cent quatre-vingt-quatre 社長
三月十日、辞令を打診している社員たちの返事を聞くことになっている。その中に五条夏絵の名前もあるのだが、コイツは辞退するだろうから別の社員は一応用立ててある。んでまぁ今日は朝から社員を一人ずつ呼び出しているのだが、今のところ内外関係なく全員が辞令を了承するという返事をもらっている。
にしてもあの女まさかのドラマチック症候群だったのかよ? いやぁあの絵面はなかなかに強烈だったな、美人俳優カップルでもあればそれなりの見世物にはなるが、黄色のマクラーレンに乗った駐禁男とこれまたハ○○ンだかア○○○長レベルの真っ黄色女のソレは見苦しいったらありゃしねぇ。
とまぁ業務に関係無ぇディスりはこれくらいにしておいて、俺は最後に返事を聞く五条夏絵を待つ。今日は普通の格好で来てくれ、終業間際にあの黄色はキツイ。
コンコンコン。
『失礼致します』
この声は境だ。平賀んとこの若社長と付き合い始めたんだが早速あの男の金銭感覚にブチ切れて説教をかまし、更に惚れられて結果オーライな展開になっているらしい。
「おぅ、入れ」
それを合図に境が五条を連れて中に入る、あ〜視界が……。
「五条さんをお連れ致しました」
境は通常運転であっさり下がったのだが、何となく今日はいてほしかったってくらいに俺ゲンナリ。
「取り敢えず座れ」
はい。今日も今日とて真っ黄色なワンピースでお出ましの五条、コイツ色白じゃねぇから地黒に見える。左手薬指に二つの指輪をはめ、うち一つはダイヤモンドが厭味ったらしくチカチカしてやがる。おい指輪は指一本に一つって社内規則で決めてるんだが……俺だってなりはアレだがそこは遵守してるぞ。
「指輪は指一本につき一つって規則にあるんだが」
「あなたがソレ仰います?」
「そこは犯してないけどな、どっちか外せ」
五条は不服げにしながらも指輪を一旦外し、ピンクゴールドの方を右手薬指にはめ直した。ただ個人的にはその真っ黄色の方がキツイ、来年度からでも【黄色の服はNG】って明言してやろうか。
「返事は分かり切ってるが一応聞くわ」
「辞令はお断りします」
「分かった、戻っていいぞ」
「いえ、お話しておきたいことがあります」
そう言ってから封書をテーブルの前に置く。それには【退職届】と書いてあり、そういうことかと割と簡単に想像は付いた。
「理由は?」
「結婚が決まりました」
やっぱりな、佐伯んとこのドラ息子とねぇ。知事である栄生氏や県会議員の晃生氏は結構マトモなんだがな、コイツだけは何というか薄っぺらい。まぁ今の五条はぺらっぺらの三流女だからお似合いっちゃお似合いか、春香を見習えばこうはなんねぇはずなんだが。
「そうか、四月末日で退職だな」
「はい、それで宜しくお願いします」
五条はケロッとした表情で部屋から出ていった。これで全員の返事はもらった、五条の退職届も含めてここからは人事部に任せるとするか。
「もう遅いな」
時計を見ると午後四時半、人事部に行くのは明日にしよう。
「そう、随分と急展開ですね」
帰宅した俺を出迎えてくれる恋人……あぁ俺ロレーナこと芦名環と付き合ってんだわ。今はまだ『ファムファタル』のレンタルホステスだからここんとこあの店に行っていない。いざ付き合ってみるとセックスの相性も良いし料理も美味いんだよ。んで結婚って形は法律上無理だけど双方の親に挨拶は済ませている、家はともかく相手さんはどうなんだ? って不安はあったけど予想以上に喜ばれた。
「まぁな、けどあの状態でダラダラ居座られてもって感じにはなってたからある意味ちょうど良かった」
「あら辛辣な」
「仕事現場で甘々してらんねぇんだわ」
「それもそうですね」
環は俺の好物の一つであるオムライス……ふわふわ玉子にデミグラスソースをたっぷりという最っ高のやつを出してくれる。
「先に召し上がっててください」
環は自分の分をせっせと作っている。コイツはぺらっと玉子にケチャップをかけるタイプの方が好きだからわざわざ作り分ける手間の掛けようだ。
「それくらい待つ、こういうんは顔向き合わせて一緒に食うもんだ」
それに笑顔で応えた環は、あっという間に作り上げて向かいの席にオーソドックスなオムライスを置く。
「んじゃ食おうか」
「はい」
俺たちは一緒に手を合わせ、仲良く食事を楽しんだ。
翌朝、環の激ウマ飯でエネルギーを充填させてから出勤、先ずは辞令の返事と五条の退職届を人事部に持っていく。
「辞令の返事五十二人分と経理課五条夏絵の退職届、後の処理頼むわ」
「退職届は昨日提出ですと四月末日で手続き、で宜しいですか?」
「あぁ、本人にはそう伝えてあるからそれで頼む」
「分かりました。今回辞令の辞退者は……経理課の五条さんだけですね、まさか恐喝なさいました?」
「んなことするか」
俺一体どんな印象持たれてんだよ?
「でもそれならもっと辞退者が出るはずですもんね」
「俺そこまで鬼じゃねぇぞ」
「すみません、悪魔でした」
「おい……」
人事部長は親父の元秘書であり俺の上司でもあった人物だ、でないと現社長の俺にこんな口叩けねぇわな。立場が変わってあっさりと敬語を使うようになり、逆に敬語が抜けなかった俺に『会社のトップとしてハッタリでもいいから威厳を保て!』とケツを叩いてくれた恩人とも言える。
「大分社長業が板に付きましたね」
「まぁ見栄とハッタリだけだけどな」
「それで良いんです、まだお若いんですから落ち着く必要ありませんよ」
「まぁ落ち着くつもりはねぇよ……っと経理課に用があったんだった」
「そうですか、お疲れ様です」
俺は人事部長と別れ、経理課課長四郷を社長室に呼びつけた。
「何です? 業務中に面倒臭い……」
「社長命令に『面倒臭い』って何なんだよ?」
「いえ五条のミスが治まらないんでもうウンザリなんですよ。修正は本人にさせてますが改善が見られません」
そらぁ現場責任者としてはウンザリもするわな。
「そうか。ならアイツの退職届は吉報になりそうだな、昨日辞令の返事と一緒に持ってきやがった。公開は四月一日、それまでは口外を控えてくれ」
「分かりました。吉報とは言えませんが今の彼女を引き留める気は無いですね」
四郷は喪失感とも安堵感とも取れるため息を吐いた。