入る場所では有りません。美味しい物は、人を幸せにします。お菓子は特に、人を至福に導きます。人を幸せにする立派なお仕事を為されているゴンゾさんには、刑務所は不要な場所です。」
俺はそれだけ言うと踏み台を降りて、手の中のゴーフレットを割ってイボンヌとエテルネルに差し出した。
その小片を2人は、戸惑いながら見つめていたから、俺は自分のを取って口に含んで、「ほら、美味しいですわ。」と微笑むと、2人は恐る恐るゴーフレットを手にする。
続いて、イボンヌの押さえ付けから解放されて、呆然と座り込むゴンゾにトコトコっと近づいて、その手を両手で取って、「ゴンゾさん。貴方は毎日のように、皆んなを幸せにする大切なお仕事をなさって居るのですから、こんな所で何時までもヘタっていてはダメですわ。正業に励む限り、人は明るい太陽の下で胸を張って生きるべきなのです。」
そう言うとゴンゾの手を押し頂いて、「今日は、騒がせてごめんなさい。そして、美味しい物をありがとう御座いました。」
俺は、ソッと立って、「さ、皆さん、宜しかったら失礼しましょう。」と、帰る事を示唆して振り返ると、あや、忘れてたわ。「これを、ラルエットさんへ。」と近くに居たエテルネルからラルエットに、首から下げていた革袋の金貨を出して渡して上げた。
途端に、「ひぇ!」とラルエットの声がして、「こ、これは、大金貨!」「ごめんなさい。それしか、私は持って無いのです。初めての買い物に行くって言ったら、お父様が持たせて下さったのです。お釣りがあるなら、この辺りのご迷惑をお掛けした皆様にもお裾分けして上げてください。」
この世界の貨幣価値は、イマイチ分からん(重さは分かったが、肝心の物価と通貨のバランスを知らない)から、アレならお釣りが有り余るだろう。
「いえ、お嬢様。冷やし飴は、私が提供したもので、お代を頂こうとは考えても見ませんでしたし、第一、冷やし飴で半銅貨1枚、ゴーフレットは半銅貨に青銅貨2枚です。この大金貨は、この辺の独り者の年収の2倍になりますので、頂く訳に行きません。それに、新しいレシピを頂いて、なおさら代金を貰う訳には行きません。」
「レシピの思い付きは、神様から頂いた物です。だから、ご自由にしてください。今日は、美味しい物を頂いて楽しい時間を過ごせましたので、そのお礼も兼ねての金貨です。」「いえ、それでも、初めてのお小遣いなんて貴重な物を、こんなに頂いたら主人に叱られます。」
「そうですね。それでは、こう考えて下さいません?この金貨は、ゴンゾさんとラルエットさんへの投資だと。いつまでも温かい気持ちでお客様を迎える事、ひとつひとつの材料と工程を吟味して、お客様に幸せを与え続ける事を守る為の投資です。お釣りが余るのなら、それで材料を仕入れて研究して下さい。それで、充分に釣り合いませんか?」
まだ、ラルエットが難しそうな顔をしていたので、「あ、そうだ。ジョーヌ、羊皮紙とインクと羽ペンをください。」そう言って、近くのイスの上でスラスラっと文書を認めた。
あっとっは、「ここに、注文書を作成しました。来週、正確には6日後の正午に、グラン・ブルンで私のお披露目会が有ります。それまでに、このシンプルなゴーフレットを500枚、特急になりますが納入して頂けません?」
ラルエットはゴンゾの顔を見て、「承ります。沢山のお買い上げを、ありがとう御座いました。」「まって、それでね。こうして、円錐の形にして頂けます?」俺は、羊皮紙をクルクルっとコーンの形に巻く。「それは、どうしてですか?」
「やはり、シンプルな味のゴーフレットにはクリームが合いますので、出来た空間に生クリームやバタークリームを入れるのですわ。果物のコンフィやアグルメスなんかも、上から掛けても良いでしょう。シャクシャクと香ばしいのと、クリームの滑らかな食感とが重なって堪らなく美味しいのです。」
「畏まりました。」「蝋を垂らして印判を打ちますので、誰か溶かして下さいません?」契約成立みたいなので、文書の後にサインをして、垂らされた色付き蝋にヒュアリエンの華紋判を押す。
「では、これで失礼致しますね。ありがとう御座いました。」「いえ、こちらこそ、主人を助けて頂いて、その上で沢山のお買い上げを、ありがとう御座いました。」ラルエットが深々とお辞儀をして、俺も可愛らしく会釈で店を出る。
馬車に乗ろうと布地の下に入ったら、「まって、待ってくれ!」どうしたのかと振り返り、見るとゴンゾが真剣な表情で、「姫様は何故、ここまでの事をしてくれるのですか?」
ふむり、「プレテ様に、昨日のお菓子をどこで求めたのか聞いたら、こちらのご夫婦を紹介されました。お金に困って居るはずなのに、毎月、特別なゴーフレットを献上する敬虔なご夫婦と伺ったので、お菓子も気になりましたが、作っている方も気になりました。案の定、頑固そうなご主人に優しそうな奥様がいて、美味しいお菓子が有って幸せでした。私ね。何時も命を気にしなければならない立場ですから、その時に舞い降りた知恵は、なるべく他の人に伝えて置きたいのです。」
そう言うと、ゴンゾが泣き崩れる。「俺は、なんとなんと馬鹿だったんだ。また、お貴族様の道楽かと・・・。」俺はニマリとして、「あら、道楽かも知れませんよ?道楽も突き詰めると、命がけって事も有りますから。」
「それに、私はその人を見て投資をするのですわ。結局、物にしても、土地や芸術品にしても、人が作ったり、人がその価値を認めた物じゃないですか?ならば、その大元の人を見て、やる気と価値を見出して投資をするのは間違っているのでしょうか?」
「いいや・・・、」「ならば貴方は、見出すだけの価値があると言う事です。」ゴンゾは、そこに平伏して額を地面に押し付ける様にしてから上げて、「このゴンゾ命がけで、ご下命、如何にしても果たさせて頂きます!姫様のレシピも、精進して完全に再現してご覧に入れます!」
「それは、良う御座いました。では、ラルエットさんとお子さん方をお大事になさって下さい。さよなら。」「ははっ!」俺は、ちょと会釈をしたら、もう振り返らずに馬車に乗った。
俺はさ、前世の日本で、さんざぱら人権、人権、民主主義、平和や命の大切さの世界で育って、この世界の人が簡単に己れの命を口にするのって、そこまで命が軽いのかな?と少し悲しくなった。
やっぱ、人は生き生きと喜ばして活かすべきだわ。そんな思いを抱きながら、馬車の中から夕方の忙しさにくれる街並みを眺めて深くため息をついた・・・。
〜〜〜〜〜
俺が今日、伝えた情報は、その内、回り回って菓子職人の間に伝わって行くはずだ。伝わる間に、情報の欠損や変質という現象が起こる。これを極力防ぐには、情報の水平展開が重要なファクターだろう。
情報の横通しという意味ではなく、レシピなら材料や工程の見直し、そうした情報素子の洗い出しから、伝わる情報の変質を防ぐと共に、変質が防げ無いのなら、より洗練され進化した情報に変えていく必要がある。
俺は弁護士時代、離婚専門とは言え別れさせる事を基本としないのを信条としていたな。夫婦の性格や生活上の問題点を、最低40は洗い出して、その一つ一つに改善点は無いのか?関連性は無いのか?ともかく、夫婦にとってベストな解決方法を模索していた。
それで良く、別れさせ屋みたいな弁護士と論戦して居たよ。何が、女性の自立だよ?お前のは、自立じゃなくて孤立だろ?自立した人間は、他人を支える余裕があるのさ。支え合うのが夫婦なら、夫婦関係を持続できないのは一概に自立とは言わん!
なに、他人の人生を語っているのに、どうして自分の理想ばかりで真面目に夫婦と向き合わないんだ!何、人の一生の大切な決断を飯のタネにしているんだと、いつもカリカリしていた。今はもう、そんな事も懐かしい昔話だ。
レシピを伝えて、それで金儲けにするのは庶民の感覚だよね。直ぐに、対価を求める。人の上に立つのなら、長い目で見て利がある方を取る。
伝わったレシピが、工夫されて返って来る。それが、情報のフィードバック。例えば、レシピに関連した料理コンテストを開いたらどうだろ?それなら、地域活性化に繋がるし、料理人のモチベーションも上がる。
また、より進化(深化)した情報を流して、グルグル回し情報の質を上げるのが還流化だよ。全体的に豊かになる事を考えるのが、人の上に立つ者の条件なんじゃない?
ともかく、情報を扱う者が1番に嫌うのが、流したら流しっぱなしでフォローをしない状態なんだ。
どんな情報でも、情報素子の洗い出しと点検、上流から下流へ、また下流から上流への情報還流化、情報の横通しはもちろん、情報を管理して速やかに分析し整理して資源として利用できる状態に整える事が大切だよ。
例えば、本好きで大量にコレクションする人間は、いつでも読みたい本が取り出せる様に書棚を買って項目別に分けて整理するよね?それと同じで、情報は取り出し易い分析整理を行わなければリソースにはならない。
孫子の兵法の有名な言葉に、『彼を知り、己れを知れば百戦殆うからず』とあるけど、そう"知る"、先ずは情報を得る事が大切なんだ。
他にも、孫子で、情報の大切さに付いて述べた言葉は沢山あって・・・と、そこまで思考を巡らせて、はて?今世は貴族のお嬢様って楽が出来るのに、俺って余計な心配事を背負い込む苦労症?
ねーねー、くろうしょうなの〜〜〜〜〜、誰かおせーて!
はい、所詮はシリアスに成り切れないカレンちゃんでした。チョン。




