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平凡な女には数奇とか無縁なんです。  作者: 谷内 朋
ガチで婚活三十路前 〜三十路前に春が来る? 編〜
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cent soixante‐quatre

 夜も八時を過ぎた頃、入店するには遅いかなという時間ではあったが城下ホテルの割烹料理店に入った私たちは、信じられないほどの懐石料理を前にしていた。これが友人とか家族と一緒であればこのお料理を写真として収めておきたいところではあるが、彼はこういった行為を好まないので私もそれに倣ってケータイは出さないでおく。

『お店の方は食べ頃のタイミングで配膳してくださるんだよ、それを無視して撮影に夢中になるなんて彼らの仕事を冒涜しているようなものだと思う』

 彼はレストランに入るとほぼ必ずケータイの電源を落とす。私はそこまでしないけど自然と撮影はしなくなったし、仮に着信があっても通話に出ることは無い。

「じゃ、頂こうか」

「うん」

 私たちは手を合わせてからお料理に箸を入れる。基本は静かに頂くんだけど、こういった時は時々会話を挟んで時間を掛けてゆっくりと食事を楽しむ。さすがは高級旅館の割烹料理店、普段そうお目にかかれない食材をふんだんに使って五感を楽しませてくれる。

「凄く美味しい」

「良かった、気に入ってくれて」

 気に入らない訳がない、こんな高級料理を前にして『気に入らない』なんてことを言う奴がいたらむしろお目にかかりたいものだ。しかもそれが目の前にいる彼のもてなしによるものなのだから不満などあるはずが無い。

 前菜を頂いてからすごく綺麗なロゼピンクの飲み物を、ソムリエさんらしき男性がシャンパングラスに入れてくださった。私は別に構わないけど、明生君にも同じ飲み物を入れている。あれ? それアルコール入ってるよね? 今回も代行さんを頼んでるのかな?

「車で来てるけど大丈夫?」

「うん、休める部屋はちゃんと押さえてあるから」

 えっ? どういうこと?

「温泉に入って何時間か休んだらきちんと送り届けるよ」

「温泉にも入れるの?」

「うん、ここは滅多に来られないから追加で予約入れたんだ。ゴメン、君を驚かせたくて言えなかった」

「ううん、明日と明後日はお休みだから大丈夫だよ。だけど着替え……」

 温泉に入るのであればせめて下着だけでも新しいのが良いな。この辺りなら徒歩圏にコンビニくらいあるよね?

「心配しなくていいよ、全部揃えてあるから」

「えっ?」

 私は思わず目の前の彼を見てしまう。それってもしかして……。

「誕生日プレゼントのつもりだったんだけど、もしかして迷惑だった?」

「いえそういう訳じゃなくて……」

 これはどう答えたらいいんだろう? 驚きの連続過ぎて脳内処理が全然追い付けていない。

「なら良かった、取り敢えず頂こう」

「うん……」

 そう言えば交際している時もこういったことは何度かあった。まだ二十歳そこらの頃に超高級ホテルのスイートルームでお泊りしたり、免許を取った直後に買った車が真っ赤なメルセデス・ベンツだったことにも驚いた。

 だから『県知事の甥』という話には物凄く信憑性があった。本人は否定していたけど、小久保や亘理は『旧家の金持ち』だと言っていた。であれば縁戚関係であるのは多分間違いないと思うんだけど、本人が『違う』と言い切るのだからその言葉を信じていようと思ってる。

「夏絵?」

 あぁ、思考が完全に脱線してたわ。

「ううん、何でもない」

「そんな風に見えないけど。迷惑であればちゃんと言ってね」

「そうじゃないの、ただ明生君って庶民とは思えないことすることがあるなぁって思っただけ」

「それは君限定、普段からこんなことしないって。愛する人に見栄を張るのは男として当然だと思うよ」

 そういうものなの? 私は男じゃないからそこら辺のことはよく分からないけど、できれば心臓に悪い見栄はあまり張らないでほしい。

「私には不相応だから普通でいいよ」

「でもいい物に触れて一流を知ることも大切だと思うよ。お姉さんだってそうしていらっしゃるはずだし、君にはその資格があると僕は思う」

 確かに姉もそのようなことをよく言っていて、常に身嗜みを整えて家族の前でも素っぴんパジャマでいることはほとんど無い。服や化粧品はもちろん、小物、雑貨、台所用品に至るまでそれなりの品物を大切に使っている。そう言えばよほど便利なアイデア商品でもない限り百均は買っていないと思う。私? えぇ百均大好きでございますよ、さすがにメイクグッズは買わないけど。

『これ凄く便利よね』

 あぁそう言えば容器の内側に目盛りが付いている計量カップとか、粉物の袋の口に装着するフタ付き注ぎ口はお気に入りアイテムだ。アレ? 姉って高級品も百均も気に入れば普通に使ってらっしゃるわ。

 それならこれ頂いたら姉にメールだけ入れておこうかな? 遅くなるとは言ってあるし今日はお仕事なんだけど、帰宅して不在だった場合心配かけちゃうもんね。

「夏絵、ケータイの電源は?」

「まだ入ってる、一応姉にメールだけしておくつもり」

「もしかして何も話さなかったの?」

「遅くなることは言ってあるよ」

「それで充分じゃない? もう子供じゃないんだよ」

 まぁそうなんだけど、家事全般を姉に任せてしまっているから何も言わない方が変な気を揉ませてしまう。

「その方が姉も安心するから」

「気になるのであればメールくらいはいいと思う。でもそれって君の自由を奪ってることにならないかな?」

「そんな、大袈裟だよ」

 最近は変なのに好かれたせいで色々気を揉ませてしまってるけど、基本的には自由にさせてくれている。

「今のこの時間を誰にも邪魔されたくない。その後は電源を切って、二人だけの時間を過ごしたいんだ」

 彼は私をまっすぐに見つめてそう言ってくる。その目力に押された形となり、反射的に頷いてしまっていた。

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