cent soixante‐cinq
これ以上無い贅沢な夕食を頂き、アルコールを摂取して休憩を取るためだけのお部屋に案内された私は、またしても驚きを隠せずにいた。
「これが休憩するためだけのお部屋なの?」
「みたいだね、僕もここまで豪華とは……」
だってこの部屋ほぼ最上階で城址公園が一望出来て、しかもお風呂まで付いちゃってる。多分マジックミラーだろうから中は見えないだろうけど、凄過ぎてもう言葉が出ない。
「でも折角ご用意してくださったんだから利用させて頂こう、早速だけど露天風呂入らない?」
うんそうだね……私は今映っている光景が夢見心地過ぎて全く付いていけていない。一体どうなってるの? もう考えること自体やめてしまった方が良さそうな気さえしてきた。
「さすがに混浴にはしていないよ、それだと僕も変な緊張をしてしまうから」
「……」
「それと着替え……下着もあるんだ」
「えっ?」
多分彼のことだからサイズとかもきっと憶えてくれてるんだろうなとは思う。ただよく男性一人で下着売り場へ……。
「さすがに一人では行ってないよ、女性の同僚にお願いして一緒に入ってもらったんだ」
彼はちょっと恥ずかしそうに頭に手をやっていた。普段は何をしてもスマート過ぎるのに、たまにこういった一面を見せてくれると彼も人の子なんだなと可愛らしく見えてくる。
「そんなのお願いして付いてきてもらえるの?」
「その方はたまたま……『恋人に買ってあげるの?』で納得してくれちゃった感じ」
そっか、確かに私を驚かせてまで温泉の予約までしてくれちゃって、多分そんな用意なんてしてないだろうと踏んでここまでの準備をしてくれたんだよね?
「ここまで準備するの大変だったでしょ?」
「そんなこと……下着はちょっと大変だったけど、それでも君にとって素敵な一夜を提供したくて」
「うん、ありがとう。ただ下着とかは困るだろうから、必要な時は事前に言ってくれると嬉しいかな」
「次からはそうするよ」
彼はほっとしたように白い歯を見せて笑った。もしかしたら私が怒るのも覚悟した上でここまでの用意をしてくれたのかな? でも待てよ。
「これ、どうやって持ってきたの?」
そう言えばフロントから直接割烹料理店に入ってるはずなんだけど。
「車を駐車してもらったでしょ? その時にここに入れてもらうよう頼んでおいたんだ」
そう言えば出迎えてくれた男性従業員さんに車のキーを渡してたな、料理店からここへ移動する時に鍵受け取っていたのを思い出した。
「もう疑問点は無い?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、行こうか」
私たちはアメニティグッズ、浴衣、下着を持って一階にある露天風呂に入った。
露天風呂は誰もおらず貸切状態だった。このところの疲れをさっぱりと洗い流し、ゆっくりと温泉に浸かる。今月に入ってから何かとモヤモヤすることが多くて、普段以上に疲れを感じる。体力の衰え? 来年で三十路になるから? 結局道場にも行ってないし、体もすっかりなまっちゃってるような気がする。
そう言えば今日は腐れ縁との飲み会だったな……今回は彼を優先して初めて断っちゃったけど、てつことまだ会いたくないという思いがあってこれで良かったと思ってる。仮に私がいなくても皆楽しんで飲み食いしてると思う、あの日みたいに。
最近はこれまで親しくしていた人たちとの間に妙な距離を感じる。ここまでのことは一度も無かったと思う、特に腐れ縁であるてつこに対してここまでの気まずさを感じるなんて。
物心付く前からずっと一緒に育ってきた腐れ縁の七人だったけど、進学したり就職したり、家業を継いだり結婚したりしてそれぞれの人生を歩んでいる。それでも皆ご近所さんなので顔を合わせることもあるし、定期的に集まってあれこれ話しているのが楽しくて当たり前の出来事だった。
それなのに、この前木暮さんと会った時にそれが全部打ち壊されたように感じてしまった。別の高校に通ってたんだから当たり前のことなのに、私の知らない一面を別の場所で見せていたことが妙に寂しかった。
でもどうして? そんなのお互い様なのに。てつこは他では言えないことも私には話してくれていたと思う。だから一番信頼されてると思ってた。けど違ってた、てつこはてつこで別のコミュニティーをちゃんと持っていた。
『自立の時期が来ていると思う』
ふと脳内で彼の言葉が鳴る。私たちはもう三十歳が見えている。それぞれが成長していて当たり前だし、お互いに別のお相手というものがいたっておかしくない話なのだ。
私はてつこにそういった感情を持っていない。きっとてつこもそうだと思うから、お互いに別の方を伴侶に選んで別の家庭を築いていくのはむしろ当然の流れであるはずだ。これまでの方が異常事態だったのかも知れない、幼馴染としてつるむ時間があまりにも長過ぎた。
そろそろ上がろう……私は露天風呂を出る。体に付いた水分を拭き取って浴衣に袖を通す。その前に彼が用意してくれたクリームイエローの下着を身に着けているんだけど、なぜかいつも黄色のものをプレゼントしてくれていたことを久し振りに思い出した。
どうして黄色だったんだろう? 私は肌が浅黒いので黄色はあまり似合っているとは思えない。ただ彼は『君のメージにぴったりだ』とよく言っていたと記憶している。
我が家では母だけがクリスチャンだった。これはあくまで母の信仰によるものだけど、『黄色は裏切りの色』だそうで必要以上の黄色は身に着けてこなかった。その影響かどうかは不明だけど、五条家四きょうだいは揃いも揃って黄色のものをほとんど身に着けていない。
私自身黄色は格別好きな色でもない、それならば橙を選んでいて、母も『太陽の色』だからと好んで使っていた色の一つだった。参考までに言えば明るめの青、藤色が好きなのだが、『君の内にある愛らしさが出ない』と言われたことがあり、デートの途中で服を総入れ替えしたこともあった。
彼は処分しようとしたけれど、その服は姉からの誕生日プレゼントだったので、それだけは泣いて死守した覚えがある。それを見ていた店員さんが仲裁してくださり、しかも他店で買ったものであるにも関わらず丁寧にたたんで袋に入れてくださった。
それ以来そのお店は今でもたまに利用する、当時の店員さんは別の店舗に異動されたけど、いつも丁寧に接客して頂けるので姉妹共々お世話になっている。経緯はともかく彼のお陰でできた縁ではあるなと思う。
今となってはそんな喧嘩も懐かしい……そんなことを思いながら脱衣所を出ると、彼はベンチに座って待っていてくれた。