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平凡な女には数奇とか無縁なんです。  作者: 谷内 朋
花嫁修業三十路前 〜外野席のホンネ編〜
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cent quatre-vingts 春香

 この数日ですっかり黄色く(・・・)なったなつは休日出勤おサボり明け早々朝帰りをした。もう未成年じゃないからあれこれ言うつもりも無いんだけど、佐伯と付き合い出すと自分を大切にしなくなるからその点が気掛かりではあるのよね。

 元々なつは自己評価が低めで、誰かの褒め言葉をあまり真に受けないところがある。そのせいなのかどうかは分からないけど、思わぬところを褒められると有頂天になって相手を信仰してしまう。佐伯がどういう手を使って妹を手懐けたのかは知らないが、恐らくは褒めて貶して助言に見せかけた恩着せがましい物言いでもしたのだろう。

「話があるの」

 えっ? 今? 仕事明けでクタクタなんだけど。まぁ何の話かくらいは想像が付く、この数日で左手薬指に指輪を二つも着けてるんだもの。

「私、結婚する」

 あぁ遂にきたか。そういう込み入った話は休みの日にしてほしいわ。

「そう、佐伯君ね」

「えっ? どうして分かったの?」

 そんだけ黄色くなりゃ分かるに決まってんだろ。

「それでね、会社辞めようと思ってる」

 まぁそうなるだろ……でしょうね、K市だと海東文具に通勤するには距離があるけど、通えないという距離でもない。

「そう、辞めてどうするの?」

「彼の妻として相応しくなるための勉強をすることになっているの」

 つまりは淑女教育というやつかしら?

「そう、ちゃんとやりなさいね」

「うっ、うん……」

 なつは意外そうに私を見る、今更怒るとでも思ってたの?

「それとね、来月末で彼の家に引っ越すの」

「その時期慎とつかさちゃんの結婚式じゃなかった? 随分と忙しなくするのね」

「なるべく早く一緒に暮らしたいって。入籍は来年の私の誕生日を予定してる」

 なつはふわふわと浮足立った調子で言う。姉として言わせてもらえばかなり危なっかしい気もするけど、本人がそうしたいのであれば今更もう何も言うまい。

「なつが真剣に考えた上で決めたことであれば私から言うことは何も無いわ」

 ただ前に言ったことは完全に忘れてるだろうけどな。でもそれで何かあっても助けてはあげられない、自分で何とかしなさい。

「えぇ、彼とはこうなる宿命だったのよ。忘れたくても忘れられなかったし、素直になれた今は凄く幸せなの」

「幸せなら良かったわ。おめでとうなつ」

 今のなつには何を言っても無駄だ、ドラマチック症候群にどっぷり浸かってただただイタイ女になっているわね。この話で通常の一千倍は疲れたので、話が終わったタイミングで席を立ってお風呂に入ることにした。

 取り敢えず至君とあきとふゆには伝えておかないとね、あとひと月もしたらなつの部屋も空くことだし、いい加減あの二人部屋を分けてあげようかしら? これまでの私であればこうしてあげようとか考えてしまっていたけど、なつの人生はなつが舵を切るしかない。私は私の人生の舵を切る、それ以上のことはしてあげたくてもしてあげられない。自分のことを疎かにして人のことなんてできないから、お互いの人生を尊重しあっていくしかないと思う。

 でも構い過ぎを止めると精神的には多少ラクね。ただ私自身もちょっとした大事の渦中にいる状態だから、正直に言えば自分のことに必死だったりもする。そんな中で決まったなつの結婚、忙しい時期って集中して色々なことが起こるから目まぐるしくて仕方が無い。

 そんなことを考えながら長めにお湯に浸かり、体の疲れを持ち越さないようにする。今日もお仕事だしなるべく早く寝よう、接客業でお肌ボロボロなんてプロのホステス失格だもの。今日はお水を持って入るのを忘れたから三十分前後の半身浴で止めておく。お風呂から上がってキッチンに入ると、なつは何も食べないまま仕事に出掛けたようだった。

 

 夜になってオカマホステスセナとしてお仕事に入った私の元にご指名が入る。テルが知らせに来てくれたということはそれなりの顧客様なのだろうと否が応でも気合が入る。私はひと通り身嗜みを整えて中に入ると、まさかのあの方(・・・)がわざわざご起立なさって一礼をした。

 私も彼に礼を返す。一体どのような……他に無いでしょうけど、御本人直々にこんな所へご来店されるとは思ってもみなかった。

「ご指名ありがとうございます、セナと申します」

「名乗るのは控えさせてください、一応お忍び(・・・)というやつですので」

 にしたってSPを三人も付けてらしたら目立ってしまうわよ。今日は個室が空いてるはずだから手配させようかしら? テルなら気を利かせて今支度してると思うけど。

「個室をご用意致します」

「先程接客してくれた彼が用意して頂けると……」

 私たちは一番奥の角の席でテルの支度を待つ。それから程なく彼が戻ってきて、個室へと案内してもらう。

「お待たせ致しました。お好みのお酒はございますか?」

「洋酒が苦手でね、日本酒はありますか?」

 テルはございますと言ってメニューを見せている。顧客様は保科酒造さんの地酒をチョイスされ、テルが部屋を出たので私たちは(SPを除いて)二人だけになる。

「失礼だとは思いましたが、ご自宅を訪ねるよりはと……」

「その辺りはさすが親子(・・)ですわね」

 違うところと言えば息子の方は小芝居付きだったということくらいかしら? 親父の方はむしろ真面目に逼迫しているといった印象を受ける。ただ県のトップを担う政治家、どこまでが嘘か真実(まこと)か測りかねる。

「息子が?」

 さすがに三十路手前の息子の行動なんて知ったこっちゃないでしょうね。

「えぇ、ひと月ほど前に」

「そうでしたか、面目無いです」

 顧客様は私に向けて頭を下げた。

「差し出がましいのですが、息子は何と?」

「六年前のことを少し」

「その件ではあなたにもご迷惑をお掛けしたようで」

「えぇ大迷惑でした。嘘の告白劇で既成事実を作り、妹を振って爪痕を残してから海外へ高跳び。その後のこっちの迷惑……いえわざとそうしたのでしょうね」

「……」

 この感じだと何かご存知の様子ね。私は顧客様の言葉を待っているとコンコンとノック音が聞こえてきた、テルね。

「お待たせ致しました、日本酒をお持ち致しました」

「大丈夫よ、入ってちょうだい」

 失礼致します。テルはトレイに日本酒とグラスを乗せた状態で個室に入り、顧客様の前にそれを置いた。

「あとは私が」

「ではこれで失礼致します」

 テルは顧客様に一礼して個室をあとにした。私はグラスに日本酒を注ぎ入れると、あなたもどうぞともう一つのグラスに同じものを入れてくださった。

「では遠慮無く頂きます」

 そう言ってから顧客様はグラスの日本酒をくっと一気飲みされ、私はそれを見てからひと口分頂いた。お酒そのものはほわっとした甘口だったが、個室の中の空気は決して甘口ではない。

「これは“かりん”……姪が言っていたのですが。韓国勤務が決まった当時、息子は二枚分の航空チケットを所持していたそうなんです」

「荷物の覗き見でもなさったんでしょうか?」

「その辺りは分かりませんが……ただ韓国で使っていた家具はほとんど単身向けではありませんでした。前の会社を退職し、引き上げる際に立ち会っておりますのでそれは間違い無いです」

「それは韓国で交際していた女性がいらしたのでは?」

「いえ、先のこともありますので定期的に調査はしておりました。しかし韓国滞在中にその形跡は見られませんでした」

 なるほどね……世が世ならお殿様、今でも国会議員を輩出している政治家家系の佐伯家であれば身辺調査も事欠かないという訳か。ただ頻繁に行っているということは佐伯自身信頼を勝ち取れていないのかも知れないわね、となると引き留めた方が良かったのかしら?

「恥ずかしながら、息子は女性トラブルを起こした過去があります。それで特に女性関係は念入りに調査をしておりまして、ここ数日女性を自宅に泊まらせているという情報を入手致しました」

 それでここに……それだけの情報網をお持ちであれば相手女性の身元確認など容易いわね。私は空になった顧客様のグラスに日本酒を注ぎ入れた。

「お互いに成人していますので最終的には自己責任ですが、まだ日が浅いですので今のうちに……」

「結婚を決めたようですよ、息子さんが本気であれば近いうちに動きがあるかと。ただごく最近まで身元を隠していたみたいですが」

「そうですか……一歩遅かったようですね」

 顧客様は失意のこもったため息を吐き、入れたばかりの日本酒を一気に飲み干された。

「先程は少々まずい表現をしましたが、妹さんの素性に問題があるとは思いません」

「いえお気になさらず、両親が他界して()もこんなですから」

「あなたは素敵な女性(・・)ですよ、むしろ問題があるのは息子の方です。ですから六年前に妹さんと破局して以来静かでしたので安堵していたのですが……まさか今になってこんな事態になろうとは」

 顧客様は何か嫌なものを感じていらっしゃるようね、このままでは終わらない……でもどんな状況になっても尻拭いは本人にさせる。

「今本人たちを引き留めるのは多分無理です」

「かも知れませんね、ただ今日はあなたにお会いできて良かったです」

「光栄なお言葉ですわね」

 私たちは辛気臭い話題を打ち切り、クラブらしく砕けた内容の話題に変えた。顧客様はそれなりに楽しまれたご様子で、以来定期的に来店頂けるようになった。

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