cent quatre-vingt-sept 安藤
五条が結婚することになったらしい。それ自体は良いんだけど、佐伯明生という男は小狡いことをするクソ男であるみたい。私からしたら従兄弟の郡司とか4A共と大して変わらないと思うんだけど、それだけに何故郡司や一二三を蹴ってまで佐伯を選んだ理由が分からない。
結婚で思い出したけど、正月明け麻弓の妊娠が分かった時に一二三は案外喜んでいて、これまでの傲慢さとは打って変わり甲斐甲斐しく彼女の体を気遣っている。双方のご家族とも挨拶を交わし、出産を優先して入籍手続きを済ませたり実家の跡を継ぐ準備も進めているらしい。
『セフレ状態の時に妊娠したけど、今は凄く大切にしてくれるの』
麻弓は嬉しそうにそう言っていた。あの一二三が何気に子供好きだったとはというか結婚に前向きだったのが意外だった。こっちは【雨降って地固まる】状態で丸く収まってくれてひと安心した、これ以上あの子が苦悩する姿を見たくなかったから本当に良かったと思う。
そう言えば郡司の方にも動きがあった。かつての交際相手西村智美が動き出したようで、最近接点を持ち始めていると聞いている。これに関しては五条への付きまといを止めさせるための“禁じ手”だったんだけど、郡司は自分をしっかりと持っている個性的な女を好むから彼女とは割と合うと思うのよね。
「最近変なモン見たんや」
またしても来なくていいのに家に来て……なんて思っていたんだけど、そこでおかしな変貌を遂げつつある五条を見たという話を聞かされた。
「この前県庁所在地の電鉄系百貨店で五条が男連れてるん見たんやけど一体どないなってんのや? ブランド物身に着けとるけど黄色一色でダッサイのなんのって」
黄色一色? そんな服着た彼女を見たことが無いので想像ができない。
「どうしてそんな格好してるのよ?」
「どうも一緒におった男のチョイスっぽいんや、そん時も黄色の服ばっかり選んで試着させとってな。正直アレには幻滅した、服ぐらい好きなん着ろってか好きな色も伝えられん男と付き合うてるんがな」
「その男の顔見た?」
「いや、はっきりとは分からんかったけどあの黒さは日サロ行っとるな。背は多分俺くらいや」
そう言えば弥生ちゃんも『少し肌を焼いてる』って言っていたわね、きっと佐伯明生で間違いないわ。
「それ多分県知事の実子よ、表向きは県会議員の息子ってことになっているけど」
「あ〜、玉の輿にしたってあんだけ俺を振り回して選んだんがアレか? 男見る目無いにも程があるやろ」
あんたがそれ言うの? まぁコイツ支配的な恋愛はしないけど浮気三昧でその度に修羅場じゃない。
「浮気三昧されるよりも支配される方がお好みだったんじゃないの?」
「俺には考えられん……」
でしょうね。この男『自由恋愛』を地で行く性分だから相手の浮気も容認しているのよ、その点西村も『浮気しても戻ってくればそれで良し』ってタイプだから郡司みたいな男とでも平気で付き合えるのよね。まぁここも案外落ち着くんじゃない? 西村が動くことによって五条から視線を逸らす目的は達成されたってことで。
それよりも杏璃ちゃんには何て話そう? 周央って子の件は断ったらしいけど、今のところ中西君の婚活状況は遅々として進んでいない状態だ。ただ杏璃ちゃんは五条に懐いてるから何気にお母さんになって欲しいんじゃないかしら? と思う。今日は何れにせよ仕事で中西電気店に行くし、一応二人の耳に入れておこうかしらね。
「ごめんください、社長さんは?」
従業員さんにひと声掛けると奥に引っ込んで呼びに行ってくれた。事前にアポイントは取ってあるから仕事自体はすぐに終わる。
「おぅ、アレか?」
えぇ、私はA4サイズの封書を手渡す。彼は早速封の中身を確認している。
「杏璃ちゃんは?」
「台所にいると思う」
そう。私は勝手知ったる状態で奥のご自宅を覗くと先代社長にどうした? と声を掛けられた。
「お邪魔しています、杏璃ちゃんと少しお話できないかな? と思いまして」
「なら家で飯食ってくかい?」
「えっ? 宜しいんですか?」
就職してから中西家には頻繁に出入りしているけど、お食事のお誘いは初めて受ける。
「おぅ、時間的にもちょうど良いだろ」
これは絶好のチャンスかも知れない。
「でしたらえんり……」
「いらっしゃいカンナさん、お昼食べた?」
と杏璃ちゃんが奥から笑顔で声を掛けてくれる。多分声が聞こえて出てきてくれたのね。
「いえまだなの」
「せっかくだから家でどうだ? って誘ってたとこだ。杏璃に話があるって」
「じゃあ一緒に食べようよ、わたしも今からなの」
「ではお言葉に甘えて上がらせて頂きます」
私はご自宅にお邪魔して杏璃ちゃんお手製の昼食をごちそうになった。彼女の手料理は初めて食べるけどとても美味しかった、中西家は家族全員自炊ができるそうで日替わりで家事を分担していると聞いたことがある。家の場合祖父と父はともかく兄はからっきしだから少しは見習ってほしいところだ。
「ごちそうさまでした、とても美味しかったわ」
「良かったぁ。カンナさんお嬢様だからこんなショミン料理お口に合うか不安だったんだぁ」
確かに家は裕福な方だと思うけど、毎日フルコースちっくなものを食べてると思われているのかしら?
「家も似たようなものよ、家族全員ご飯とお味噌汁が好きだから副菜に煮物が出たら取り合いになるわ」
「ホント? カンナさん家って毎日フランス料理のフルコースちっくなものなのかと思ってた」
「そんなの毎日食べていたら胃もたれするわよ、後片付け手伝うわね」
「えっ? カンナさんそんなのできるの?」
「できるわよ、これでも元料理部なのよ」
初期イメージって恐ろしいわ、でも杏璃ちゃんの言った通り私は家事が一切できないイメージを持たれやすいみたいだ。時間のある時は自作弁当を作るのだけれど、それでも『良いわねお手伝いさんに何でもしてもらえて』なんて嫌味を言われることすらある。職場のレクリエーションで料理をしてようやっと信じてもらえたという有様だ、参考までに言えば家にはお手伝いさんなんていない。私たちは二人分の食器を洗い終え、話ができる状況か周囲をチェックする。別に構わないけど近くには先代社長もいらっしゃる。
「カンナさん、部屋に上がらない? そっちの方が話し易いでしょ?」
この子は小さい頃から凄く勘が良い。
「そうね、その方が良いかも」
私たちは二階に上がり、杏璃ちゃんのお部屋で話をすることにした。
「早速だけど良いかしら?」
「うん、なつに何かあったの?」
「えっ? どうして?」
本当に凄いわ、まるで心の中を見透かされているみたい。
「だって最近なつを見掛けないもん。前は時々通学の時に見掛けてたんだよ」
「そっかぁ。実は最近結婚を決めたそうなのよ、直接聞いた訳じゃないけど、五条の同期入社の子がそう仰っていたわ」
「……」
杏璃ちゃんは見た目こそ平静にしているけどかなり落ち込んでいると思う、案外本気で中西家に入ってもらうことを考えていたみたい。
「それ、いつ頃になるの?」
「詳しい時期は分からない、来月で仕事を辞めてS市に引っ越すって聞いてるわ。今はほとんどS市にある婚約者の自宅にいるって」
「そう……さすがにどうにもならないね」
現状だとそうだと思う、今ヘタに動くと更に絆を深めて手を付けられなくなる。それなら……。
「そうなった以上外野はどうすることもできないわ、それならパパの結婚を決めちゃった方が早いと思うの」
「そっちの方が難航しそうだよ、『期限付きの結婚』を望む女の人ってそういないでしょ?」
「それってもしかして……」
中西君そんなこと考えてるの? 結婚に対して後ろ向きだからって、杏璃ちゃんが高校を卒業するまでの仮面夫婦はいくら何でも虫が良すぎない?
「そこは一度本人に聞いてみるわ」
「うん」
杏璃ちゃんは何か思い詰めた表情で下を向いていた。十二歳の女の子に話す内容に相応しくなかったんじゃないかとも思ったけど、彼女は何も知らされずに周囲が変わっていくことを嫌うフシがある。多分小さい頃から実母の勝手に振り回されて捨てられたり拾われたりを経験しているからだと思う。
「杏璃ちゃん、本当は五条にお母さんになってほしいんでしょ?」
「えっ? でも……」
やっぱりそうね。
「私五条の婚約者サイドに知り合いがいるの、その方を経由してこっちの情報が定期的に伝わったら何かは変わると思う。ただそれなりの時間が必要ね」
すぐには無理でもまだ諦める必要は無いと思う、それならギリギリまで足掻いてやりましょ。
「上手くいけばなつの心を取り戻せるってこと?」
「えぇ、私はそう考えてる。博打みたいと言われたらそれまでだけど、何もしないよりは良いと思うの」
「そうだよね、わたしもできるだけのことをする!」
杏璃ちゃんは私の考えに賛同してくれたけど別のところでとんでもない覚悟を決めたようで、どうやら気掛かりなしこりを作ってしまったと少し後悔もした。