cent dix-sept
杏璃とのメールのやり取りも鎮静化し、お茶を飲みながらまったりしていると外で車の音が聞こえてきた。時間的に姉かもしれないと迎えがてら玄関を出ると、それなりにゴツい外車が方向転換に右往左往させている。
姉が車から降りて運転席に指示を飛ばしているが如何せん運転手がアンジェリカ、右にハンドルを切れと言っても左に曲がり、その度にやり直してて正直見てられない。代わってあげたいところだけど飲んじゃってるからダメだよね?
「お帰り、アンジェリカ全然上達してないじゃない」
しびれを切らして姉に声を掛けたけど、多分みんな飲んでるんだろうなぁ。
「ただいま。見た感じ飲んでるわね?」
「うん残念ながら。アンジェリカ以外飲んじゃってんの?」
「カトリーヌは飲んでないはず、ただまだ仮免中なのよ」
仮免……これくらいなら大丈夫よ、アンジェリカを助手席に乗せておけば。私は車に近付いてゴリマッチョのいる運転席の窓を叩いて窓を開けさせた。
「あら夏絵ぇ、お久し振りねぇ」
お久し振りねぇじゃない、こんな所で外車を立ち往生させんじゃないわよ。ん〜っと、カトリーヌちゃんってどの子?
「夏絵さ〜ん、こんばんは〜」
アンジェリカの後ろに乗ってるへべれけ娘はマリーだね、あんたちょっと飲み過ぎだって。この子は加工済みで戸籍も女性になってるだけあって声もすっかり女の子だわ。んでその隣でちょんとおとなしく座ってるこの子がカトリーヌね。
「お久し振りね二人とも。ところでこの子がカトリーヌさん?」
「そぉで〜す、ぴっちぴちの二十歳で〜す」
随分と上機嫌だなマリー、しかし今は彼女に用があるんだ。
「初めまして、セナの妹夏絵です。姉がいつもお世話になっています」
私は初々しさ全開のカトリーヌに話し掛ける。
「カトリーヌと申します、私の方がお世話になりっぱなしで……すみません、こんな夜遅くに押しかけてしまいまして」
うん、この子の方がきっとマシ。私のドライバー魂がそう直観させた。
「仮免許中ですってね、駐車場での停め方って習ってる?」
「はい」
「じゃアンジェリカとチェンジね」
「「えっ?」」
えっ? じゃないわよ、ほれさっさと代わる! まずはアンジェリカにエンジンを切らせてから一度全員を降ろし、カトリーヌを運転席に、アンジェリカを助手席に配置させる。
「エンジンを掛けてサイドブレーキを下げて。ギアをドライブに入れてハンドルを元に戻しながらゆっくり前進ね」
カトリーヌは緊張した面持ちながらも、きちんと指示どおり車を動かしている。うん、これならハンドルいじらずそのままバックで収まる感じだ。
「ギアをバックに代えて、ハンドルはそのまま動かさなくていいよ」
「はい」
「んで助手席の窓の範囲に壁が入ったらブレーキのタイミングね、ゆっくり少しずつ踏めば速度調節できるから」
カトリーヌはギアを切り替えて慎重にアクセルを踏み、仮免許中にしてはなかなかのドライビングテクニックを見せている。そしてこれまた指示どおり壁が前席の窓に来たタイミングで速度を緩め、一発で駐車を成功させていた。
「カトリーヌすご〜い!」
マリー、夜中にその声は止めなさい。ご近所迷惑になるからね。
「声を抑えなさい」
「はぁい」
姉に注意されてしおっとなるマリー、こういうところ姉は私よりもうるさい。
エンジンを切ってサイドブレーキをかけてから車を降りたカトリーヌは、ようやっと緊張の表情を崩して笑顔になった。この子三日月君のパートナーにちょっと似てる、多分元の姿も男の娘ちっくで可愛い感じなんだろうと思う。
「上手じゃないカトリーヌさん、アンジェリカよりよっぽど良いわ」
「酷いじゃなぁい夏絵ぇ」
とぶーたれるアンジェリカ、その後ろに付いてるカトリーヌは照れくさそうにはにかんでらっしゃる。可愛すぎるだろオイ。
「ところで皆さん、まさかの……」
お邪魔します、ですよね。姉とマリーはトランクを開けて、たんまりと食材の入った袋をせっせと出してらっしゃるもの。
「言ってると思うけど、先客いるよ」
アンジェリカは古株で島エリアでの生活も長く、マリーは島っ子だから中西電気店のことも当然知っている。
「てつこでしょ、そのまま寝かしてても起きやしないわよ」
ですよねぇ。私は一応長窓からリビングを覗いたが、てつこはあれから微動だに動いていない。さっきまで外はそれなりに煩かったはずだが、毎度ながら強靭すぎる睡眠スイッチはバッチリ稼働しているようだ。
「んじゃ座敷使おうか、支度してくるよ」
私はひと足先に家に入り、姉+オカマ共に台所を任せることにした。
ということで寝てる幼馴染を放置して座敷でオカマ四人と鍋を囲み、最初のうちは初対面のカトリーヌの話をいろいろと聞きまわっていた。
彼女は東北の出身で、元は親御さんの借金返済のため出稼ぎとして中学卒業と同時に首都圏へ上京したそうだ。
ところがなかなか定住ができず、働いては移住を繰り返しているうちに貯金が尽き、あわやホームレスとなったところで運良くチーママに拾われたそうだ。
「今はアンジェリカさんと同じマンションで暮らしています。少ないですけど仕送りもできるようになりました」
何て健気な子なんだ、世の中こんな子を不幸にしてはいけないと思う。カトリーヌは口数こそ少ないけど、二十歳になったばかりと若いのにしっかりとした夢を持っていた。
「実家は幼稚園を経営してまして、お金が貯まったら学校へ通って保育士の資格を取ろうと思っているんです」
「じゃあ最終的には故郷に戻られるのね?」
「はい、やっぱり郷が好きですので」
こういう話を聞くと、自分は何をしてるんだろう? と思うことがある。何となく生まれ、流れるように学力に合った学校に進学し、新卒で定職に就けているけど『海東文具に入社したかった』かと言えばそうでもなかったりする。
かと言って現状にそこまでの不満がある訳でもない。両親はいないけどきょうだいはいるし、姉、私、秋都の収入で生活だって十分やっていけてる。仕事も希望ではなかったけど経理課は合ってると思うし、上司、先輩、同僚に恵まれている点はむしろ幸運と言うべきだ。
それでも上を見ればきりがない。美人じゃない、恋人がいない、これと言ったスキルがある訳でもない、語学力と女子力は壊滅的……せめて何かキラリと光る取り柄でもあればもう少し違った人生があったのかな? 多少突拍子がなくても将来の夢があればもっと彩り鮮やかな人生を歩めたかな? 時々だがそんなことをふと考えてしまう。
そんなことを言い出したら姉だって同じかもしれない。中学三年で家長となり、本来であれば親戚宅に預けられるはずだった私たちを守るために、水商売の世界に十五歳で飛び込んだ。
姉は学校の成績も良かったので、偏差値の高い高校だって十分に狙えていた。『親戚宅に身を寄せて進学した方がいい』という進言もあったそうだが、『そこまでして高校に行きたいと思わない』と突っぱねたと聞いている。
『君妹なんだから、春香君に高校進学を勧めてくれよ』
『それだって一生のことじゃないじゃない、ほんの少し我慢すれば済むことでしょ』
姉の担任に言われた言葉を正直に伝えたが、姉はそれで逆上し、『意地でも進学しねぇ!』と担任にタンカを切ったらしい。それで水商売に入ったから最初のうちは馬鹿にされてた。
しかし十代のうちに給料は逆転し、三人のきょうだいのうち二人を国公立大学に進学させる甲斐性まで見せて相手を黙らせてしまった。今や財界人、社長クラスの人脈を持つ姉に文句を言う者は誰もいない。
「そう言えば夏絵さん」
すっかり酔いの冷めてるマリーがこっちを見ている。カトリーヌの話題は終わってるっぽい。
「ん? 何?」
「最近戸川桐子の娘さん……多分ご長女だと思うんですけど」
うん? 戸川桐子ってあの戸川の母親よね?それなりに売れっ子の女性活動家で、彼女は珍しく私ら島っ子を蔑視なさってなかったのよね。その長女と言えばあの女のことだな。
「戸川麻弓がどうかしたの?」
「ここ一週間くらい前から露木さんとこの産科さんで見かけるようになって」
戸川が? 何故露木さん? 苗字こそ4A露木と同じだけど親戚関係ではないよ。
「夏絵さんの学年の街っ子って島っ子蔑視凄かったじゃないですか、だから変だなぁと思って」
うん確かに。島エリアを蔑視してるあの連中であれば、ひと駅離れてる大学病院か街エリアお膝元の総合病院を利用するはずだ。あとは◇◇市▲▲区にある氷泉病院は財界人御用達の大型個人病院だから、戸川の母親の知名度を考えればむしろそっちを利用しそうなものなのだが。
「ひょっとしてひょっとするんじゃないかと思って。裏通りのラブホに一二三のドラ息子と一緒にいるの見掛けますし」
何? あの二人の密会結構見られてるじゃない。ただあそこはその手のお店が集中してるから、仮に見掛けても黙ってやり過ごすのが暗黙の了解だから案外噂は広まらないのよ。
「ならあの二人が付き合えばいいじゃねぇか、なのに俺の可愛い妹に余計なちょっかい掛けやがって」
「ですよねぇ……」
姉のオス化にマリーは表情を引き攣らせ、その話題はあっさりと打ち切られた。