cent soixante‐six
「ゆっくりできた?」
「うん、気持ち良かった」
明生君もここ最近一番顔色が良いように見受けられる。やっぱり凄いな温泉効果。
「ちょっと疲れてそうだったから、予約しておいて良かったよ」
「うん、ありがとう」
彼も立ちがって並んで歩く。誕生日は三日後だけど最高のサプライズプレゼントだと思う、彼に気遣いが嬉しかった。
「夏絵」
彼は私の名を呼んでからそっと手を握ってきた。私も彼の手を握り返し、少し空いていた距離が一気に縮まる。彼の左腕が私の右腕に触れ、手から体温が伝わってくる。きっと温泉のせいだろうけど、あの時よりも熱を帯びているように感じる。
部屋は最上階にあるのでエレベーターを利用した。ここでは私たち二人きり、畳半畳分ほどしかない密室の中で気分が高揚するのは簡単だった。彼は左手を外して腰に手を回しぐっと体を引き寄せる。空いている右手は私の後頭部に置き、少しばかり強引なキスで心も体も乱されていく。
口の中に彼の舌が入ったところでチンと音が鳴る。彼はさっと唇を外し、何事もなかったかのように平然としている。扉が開くと同じ浴衣姿の家族客と相乗りの形となり、私は変な気まずさを抱えながら最上階に着くのをじっと待つ。
途中の階で家族客が降りていくと、扉が閉まるのを待たず再び体を引き寄せられる。最上階に着くまでさほど時間はかからない所まで上がってはいたが、彼はそんな時間すら惜しむかのように唇を塞いできた。
今度は唇をついばむだけ、さっきのキスのせいで焦らされている感覚に陥っていた私は本能的に体を寄せていた。彼は私の体を壁に押し付けて首筋に顔をうずめてくる。
体、ヤバい……彼の吐息が耳元に届き、長い間眠っていた特定の感度が一気に呼び覚まされる。密室と言ってもプライベートスペースではない場所で淫らになっていく自分の様が恥ずかしくなり、今は待ってほしと体を離そうとするけど全然力が入らない。
まさかここで? というくらいに勢い付いてしまっている彼を止められぬまま、いよいよ耐えきれず声を上げてしまいそうになったところで再びチンと音が鳴る。
彼は不完全燃焼気味な表情でエレベーターの掲示を見やる。どうやら部屋のある階に到着したみたいで、すっと入り口の方に体を向けた。急に支えを失った私の体はふらつき、勢い余って彼にしなだれ掛かる。
「着いたよ」
彼は私の体を支えてエスコートしてくれる。たかだか部屋に入るだけのことにも彼の支えを必要とし、ふわふわと夢見心地になっている私は、休憩用の部屋にダブルサイズの布団が敷かれていることに最早疑問すら感じなくなっていた。
「少し休もう」
彼は囁くようにそう言って、私をそこに寝かしつけてくれる。当然のように彼は私の上に覆い被さり、三度唇を重ね合った。
今度は深くて温かい……麻酔をかけられたようになった私は、全てを彼に委ねて温もりに浸っていた。彼はそんな私を優しく大切に扱ってくれ、六年振りにセックスをした。
空白だった時間を埋めるように体を寄せ合い、彼にありったけの愛情を注がれた私は身も心も充足感を覚えていた。着ていた浴衣も取っ払い、おろしたての下着もどこにあるのかすら分からない状態だ。
今私は彼の肌を感じながら布団の温もりの中にいる。二月下旬なのでまだまだ寒い季節なのだが、この場所だけは汗が滲むほどの熱気で暖房どころか冷房が欲しくなる。
何時なんだろう……保安灯で真っ暗ではないが恐らくはまだ深夜と言える時間帯だと思う。時計無いのかな? と首だけを動かして辺りを確認すると、それに気付いた彼に手で動きを封じられる。
「僕だけを見て」
「えっ?」
「時計、探してたでしょ? 今時間を気にする必要ある?」
そう言われるとそうなのかな? と時計を探すのを諦めると、彼の手が顔から髪の毛へ移動していった。
「二時十三分だよ、時間はたっぷりあるね」
髪の毛の中にあった彼の手は、梳くようにして下へ下がり、背中から腰に滑らせて臀部の辺りで止まる。次の瞬間何の前触れも無く体を繋ぎ合わされ、私は堪らず声を上げてしまった。
「可愛いよ夏絵、ずっとこうしていたい……」
痺れに近い感覚に襲われ、そこから先のことはほとんど覚えていない。彼との時間は意識朦朧の中淡々と過ぎていき、次に意識を取り戻した頃には太陽が姿を見せ始めていた。
「ん……」
そろそろ起きようかな? と思って体を起こそうとしたけど、久し振りの全身運動で体が痛い。特に腰は鉛でも巻いてあるんじゃないかというくらいの重みも加わり、普段当たり前にできていることが困難になっている。
「おはよう、大丈夫?」
ひと足先に起きて浴衣を着直していた明生君が体を支えてくれる。寝起きで意識してなかったけど、そう言えば今裸……。
「あっ……」
私は手の伸ばせる場所でくちゃくちゃに脱ぎ捨てられた浴衣で慌てて体を隠す。彼はそんな私を見てククっと笑い、今更じゃないと言ってきた。それでもやっぱり恥ずかしい、私は何も無いよりはとくちゃくちゃの浴衣に袖を通して下着を探す。
「はい、コレでしょ?」
と昨夜貰ったクリームイエローの下着を手渡された。
「あ、ありがと……」
「少し水分摂ろうか、喉乾いたでしょ?」
彼はテーブルに置いてあるペットボトルの水を差し出してくれた。私はフタを開けて水を口に含み、乾いた体を潤わせる。彼は終始体を支えてくれ、乱れた髪の毛を指で梳いていた。
「朝食を頂く前にお風呂入ろうか、せっかくだから利用させてもらおう」
そうだ、このお部屋風呂付きで城址公園が一望できるんだった。もう今更疑問符に悩ませる脳みそなど持ち合わせていない私は、昨夜感じた幸せを噛みしめながら頷いた。ペットボトル三分の一ほどの水を摂取し、彼に支えられながらお風呂に浸かって街の景色を眺める。そこに住んでいる人たちにとっては日常にすぎないのだろうが、愛する人と共に眺める朝の景色は、有名写真家の究極の一枚に匹敵する絶景に見えていた。
六年振りに恋人同士に戻った私たちは、昨夜の興奮状態を引きずったままだった。流石にセックスはしないけど、抱きしめ合ったり口づけを交わしたりと甘い時間を過ごしている。
「夏絵」
「ん?」
「日曜日まで、二人きりで過ごしたい」
「うん」
私は首を縦に振ってお風呂で火照った体を彼に預ける。その上彼には体中を触られ続け、とっくに理性を失った体は感度を高めてあられのない状態になってしまっていた。