cent quatre-vingt-dix-sept 部長
今日は後藤君の結婚式で有砂はそっちに参列してる。俺は普通に仕事を済ませてからはるちゃんの美味い飯を狙って五条家にお邪魔している。五条本人は既に佐伯と同棲を始めてるとかで彼女がいた痕跡はほとんど消え、今ははるちゃんとあきの二人で暮らしてる。その代わりにベビー用品が一気に増えてきていて、もうじき子供を引き取ることになってるんだと。
「仕事はどうすんのはるちゃん?」
「育児休暇貰ってる、復帰はするつもりだけどカウンター業務になるわね」
「ってことはバーテンダー的な?」
「えぇ、何の因果か父と同じ仕事」
確かジャンルは違えどご両親とも夜の仕事をしていたっていうのは聞いたことがある、お父さんがバーテンダーだったってのは今知ったけど。
「でさ、国分寺とはいつから?」
「ゴールデンウィークが明けてから、今は引越しラッシュだから敢えて外したの。ふゆもそれに合わせて戻ってくるって」
ここひと月ふゆは五条家を出て国分寺と共同生活をしている。転勤族の一人暮らし用アパートよりもこっちの方が広々してるだろうがと思うのだが、そう言えば大学時代五条とふゆとの折り合いが一気に悪くなってたから込み入った事情でもあるんだろうな。
「ところでお酒飲む?」
「ん〜止めとく、多分有砂酔ってそうだから」
「なら私が送るわよ、歩いて帰るより安全じゃない」
「じゃあちょっとだけ頂こうかな」
と言ってる間にあき、ふゆ、国分寺が帰ってきた。
「ただいま〜、尊ちゃん来てたんだね〜」
「おぅ、ひと足先にお邪魔してるよ」
「今日はまこっちゃんの結婚式だよな、なつ姉も来てんじゃねぇの?」
「そのはずなんだけど相変わらずよ、家に届く郵便物何とかしてほしいんだけど」
家族であるはるちゃんに対しても音信不通状態なのか、最近有砂もケータイ見ながら渋い表情を浮かべてるもんな。
「転送手続きまだ済ませてないのか……」
「えぇ多分、昨日も新たに届いてるから」
「もう【受取拒否】していいんじゃないか?」
国分寺、お前そういうとこちょっと冷たいよな。
「ただのDMであればそれでもいいけど……さすがにこれにはできないわよ」
はるちゃんは五条宛の郵便物から厚みのある封書を一つ手に取った。見ると白地にトリコロールの縁模様、海外からのエアメールか。
「せめてこれは渡しておきたくてメールで家に寄るように言ったのよ、さっき確認したけど既読すら付いてないの」
「差出人誰〜? もう開けちゃえば〜?」
それは駄目だろふゆ、本人が放置してるとは言え五条宛のエアメールなんだからさ。はるちゃんは封書をひっくり返してリターンアドレスを確認してる。
「北欧からだわ……ソノコ・アンダーソン・クリバヤシ、ひょっとしてこの子高校の……」
あぁ、栗林で間違いない。
「何度か家に来られてるわね、読書愛好会の子だったはずよ」
ビンゴだよはるちゃん、相変わらず凄い記憶力……って感心してる場合じゃない。これいつまでも放置してたら栗林に変な誤解を与えちまうな、そうなる前に何とかしないと。
「なるべく早く栗林に手紙で事情を説明しておこう。はるが差出人であれば読んでくれると思う」
国分寺の提案にはるちゃんは頷き、先に飯を頂いてから男五人で手紙の内容について話し合った。
それから数日後はるちゃんは栗林宛に事情説明をしたためたエアメールを送っていた。送料をケチりさえしなければ三〜四日ほどで配送してくれるそうだ。大体一週間待ったくらいで栗林から返信のエアメールが届き、ちょっとした手紙と生まれたばかりのベビーの写真を同封しているだけなのではるちゃんが開封して構わないと許可をもらえたそうだ。今後ははるちゃん宛で引き続き五条家に手紙を送るので、はるちゃん経由で読書愛好会仲間に近況を伝えてほしいと書き添えてあった。
「はるちゃん宛ての方が苑子の近況が早く分かるね」
この手の報告をちょいちょい忘れる五条よりもはるちゃんの方が信頼できると最上は笑っていた。栗林にとっては二期後輩に当たる前之庄君の奥さん桃子ちゃんはちょっと寂しそうにしてたけど、黒髪青眼の可愛らしい栗林のベビーを見て間もなく生まれてくる自身の子供に思いを馳せているみたいだった。
かと言って五条宛ての郵便物が溜まっていくのは相変わらずで、はるちゃんは折を見て通話やメールを試みているらしい。それでも五条からの反応は一切無く、どうでも良さげなDM類は処分したり物によっては【受取拒否】に踏み切っていた。
「もうこれ以上付き合ってられないわ」
四月に入ってはるちゃん自身が忙しくなってきたようで、何度アクセスしてもレスポンスの無い五条への対応を諦め始めてる感じだった。有砂や他の幼馴染たちも時間があれば五条とコンタクトを取ろうとしてるけど、こちらも効果が得られなくて困ってるみたいだな。ご実家であれば小久保と亘理が知ってるはずだけど、昔ちょっと揉めたことがあるらしくて必要以上に踏み込めない空気とか何とか言ってたな。
まぁこんなのは五条が予め転送手続きをしておけば済む話なんだよ、佐伯がどうこう以前に。ただ大学時代もそうだったけど、佐伯って変に嫉妬深くて五条に対して付き合いを制限したり自分の都合に合わせさせたりしてたからさ。もしかしたらああしろこうしろ、あれは駄目これも駄目って言われたりしてるのかも知れないな。
他人同士から作る関係性ってそんな状況でまともなモンができるんかねぇ? とは思う。どちらかのやり口を強要するよりも、たくさん話し合ってベストを尽くした妥協点を探り当てる方が長続きできるんじゃないかと思うんだよ。話し合いというか意見交換って大事だよ、お互いをちゃんと知ろうという心意気が無きゃ人間関係を構築すること自体無理があると思う。
俺自身が結婚相談所で働いてるから、会員登録されてる顧客から恋愛相談みたいなのを受けることがある。男の場合どんなに実家が金持ちでもエリート社員でも、女性であればいくら家事全般が得意でもとびっきりの美女でも相手を思いやれない奴っていつまでも売れ残ってんだよ。
これは見た目とか年齢とか育った環境とか一切関係なくて、要は目の前にいる相手をどれだけ一人の人間として尊重できるかってのが大事だと思う。もちろん恋愛関係だけじゃない、友人、職場、家族関係にも言えるんじゃないかな?
まぁ人間生きてりゃどんどん変化はしていくんだけど、大切な人ランキングが変わったからってこれまでのものを蔑ろにしてもいいって話じゃないんだよ。時には切れる縁もある、当然家族関係にもあると思うよ。自然にそうなってきたとかどうしようもなく拗れたんなら離れた方がいい、ただそれは外野(ここではパートナーも含む)が操縦することじゃなくて本人自身の意思で決めなきゃいけないことだと思う。たとえ持ちつ持たれつの関係性にあっても人生の舵は自分できる、そこは何が何でも死守しなきゃいけないパーソナルテリトリーなんじゃないのか。
俺には五条と佐伯の関係って対等じゃないように見える。本人たちがそれで良いって言うんであれば外野がどうこうする必要は無いんだけどさ、それが一生続くってなったら五条の性格考えたら多分無理なんじゃないかと思う。アイツあれで結構強情でワガママだからさ、どっかでブチッてキレちまうんじゃないか? 佐伯と生涯を共にする気であれば一遍くらいキレてもいいと俺は思うけどな。