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平凡な女には数奇とか無縁なんです。  作者: 谷内 朋
ガチで婚活三十路前 〜人生唯一の恋物語編〜
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cent vingt-quatre 春香

「水割りで宜しいでしょうか?」

 ヘルプで付いてくれてるレベッカは手際良くお酒の支度をしている。なつの元カレ佐伯君はビクッと肩を震わせつつ、いえと首を横に振る。

「すみません、水割りはちょっと……」

 どうしちゃったのかしら? 以前と言っても一度か二度きりだけど彼こんな子じゃなかったわよ、何かあったのかしら?

「ソフトドリンクに致しましょうか?」

 レベッカは客の様子を伺いつつ、すぐに対応できるようジェン君を傍らに立たせている。

「いえそういう事じゃ……」

 ホント大丈夫? こういう所苦手なんだろうけど、心ここにあらず感も否めないわね。

「失礼致しました、ソーダで割りましょうか?」

「……あっはい」

 何だハイボールがお好みだったのね。レベッカの指示でジェン君はサイダーを取りに走る。

「お久し振りね、六年振りかしら」

「えぇ……」

「任期が終わって戻られたのね?」

 服装がラフだったからそう聞いてみたけど、休暇を取って帰省されてるだけの可能性もあるのか。

「いえ、前の所は退職しました。今は別の所で働いています」

 そうだったのね、でも何故私に会おうと思ったのかしら? 確かに以前告白されましたけどね、本心で仰ってた訳じゃないと思うのよ。

「あの時は、本当にご迷惑をお掛けしました」

「それはもういいのよ、ただどうしてわざわざあんな嘘を?」

 遠距離恋愛という選択肢だってあったはずよ。なのに敢えて関係解消の方を選んだ、私に一目惚れしたなんて嘘を吐いて。

「夏絵……さんは仕事を辞めたくないと思っていたみたいです。僕は彼女に付いてきてほしかったんです」

「なら言うだけでも言ってみれば良かったんじゃないの?」

「……」

 一応それを匂わせるようなことは言ったんでしょうね、ただなつの反応が芳しくなかったってところかしら? 彼の仰る通り、なつは基本的に会社勤めを楽しんでいるようだ。愚痴もほとんど言わないし、仕事仲間にも恵まれて充実した社会人ライフを送っている。

「僕の仕事の都合で彼女を振り回したくなかったんです。社会人になった辺りから、僕と彼女とは歩む道が違うんじゃないかという漠然とした不安が付きまとうようになりました」

 まぁそう感じるようになっていたのなら引き際ではあるでしょうね。

「彼女は海東文具さんに入社してから活き活きとしている様子でした。メールでも楽しそうで、研修尽くしだった僕は取り残されたような気分になりました。それでも夏絵っ……さんと話したりするのは変わらず楽しかったんです。彼女がいてくれたから、地獄のような研修にも耐えられたんだと思います」

 だったら尚の事あの嘘は頂けないわ、私たちのきょうだい仲がどうなるのかっていうのは考えて頂けなかったの? プライベートの場であればそれくらいのこと言ってやろうかとも思うのだが、今はあくまで仕事中なので私情は控えておく。

 私は会社勤めの経験が無いから、研修というものの地獄具合がよく分からない。時々いらっしゃるサラリーマンの顧客様がその手の愚痴をこぼされるのだけど、当然アドバイスなんてできないから余計な言葉は挟まないようにはしている。

「夏絵と別れて辞令通りソウルに行きましたが、仕事は想像以上にハードで職場の雰囲気にも馴染めませんでした。韓国に知り合いもいませんでしたので、何と申しますか気分転換すら出来ない状態だったんです。そうなってくると何もかもが上手くいかなくなって、信じられないくらいのマイナス思考になって、現状の何もかもが気に入らなくて全てが地獄に感じるようになりました」

 佐伯君はここで初めてハイボールに口を付ける。レベッカは完全に影となって静かにヘルプを勤め上げており、彼がつまみを欲しがっている態度にもきちんと気付いていた。

「おつまみのお好みはございますか?」

「甘いものが好きです」

「かしこまりました」

 レベッカは捕まえられそうなウェイター君を探していたが、生憎全員が忙しそうで上手くいかなかったようだ。ここの若い子特にアイラグループの子はそのまま待たせるのだが、彼女は私に目配せして静かに席を離れた。

 機転も利くのね、これが『マリーゴールド』のレベルの高さかも知れないと他の子たちもチラと見やる。偶然にもロレーナの接客が視界に入り、上客様の接客を完璧にこなしつつカトリーヌへのフォローも抜かりなかった。しっかり学びなさいカトリーヌ、どの道を歩むにしても広い視野と心配りは大事なことだからね。

「こういう所ってもっと賑やかなのかと思ってました」

 彼も多少落ち着いてきたみたいね。

「お店のタイプによりけりだけど、ウチは比較的静かな方ね」

「僕はこっちの方が好きです」

「どうもありがとう」

 佐伯君はここへ来て初めて笑顔を見せてくれた。何というか優しさの滲み出てる表情で、なつが惚れるのもちょっと分かる気がするわ。

「お待たせ致しました」

 レベッカは白い皿に乗せたマカロンを彼の前にすっと置いた。チーママ御用達の近所にあるケーキ屋さん『文子(あやこ)洋菓子堂』から時々入荷していて、なつもこれが大好きだったりする。

「美味しそうですね、頂きます」

 彼はそれを一口かじってご満悦の表情だ、もしかしたらバレンタインか何かでなつからプレゼントされてる可能性もあるかもね。

「これ食べたことがあると思います、お店の名前分かりますか?」

 当然の展開だが、彼はレベッカに質問をする。

「『文子洋菓子堂』というお店で作られているそうです」

 チーママに聞いたのか一応は答えられるようにしてきたのね。

「この近くのお店ですか?」

「駅ビルの一階にございますよ。残念ながら入店したことはありませんが」

 こういった仕事をしているとこの手の質問は意外と受ける。深夜営業だからといってご近所の地理事情は無視できなかったりするのだ。因みに『文子洋菓子堂』の本店はここからもう少し先に行った住宅街の一角にあり、駅ビル一階は二号店になる。

「そうですか、今度行ってみようと思います」

 佐伯君は一個目のマカロンを完食した。

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