cent soixante‐douze 秋都
この数日でなつ姉に男ができたみたいだ。
いやそれ自体は良いんだよ、むしろもうちょい積極的になって経験値積むくらいでちょうどいいと思う。ただ何故あそこまで性格コロッと変わるんだ? はる姉も変わるっちゃ変わるけど性格まで変わんねぇぞ。
なつ姉に男の影がチラつき出すとふゆの機嫌が悪くなる。ガキん頃からなつ姉が大好きで、ことある毎にくっつき回って隙あらばいっつも隣を狙ってたんだ。
ところがなつ姉が大学生になったくらいかな? 当時で多分九歳だったふゆが突然なつ姉を避け出したんだ。それに合わせてなつ姉のファッションセンスが変わり、一時期は週末ごとに外泊する感じだったと思う。高校生だった俺も何だかんだで忙しくしてたから全部は把握してないけど。
んでこれが三年かそこら続いて、就活が本格化してやっと家にちゃんと帰ってくるようになったんじゃねぇかな? 最初のうちはなつ姉も一応未成年だったからはる姉も窘めてたんだけど、歳も二つしか変わんねぇし男の影響で(多分)屁理屈こねてちょいちょい喧嘩に発展してたんだよ。
基本は仲が良い五条家もこの時期は険悪だった。はる姉が選ぶ男は時としてキャラが強烈なんだけど、男選びそのものは家族との相性も考慮して慎重にしてるからこういったトラブルはまず起きない。ところがなつ姉の場合言い寄ってきた男の手を取るだけだから、ちょっと頭の良い相手だと言いなりになるんだよ。弟からしたらコレが恐い。
ただまさか仕事に穴開けるとは思わなかったよ。土曜日の朝っぱらからはる姉のケータイと固定電話がじゃんじゃん鳴り出して、何度か居留守でやり過ごしてからスケベ社長にだけは全部話そうってことになった。んではる姉のケータイから折り返し通話して事情を説明したんだけど、『取り敢えず支度中に体調崩したとかにしとけ』とまぁテキトー過ぎる理由で執り成してくれた。
いくらスケベ社長に通したからっつっても、なつ姉はあくまで経理課の所属だからそっちにも一応連絡しなきゃなんねぇんだけどさすがに連絡先が……固定電話に多分登録してる!
なかなか鳴り止まない着信の隙を突いて固定電話を操作して経理課の番号を探し当て、受話器を上げて通話発信すると一回目のコールすら待たずはいっ! と女性の声で応答があった。この声は三井さんじゃねぇな。
『海東文具経理課アズマが承ります』
「すみません、五条と申します」
『お世話になっております』
俺はアズマさんという方にテンプレ理由を告げた。
『分かりました、お大事になさってください』
「はい、姉に伝えておきます」
俺は固定電話を置いてほぅと息を吐いた。さすがに休日出勤なさってる人に本当のこと言えねぇわ。
「にしたってなつ姉何やってんだ?」
「サエキだね〜」
とどこからともなくもなく階段からふゆがひょこっと顔を出した。このところずっと机に向かって何かやってたもんな。
「サエキ? 誰だそれ?」
「県知事の甥っ子〜、なつ姉ちゃんのオトコだよ〜」
はぁ? なつ姉そんなのと付き合ってんのかよ?
「そんなのとどうやって……」
知り合うんだよ? って言おうと思ったら、はる姉が大学の同級だって教えてくれた。
「へぇ、随分と凄いのに見初められたもんだな」
「そんな呑気な事態じゃないよ〜」
そらまぁ知事の甥っ子とウチじゃ釣り合わねぇわな。
「本人らが良くても佐伯家って殿様家系だからなぁ」
「問題はそこじゃないわ、佐伯って元カレなのよ」
元カレ? 多分だけどなつ姉の男遍歴って大学時代のアレだけだ。ってことはまぁた人格おかしくなっちまうのか?
「マジかよ?」
「思い出してくれた〜?」
思い出したも何もアレの再来はマジ困る。
「黄色の服を着だしたら確定ね」
やめてくれ、ここへ来てまたユダ化すんのかよ?
「もうニオイ始めてるよ〜」
「ニオイ? 何だそれ?」
「う〜んとね〜、嗅覚で分かるニオイじゃないから説明しづらいんだよ〜。あき兄ちゃん馬鹿だしね〜」
確かに馬鹿には違いねぇが一応説明してくれよ。
「何かね、変な付き合いがあると生ゴミみたいなニオイがするんだって」
はる姉は一応知ってるんだな。
「変な付き合い?」
「うん。セックスがどうとかじゃないんだけど〜、簡単に言えば振り回される関係性? 対等じゃない付き合い? そういう相手と交流があると変なニオイをまとわせるようになるんだよね〜」
俺にはちょいムズイけど、多分相手に合わせる付き合い方してっとふゆセンサーが働くってことか? それを大学時代のなつ姉に置き換えると、当時付き合ってた男……県知事の甥っ子の詭弁に踊らされてたのをふゆは第六感で察知してたってことか?
「もうちょっと詳しく言うと、『自分を見失った人間』とか『他人主導の生き方してる人間』ってニオイ易いんだよ〜」
なるほどな、何となくは分かった。けどそんなのなつ姉に限らずほとんどの奴がそうなんじゃねぇのか?
「それって誰に対しても分かるもんなのか?」
「うん、分かるっちゃ分かるよ〜。どうでもいい人だとん? ニオうなって程度なんだけど、同居してる家族だとそうもいかない感じなんだよね〜」
なら九歳当時のふゆにしたら大学時代のなつ姉はとんでもなく臭いニオイを放ってたってことになるのか。俺にはニオイの程度は分かんねぇけど、ふゆは結構繊細で神経質だから精神的にキツかったんじゃねぇかと思う。
「なつ姉がそんなニオイ放ってんなら同じ空間にいるのキツくねぇか?」
「うん、鼻もげそうだよ〜」
「ならこのこと兄貴に話した方がいいんじゃねぇのか?」
もうきょうだい認定してんだしさ。
「そうね、カミナリ先生と会ってから家に寄るって言ってたからその時にでも話しようかしら? ふゆ、話して大丈夫?」
うん。ふゆは兄貴を慕ってるからあっさりと頷いてる。
「んでさ、兄貴ん家を緊急避難先にするってのもアリだと思うんだよ」
「「……」」
はる姉とふゆはでっかい目を更にでっかくして俺を見る。何かおかしなこと言ったか?
「その手があったわね」
「あき兄ちゃんたまには頭良いね〜」
おぅよ、俺だってたまには……たまにはって何だよ?
「それも含めて至君に話してみましょ、その前に少し寝るわ」
夜勤明けのはる姉は眠そうにして階段に向かってる。俺も夜勤明けだからちょっと寝たい。
「至君にはふゆに連絡するよう言っておくわ。彼以外の訪問は出なくていいからね」
「は〜い」
俺たちはふゆに留守番を任せ、兄貴が来るまでひと眠りすることにした。