cent soixante‐neuf 春香
何かが変だ、嫌な予感がする。
このところなつの様子が……なのだがふゆの様子もおかしくなっている。今年は妙に出会い運が付いている感じなのでそれ自体はともかく、来る男来る男碌でもないというのが頭の痛いところだ。
先にふゆの話からさせて頂くと、なつが佐伯明生と交際していた頃に年齢の割に早い反抗期が来た。当時まだ九歳だった弟は、末っ子なだけに誰よりも甘えん坊でなつには特に懐いていた。ところが十年前の十月くらいから用がある時以外部屋から出なくなり、なつを蔑視するようになった。それに合わせてなつも家を空けるようになり、私はそれで男の存在を悟った。
なつが帰ってこなかったある日、私はふゆと話し合いの場を持った。幸い私とあきに対してはそこまで態度を硬化させていなかったので、話し合いそのものはさほど困難ではなかったのだが……。
『最近なつ姉ちゃんから生ゴミみたいなニオイがする〜』
最初は何を言っているのかよく分からなかった。時々違う匂いを付けていたことには気付いていたが、ふゆが言うような臭いは感じなかったからだ。
『そんな臭いする? お姉ちゃんには分からないけど』
『うん、キュウカクで分かるニオイじゃないからね〜。でもすっごくフカイなニオイ付けてるからボクにはムリ〜』
嗅覚で分からない臭いを説明されてもどうしてやることもできないわよ。
『でもはる姉ちゃんなら別のカタチでなつ姉ちゃんの変化に気付てるんじゃないの〜? 多分だけどオトコとヤりまくってるよね〜?』
一体どこでそんなこと覚えやがった? 多分あきだろうけど。あきは当時で十六歳、青春期に突入して性に目覚めた時期だと思う。俳優レベルにルックスが良く、当時から身長も高い方だったから社会人女性とも懇ろかまして遊びまくっていたのよ。
『余所で言うんじゃないわよその台詞』
『は〜い、あき兄ちゃんにもそう言っとくね〜』
……やっぱりかよ。でも待って、その当時であれば私にも恋人がいて、しかも付き合い始めたばかりだったからまだ家族に紹介していなかった。
『なつに恋人がいるから臭うって言うのなら、お姉ちゃんも臭いのかしら?』
『はる姉ちゃんまたカレシできたの〜?』
またって何? 当時で二十一歳だったから多少の恋愛遍歴があってもおかしくはないでしょ。
『えぇ、もう少ししたら紹介するね』
『うん、はる姉ちゃんはその辺まちがえないからダイジョウブだよ〜。はる姉ちゃんはそんなこと無いのになつ姉ちゃんは何でクサイんだろうね〜?』
それは私にも分からない。ただ今思えば、なつにとって決してプラスになる恋愛ではなかったのかも知れない。
私は恋人を選ぶ時は必ず家族との相性を吟味する。なので一目惚れなんて滅多にしないし、ある程度のコミュニケーションを取ってから交際をスタートさせる。これは私に限った話だが、先にセックスという試乗をしてから交際を決めることもあるくらいだ。それで合わなければ? その時点でサヨナラするだけ、男同士のセックスは妊娠というリスクが無いからできるのだとも思うのだが。
多分女性だとそうもいかないんだと思う、総じて腕力でマウントを取れない上に防御すらままならない以上、試乗そのものが危険と隣り合わせでどうしたって後回しにせざるを得ないのかも知れない。
考えてみればコンドームは薬局で買えるのに、ピルは産科で診察を受けないと処方してもらえない。言わば丸腰でリスクと戦わねばならない側面があり、マナー力皆無の男と付き合うと時として女性だけが傷を負う事態にだってなる。
なつは腕力で男に負けることがそうそう無いのでどういった条件で交際相手を選んでいるかは不明だが、見た感じだと言い寄ってきさえすれば誰でもという印象を受けた。今のところお股は簡単に広げていないっぽいが、どこかで『女は愛されてこそ幸せ』って考えてる風でどうにも危なっかしく感じる。
十年前もそうだったのだろうか? 後になって聞いた話だけど四年ほど交際していたらしいし、年齢も考えたらそれなりのお付き合いはしていたと思う。それなのになつは何故彼が県知事の甥子だと気付かなかったのだろう?
私も六年前は気付かなかった。当時は名乗られた訳でもなく、後日なつ本人から名前を聞いてもしや? くらいには思ったって程度だ。しかしこの前改めてお会いした時はさすがに分かった。
あの時よりも痩せ細って顔色も悪く見せていたが、恐らくは体調不良と見せかける為の芝居だったと思う。例え単純に痩せただけだとしてもあの顔色はメイクだ、いくら店内が暗くてもそれを見落とすほど私だって馬鹿じゃない。なら一体何の為に?
なつを振って韓国に飛び、再び舞い戻って今更言い訳をぶっかましてきた……これがどうにも引っ掛かる。あれほどひた隠した交際を晒した途端ゲイでもないのに私に告り、なつを振って海外勤務。帰国して再就職したらお店に現れて今更謝罪、もしかしたら彼の中では全て一つのシナリオなのではないのかしら?
だとすれば今も佐伯はなつに何らかの動きを見せてきているはず、思い返せば今月に入ってからあの子の様子は日に日におかしくなっている。和仁さんも言ってたけどこのところ仕事でのミスが目立っているとか、無駄に早く出勤したり遅刻寸前だったりとバイオレンスも乱調気味だ。
因みに昨日の出勤以来帰宅しておらず、普段であれば外泊するなら連絡くらい寄越してくるのにそれも無い。今のふゆにとっては好都合かも知れないが、この不自然な行動は大学時代にもあったので佐伯絡みとも充分考えられる。
今は二月二十三日土曜日午前六時半、二月と八月の最終週土曜日は休日出勤のはずだけどちゃんと覚えてるのかしら? 一応昨夜の休憩中にその旨のメールは入れておいたけど、今のところ反応は無い。
そこまで介入してやる必要も無いけれど、仮に本当に忘れてしまっていたら何らかの言い訳を考えておいた方が良いだろう。経理課内部の方にはそれでごまかすにしても、和仁さんには正直な事情を話しておくつもりでいる。
取り敢えず今のうちにお風呂にだけ入っておこう、今日は同伴だから日が明るいうちに自宅を出なければならない。事情を話せばキャンセルしてくださるだろうけど、遠方からお越し頂いている顧客様なのでそのカードはあまり使いたくない。
「ただいまぁ」
同じく夜勤組のあきが帰宅、シフトの変更が無ければ火曜日の日勤までお休みになっていたはず。
「お帰り、先にお風呂入るわね」
「おぅ、なつ姉帰ってねぇみたいだな」
「えぇ、休日出勤さえ忘れてなければいいわ」
「それはさすがに大丈夫だろ」
だと良いけど。私は先にお風呂を頂いてから、あきと昨夜一人留守番という形となったふゆと三人で軽く食事を摂った。後のことはあきに任せて部屋で休むことにしたが、こんな時に限ってケータイが動きを見せやがって寝れやしねぇ。