cent dix-huit 春香
「明日も仕事だから」
日付が変わったくらいの時間になり、なつは自分の使った食器を片付けて退席、お風呂に入ってから部屋に上がっていったのを音で確認した。
夜型人間である私たちオカマの時間はこれから、とは言え車で来させている以上アルコールを飲ませるわけにはいかないわね。
「そう言えば市駅繁華街の火事現場、結構酷いことになってましたよ」
カトリーヌはそこを最寄駅としている教習所に通っている。私もあき情報で一応は知っているが、あの子ビジネス街側だから現場までは見てないって言ってたわね。
「『ブルーローズ』かなりヤバかったらしいわねぇ」
あぁなぜか女性客に人気のゲイバーね。ならミッツのお店大丈夫だったのかしら? 何かあれば噂話くらい出るだろうから、それが無いってことは無事なんでしょ。
「あれだけの規模が燃えてよく死者が出なかったですよねぇ」
確か十店舗は確実に全焼だったそうだ。雑居ビルが密集しているエリアなので、そこのオーナーたち曰く定期的に避難訓練はしていたそうだけど……その効果が出たのであればよかったと言えるのかしらね。
「そのあおりで一時預かりみたいなことやってるお店もあるらしいですよ」
“困った時はお互い様”ね。いつどこで何があるか分からない世の中だから、鉄道沿線の繁華街はそれなりに強固な横の繋がりを持っている。
「ただ『マリーゴールド』はそうもいかないみたいよぉ」
『マリーゴールド』という名のオカマクラブはウチ以上の人気店だ。元々は首都圏のお店なのだが、去年市駅繁華街に二号店を出して、あっという間に他店の顧客をかっさらっていったそうだ。
枕営業だの顧客の横取りだの少々黒めの噂も聞くけれど、今のところそれらしき尻尾は掴めていないので真相は不明状態ね。
「他のお店が受け入れを渋ってるみたいですね。ウチにも要請ってあったんでしょうか?」
そろそろありそうね、多分県庁所在地辺りの同業者の方が先に要請を受けてると思うから。
「う〜ん、あそこの人たち高飛車で性根腐ってるって聞きますしぃ」
「これ以上顧客様を掠め取られたらって考えてるお店も多いって聞くしねぇ」
まぁそこは要請があってから考えればいいことなんじゃないの? 最終決定はママが決めることだし、鞍替えされるにしてもこっちの接客スキルが負けてるってだけの話だしね。
「そこはなるようにしかならないんじゃない?」
なる前から悩んでいても仕方がない。せっかくこうして集まってるんだから辛気臭い話はやめにしましょ。
「まぁそうよねぇ。ところで夏絵って中西電気店の若社長とお付き合いしてるのぉ?」
「どうなのかしら? 物心ついた頃からつるんでるから。こういうことも減ったとはいえ無いことじゃないし」
このところどうも親密さを見せてきてるなつとてつこ、少し前杏璃に頂いた画像を見た時はさほどでもなかったんだけど。
「夏絵さん今日はお仕事だったんですよねぇ?」
「えぇ今日からよ」
「リビングに掛かってた上着ってきっと若社長さんのですよねぇ? 普段ツナギ姿が多いのに珍しいですよねぇ」
確かにてつこがあんな服着てるの珍しいわね。多分まことが仕立ててるやつだと思う。お見合いでもしてきたのかしら?
私は杏璃から頂いている手紙の内容を思い出していた。実母が再婚を機に娘の引取りを画策、それを阻止する条件がてつこの結婚。杏璃はそのお相手にとなつを推してるんだけど、当時の二人の間は子供の頃と全く変わってなかったから正直現実味が無かった。
てつこは確かに良い奴だ、なつとは付き合いも古いからお互い長所短所の心得もある。結構なしっかり者だしいざって時にも頼れるタイプの男だと思う。
ただよほどでない限り本音を出さない、限界まで我慢する、少々独りよがりなところがあるのが心配ではあるけど。でも本人たちにその気があるのなら、姉としてできることはしてあげたいと思う。
「夏絵と若社長……想像できないわぁ」
とアンジェリカ、この子からしたらそうかもね。
「でもミッツ様から離れてくれるなら歓迎するわぁ」
まだそれ言う? あれはミッツが一方的に片思ってるだけだから。なつ本人それにすら気付いていないから。それにミッツには一応決まったお相手ってのがいるからね、あなたもそれ知ってるでしょうが。
「ミッツ狙いなら敵はなつだけじゃないわよ」
「分かってるわよぉ、愛人の一人で充分なのぉ」
アンジェリカは体をクネクネさせて一人キャッキャとはしゃいでる。この子変に一途だから性分的に愛人向きじゃないんだけどね。まぁまだ二十代だし、ときめいていられるうちはときめいておけばいいんじゃないかしら?
そんな女子的トークを朝までだらだらと続け、朝五時を指したあたりでお開きとなった。
「お礼に朝食作らせてぇ」
アンジェリカの厚意に甘えて朝食を作ってもらい、その間にあきが仕事から戻ってきた。
「ただいま〜、アンジェリカ来てんのか?」
どうやら玄関に置いてあるクソデカいパンプスで分かったのね。彼女の靴のサイズは三十センチ、あきのよりも大きいからどうしても異彩を放つのよね。
「お帰り」
「おぅ、それよりあの革靴誰んだぁ?」
兄貴んじゃねぇみたいだしと一人呟いているあき。
「てつこのよ、今そこで寝てるわ」
「てつこちゃんが? 何で?」
「昨日なつと飲んでたらしくてね、帰ってきた時点であの感じよ」
へぇ。普段であれば隙あらば襲ってやろうかとか言うんだけど、仕事帰りだとその元気も無いみたいね。あきはオカマ連中と挨拶を交わし、さっさと風呂場に直行していった。
その後三人も帰宅し、お風呂を頂いて午前七時をまわった頃にようやっとなつが起床。普段寝坊するような子じゃないから放置してたけどちょっと遅くないかしら? 支度は済ませてるみたいだから間に合うわよね?
「おはよう、てつこは?」
一応は気になるみたい、そりゃそうよね。
「そこでまだ寝てる。普段からこれくらい図太ければねぇ」
まだ毛布にくるまっているてつこを指差してやった。
「そろそろ起こす?」
「寝かせてあげなさい、色々あって疲れてるんでしょ」
おっと余計なこと言ったかしら、でもなつだって大体の事情は知ってるんでしょ?
「お姉ちゃんも何か聞いてるの?」
やっぱりね、敢えて突っ込みはしないけど。
「ん〜、多少はね。てつこのお母さんとはたまにスーパーでお会いするから」
「そこで聞くの?」
「ほとんどそうね。『最近結婚する気になったみたい』だって聞いてるわ、それはそうと今日は随分とゆっくりね」
ちょっと悠長過ぎない? 心持ち普段より服の色も明るめだしメイクも多少時間掛けてるっぽいわね。なつはお父さんに似て端正な顔立ちだからメイク栄えするのよ。
「今日は会長のお供なの、だから十時までに会社に入れば間に合うよ」
それでゆっくりしてたのね、にしても久し振りじゃない? あの新しもの好きのお供なんて。
「そっか。多分運転三昧ね」
と話しているとてつこのうめき声が、ようやっとお目覚めのご様子ね。
「おはようてつこ、お風呂使うでしょ?」
「……すみません、寝過ぎました」
「構わないわよ、下着はそれ使って」
無難にMサイズのグレーのボクサーパンツとタンクトップにしたけど、さすがに色の好みまで分からないわ。
「すみませんはるさん、こんなことまでしてもらって」
「なつじゃ男の下着のことは分らないでしょ。私と同じサイズのにしたけど」
「えぇ、大丈夫です」
私はメンズSサイズだけどちょっと見栄を張っておいた。
「あ〜腹減ったぁ。おはようてつこちゃん」
お風呂上がりのあきがタオルで頭をごしごし拭きながらリビングに入ってくる。それすると床に水滴飛ぶからイヤなのよ、それでそのまま寝て寝癖作っていつもバタバタしてるんだから。
「もう、髪の毛乾かしなさいよ」
何度同じこと言わせる気なの?
「飯食ってから」
それでちゃんと乾かしてから寝た試し無いじゃないの。
「おはよう、てつこちゃんも食うだろ?」
「いやさすがにそこまでは……」
そこで遠慮するの止めてほしいわね、オカマの料理だって捨てたもんじゃないのよ。
「大丈夫だって、アンジェリカの飯は折り紙付きの美味さだからさ」
「そういう遠慮は無しにしてちょうだい、なつが作ったものじゃないから安心して」
可愛い妹をディスる必要は無いけれど、味の方は問題どころか絶品よ。
「まぁなつが作ったものなら即刻帰ります」
「その感じだと昨夜で分かったようね」
お料理作った形跡があったのは知っている。キッチンの被害が無かったところを見ると、てつこが全てを執り仕切ったみたいね。
「えぇ、『何か手伝おうか?』はホラーです」
「けどさはる姉、そろそろレンジで調理は教えてもいいんじゃねぇの? 一生涯何もさせないって訳にもいかないだろ」
う〜ん……電子レンジの温め、炊飯器、電気ケトルは使えるようになってる。ただこの子破壊神話が凄すぎて正直まだまだ恐ろしいわ。
「きっとガスよりはマシよ」
一体何の自己アピールかしら?
「破壊した回数だけでしょうが」
電子レンジだって二度壊してるのよ。ガスコンロ五度、炊飯器二度、電気ポット一度、ミキサー三度、コーヒーメーカーも一度あるわね……電気ケトルを壊してないのが奇跡なのよ。
「でもそれ米炊けないお湯沸かせないレベルの時の話だろ? 今はできてるんだから案外大丈夫なんじゃねぇの?」
ここ数年電化製品は……IH破壊させてるじゃないの。
「ってかそもそも破壊する意味が分からん」
取説通りに使えば寿命分は使えるように設計されてるはずなのよ、電気屋てつこからしたら理解不能でしょうね。
「婚活の前に電子レンジは使えるようにした方が良さそうね」
でないとお相手さんが見つかっても即刻離婚案件に……その前にけが人が出ちゃうわね。