cent quatre-vingt-neuf 有砂
そう言えばこの前の飲み会以来なつと連絡を取り合っていない。あの日の夜、私鉄の人身事故も含めてメールしたんだけど返信すら無い。なつは時々ぽやっとしてるけど、メールはマメに返すタイプなだけに珍しいこともあるもんだ。
「そう言えば最近なつ見ないな」
またしても茎茶が切れかかってるので今日も休みを利用してぐっちー宅の自宅店舗にお邪魔してる。奴はいずみちゃんとの交際も順調で、最近双方の家族を交えての交流も始めてるらしい。
「飲み会の後メールしたんだが音沙汰無しだよ」
「珍しいなそれ、普段ならちょっとくらい遅れてもレスポンスくらいあるのに」
ぐっちーもう〜んとへの字口になってる、それくらい珍しいことなんだよなつの“音沙汰無し”ってさ。
「お主、順調そうだな」
「おうよ、この歳までからっきしだったのは彼女に会うためだったんだと思うよ。近いうちに紹介するわ」
ぐっちーは彼女との交際でこれまでに無く真面目に仕事をするようになり、しょっちゅうサボリのしわ寄せを食らってたお母さんとお姉さんは大層喜んでいるらしい。多分だけど良い交際ってこういう感じだと思うんだよ、私も色んな恋をして色んな人に迷惑を掛けてきたけど、尊君とお付き合いを始めてから脇目を振らなくなったし何より親父の機嫌がすこぶる良い。彼のご家族も案外静かに見守ってくれてて(北の大地にいるからだけど)、ゴールデンウィークに家族総出で北の大地へ赴く方向で話が進んでる。
本人たちにとって良い出会いをした時周囲にも良い影響が出るものなのかも知れない。本人が幸せであることが大前提だし周囲が反対するからじゃあやめますってものでもないんだけど、本人たちの幸せが上質であればあるほど周囲の現状をも上向きにさせる見えない力ってのが働くんじゃないかと思う。
「楽しみにしてるぞ」
「おぅ。それとさ、もうじき杏璃小学校卒業すんじゃん」
ぐっちーは茎茶を買って店を出ようとする私を呼び止めた。
「小笹さんの方が近いけどファミリー向けじゃないからさ、逹吉さん貸し切って祝ってやろうや」
うん、それ良いな。
「そうだな、他のメンツにも声掛けとくよ」
私はてつこを除く腐れ縁共にメールを送信してからお店を後にした。ところがここでもなつからの返信が一切無い。不思議なのか既読すら付かないという異常事態、非通知設定にでもしてるのか? まぁいつまでも返信を待っていたら計画そのものが頓挫するので、こっちはこっちで準備を進めておくとしよう。
せっかくだから安藤たちにも声を掛けるかと安藤、依田夫妻、降谷にもメールするとその日のうちに返信があった。安藤と降谷は参加、依田夫妻はくれちゃんの体調不良により今回は辞退するとのこと。ただお祝いはしたいからと安藤と連名で何かは用意すると言っていた。
んで今日は安藤と降谷と休みを合わせて後藤家に向かう、逹吉さんに飾り付けの許可を頂いたのでそれを作ろうという算用だ。こういう時はまこっちゃんが大活躍する、現役のテーラーなだけあって手先は器用なんだよ。
「何かこういうのワクワクするね」
嫁のつかさちゃんも腐れ縁メンバーとして参加、この子順応性が高いからここの生活にもすっかり馴染んでる。
「杏璃ちゃん中学生になるのよね」
「そうだよほんと早いよねぇ」
私身長抜かれちまったよ、安藤辺りもそろそろヤバイぞぉ。
「一応親戚とは言ってもあの二人顔似てるよね」
杏璃が中西家に来たばかりの頃は実の両親に似た切れ長つり目だったんだよな、共に暮らして心を通わせると顔も似てくるのかな? そう言えばまこっちゃんとつかさちゃんも雰囲気が似てきてる気がする。依田夫妻も今や空気感は一心同体状態だから顔が似るのも時間の問題なんじゃないか?
「今回はどんな面子集めてんのさ?」
「基本中西家の顔馴染みだよ、小笹姉弟、葉山家、武内家、岩井家、石渡家、五条家辺りには声掛けてる。ただなつからのレスポンスが無いんだよ、ボス姉も連絡してくれてるけど反応が無いんだってさ」
「そりゃあ佐伯とデキちまったからだろ」
はあぁっ? 結局そうなちゃったのかよ? けど大学時代はこんなこと無かったぞ。
「しかも結婚を決めたってさ、弥生ちゃんが言ってたぞ」
マジかよ? こりゃかなりヤバいな。
「ってことは今やイエローイエローハッピー状態か?」
「らしいわね、何から何まで黄色一色だそうよ」
それ最早ヒヨコじゃん、ってかどこ情報だよ安藤?
「あの時よりも重篤化してない? 大学時代のなつは黄色の服が多かったけど、一色ってことは無かったんじゃない?」
「私見たことが無いから想像できなくて。従兄弟から聞いた話だけど、県庁所在地の電鉄系百貨店の婦人服売場で佐伯が五条に黄色の服ばかりを試着させてるのを見たって」
従兄弟? あぁ郡司か。あの男臨海地域にいるから県庁所在地は行動範囲内か、あいつなら乗り込みそうな気もするけどさすがに諦めてるのか。
「それで郡司は何て?」
「幻滅していたわね。『好きな色も伝えられない男と付き合う』こと自体考えられないって」
「俺もヤダねそんな女、まぁ五条は相手に任せた方がラクってタイプだから相性そのものは悪くないんだろうけど」
「でもあの二人の並びはバランスが良くないよ、ちっともお似合いじゃない」
つかさちゃんは大学時代からそう言ってるよな。
「そんなに合っていない感じなの? 私佐伯明生とは面識が無くて」
へぇ、安藤んとこは財界人に入るから多少の交流はあると思ってた。何せ郡司と同様浅井製紙創設メンバー郡司一徳氏の孫じゃんか。
「関係性が対等じゃないのよ、佐伯が夏絵ちゃんの素直さを悪用して操ってる感じなの。いくら相手に合わせる方がラクだとしても結婚となるとそれが一生続くのよ、その辺のバランスを考えられる人であればいいけど佐伯にそれは期待できないわ」
このままだとそのうちなつが壊れるな。あれで結構わがままなところがあるからつかさちゃんの懸念は的を得てる思う。ただそうなると今何か仕掛けるのはかえって危険だよな、それこそどうすることもできなくなるよ。
とまぁ外野がやきもきしてても本人がそのことに気付かない限り事態は変わらない。なつがこの十年間これっぽっちも成長していなかったことにガックリはきたけど、こればっかりはなるようにしかならないよなぁと思うしかなかった。
結局なつから何の音沙汰も無いまま杏璃の卒業パーティー当日を迎え、ぐっちーと共に幹事としてひと足先に達吉さんに入って店内をパーティー仕様にする。
「なつから連絡はあったのか?」
「無いんだよぉ、待ってたらこれ自体が頓挫するからもう諦めた」
「はる姉さんの方は?」
そう聞かれたので首を横に振る。ぐっちーはマジかよ? と肩をすくめてる。
「なぁ、大学時代もこんな感じだったのか?」
当時奴は九州にいたから多分頻繁にやり取りはしてなかったと思う。
「いや、普通にやり取りはできてたよ」
「何をどうすりゃこんなことになるんだよ?」
それは私が聞きたいさ。
「連絡先変えてんじゃねぇのか?」
「ならエラーメッセージくらい来るだろ、非通知設定にしてる可能性はあると思うが」
「何で?」
「知るかよぉ」
なんて言ってるとこうたが箱入りのホールケーキを抱えてお店に入ってきた。事前に【卒業おめでとう】ケーキを頼んでたからね。
「よぅ、持ってきたぞ」
「お〜来たかぁ」
「あと杏璃用にピーチパイ作ったんだ」
やるなこうた、今は時期的に桃の節句の余韻でタイムリーだし杏璃は桃が大好物だ。こうたはあとは従業員さんに任せてると飾り付けの手伝いをしてくれる。それから立て続けに腐れ縁共が手伝いがてら早めに来てくれたお陰で作業自体はスムーズに進んだんだけど、結局なつは音沙汰無しのまま姿を見せなかった。