cent soixante‐huit
「……」
一体何がどうなっているのかが分からない。辺りはもう薄暗くなっいるけど今何時なの? 私は部屋を見回して時計を探すけど見つからない。ここ寝室っぽいんだけど、何故か目覚し時計すら見当たらない。
そう言えば服……なんて思っていたら、遥か遠くからノック音が聞こえてきた。ここは明生君の自宅なんだから彼以外ないんだけど、何だか気恥ずかしくて返事もできず再びベッドに潜り込んだ。
『夏絵? まだ寝てる?』
「……」
『着替え、持ってきたから入るね』
着替え……あっそっか! それにしてもいつの間に服脱いじゃったんだろう? そんなことを考えている間に彼がそっとドアを開けて中に入ってきた。
「そろそろお腹空かない? もう五時半だよ」
えっ? もうそんな時間なの? ここに着いたのが大体十時半とか十一時くらいで……お昼食べてないから確実に五時間はここで眠っていたことになる。
「大丈夫? 調子でも悪い?」
何だか変に心配をされているようなので、私は顔だけを出して応じることにする。
「それは大丈夫なんだけど、何でこうなってるのか覚えてなくて」
「えっ?」
彼は意外そうに私を見る。
「覚えてないの?」
「うん、ごめんなさい」
「そうなんだ、今日は家に泊まってゆっくりした方がいいね。昨日今日と疲れさせちゃってるから」
なら家に連絡しないと……そう思って体を起こすと若干ふらつきを感じて動きが止まってしまう。
「無理しちゃだめだよ、ご自宅への連絡は落ち着いてからでもいいじゃない」
お互い大人なんだから。彼は私の体を支えて体調を気遣ってくれた。
「もう少し休んでから、シャワー浴びてこれに着替えて。その後で夕飯にしよう」
私は再びベッドに体を預け、少し眠ったら体調はほぼ元に戻すことができた。
ベッドから出てシャワーを浴びた後、彼に渡されていた服に着替えたは良いんだけど、パーティードレスちっくなデザインなので今できるメイクでは地味過ぎて似合わない。
「サイズはどう? 問題無い?」
「それは大丈夫なんだけど」
やっぱりメイクはした方がいいと思う、パーティードレスにすっぴんはいくら何でも変だよね?
「この服だとメイクしないと変だと思う」
「えっ? 夏絵は肌が綺麗だから良いと思うけど」
いえ私の肌はお世辞にも綺麗とは言えず、父方の遺伝で色は浅黒くきめも荒い。
「なら少し待ってて」
彼はケータイ固定電話からどこかに通話していた。するとものの五分ほどでピンポンとチャイム音が鳴る。
「来たみたいだ」
そう言って玄関に向かった彼を待っていると、二人のお洒落な男性を連れて私のところに来た。
「彼女のヘアメイクを頼むよ」
「畏まりました」
私は一番小さい部屋だと思われる部屋に連れて行かれ、ドレッサーの前に座る。私以上の女子力を誇るドレッサーを前に、普段は小さいテーブルに鏡を置いてメイクをしている自分が恥ずかしくなってくる。
「普段どのようなメイクをされています?」
えっ? まぁフツーにファンデーション塗ってパウダーはたいて眉毛書いて……ってそういうことじゃないのか。う〜ん、ベージュとかブラウン系のものが多いかな?
「基本地味めです、事務職ですので」
「でしたらこの辺りのお色味でしょうか?」
と色とりどりのパレットを広げて見せてくださり、本当によく使う色味を指でくるっと囲って示してくださる。
「はい、そうですね」
「でしたらサーモン基調でお色味をプラス致しますね、あとヘアアレンジのお好みは……」
「なるべくそのままの美しさを活かして」
いつの間にか入ってきていた明生君が代わりに注文を付ける。先ほどまで和やかだった空気に緊張が走り、担当してくださっている男性は多分美容師さんだよね? はちょっと尻込みなさっている感じだ。
「畏まりました」
「それと君、色味はこっちで」
「そちらですとワンピースのお色味と喧嘩をしてしまいますか」
うん、私もそう思う。服の色が地味であればその色でも良いんだけど、とは言っても私ソノ色使ワナイ。
「君接客業としてその態度はどうかな? 客の要望には最大限応えるべきだと思うけど」
「ここからは私も付きますので」
彼の隣に立っていらっしゃる男性の方がきっとベテランさんだよね? 二人の仲裁役的に執り成してらっしゃるけど、こちらの若い彼私は良い接客をなさってると思う。
「明生君、仕上がるまで席を外してくれない?」
「えっ? どうして?」
あなたがいらしたら美容師さんが萎縮なさって本領発揮できないからです。
「佐伯様、過程はご覧にならないのが宜しいかと。好んで晒される女性は多くありませんよ」
「彼女はそんなことないさ」
確かにあなた昔よくご覧になってたけど、実を言うと結構やり辛かったのよアレ。
「でもあまり見てほしいものではないわ、プロの方がしてくださるんだから仕上がりを待っていてほしいな」
ほぅ、ベテラン美容師さんのお陰でちょっと胸の支えが取れた。
「分かった、リビングにいるから」
彼は渋々ながらも部屋を出て行った。私は変な緊張をしたせいか肩の力が一気に抜ける。若い美容師さんも同じだったみたいで、声は立てなかったけど苦笑いなさっていた。
「もう少し上手く躱す言い方を覚えろ、あの顧客は面倒だから」
「はい、気を付けます」
上司の言葉に彼も気を入れ直されたご様子、さっとプロフェッショナルの顔付きになっていらっしゃる。
「では始めさせて頂きます。お客様はお人形ではございませんので、お好み等がございましたら遠慮なく仰ってください」
「はい、ありがとうございます」
私は美容師さんがお薦めしてくださった色味の方が好きと伝えると彼は喜んでくださった。それでもモンスター顧客明生君の意見も上手に立てるため、二色を混ぜてみたら案外良い感じに仕上がった。