第2話 洞窟にて
人影の手を取った瞬間、タケルの身体を浮遊感が襲う。
腹の底から持ち上げられるような感覚、理屈では説明しがたい謎の恐怖感。
だが、それは一瞬で終わり、その次に感じたのは冷たい感触だ。
それと同時に口の中に潜り込んでくる大量の液体。
「ガボッ!?」
目に加わった刺激、酸素を取り込めなくなったこの状況、タケルは即座に自分が水の中にいる事に気付いた。
幸い、というべきか水面は近く、すぐに浮上する。
そして、水を吐き出しながらタケルは毒づいた。
「ゴホッ、ふざけんな!頼んでおいてこれはねえだろ!」
陸地に上がり、水を吸ったツナギを脱ぎ捨てる。
サバイバル系の知識なんて全く持たないタケルではあるが、流石に濡れた服を着続けるのが不味いのはわかっていた。
脱いだ服を絞りながら辺りを見回すと、薄暗く、周りは岩ばかり、天井を見上げればそこには岩盤や鍾乳洞のようなものが見えるだけで空の青は無い。
どうやら、洞窟のようだ。
しかし、洞窟であるならば辺りが見回せるのはどういうことか?
光源らしいものは見当たらない。
安全確認の意味も含めて、再度辺りを見回すと、水の底にある何かが洞窟内を照らしている事が分かる。
まあ、それが何なのか探しに行くだけの元気は無かったが。
とりあえず、本能的に灯りに近づくと、水面には幾度となく見たタケル自身の顔が映る。
鋭い目付き以外には取り立てて形容するところのない平凡な容姿、20代前半の割に、髭などが一切無いために、多少童顔に見えた。
「さて、ここからどうするかな」
誰に言うわけでもない、独り言。
だが、予想外にも返答がくる。
「着きましたか?」
「ん?誰かいるのか?」
三度、周辺を確認。
すると、呆れたような声音でタケルの脳内に声が響く、「私の声を忘れましたか?」。
「あ、あんたは」
「そうです。貴方をここに送り込んだものです。今は貴方のいる世界とは別の世界から、こうして語りかけています。さて、もう一度、質問させてもらいます。着きましたか?」
「ああ、問題な・・・いや、問題あったな、何で水の中に送り込んだ?」
「少しくさ・・・いえ、ふけ・・・不衛生だったので、洗濯でもしようかと」
「俺は服か!臭かったのは留置場で風呂に入ってなかったからだよ!悪かったな!」
「まあ、概ね問題がなければいいのです。結果として生きて、貴方はその世界に辿り着いた。それが重要です」
話していて、脱力するのがわかる。
たったこれだけの会話で、タケルはこの声の主が随分と適当な奴である事がわかった。
そこまで考えて、タケルはふと思ってしまう。
(まさか、水があるとかいう理由だけで洞窟内に転送したんじゃ・・・)
しかし、その疑問は口に出すよりも先に声の主によって答えられた。
「洞窟なのは、人の目につかないようにするためです。貴方を送った場所は貴方方の言うところの西洋風の人が多いですからね、突然現れた上に黒目黒髪では余計な注目を集めます」
「おい、聞いてもいない事を何故答えた、言え」
「・・・まあ、気にせずいきましょう。今回、仕事を頼むに当たって貴方には『神威』級の力を授けました」
釈然としない気持ちではあったが、それよりも気になる単語が出てきた為に、タケルの興味はそっちに移る。
「ほう、俗に言うチートだな」
「はい、等級の説明、一応しましょうか?」
「頼む」
「では、少しばかり時間をもらいます。私達、貴方達の世界で『神』とされる存在がこうして人を異界に送る際、送る力、えーと、ちーと能力?ですね。これは神の力を劣化コピーした物です。そして、それらの力には私達の間で決められた階級があります。下から順に『天使』『大天使』『主天使』『上位天使』の4階級、まあ、『天使』でもあれば英雄と呼ばれるには十分ですが、私達が渡すのは主に『大天使』級、その世界であれば、まさしく神の如きです」
「はあ・・・て、『神威』が無いじゃん」
「はい、先程のはあくまでも劣化コピーの話。本来の神の力は全てが『神威』で統一されています」
「ほう、なら以外と簡単に済みそうな仕事ですね」
「本来ならそうなんですが・・・」
劣化コピーを相手に、純正品で戦う。
負ける事は無いんじゃないか?と、楽観的に考えたタケルであったが、返答はあまり芳しくない声音だ。
「これが相手を殺すだけなら、問題無いのです。しかし、相手を送り返すとなると少し難しい、というのはですね、貴方に送ったその『神威』、実は戦闘用じゃないんです」
「え・・・」
「というか、貴方も体験しましたよ。『転送』の『神威』、世界を隔てても転移が出来る力です。しかも、『神威』は人の器には大き過ぎる力なので、他の特殊能力を持たせられませんでした」
「えーと、つまり・・・」
「はい、貴方は物を持ってくる以外の力は全て貴方自身の才能と努力のみで、異界人と戦わなければなりません」
目の前が真っ暗になりそうな思いだ。
タケルの視界がぐらついたのは幻覚か。
額に手を当ててため息を吐き出すタケルに言い訳をするように、神は語りかける。
「いえ、流石に嫌がらせでこんな事をしてるわけではないんですよ。まず、こうして私と交信するためには『神威』が無いといけないですし、そもそも『神威』の殆どなんてどれもこれも人間に持たせると、四肢が爆散して死んじゃいます」
「四肢が爆散!?」
「はい、身に余る力というやつです。逆に貴方を選んだ理由はそこにあります。『転移』のみとはいえ、『神威』を入れられる人間は少ないんです・・・よほど、もとの入っていた量が少なかったんですかね?」
「おい、喧嘩を売るつもりなら買おうじゃないか」
「あははは、まあ、悪いことばかりじゃないですよ。貴方が望めば、向こうの世界の道具をこちら側で使えますし、使い勝手自体は悪くない筈です」
「・・・」
「何か、気になる点でも?」
「いや、向こうから道具を持ってくるって事は、向こうの世界から物が消えるんだろ?そんなに使ってもいいのかと」
「あ、その点については問題ありません。貴方の『転移』は元々私のものですからね、多少はいじってあります。厳密に説明すると、貴方から頼まれない限りは、向こうの世界から直接は持ってきません。向こうの物のコピーを私が創り出して、それを貴方に送ります」
「ああ、それならいいかな。じゃあ、早速・・・なあ、どうやって使うんだ?」
「貴方が必要だと思うものの形を思い浮かべて、能力発動のキーワードを呟いてください。物を持ってくるためのキーワードは『イガルマ』です」
「成る程・・・『イガルマ』」
呟くと、タケルの目の前に魔法陣のような物が浮かびあがる。
彼の想像通りならば、物凄い物が出てくる筈だったが、それは何も出さずに消えてしまった。
がっかりするタケルに神の呆れた声が届く。
「現実世界にある物をお願いします」
「悪かったよ、じゃあ・・・『イガルマ』」
再度輝いた魔法陣は先程より随分小さく、掌に収まる程だ。
そして、1秒と掛からずに彼の掌には100円ライターが生み出された。
「へえ、便利なものだな」
「ええ、性能も同じです。ただし・・・」
「『イガルマ』」
『神』の忠告を最後まで聞く事なく、タケルが呟いた瞬間、彼は天地が逆さまになったような奇妙な感覚に襲われることになる。
そして、数秒と持たずに、彼は意識を失った。
「いいですか?この世には『魔力』と呼ばれる力が存在します。人間にも動物にも、水にも、空気中にも存在するそれを代償に使う力、それが『魔法』です。『神威』は魔法とは少し違いますが、魔力を使う点では同じです。持ってくる物質が重ければ重いほど、それを持ってくるには相応の魔力が必要になります。ですので、十分に注意して下さいよ?無理に持ってこようとすれば、先ほどのように、魔力欠乏で意識を失います」
「肝に命じておく」
「魔力の総量を増やすには、特訓あるのみ、無理しない程度に毎日使って下さい。『神威』の持ち手である貴方ならば1ヶ月もあれば、飛行機程度を持ってこれるくらいには成長します」
「おお、いいね。戦車とか乗ってみたかったんだよ」
「まあ、程々にしてくださいよ?そちらの世界に迷惑をかけるようなら、即座に貴方を元の世界に戻して、別の人材を派遣します」
「わかっている」
確かにそういう楽しみもあるが、元の使命を忘れてはならない。
タケルは心の中で自分に言い聞かせる。
「よし、とりあえずここから出る。出口は?」
「私が指示しますので、その通りに進んで下さい。それと、岩とかで怪我をしてもあれなので、その服装は避けた方がいいかと」
言われて、タケルは自分がパンツ一丁である事を思い出す。
濡れたツナギを着直すのは嫌であったが、『神』の言うことも尤もだと納得して、彼は袖に手を通した。