cent quarante-six 杏璃
今朝のパパは寝不足みたいでした、そんなので今日お仕事乗り切れるのかなぁ? と娘として心配になってきます。今日は土曜日なので学校はお休み、最近ヘンシツシャっていうのが近辺をうろついているそうなので、お友だちと遊ぶだけでも大人の人と一しょじゃないとダメってルールになっちゃってるんです。
『先代、少しお話が……』
お店を開店させる前、瀬田さんがじいじに何か小声でお話されていました。たまたま二階に上がろうと思った時だったので、反射的に足を止めてしまいました。
『先日の件なのですが、社長から何か聞いてらっしゃいますか?』
『いや何も、アイツまだ返事してなかったんか?』
『えぇ、なのでどうしたものかと……』
えっ? マジ? パパ何やってんの? さっさと断れよあんなクソ女。
『私は良いお嬢さんだと思うのですが』
何言ってんの瀬田さん、あのハラグロ具合が分かんないの?
『なだけに、いきなり十二歳の子の母親をやらせるのが心苦しいんでしょうね』
『けどひと月放置ってのはマズいだろ、そろそろ先方さんから断られんじゃないのか?』
そうであればこっちとしたら願ったりかなったりだよじいじ。いっそ無視しちゃおっか。
『いえ、先方さんは乗り気なんですよ。母親修業なんかも積極的に取り組まれているご様子とのことでして』
へぇ〜、見せかけだけはいっちょ前だよね。実際はパパ以外見てないくせに。私の母親役なんてやる気あるわけないじゃない。
『ん〜、にしてもこのままってのは問題あるな、それとなく話してみるか』
『えぇ、私からも伺ってみます』
頼むわ。大人二人の会話はそれで終わりましたが、私としてはこのままだとヤバいんじゃないかなぁ? とちょっとしたあせりを感じてしまいました。
そう言えばゆうべは安藤さんがパパのために合コンを開いてくれるはずでした。ところがその方たちのお仕事が大変なことになったそうで、ただの飲み会になってしまったってごめんなさいメールが届きました。
【相手女性の邪魔は出来ないけど、知り合いの女性との出会いの場なら作れる】
以前のメール内容を早速ユウゲンジッコウしてくださった安藤さんには感しゃしています。ちゃんとお話するのは久しぶりなのに、私の話をしんけんに聞いてくれました。
でもこうして安藤さんががんばってくれても、かんじんなパパがフヌケでは困るんです。だからパパをたきつけてくれるを味方に付けておきたいんです。
【父のケツに火を付けてくれる人、いませんか?】
私は安藤さんにメールを残しておきます。たしか今日はお仕事だって言ってらしたので、夜に返信があればいいなぁ。ただこうしてじっとしているだけっていうのもしんどいです、何とか五条さん家に行く方法は……はるちゃんと会って話せないかなぁ?
私は一度下におりてお店の様子をのぞきますが、何だかいそがしそうで手すきの方が見当たりません。パパもいないしどうしようかな?
う〜ん、しょうがないかと二階にもどり、はるちゃんにメールしてみます。昨日お仕事だったら今の時間だとねてるかなぁ? それだと返信は期待できないか。でも今日はなつにメールはしません。私のしていることはなつにバレちゃいけないんです。
さてここからどうしていこう? 多分だけど島エリアのみなさんであれば事情を話せば味方になってくれると思いますが、パパに伝わってしまう可能性があります。安藤さんもその点でなやみましたが、用がある以外このかいわいに来られないので、クサレエンさんたちよりは安全だと思います。
『ごめんください、社長さんは?』
ん? パパに用? 今いないよ。
『今外回りなんだよ、戻るまで待つかい?』
じいじが店番してるんだね。声の主の方は、何かを持ってこられただけのご様子です。でもこの声聞いたことあるなぁ、だれだっけ?
『説明しろ、昨夜のこと』
やっぱりパパのお知り合いみたいです。
『あ〜そだね、そんな気はしてたわ。けどさぁ、方便の範疇ということで許してくんない?』
この人ゆうべパパをフキゲンにさせた人なのかな? 見てるわけじゃないけどけんあくそう。
『ってな訳なんで、社長お借りしますね』
えっ? パパ連れてっちゃうの? 五条家に連れてってもらおうと思ってたのにぃ。
『おぅ、構わんぞ。哲、ケータイ置いてけ』
結局パパはお仕事を切り上げてお出かけするみたいです。パパはいつもよりも少し大きな足音を立てて階段を登ってきます。何かイラ付いてる感じだなぁ。
「お帰りパパ、出掛けるの?」
「あぁ、ちょっとな」
やっぱりちょっとキゲンが悪いです、瀬田さんに返事せっつかれちゃったのかな? 昨日もフキゲン今日もフキゲン、大人の世界も大変だね。
「行ってらっしゃい」
「ん、行ってきます」
さて、どうやってはるちゃんに会いに行こう?
さっきからひっきりなしに電話が鳴ってじいじがいそがしく動き回っていますが、そのせいでばあばもお店に出ているじょうたいです。ひょっとしたら私もお店に出たほうがいいのかな? えっ? 小学生が何の役に立つんだって? 私レジ打ちもできるしリョウシュウショだって書けるんですよ。
「いそがしそうだね、何か手伝おうか?」
「んじゃレジにいて、お昼作ってくるよ」
私はばあばに代わってレジ係、今のところ一人でこなせそうなセッキャクなので問題ないですね。じいじはさっきから電子レンジを物色しています、どこかからガイチュウでも入ったのかな?
「じいじ、ガイチュウさん?」
「おぅ、五条さん家だ。夏絵ちゃんがまたやらかしたらしい」
えっ? また? でもこれはチャンスかもしれない。
「じいじ、私もついて行っていい? 宿題で分からないところがあるの」
「あまりふゆちゃんに頼りすぎるもんじゃないぞ、もうじき中学生になるんだから」
何そのヘリクツ、宿題なんてできてりゃいいものでしょ? カテイなんてだれも見てないよ。
「今日はダメだ、自分でやりなさい」
ぬぅ〜、私のお願いは却下されてしまいました。けどまだ諦めていませんよ。私はじいじの動きをつぶさに観察し、次なるチャンスをうかがっていました。
「だったらしたくして一人で行く」
このひと言で五条家行きを勝ち取り、じいじにくっ付いて訪問しました。じいじに面倒(失礼しちゃうよね?)をたのまれたはるちゃんは、全然問題ないって感じで私を受け入れてくれました。
「はるちゃん、二人でお話できない?」
「いいわよ、和室使いましょ」
はるちゃんは私を和室に案内してくれ、ふすまをピチッと閉めました。
「てつこのことでしょ?」
やっぱりはるちゃんだと話が早いなぁ。
「お見合い、上手くいってないの?」
「うん、相手の女はノリノリみたいだけど」
そう。はるちゃんは人差し指でとがったあごをとんとんとたたいています。
「その方、どんな感じの方なの?」
「カマトトぶったハラグロい女。パパも気に入ってないっぽいけど、まだお返事してないんだって」
いっそ待たせて嫌われちゃうってどうかな?
「どっちにしてもただじゃ済まなさそうね。その方のお名前って覚えてる?」
「スオウサヤノって名前、パパと同い年って言ってた」
「聞いたことあるわね」
どこでかしら? はるちゃんは何かを思い出そうとしています。
「なつの知り合いにいたような」
へっ? マジ? あんなのと仲良かったの?
「杏璃、このこと誰かに話した?」
「なつと安藤さんには。でも名前までは言ってない」
「なつは多分てつこから聞いてると思う、ひょっとしたら元カノかもしれない」
パパあんなのと付き合ってたの? 私はパパに幻滅してしまいそうなくらいにショックでした。パパは私をむかえ入れてくれてから女性とお付き合いはしていないと思います。ただパパが高校生のころのお話になると私には分かりません、ヘタをすると生まれたころなので、パパに会っていない時期のことだと思います。
「ねぇはるちゃん、スオウサヤノ何とかできない?」
このままだとパパマウントを取られてジョウキョウがどんどん悪くなっちゃう。仕事ではそれなりに指示とかできるようになってるけど、変なところでお人好しだから圧しに負けて流されちゃうかも。
「このことは有砂にも話しておきなさい、私からもユミリに話しておくから」
「うん、今からメールだけしておくね」
はるちゃんは石渡組組長夫人に、私は有砂ちゃんにメールを送ってからお話を再開。
「杏璃、今でもなつを中西家に迎え入れたいと思ってる?」
当然じゃない、どうしてそんなこと聞いてくるの?
「私たちにとってはそれが一番だと思ってる」
「でもなつはそう思ってるのかしら?」
それは分かりません。でもパパはなつにトクベツな思いってやつを持ってると思うんです、娘のカンに過ぎませんが。
「大事なのは二人の気持ちのはずよ、それは分かるわよね?」
「うん」
本当なら私が口を出すお話ではないと思います。でも一年でお母さんを見つけないとクソババアとくらさなきゃいけなくなるんです。
「でもあのババアとくらすなんてイヤ」
「そうよね」
この【一年】さえ無ければ……私はベンゴシとかいうコスいおっさんとネンゴロかましたクソババアがニクたらしくてたまりません。自分の勝手で捨てたり拾ったり、私は都合のいいおもちゃじゃないんです。
『お姉ちゃん、ちょっと出掛けてくるね』
となつの声がふすま越しに聞こえてきました。今からどこに行くんだろう?
「そう、鍵だけ持って出なさいよ」
なつはもう大人だから、小学生の私みたいに出かけるくらいであーだこーだ言われないんですね。
『うん。行ってきます』
「「行ってらっしゃい」」
なつは一人でどこかへ出掛けていきました。
「なつ、どこ行ったんだろうね?」
「さぁ……行き先を言わない時って隠し事があったりしてね」
「隠し事? 何?」
「隠し事だから私にも分からないわ」
はるちゃんはそう言って、さびしそうにふすまをごしのなつを見つめていました。