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自分探しゲーム

作者: しろあん

 寂れた廃墟のようなアパートの2階。人が住んでいるとは到底思えない部屋のドアの前に立ち、インターホンを鳴らした。

 僕には夢があったのだが、それは諦めて現実を生きてきた。そのことを友人に相談したところ、ここの住所を訪れろ、とだけ教えられたのだ。

 しかし返事はなく、僕は錆びついたドアノブを捻ってみた。するとドアはこうするのが僕の仕事だろう、と主張するようにあっけなく開いた。

 勝手に入るのはダメだろうと考えたが、せっかく来たのだから中を少し見てから帰ろうと思った。中に入りドアを閉めると、奇妙な感覚が体の奥から湧き上がり、何か大切な記憶が頭から抜け落ちたような気がした。

 何度か瞬きをして部屋を眺めてみると、そこには抱き合う男女がいた。

「え、あ、すみません」

 と、考えるより早く口から謝罪の言葉が飛び出た。

「人がいるとは思わなくて」

 アパートのドアを開いてその言い訳は通じないだろう、と思ったが本当なのだから仕方がない。

「アパートのドアを開いてその言い訳は通じないだろう」

 と、男が眉間にシワを寄せながら言った。

「何か用ですか?」

 と、今度は女性の方が尋ねた。平静を装ってはいたが、抱き合っている場面を見られたからか、その表情の裏には照れている様子がうかがえた。とても綺麗な人だった。

「人探しをしていまして、この部屋を前に借りていた方のことなんですけど」

 つい、口から出まかせが飛び出た。

 男が女を見遣った。どうやらこの部屋は女の部屋のようだ。男と女は2人とも僕と同じ30代前半くらいに見えた。

 その時、脳の大切な機能のどこかが隠されていくような感覚がした。

「私の前にこの部屋を借りていた方が女性なのは知っていますけど、それ以上はなにも」

 その言葉は僕の耳には届いたが脳には届いていなかった。頭の中でモヤモヤとした違和感が重みをもって渦を巻き、立ちくらみのような眩暈を引き起こしていた。

「お前大丈夫か?」

 膝に手をついた僕の様子を見て、男の方が声をかけてきた。

「ええ、大丈夫です。それより」

 その先の言葉が思いつかず、僕は沈黙してしまった。が、男がその沈黙をすぐに破った。

「なあ、オレたち、前にどこかで会ったことないか?」

「はい、僕もそう言おうと思っていたところです」

 違和感の正体が既視感だと判明したが、相変わらず頭の中では重い渦が緩慢に存在していた。

 目の前の景色は分厚いガラス越しに見ているように現実感がない。聞こえる音も遠くに聞こえ、体も重く、相変わらず眩暈は治まらない。

「立ち話も変ですから、よかったら上がりませんか?」

 女性に言われるがまま僕は彼女の部屋にあがった。2人に倣って僕も、部屋の真ん中にある小さな卓袱台の近くの座布団に腰を下ろした。

 改めて見ると、女性は本当に綺麗な人だった。細くて白いうなじ、女性らしい曲線。

 描きたい!という衝動が走ったが、僕は10年前に描くことをやめていた。その事を後悔してしまった。僕が絵描きの夢を諦めなかったら、この女性を描けたのに。この男になりたい、と思ってしまった。

 男はタバコを吸い始め、女性はコーヒーをいれるためにお湯を沸かし始めた。眩暈がひどく、こめかみを押さえて10秒ほど目を閉じていた。

 再び目を開けると目の前にはコーヒーカップが置かれ、男のタバコは根元まですり減っていた。

 何かが変だ。彼のタバコはいつそこまですり減ったんだ?早すぎる。僕が目をつぶっていたのは10秒ほどだ。10秒でお湯が湧くだろうか?

 窓の外には、ここから見えるはずの高層ビルがなく、その代わりに見たこともない木造の建物が見えた。

 頭の中の渦はだんだんとスピードを増して、たくさんの思考を巻き込みながら、僕の思考の全てを支配していた。

 僕の体はもう、僕のものではなかった。

「あの、名前聞いて良いですか? 名前を聞いたらどこで会ったか思い出すかもしれない」

 と、僕の口がそう言った。

「佐藤裕二」

 男が僕の中の何かを睨みつけながら言った。

 それは僕の名前だった。

 その瞬間に全てを悟った。彼は僕と同じ顔、同じ体つき、同じ声をしていた。逃げ出さなければいけないと頭では理解したが、頭の中の渦が僕の本能を支配しており、どうしようもなかった。人間を動かすのはいつも論理ではなく本能や直感だ。

 二人の男女は気味の悪い笑みを顔に貼り付けたまま僕を見ていた。男と女の手が僕の頭に触れ、僕の思考の渦は僕の思考を巻き込んだまますべて消えた。

「あなたは今ここで死ぬの」

「怖くはない。痛くもない。すぐに終わる」

 二人の言葉は僕の耳には届かず、脳には届いた。

 窓の外はいつの間にか夕刻に差し掛かっており、部屋は薄暗く、男女の顔には陰が彫り込まれいた。

 気がつくと僕の首には縄がかかっていた。後はこの卓袱台から飛び降りるだけだった。

「さあ、交代だよ」

 と、二人の声が聞こえた。それと同時に僕の足は卓袱台を蹴った。


 近年巷で、自分探しゲームというものが密かに広まっているらしい。

 ある寂れたアパートの2階隅の部屋を訪れる。そこへ行くと、今とは違う人生を歩んでいる自分に会えるというものだ。

 その部屋の中にあるものは全て、もう1人の自分のモノ。家具や小物はもちろん、そこにいる人間の所有権も、もう1人の自分にあるのだそうだ。

 ゲームのルールは簡単。その部屋に入るとゲームスタート。その部屋を無事に出られるとゲーム成功。

 その間、そこで起こることに対して羨ましいという感情を決して抱かないこと。

 ゲームに成功すれば、今の自分に自信を取り戻し、過去を後悔せずに生きられる。

 失敗することはない。今までその部屋から出てこられなかった者はいないのだ。ゲームを終えた者は皆、晴れやかな顔で部屋を後にするという。

 まるで別人かのように。

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