本はどこいった?<中編>
薄暗い階段を上っていく中に俺らの靴音と明るい声が反響している。まるで世界から切り離されたかのようにひんやりとしている廊下は少し気味が悪かった。
「これだけ遠いと、確かに生徒さんたちは来ずらいですよね。あれ、でも皆さん勉強大好きなはずじゃないですか?だって、もう、明日からテストですよ?なんで人がいないのでしょうか、これは謎ですよ。むむむ、また新たな謎が増えてしまいましたね、どうします?意外と結びついてたら困りますね。名探偵の真価が問われてしまいます」
「問わないけど」
残念です、と言葉だけ。少し微笑んだ気がするけど、顔は見えないのでホントかどうかは分かりかねる。おしゃべり好きな探偵志望さんは、軽やかな足取りで先を進んでいった。
「着きました。だいぶ早いご到着です」
蛍光灯もついていない図書室前の廊下で足を止める。扉についている小さなガラス窓から中を覗いて、多分、いつもと変わらずに委員長がカウンター内で作業しているであろう姿が目に入った。
「じゃ、恵茉はバックとってきますから、ちょっと待っててくださいね」
駆け足で室内に消えていくのを目で追いながら、何とはなしに図書室内を見つめ直す。先ほどのことがあったのもあるし、委員長の手前、中に踏み込むのはためらわれて、俺は居心地悪く感じながら作業場あたりを眺めていることしかできなかった。集中してる委員長の奥で誰かが動いたような気がした。
あ、と声がしたのはどこからだろうか。多分、俺の喉の奥から漏れた声だろうけど余りにも突然だったから、俺は俺の声に気づかなかったのかもしれない。
図書委員の業務。さっき委員長がわざわざ旧校舎まで足を運べたのは。
「お待たせしましたー。ささ、帰りましょ。どうします?どっか寄ってきます?普通の高校生って帰り道はどこに行くのか分からないんで力になれないんですけど。あ、恵茉が昔からよく行く馴染みの喫茶店があるんですけど、いかがなさいますか?あぁ、でも高瀬君が決めてもいいですよ、ボーリングとか?カラオケはちょっと早い気がしますね、まだ初対面ですし」
顔を背け、能天気な女の子と視線を合わす。
「どうしました?あれ、カラオケが良かったですか?って、うぇぁ!?」
「ちょっと待ってて」
俺はそう言うと、彼女と入れ替わるように図書室に入っていく。謎な奇声が聞こえた気がしたけど知らぬ存ぜぬ。
図書委員長は再び入ってきた人と目が合って、驚いた表情を見せる。無理もないんだろう、校内で不良と呼ばれている人があいさつ回りにやってきたんだから。
それと同時に、俺はため息ともつかない微妙な気持ちが覆いかぶさってくる。何が謎だよ。
図書委員ってのは、きっと一人でやるような業務ではない。カウンター内にもう一人、男の子の姿をとらえることができた。
「ちょっと、高瀬君!さすがにダメですよ!暴力反対です!」
俺は委員長に声をかける。
「すいません、本のことなんすけど」
あ、はい、なんて絞り出すような小さい声で彼女が応対してくれる。こういう時は自分の姿が素直に申し訳なく感じる。
「明日には多分帰ってくるんで、すいません」
それだけ言って奥の男の子を一瞥する。委員長の驚いた顔とは反対に、彼の気まずそうな顔に少し笑ってしまった。
俺じゃないけど、内心そう思いながらも、これ以上ココに用はないだろう。
「ちょっと、今のどういうことですか。恵茉、意味が分かんないんですけど。というかどういうことです?え、つまり、やっぱり高瀬君が犯人だったんですか?間違ってなかったってことですよね、え、説明してくださいよ」
言い逃げるように階段を下る俺の後ろから質問が追撃のように降ってくる。ここでは声が響きすぎるだろ、と思って、そのまま歩き続ける。
「ちょっと、無視しないでくださいよ。恵茉、そういうの一番苦手なんですから。いや苦手だと可愛く言いすぎてます、無視は一番こたえるんですよ。ホントなら死刑案件ですもん」
昇降口まで行こうと思ってたけど、不意な言葉に笑ってしまったので、しぶしぶスピードを落とす。彼女が横に来たのを確認してから、なるべく丁寧に、言葉を出し始める。
「えぇと。まず、犯人というか、本を持ってるのは誰か、ということなんだろうけど」
「あ、待ってください。推理パートですね、それは恵茉のお仕事だと思いますよ。恵茉的にはさっきの自白で高瀬君であることに決定しましたので。ハイ、本。返してくださいね。問題はどこに隠したかですね、きっと教科書も入ってないようなそのバックの中でしょうね、動機は……えっと。あー、じゃぁバックがスカスカすぎるのが恥ずかしかったからそれを隠すのが目的だった、とかどうでしょう」
「もうちょっとだけ思考を働かせようぜ……」
「は?恵茉的推理はハズレですか?それとも犯人の言い逃れですか?後者の可能性の方が高い気がしますけど、恵茉のこと考えてない感じで言うのも重罪ですからね、それ。さすがに温厚な恵茉も黙っていませんよ」
そこまで温厚なイメージはもう持っていないけどな、なんて思った。
下駄箱からスニーカーを取り出して、床に落とす。突っかけるようにはいて外に出た。少し肌寒くも感じるような風が俺の髪をなでて、それが、案外気持ちよかった。
「図書委員長の横に、もう一人いただろ、男。多分、アイツが持ってると思う」
俺の後に続いて外に出てきた彼女もなびいた髪を抑えながら、誰もいなくなった昇降口のアスファルトの上で立ち止まった。
「えぇと、それ、誰ですか?」
「誰も図書室から出てっていっても、入って来てもいなかったけど」
高瀬君が出ていきましたよ、という声は無視する。
「本を取ることができた人がカウンター内にいたじゃん。だから」
「だからって、えぇ……。だって、彼も図書委員ですよ。借りたい本だったらちゃんとした手続きができてるはずじゃないですか」
そこがこの探偵さんの推理をストップさせていたことなのかもしれない。委員会の人はまずそんなことはしないだろう、という思い込み。
俺はバックから疑われてた本を取り出して、困惑する彼女に投げ渡した。
「うぁ、なんなんですか。恵茉、野球とか全然得意じゃないですよ」
「委員長が言ってた本ってコレであってるんだよな?」
俺の問いかけに、表紙を見て、小さくうなずいた。
「じゃぁ読んでみれば分かるから」
「待ってくださいよ、そんな、意味わかんないじゃないですか。だって、探偵役の恵茉と、ワトソン君役の高瀬君と」
いつ俺がお前の助手になったんだよ。
「被害者の委員長と、犯人しか出てこないなんて。そんな推理小説があっていいと思いますか?シャーロックもホームズもびっくりですよ。というか陳腐すぎますよ、こんなことがあっていいはずありません」
とりあえず俺は電車通学なので真っすぐ駅の方へ歩いていく。何も言わずについてくるということはコイツも駅に向かっていって大丈夫なんだろう。
「だからさ、別にそんな謎でも、ましてや推理でも何でもないんだろうし。というか普通の高校だぞ?犯罪なんて起きるわけもないし、起きたとしてもせいぜい財布が盗まれる程度でしょ。現実なんてそんなもんだからさ」
そうかもしれませんけど、なんて言ったまま口を閉じる。考え中なのか、黙ったまま俺の後ろをついてくる。
沈黙が気まずくて、どうしようかと思っていたが、小さな音が聞こえてきた。
「もしそれが本当なら、さすがにつまらなすぎじゃないですか?だって、だって。そんな、事件も起きない高校生活なんて。そんなの、恵茉、望んでないんですよ、困りますよ。おかしいじゃないですか」
やけにしんみりとした声音に思わず足が止まる。
後ろを振り返って、目が合った。駅までのメインストリートなのに、人が居なくて、過疎化もだいぶ進んでいるんだなぁ、と何となく考えていた。
「つまらなくは、無いと思うけど」
ぼやくように出した俺の言葉に脳の処理が追い付かない。
「つまらなくないんですか?」
何が言いたいかというと、何が言いたいんだろう。
「望んでるような事件とか、ドラマみたいな高校生活とか」
後はなんだろう、アーティストが歌うような恋とか、洋楽みたいに決めるクスリとか。もっといえば、金髪に染めてピアス開けて不良ぶって、変な風に高校デビューなんてコトも含まれるかもしれない。
「多分、そんなの、マジでみんな思ってるけど結局できなくて……いや、ごめん。俺が言うとダサいからダメだわ」
息を出しただけの乾いた笑いと、そうですね、という文字列。
「でも、多分、今回の、その事件は。めちゃくちゃマジの感じでできてるはずだから。本人には大切というか、なんていうか」
「……難しいですね。相手にきちんと伝わってこそコミュニケーションだと思いますけど。……恵茉もはしゃぎすぎたのかもしれないですね。でも毎回こんな感じです。1人でアツくなって期待して裏切られて」
私、今、アンニュイな感じですけど、みたいな空気を体に纏わせ始める。なんだろう、周りの景色と相まって、なかなか魅力的というか、それなりに決まって見えた。
それ以上は何も話すことなく、俺も聞くことなく、真っすぐ駅まで行って、別れた。
思ってる以上にみんな何かしら持ちながら生きているんだろうな、なんて、俺とは逆方面に帰る彼女の乗った電車を眺めながら思った。
明日には、きっと、全部なかったことになっているかもしれないしな。




